読書感想


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シュピールラインとユング

アルド・カロテヌート『秘密のシンメトリー』について

 1977年、スイスのジュネーヴで、女性精神分析家ザビーナ・シュピールラインの1909年から1912年にかけての「日記」と彼女の「手紙類(ユング宛、フロイト宛書簡を含む)」が偶然発見され、イタリアのユング派精神分析家アルド・カロテヌートが、それらの資料に「秘密のシンメトリー」と題した一文を付して、80年にイタリアで出版した。内容は欧米で反響を呼び、数か国語に翻訳されたという。この日本語版には、他にシュピールラインの生前の論文『生成の原因としての破壊』(1912年『精神分析学・精神病理学年報』)と英語版から訳出されたフロイト派の精神分析家ブルーノ・ベッテルハイムの解説文『ベッテルハイムのコメント』(1983年「ニューヨークレビュー紙」)を加えたものとなっている旨が、あとがきにことわられている。
 おそらく精神分析運動史の研究者でもなければ、その名を知ることもないであろう一女性分析家の半世紀以上も前に残した手紙や日記をまとめた書物が、なぜ欧米でことさら話題になったのかといえば、とりあえずは資料が分析心理学の創始者カール・グスタフ・ユングとザビーナ・シュピールラインとの間に生じた不幸な恋愛事件についての記録(スキャンダル)をあかすものだったからだとはいえよう。また、そうした暴露的興味とは別に、彼女がユングやフロイトに与えた思想的な影響ということに関して、フロイト派とユング派の研究者たちに激しい解釈上の対立を投げかける内容となっていることがあげられるかもしれない(註1)。だが、なによりも彼女の手紙や日記の内容が、ザビーナ・シュピールラインという当時の若い知識人女性の内面や思想の真摯な表現として、読むものに確かな共感を与えてくれるものとなっていることが、その最大の理由ではないのかという気がする。
 1885年、ロシアのロストフ=ナ=ドヌの裕福なユダヤ人家庭に長女として生まれたザビーナ・シュピールラインは少女時代に強度のヒステリー(ユングは「精神病的ヒステリー」と診断している)を患い、両親は彼女を治療のために1904年スイスのチューリッヒにあるブルクヘルツリ精神病院に入院させる。翌年彼女は退院し、医学を志望してチューリッヒ大学に入学しているが、当時その病院に勤務しながら、精神分析による治療を開始して間もない頃のユングを知り、彼の外来患者として治療をうけながら学生生活を続ける。1911年にはユングの指導のもとに仕上げた『精神分裂病の一症例の心理学的意味内容』という論文で、博士の学位を習得する。後に、彼女はウィーンでフロイトの精神分析協会の正規の会員となり、1913年に結婚、その後も何編かの論文を発表し、フロイト派の精神分析家の草分けの一人として活動した。1920年代にロシアに帰郷(たぶん精神分析運動を普及させる目的で)したが、おそらく30年代の粛正で死んだらしいとされている。
 シュピールラインの学生時代の日記は、理想と現実のはざまでゆれる若い知識人女性の感情や思考の起伏を率直に表現していて興味深いが、そのなかには、かって彼女の治療者であり、当時は大学での学問的な師でもあったカール・グスタフ・ユングが、彼女の理想的な友(理解者)であると同時に未来の望めない絶望的な恋人(ユングには妻子があった)として登場する。かって自分を重い心の病の底からひきあげてくれた異性の青年医師に対する少女の深い信頼や依存の気持ちが、やがて彼女が女性として成熟してゆく過程で、理想化された確かな恋愛感情に変わってゆくという心理的なドラマに不可思議なところはない。彼女はユングの子供を切望し、自分が懸命に取り組んでいた学位論文さえユングとの間に生まれた精神的な子供(彼女は「ジーグフリード」と名付けている)と見做していて、読後のユングの反応に一喜一憂している様子が日記に読み取れる。ところで、日記の記述に前後して、現実には破局的な事態があったことが、彼女の手紙類から知られる。誰かが(解説者はユングの妻と推定している)ロシアにいるシュピールラインの母親に、彼女の娘がユングとの関係によって堕落するかもしれないという警告の手紙を出したのだ。ユングと母親との手紙のやりとりの後で、母親はチューリッヒに駆けつけユングに面会を求める。この時期、シュピールラインもフロイト宛にユングに対する非難と面会を求める手紙を書いている。スキャンダルが広まる寸前で、事態は収拾したらしい。ユングはブルクヘルツリ病院を1909年3月に辞職している。この間にユングのとった対応を巡ってシュピールラインとの間には何度か激しいやり取りがあったことは、彼女のフロイト宛の手紙の草稿などで知られるが、ユングの不誠実な対応を恨みながら、その思慕をたちきることができない彼女の苦渋と、そのジレンマを理念化によって超えて行こうと模索する姿が、日記には裸形の精神の記録のように綴られている。
 ユング(の精神療法)が彼女に与えた圧倒的な影響(「彼が私に魂を与えた」と彼女は記している)のもとで、彼女が人生を歩み始めなければならなかったということは、宗教的とさえ呼べるような特異で深刻な体験であったに違いないが、そこから出立しようとする彼女の姿からは確固とした意思や個性の発現を読み取ることができる。冷静で内省的な内面世界の分析や、偉大なものを愛したいというロマン主義的な理想や、あてのない未来や現在自分の置かれている不安定な位置に苦慮する心の揺れや不安の色調を、共感できる確かな輪郭と存在感で、彼女の日記は伝えている。彼女はむしろ自分の理想や信念の存続のために、その俗物性や不実さに幻滅しながらもユングを必要としていたようにさえ思える。それはやがて不可能な彼女とユングとの子供「ジーグフリード」の創造として結晶化されるだろう。これは見ようによっては異様な事態かもしれないが、私には、なにか人間の観念にとって根源的な場所で演じられる普遍的なドラマを暗示しているように思えてならない。時に偶然が本来日の目を見るはずもないそうした孤独な精神の営為の所在を明るみにだすことがある。ちょうど、同様な運命をたどったモーヌ・ヴェイユの手稿が後年の読者に明かしたような、観念が自らの宿命のために白熱しているような場所の所在を。私がこの本に惹かれた理由も、実際そのことにつきているといってもいいのだが。
 事態をユングの側からみるとどうなのか。たとえば、解説者カロテヌートは「当時まだ駆け出しの分析家だったユングは、シュピールラインとの間の転移−逆転移関係に巻き込まれてしまった。」と書いている。それはユングが文通を始めたばかりのフロイト宛の手紙で「困難な症例」として彼女のことを報告しているように、分析家としての言い分や後の言い訳に一致するだろう。また、そういう解釈こそ、現代では社会的に認知されているといってもいい。心が解剖され分析される対象になって以来、人間の絶対的な感情や観念の問題がいつも「困難な症例」と「困難な恋愛」の間にあるという事情もかわらない。
 もともと、カロテヌートは『フロイト/ユング往復書簡集』と、『ユング自伝』を綿密に対照するうちに、ユングとシュピールラインとの隠された関係こそ、後年のユングの元型の理論(アニマ・イメージとの出会い)に大きな影響をあたえた、という結論を得て、著作『分析心理学の意味と内容』で主張していたという。この資料の発見はその推論の客観的な証拠であったというわけだ。彼の主張には、事実の経緯が劇的であるほどには納得できない印象をもったが(註2)、そのこととは別に、そういう分析心理学の方法論を含めた問題一般について、この本は裾ひろがりに関心を喚起してくれた。色々な意味で関連する本に手を伸ばしたついでに初期のユングについて少し書いてみた(註3)。

(註1)ユング派のカロテヌートは「シュピールラインはこの論文(「生成の原因としての破壊」1912年)で、フロイトが1920年に『快感原則の彼岸』の中で提出する概念を、ほとんどそっくり先取りしている」と指摘しており、フロイト派のベッテルハイムは、アニマの概念にとどまらず、ユング心理学の多くの基礎概念が「直接または間接的にシュピールラインに負うものである」ことが明白になったという論旨を展開している。解説者が、互いの属する学派の始祖の思想の核心となるような概念の独創性に疑念をはさんで辛辣にやりあっていることの意味や切実さは、私などにはとうてい了解できない。
(註2)ユングは『自伝』のなかで、自分の幼年時代の両親が別居していた時期に、子守の女中に世話された体験について触れている。ユングの言葉を信じるなら、この体験がアニマ・イメージの原形とみなされるだろう(「、、彼女が知らせてくれた未知の感情と、にもかかわらず彼女をいつも知っているという感情とは、後に私に対して女性の全本質を象徴するようになった女性像の特徴だった」)。また、信じないなら、私の読んだ限りではユングの学位論文になった『いわゆるオカルト現象の心理と病理』(1902年)に登場する霊媒の少女S・W(後にユングの姪であったことが明らかにされている)との関係の方が、ずっと重要だった気がする。このことは、シュピールラインも手紙の中で触れている。またこの少女が姪であったことが、後年、彼女の家族によって暴露された経緯からもわかるように、ユングは多くのことを省略して(隠蔽して)いるし、脚色しているように思える。もちろん自伝とはそういうものだという「常識」を否定するつもりはないが、ユングの自伝の場合それが独特の「薄気味の悪さ−神秘的な魅力」になっているのが特徴だ。また、もともとユングのいうアニマ・イメージに、外傷体験的な根拠を求めることが重要だとするカロテヌート自身の発想が解説を読んだ限りでは理解しにくい。
(註3)おおまかなことをいえば、初期のユングに関する分かりにくさは、世紀末のスイスの草深い田舎にたち込めていた妖精や精霊たちの跋扈する闇や、ユングの家系や家庭(父は牧師)や親族の環境にたち込めていた宗教的な雰囲気のかもす闇の深さの分からなさに由来する。スイスでは、宗教対立を巡って国をあげての内戦(1847)があったし(彼が最初に怯え、悪の象徴のように見做した異人の姿がイエズス会士の服装をしていたというのは重要な気がする)、彼の母方の家系は三代にわたって霊能者(降霊会の主催や幽霊目撃や予知を記録した日記が残されているという)を出しているという。わかっているのは、そうした暗く幻想的な風土や閉鎖的な環境の闇の深さに埋もれるように育ったユングが、自己意識の形成期に、めくるめくような近代の光の洗礼をうけた(バ−ゼル近郊への移転とギムナジウムへの入学)ということだ。それがかなり切実な世界の変容の体験(それは周囲の豊かさと出自である没落家庭の貧困の図式の発見にも重なっていた)であっただろうとは想像できる。もしその近代世界との出会いが単に肯定的で幸福なものだったら、前近代的な出自の闇や迷蒙を観念的に否定するありふれた鼻持ちならない青年が生まれていたのかもしれない。だがおそらく亀裂は深過ぎたし闇もまた濃すぎたのだ、と思う(この落差を知る術はなく、想像でいうしかないのだが)。彼は逆に出自の闇の彼方に自らの超越性の根拠を求めることによって、否認すべきなのは、むしろ軽薄で通俗的な近代社会の方であると強弁(自己合理化)する道を選んだのだった(この転回が深く、心身症的な精神の危機を含めた強制体験、いってみれば無意識に根差していたことがユングの資質的な特徴であろう)。それが大学時代の姪ヘレーネを霊媒とする降霊会の開催や神秘主義思想への傾倒になったと考えられる(学生クラブでの講演「心理学をめぐる諸考察」にその傾倒ぶりや近代−世俗化した宗教−批判が伺える)。
 心理学者として、分析家としての初期のユングには、この超越主義的な信念を直接表明できない事情がつきまとっていた。逆に晩年に執筆された自伝には予知夢や超常現象などの神秘的な個人体験が常に自分の生涯の判断を支えてきたように描かれている。それでも若年の降霊会の実情についてはユングは多くの作為を隠している(種村季弘『影の女ヘレーネ』参照)。霊媒役の幼なじみの姪ヘレーネを、ヒステリー患者として冷酷に観察記録したものが、やがて彼の最初の学位論文(『心霊現象の心理と病理』所収)になる。種村によれば、この体験に後年のユング思想の原形があることになる。

  「後年の集合的無意識やアニマや影の概念も、ことごとくマルガリーテ屋敷の彼女の 作り話やボトミンガーミューレの降霊会の口寄せから学んだ体験をカテゴリー化したも のにすぎない。かりに少女ヘリーのなかに、天使たちや、時代も場所も区々のさまざま な女たちが出現し、性の異なる老人が彼女の口を借り、姦通する日陰の女が頻出するの を目撃しなかったとしたら、ユングはどこでそれを知ったであろうか。」種村季弘『影の女ヘレーネ』

 ちょうどベッテルハイムがユングのシュピールライン体験から読み取ろうとしていることとまったく同型のことを先取りしているのが興味深く、一定の説得力はある。ただ、こういう言い方がいつでも成立してしまうのは、むしろユングの提出した元型イメージのもつ形式性によるのだ。私にとってわからないのは事態を「目撃」しているユングの心である。対象を観察したり、ロジックを組立てているユングではなくて、それを直接的な否応のない強制体験として感じてしまう彼の心の動き(冗談で霊媒体質と呼びたいような)である。シュピールライン体験のわからなさもそこにある。それは彼の資質としかいいようがないが、観念の道筋としては、若年期の深刻な近代と前近代の断絶体験(世界の否認)に由来するのではないか、とは漠然とたどってみたことだった。

付記)『ユング研究3』のなかで林道義氏が、『秘密のシンメトリー』の出版に関して、きびしい言葉で非難しているのを読んだ。ユングに関する事実を客観的に明らかにするという大義名分の背後に、週刊誌的好奇心と、大げさに売り込もうという出世欲と、さらに密かにユングの権威を落とそうという隠された動機があるのかもしれない、という辛辣なものである。著名なユング思想の研究家であり紹介者でもある氏の異様とも思える反応ぶりに驚いたが、この著書に関しては、そういう見解もあるということをつけ加えておく。
ユングの権威云々はともかく、私はザビーナ・シュピールラインという初期の精神分析運動史に名を留めている一女性の名誉といったことを超えて、彼女の資料の出版には意味があるという感想をもった。それは、たとえば、この先書かれるであろうユング伝には、コリン・ウィルソンのユング伝『ユング−地下の大王』に見られるような、ぞんざいな彼女の扱われかたは修正されるだろうからという期待以上に、分析心理学や精神分析学に関連した見方を離れても、彼女が残し、偶然が知らしめてくれた彼女の表現の中に、人間にとって希有な出会いの意味や、精神の普遍的なドラマを読むことができたからである。


個人誌「断簡風信」55号から転載

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