読書感想


ARCH言葉の部屋にもどります!
   

団鬼六『真剣師 小池重明』の感想


 真剣師というのは、いわゆるスポンサーつきの賭け将棋の指し手のことで、昭和40年代には、そういう裏の世界でそれなりに名のしれた人々が何人もいたらしいことを初めて知った。小池重明もその一人で、この本『真剣師 小池重明』(イースト・プレス)刊は晩年の小池と交流があった著者が、彼の伝記をしたためたものだ。

 描かれている小池の44年の短い生涯は実生活では破滅的といっていいようなもので、それも著者が書くように小池自ら「酒と女に狂う」ような側面と、好転の時期に必ずといっていいほど予期せぬ災厄が向こうからやってくるという、なんとも不運としか言えないような側面に彩られている。

 素人ながら近隣の住民を集めて賭場を開いていたような家庭で育った無類の将棋好きの高校2年の小池少年が、通いつめていた将棋道場の主人の娘を好きになり、その少女と親しい常連の大学生に、負けたほうが手を引くという条件で将棋の勝負を挑む。そういう馬鹿げた話を大学生は軽くいなそうとして少女のことはともかく金を賭けるなら受けてやってもいいという。ひっこみがつかなくなり小池は親友と二人で学友のカンパを集めて応援団まで動員して勝負して勝つが、ことが将棋道場の主人に発覚して、出入り禁止になり、むろん娘にもふられる。賭け将棋で大学生からせしめた金も親友と飲み食いして使ってしまい、自分に賭けてくれた学友たちに金も返せないまま、ふられたショックでぐれて、高校も中途退学になる。

 この小池の青年前期の短い屈折した武勇伝じみたエピソードのなかに、彼のその後の人生の破滅的なパターンが全て出そろっているような気がする。もちろん純情な高校生が失恋したのがきっかけでふてくされて不良をきどっていたら、運悪く喧嘩や喫煙やら不純なんとかやらが発覚して退学処分になったというような話ならいつだってありふれているだろう。小池の場合もそんなケースと変わらないとも言える。当人もめげずにさっそく知人の紹介で住み込みで働きはじめる。将棋の熱もさめたわけではなかった。最初に言われるまま住み込んだ先が売春宿の番頭だったが、次からは喫茶店や酒場といったところだった。

 小池は生涯で、運転手や葬儀屋や土方やらと様々な職を転々としている。もちろん知人のつてで将棋道場などにも何度も就職した。しかしその多くを酒や女の失敗で失っている。同僚のウェートレスに同情して給料を貸したらそっくり持ち逃げされたり、キャバレーの女に入れあげて職場の金まで持ち出して、故郷の名古屋に逃げ帰ったり、人妻と駆け落ちして遁走するということを3度も繰り返している。そのたびに友人知人を失い、職と信用を失い、酒と女に溺れてサラ金に借金を重ねて飯場に身を隠すようなこともしている。これはどういうことだろう。どこかの職場に落ちついて平穏が訪れ、将棋のアマ強豪としても名声があがって、これから上手く行きそうだという矢先に、まるでわざとのように、駆け落ちする相手がでてきたり、会社の金を使い込んだり、泥酔して全てがぶちこわしになったりしてしまう。40を過ぎた小池がやっと平穏な家庭を築こうと落ちついて真面目に働きはじめたら、肝硬変で喀血して入院、女性にも逃げられたあげく、自殺未遂をして精神病院に入れられ、最後は自殺同然にして病死した。

 正直いって、こうした小池の生涯の破滅的な事実関係を週刊誌の実話記事みたいに着色して綴って行く著者の文体は好きになれなかった。どんな生涯も、つきはなした世俗的な視線から語られれば、辛辣だが妙にもののわかったような、すわりのいい物語りになってしまう。それは風土の文体のもつ困難さなのだが、わかったような部分はたぶんもう風化している。

 将棋指しの話なのだから、それに触れておこう。将棋にはテレビや新聞でおなじみのプロの世界があり、それは年齢制限も試験もある同業者の制度みたいなものである。それとは別にアマチュアでも全国の将棋道場を母胎とした有段者中心のオタク世界があり、全国トーナメントが開催され毎年日本一を決めるイベントがあるらしい。詳しくは知らない。その裾野には縁台将棋ファンみたいな層がひろがっている。そういうことは常識的なことで書くのも気が引けるが、賭け将棋の伝統というのもあった。著者によると名のしれた真剣師というのは昭和50年頃まではいたというし、昭和40年頃将棋道場などでは額は当時300円程度と少ないが、賭け将棋が行われるのが普通のことだったという記述もある。彼等はたぶん公営ギャンブルみたいなプロ組織に囲い込まれて消えていった。

 小池は将棋を覚えたのが高校生の時で、もうプロにはなれなかった。アマ名人には2回なったし、事実上日本一を決めると評された真剣師同士の将棋でも勝ち、それ以後はアマで賭け将棋の相手をしてくれる者がいなくなった。賞金付きのプロ棋士との対局にも圧倒的に勝ち越している。特例でプロにという話もあったが、これは連盟の会合で満場一致で否決された。そればかりか、将棋道場をひらく資金をといって知人から金を借りまくったという寸借詐欺の疑いが新聞に報道され、そのためにプロ・アマ将棋界から追放された。アマ棋界というのも、いわゆる素人の将棋好きの集まりを指すのではなく、変な圧力団体みたいに思えるのは、こういう追放というのをやるからだ。やくざの通達みたいなものなのだろう。今はどうだか知らないが。

 小池の将棋は序盤はほめられないが、中盤から終盤にかけて恐ろしく強かったと、本の中で何人もが同様の印象を述べている。本書には小池が自譜を解説した文章もついているが、私などにも読みが深くて解説が的確だ位のことはわかる。当時の気鋭のプロとの将棋で、相手に油断があったと書いている。

 序盤優位にたっていて、中盤に巻き返されてねじり倒されると、何かの弾みやその場の運で自分が負けたりしたわけではないと感じる。小池には二度と勝てる気がしないと思わせる。これが何も賭かっていなければ気楽に何番も指せるかもしれないが、一局で多額の金が動くとなると、そういう重圧は凄いものだろう。プロの名誉がかかっても同じことで、負けるとしばらくは立ち直れないものがありそうだ。そういう修羅場を潜って、小池はいつも将棋が終わると感想戦で、ここをこう指されていたら自分の負けでしたといったようなことを丁寧に解説して帰っていったという。

 そうやって稼いだ金も盛り場にくりだして酒と女に蕩尽してしまった。そんなことばかりしていたように描かれているが、本当はどうかわからない。もっと平穏な場所もこの人の人生には沢山あったに違いない。骨っぽい実話小説みたいな団鬼六氏の文章を読みながら、そんなふうに想像したいと思った。


個人誌「断簡風信」95号(95.11)から転載。
ARCH言葉の部屋にもどります!