読書感想


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なし崩しの夏、あるいは、
ヴォイナロヴィッチ『ナイフの刃先で』について


 『ナイフの刃先で』(大栄出版)は、1954年に生まれ、92年にエイズで死去したアメリカのアーチスト、ディヴィッド・ヴォイナロヴィッチの生前のエッセィ、講演などを集めた本だ。

 不遇な家庭環境に育ち(妻に発砲したり、ペットを殺して子供たちに食べさせたという酒乱の父親は後に自殺)、離婚した母親とニューヨークに移住後、9歳でホモセクシュアルに目覚め、ハイスクールを中退して、ホームレスの群に身を投じる。以後8ミリ映画や写真、執筆、ロックバンドなど、様々な表現活動に手を染めるが、一方でスプレー・ペインティングの手法による美術作品をイースト・ビレッジのグループ展などに発表し続け、30代はじめに「崩壊するビル、銃、勃起したペニス、ファック・シーン、ジャンキー、戦争」といったテーマを「地図や丸太やゴミの缶のフタやスーパーマーケットのポスターといった素材に描いたりプリント」したりした一群の作品が注目されて、一躍美術界の脚光を浴びるに至る。34歳でエイズと診断され、その後も、フォトモンタージュやマルチメディア・パフォーマンスなど、表現活動の領域を拡大してゆくが、37歳で才能を惜しまれつつエイズで死去した。

 そういう年譜の記述を見ていると、なにか現代のアメリカ社会の病巣やら都市風俗やらの飛沫を頭から被って生きた典型的な若者の生涯を読んでいる気にさせられる。これまでに多彩な著者の表現作品を見聞したわけではなく、これからもそんな機会があるかどうかわからないが、この本から伝わってくるのは、ひとつの確かな同時代性に触れているという共感に似た感触であり、同時に紙一重で孤絶した異質な場所に触れているというような感触だ。

 私たちの生活がテレビや新聞などのマスメディアに浸食されいて、そのことで自然な感覚が相当に歪められているのかもしれない、そういう若い世代の無意識の危機感は、もう世界の国々に共通のものだ。そのことの本当の意味がまだ誰にも捉えられていないので、現実に生起する様々な社会病理がメディアに関連づけられて、様々な危機の言説を造り上げることも。

  「昔なら、人は道の曲がり角の後ろに何があるのか、そこを歩いて通り過ぎるまでは、わからなかった。起きていることを知るためには道を歩いて自分たちの目で見なければならないのだから、このようにして知ることには利点があっただろう。今では、目覚めてテレビをつけ、あるいは新聞を手に取ると、突然海面下五十キロのところにいたり、ホワイト・ハウスの正面のドアの後ろで大統領の膝に座らんばかりの自分に気がつき、我々は全員、こういったイメージの表示がどこか実際の生を表すものだと、ある程度は当然のことのように考えている。仮にそれが真実ならば、なぜテレビにはこんなにも有色人種が少ないのか?なぜそこにレズビアンやホモセクシャュルがいないのか?なぜ我々は八年も前のエイズ情報を受け取るのか?
 この国では投票するのは有権者の半数に満たない。教えてほしい--これはどういうことなんだ?こんなことがだれのためになるんだ?そして投票する人々はといえば、我々がテレビと読んでいる箱から出てくる小さな絵をもとに決定する。、、、いったいなぜヤツがいったん選ばれたら我々に危害を加えないと心底信じることができるのか?」

 マスメディアが現実のようにみせかけているものが、実は構成された仮構世界に過ぎないことは、そこにはけして表示されない現実世界の存在を指摘すれば足りる。しかしあからさまにそう指摘できることで、メディアは逆に安全なものとして手懐けられてしまうように見える。私たちは、自分だけは、という所でたかをくくっていて、メディアから押しつけられる共同の善意や悪意の見え透いていることを笑うが、それは現実の他者に投影されて、いつか私たちの社会感覚を蝕み屈折させている。

 選挙で投票率が50%をきるという出来事が、今年の日本の参議院選挙より数年前にアメリカで先取りされていたという一節は、ちょっとした驚きだ。著者は別の所で投票日を投票週にしたり、投票者に通訳付き(英語が解せない人のために)で、立候補者の主張や公約の説明したり、投票日を有給休日にしたりするということを、とても実現できっこないだろうが、という留保つきで提案している。これも、先日テレビの座談会で某編集者が、投票しない者には罰金を払わせたらどうかという馬鹿げた提案をしているのを見たばかりだったので、面白く読んだ。どちらも実現の可能性の低い提案だというべきだろうが、同じ事態を前にして、何をどう考えるべきなのかという前提がまるで違っているのだ。

 エイズという場所、ホモセクシュアルという場所、性的なテーマを表現する映像作家としての場所、そういう場所に著者が佇んでいることから、無神経なメディアの言説に対して、無尽蔵の怒りがこみ上げてくる。それは象徴的な場所なのだが、自分の存在と敵対するメディアというイメージは、いつかその総体が「でっちあげられた現実」になり、境界が壊れ始める。

  「私に医療のために使える一ドルがあったなら、エイズに罹つている人のためではなく、自分の責任ではないのに身体に欠陥があったり病気を持っている赤ん坊や罪のない人々のために使いたい」と保健関係の役人が全国放送のテレビで語り、これは命を延ばせるかもしれない限られた薬を手に入れられないためにカメラの前で死んでいく人々を収めた一時間の録画番組の中での発言で、おれがこの役人の顔すら覚えていないのは、テレビの画面を突き破ってそいつの顔を真っ二つに引き裂いてやったからだ、おれは最近エイズと診断されたが、それまでの数年間に数えきれないほどの友人や隣人を失っていた、かれらは綬慢で惜け容赦ない不必要な死を死んでいった、オカマやダイクやジヤンキーはこの国では廃棄してもかまわないからだ。「エイズを止めたければ、オカマを繋ち殺せ、、、」とテキサスの政治家がラジオで言い放ち、後でヤツの報道官は先生は冗談を言っただけでマイクのスイッチが入っていたとは知らなかったしそれにいずれにしてもこれが再選のダメージになるとは思わないと主張し、おれはアメリカというこの殺人機械の中で毎朝目を覚まし、血で満たした卯のような怒りを抱えている、、、」

  「おれはアマゾン族の吹き矢を「感染した血」に浸してそれを特定の政治家や政府の保健関係の役人や殺意の上に僧衣をまとってかろうじて偽装して歩く鉤十字どもやエイズ・クリニックに反対して郊外を行進する夜ごとニュースに映し出される凶暴な連中の剥き出しの首筋に吹きつける白昼夢を幾度となく見てそこから目覚める、内側と外側の間には細い境界線とても細い境界線がある、おれは今までずっとメディアにおいてあるいは人々の唇の上に我々を包囲するサインを見つめてきた−聖パトリック教会の外で信心深そうなヤツらがゲイパレードに参加している男女に向かって叫ぶ、「おまえら来年はここにはいないよ、エイズに罹って死ぬんだ、ハハ、、、」アメリカには男を殺してもかまわない地域があり裁判にかけられたら犠牲者はオカマで私に触ろうとしたとだけ言えば釈放してもらえる、オールバニーでは共和党上院議員数人が犯罪の犠牲者を分類するカテゴリーの一つとして「性的志向性」を含む反暴力法案を支持しようとして立往生している、細い境界線とても細い境界線がある、おれの体からT組胞が消えていくたびそれは五キロのプレッシャー五キロの怒りに取つて代わる、おれはその怒りを非暴力の抵抗に集中させるがその集中は滑り落ちてしまい、おれの両手は自制とは無関係に動き出し、卯が割れ始めている、、、」

 エイズになったのは自業自得で、そんな奴等のために税金を使うなと平然と発言する保守派の政治家、宗教的な権威や教義を振りかざして、中絶も避妊具の使用も認めず、エイズや性病や若年出産の悲劇を増産するのに一役買っている宗教家たち、彼らの圧力で性的で過激な前衛芸術の表現に、あからさまに援助基金の撤収というかたちで規制をかけはじめた全米芸術基金のような援助団体。それらがメディアを通してふりまくメッセージを、日々に当然なことのように呼吸しているアメリカの「でっちあげられた現実」への苛立ちや無力感が、死のまじかな著者の悪夢と重圧感を再生産する。ここにあるのは言葉を失うような落差だ。著者が病没する前に、自らの「血を満たした卵」を割らなかったことは、せめて僥倖だとでもいうべきだろうか。

 アメリカについての、快活で自由な個人主義社会のイメージと、暴力のはびこる差別社会、著者のいう「殺人機械」のイメージの落差は、いつからかメディアを抜きにして語れなくなってしまった。これは本当はとても奇怪なことで、私たちの感じる言葉やイメージの空虚や無力感の大きな根底になっている。メディアが、なにを垂れ流すかは、奇妙なことに現在でもどこかのデスクの前に集った少数の名も知らぬ人々の恣意にまかせられているようにみえる。というよりも彼らの脳に宿った善悪や想像力の限界が、見かけののっぺりした仮構世界をつくりあげ、現実世界との「境界をこえて」溢れ始めているのだ。こうしたことが終わるような兆候はどこにもなく、むしろこれからが始まりなのだろうと思うばかりだ。

 大島清氏によれば、アメリカではエイズによる死者が、不慮の死や、心臓死、癌死を抜いてトップになり、これまで44万人のエイズ患者のうち、25万人が、ほとんど22〜44歳という年齢で亡くなったという。メディアへの呪詛が現実への呪詛に横滑りしてゆく、死の予感に怯えながら著者が書き綴ったアジテーションのようなメディア批判の文章を紹介してみたくなったのは、こちらが酷暑に衰弱しているせいというばかりではない。


個人誌「断簡風信」92号(95.8)から転載。
2年前に書いた文章だが、今日の朝日新聞夕刊によると、WHOの数字として、全世界で164万人がエイズ患者として報告されたという。アメリカがトップで58万人。報告されていない国もあり、実際の患者数は去年末で840万という推定もあるらしい。(97年7月5日)
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