映画感想


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映画「イル・ポスティーノ」の感想

 舞台は1950年代初頭のイタリア、ナポリ近郊に浮かぶ小さな島。そこに当時、故国チリ政府から、政治的理由で国外追放の身であった世界的に高名な詩人パブロ・ネルーダが、イタリア政府の滞在許可(島から出ないという条件で)を得て居住することになる。映画は、島の貧しい漁民の息子であるマリオが、偶然、郵便配達人の職を得て、島の辺鄙な小高い場所に居を構えるネルーダ夫妻のもとに、専属に郵便物を届けるという仕事を請け負うところから始まる。この亡命詩人と島の郵便配達人の心の交流は、最初は一方的だが、しだいに「詩」の話題をかいして打ち解けたものになってゆき、やがてはネルーダ夫妻が、マリオの結婚式の仲人をするまで親密なものになるが、結婚の祝賀会の席で、国外追放の解除の報を得たネルーダ夫妻のチリへの帰国によって、たちきれてしまう。
 この映画で見事なのは構成力である。早過ぎも遅すぎもしないテンポ感がすばらしい。巧妙に巡らされた情景や会話の暗示する伏線によって、見るものは、自然にストーリーの新しい展開に、ほとんど違和感なく、とけ込んでいけるように工夫されている。映画の出だしは、漁から帰った小舟の接岸するシーンに続いて、マリオがアメリカから届いた友人たちの絵葉書を見るシーンから始まる、続いて、漁から帰った父親とマリオが対面して会話するシーン。この中で、マリオが父を継いで漁師になるのを嫌っていること、アメリカや外部世界(言葉の世界)に憧れを持っていること、島には水道が無く、島民は水の問題を慢性的にかかえていることなどが示されている。つぎに映画館で、ローマのテルミニ駅に到着したネルーダがファンやインテリの熱狂的な歓迎を受け、イタリア政府が島に滞在許可を与えたニュースをマリオが見るシーンがあり、配達人募集のポスターを見たマリオが郵便局に赴いて、その仕事を請け負う場面がある。ついで、実際にネルーダのもとに、マリオが急坂を自転車をこいで、郵便物を運ぶシーン。ここまででわかるのは、ひとつの必然のようなプロセスだ。仕事を請け負う時間があり、自転車を所有していて、ネルーダと同じ地区に住んでいて、その中で、ただ一人識字能力のある青年。しかも、外国や(女性にもてる)インテリに憧れていて、善良で軟弱そうな青年が選ばれて郵便配達人になる。見るものは、ストーリーの出だしの事のなりゆきを当然のことのように感じるが、そこには、とても強い映画の選択力が働いている。つまり、そのようなマリオだからこそ、ネルーダに惹かれ、その詩に惹かれるという以降のプロセスがとても自然に感じられるのだ。
 ネルーダが、もし最初からこの青年の善良さを見抜いて、つきあったと設定されていれば、つまらない映画になったかもしれない。ネルーダにすれば、むしろ島民との煩わしい関係など避けて詩作に没頭したいところだろうからだ。ネルーダは最初はマリオと事務的につきあい、詩集にサインを求められても、おざなりに書いてすませる。マリオは失望の色を隠せないが、ナポリで、女性に見せびらかして、もてたい小道具として買ったネルーダの詩集を読んでいるうちに、自分の気持ちを言い当てているように思える一行を見いだして感動する。ある日、マリオは、対応したネルーダの言葉に、覚えたばかりの彼の詩句で答える。と、詩人の表情がかわり、ネルーダも比喩を使って答える。すると、マリオも覚えたばかりの詩句を羅列する。詩人の表情はとたんに曇る。君は隠喩を羅列してるだけだ、と。「隠喩」ってなんです。とマリオは聞き返す。するとネルーダの表情がとたんに明るくなる。このシーンは短いがとてもスリリングだ。最初、ネルーダは郵便配達人の言葉に「詩」を見つけて驚く。しかし次の返答で、それが自分の詩を意味なく羅列しただけであり、彼もただの詩をもてあそぶ俗物に過ぎないと思いいたって不快になる。しかし次に「隠喩」とはなにか、と問われたことで、いわばそういった詩をめぐる観念が解けて、マリオの純真さのようなものに心を開かれるのだ。その問いは無垢で率直な善良さを明かしていたから。
 マリオが島の居酒屋の娘ベアトリーチェに恋をして、彼女のために詩を書いて欲しいと頼みに来る。ネルーダはそれに応えようとして苦心するが、結局見てもいない人を褒め称える詩を書くのは不可能だと怒りだしてしまう。マリオは、ではこれを見て書いて下さいと、ゲーム用の小さな白いサッカーボールを差し出す。それは、ベアトリーチェにマリオが最初に会った場面で、彼女が誘惑するように口に含んだものだった。そんな馬鹿な、とんでもない、とネルーダは相手にしないが、この小さなボールは、この映画のとても素敵な象徴として使われている。次にこのボールが登場するのは、マリオがベアトリーチェの叔母につきあいを反対されて、一人寂しく彼女の事を思いながら、自分の居室で窓から満月を眺め、手をかざしてボールと見比べるシーン。そして恋にやつれた詩人といった表情で、ネルーダから貰った詩のノートのうえに、おもむろにたどたどしく丸を描くシーンである。そうしてみれば、マリオにとっての詩とは、最愛のベアトリーチェであり、彼女とは、彼女の口にした白いサッカーゲーム用のボールであり、それが夕闇に浮かぶ満月であり、描くとすれば、、、適切な言葉が浮かばないので、、、ノートのうえの丸い軌跡として表現する他なかった、ということがわかる。このボールが最後に登場するのは、ずっと後半の、ネルーダたちが島を再訪して、マリオ一家の居酒屋に入って最初に目にするシーンである。ボールは弾むようにして床のうえに転げる。すると、それを追ってパブリートという名の少年が現れる、、、。
 ネルーダの側からいえば、マリオは自分の孤独をいやしてくれる若い友人ではあったが、恋人の仲介をかってでるほど踏み込んだ関係にはない。そんな自然な均衡が、ちょっとしたことで崩れる。早朝にマリオがネルーダのもとに届けた、チリの同志たちの声が吹き込まれたテープがあり、ネルーダがさっそくそれをマリオにも聞かせるシーンがある。ネルーダは、その返事を録音するついでに、マリオにもマイクを向けて、この島で一番美しいものを話してごらんという。マリオは、うまく事物を思い浮かべることができずに、ベアトリーチェ・ルッソと、恋人の名前を言ってしまう。ネルーダは弾けたような笑顔を浮かべて、最高だ、といい、これからベアトリーチェに会いに行こうという。寝覚めのパジャマ姿で、懐かしいチリの仲間たちから自分の詩集が地下出版されることを聞いて、上機嫌のネルーダ、そしてこの若い友人の恋人の美を思う純朴な言葉、そういう情況から促される若やいだ高揚感が、詩人を居酒屋まで赴かせて、ちょっとしゃれているが、わざとらしい恋のキューピット役を演出をさせることになる。こういう場面も、ただ親分肌のネルーダにひとはだ脱がせて恋の仲介役にひきだすというような安易な描写はされていない。詩人が高揚した気分のなかで、あくまでもマリオの純粋な気持ちにうたれて、弾かれるように行動するというふうに描かれている。こうした演出は心憎いばかりで、見るものはネルーダとマリオの間の親密だが微妙な緊張感を失わずに最後までひっぱられてゆく。テープレコーダーは後半は別の小道具に使われ、そこではマリオが、以前は言えなかったからといって、ネルーダ宛に改めて島の美しいものを録音する。波、風、鐘、星空の音、、。
 詩についていえば、この映画にはふたつのメッセージがある。ひとつは、海辺で、マリオがネルーダに向かって、それでは、世界のすべてのものは、隠喩なのですか、と問いかけるシーン。ネルーダはその問いは明日答えようといって、泳ぎに行ってしまうのだが、映画の中に答えるシーンはない。もうひとつは、詩の盗作は許した覚えはない、とネルーダがマリオをせめると、マリオが、書かれた詩は詩人のものでなく、それを必要とする人のものだ、と答えるシーン。ネルーダは、それは民主的な考えだ、と微笑む。これらは本当はひとつのことかもしれない。言葉としての詩の向こう側に、詩人という固有名も存在しないような無名のイメージとしての詩があり、そこでは、すべてが、感動の隠喩なのだ。月も、小舟も、白いサッカーゲームのボールも、ベアトリーチェも、風も波も星空も、、。それをうまく言葉にできなくても感じることができるし、感じて生きていると他者に伝えることはできる。マリオがみつけたのはそういう詩の世界だった。そしてそれは、映像の詩というものが確かにありうるという、この映画のメッセージでもある気がする。
 この映画は、マリオがネルーダとの交流を通じて、コミュニズムにも目覚めてゆくという側面も描いている。それは冒頭から暗示される島の水の問題を巡って、後半での選挙や、公約違反の挿話に象徴される。共産党とキリスト教民主党(この時期の冷戦下ではかっての自民党みたいな政権だった)の確執がそれで、映画は共産党側の正義とその挫折をうたっている。コミュニストとしてのネルーダは英雄だったが、私たちは当時ネルーダもマリオも知らなかったシベリアの収容所の存在を知っている。そういう意味では、複雑で苦い歴史の推移を感じざるを得ないが、映画はマリオを歴史や思想に翻弄された無知な人間として描いてはいない。優れた監督と俳優が、マリオという一人の男も、またひとつの私たちの「喩」であることを美しく伝えてくれている。

☆ 監督マイケル・ラドフォードは、1950年11月4日、インドのニューデリー生まれ。1984年製作の「1984」、1987年の「白い炎の女」が有名。1996年の「B MONKEYS」は日本未公開。
☆ 主演俳優マッシモ・トロイージは1953年2月19日、ナポリ郊外のサン・ジョルジョ・ア・クレマノ生まれ。16歳で劇団の舞台に立ち、TVの台本なども書く。81年に監督、主演、脚本を手がけた「3人からの出発」で映画界に進出。イタリアの各映画賞を独占した。83年「遅れてごめん」、84年「泣くしかない」と監督。俳優としては88年のマストロヤンニとの共演作「スプレンドール」などに出演。「イル・ポスティーノ」撮影終了後に心臓病で急逝した。

監督、主演俳優についての情報は、映画と小説の電脳バーANEMONEの葛尾晋さんに、ご教授いただきました。


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