詩の読みとき

  海埜今日子詩集『隣睦』の感想






 前詩集『季碑』から5年。海埜さんの詩集『隣睦』(註1)には、内省の視線の色あいが深まって詩の世界の成熟とでもよびたいような印象をもった。それを詩意識のうえで、主題系として言うなら、詩の世界を構築する様々な枠組みの探求といったことへの関心から、詩を書く自分自身と書かれつつある作品との間に生じる差異といった問題への関心の移行をしめしているということになるだろうか。それは『季碑』のなかに孕まれていた幾つかの可能性、たとえば詩的な言語のもつ猥雑なカーニバル性や虚構性を追求するような作品実験をとりあえず留保したような印象をもたらすけれど、たぶん作者にとって、もっとも切実だと思える場所を掘りすすんでいたのだ、といっていいのだと思う。

 詩集のあとがきには、「前作『季碑』が、幼少から連綿とつづいてきた何かの探求に幾分比重がかかっているとしたら、今回は、自身から他者へ向かおうとしている、一筋縄ではいかない、ほとんど一方通行かもしれない、だが接点をもとめる、その軌跡をたどっている、といった面があるかもしれない。」とある。「自身から他者へ向かおうとしている。」というのは、詩作ということをこえた作者の人性的な態度の転換をめぐる問題なのだと思う。だからすこしだけ作品のほうに言葉を移していうなら、この詩集には、作者が「自身から他者へ向かおうとしている」時期の、あるいはそのような心情のたどった軌跡が「投影されて」いる、ということになるだろうか。ところで、この言い方は、直接には、やはりあとがきの中で冒頭から語られている作者の自身の少女期から現在にいたる精神史の簡素で率直な記述をうけている。


「 彼らと違うということ、彼らのことをわかるなんてできない、彼らになれ
ないということ。少女だったわたしは、何かのきっかけ(たとえば両親の離婚
とかかもしれない)でそうしたことたちに気づき、ショックをうけた。わたし
は彼らになりたかったから。共有のうなずきの瓦解。それは肌の感覚としても
理解された。ゆるやかな悪寒として、磁石の両極同士の反発を、彼らとの間に
感じてしまうようになった。みえない壁がたちふさがる。その圧迫。
 孤独を感じた、というのではなかった。人ははなから、だれといても独りな
のだ、ということに気づきながら、それを認めなかったことのずれが、皮膚を
ふるわせてきたのだった。肌はしずかに悲鳴をあげたが、少しずつその状態に
なれていった、たぶん、わすれること、人肌が恋しい、とつぶやくこと。
”隣睦”はだから、認めることからの出発だ。そうではないかもしれない。そ
れは到着なのかもしれなかった。なれることは他者との溝をうけいれることだ。」
              (詩集『隣睦』のあとがきより)


 私は彼らと違う。私は彼らのようにはなれない(生きられない)。ひととひとの間には「溝」がある。そういう思いは、現実の関係の中で、いろいろな契機で訪れる。けれど自分もまた誰かの目には、「彼ら」のひとりとしてうつっているし、他人に「溝」を感じさせる者としてふるまっている。そういう現実の関係世界の中で遭遇する生きがたさは、現実の関係世界の中でしか解消することができない。「人ははなから、だれといても独りなのだ」という認識の場は、そういうこととすこし違っていて、内省はそのつど訪れるような現実的な関係の悩み(情動)ということから離脱して、より深い自己のありかたに届いている。この認識はひとを虚無感や絶望にみちびくだろうか。たぶんそこから、詩の世界がたちあがってくることが作者に気づかれている。

 「自身から他者へ向かおうとしている」という心の動きは、直接は作品の中への他者性の侵入という事態に対応しているように思える。「わたし あなた かれ(彼) 彼女 男 女 少年 少女 彼ら わたしたち わたし、たち 隣人 他人 だれか だれでもなさ」こうしたおびただしい人称の登場は、この『隣睦』という詩集を特徴づけてもいるが、現実の他者というものが、自分(わたし)の意にならない自律的したふるまいや言動によって、私に関係づけられることで、その他者性をあらわにするとすれば、作品にあらわれる他者の人称は、だれもがわたしの分身(もうひとりのわたし)を指すとでもいいたいような面をもっている。その場合、わたしともうひとりのわたしをへだてているのは、たぶんイメージの抽象度や価値の時空の距離感なのだ。「人称」に限らないことだが、この詩集の作品には何枚もの皮膜のような異なる時空の層がかさねられていて、それぞれの層には異なる「わたし」や「あなた」がすんでいるようにみえる。またたとえば作品「あなたもまたかの女をいない」のように、そうした時空を重ね合わせ統御しているような書記主体である「わたし」にむけて「あなた」と呼びかけられることもあるように思える。では、そうしたあるいみ「わたし」と「偽の、過去の、記憶の、他者としての、わたし」の呼び合いからみあう影絵のような自己劇がここでくりひろげられているのだろうか。

 この作品世界は比喩的にいうと、作者の身体生理の感覚世界(意識の背後にある気分や情動の流れのようなもの)を、うつしこむ器のように作者によってとらえられている、と考えてみる(註2)。そのために言葉がたくみに選別されている。これは想定された記号のような言語の浮遊する均質な世界ということとは違って、生体の内部のような構造をもった世界なので、気泡のように自然発生するように見える言葉やイメージのそれぞれにも、たぶん沢山の検閲がかかっている。この検閲の機構をひとつの言葉、たとえば「わたし」とか「あなた」という言葉がすりぬけて、世界のなかにうまれるとき、検閲のシステムは微妙にその機構をかえる。続いて生まれようとしていた言葉が迂回され、変形されるかたちで接続される。というようなことが起きているのではないか。このように生まれた原テキストがあるとすると、さらに最終的な作品に至る整序と推敲がなされる。この主体は内省をともなった覚醒した意識であり、そこに書かれたできごとを、作品としての統一感のあるものに仕立てなおしていく。

 ここで試しに詩集冒頭にある「隣睦」と次の作品「草宮」を、同じテーマを扱った作品のように、みなしてみる。作者自身の過去をたどろうとする思索の軌跡を詩世界に投影すること。「隣睦」では、幼い頃の「四ツ辻」という場所が、点というふうに表示される。過去をたどるという行為は、点と点を結び線にしたてていくことで示される。幼年という一点をまわり、たどりつけないわたし(少女)というイメージ。「草宮」では、その場所は水草のゆれている川のほとりのような所だ。過去にたどるという行為は、この作品では、井戸を掘ることに象徴されている。深い記憶の井戸の底に、幼年の記憶がある。そこでであう「隣睦」の「かわいた子どもがまぶしかった」は、「草宮」の「ささやく地下がまぶしかった」に対応している。

 その遠い幼年の場所から、どちらの作品もすこしずつ現在に引き返してくる。「隣睦」では、記憶の点と点の間に線をひくように、「草宮」では、水草のあった場所をわすれ、水路をたどって「女」(過去のわたし)が彷徨した、軌跡を追おうとするように。「ぐるりをめぐる(少女だった)。」「他人の家でねむりたがる」「祭りによりそう女だった」「祭りにのまれた女だった」、要するに他者との「隣睦」を求めてやまない乾きを抱いて生きてきた自分は、「ひさしの先から違和があふれ」「道のすじに首をふる」「(彼女付近に)うなだれること」あるいは「(周囲に)染まらないことが喉につかえる」というような、疎外感を同時にまとって生きてきた。「つぶてがひとつ、またひとつ、底のしたしさを裂いては手わたす」といった、自分の求めてやまなかった他者への信頼をひきさかれるような苦痛をあじわってきた。けれどこうしてわたしが来歴をたどりなおして現在にいきつくところで、「あなたの息がかさなった」「あたらしい草が積もりつつある」と未知の現在に遠い過去の光源が重ねられるようにして、ふたつの作品は閉じられている。

 「草宮」のような作品、水のイメージで統御され、それはまたたとえばそれぞれの段の末尾が、「水の草が台地にあがる。」「水の草は見わけがつかない。」「かわきに慣れつつある、水の草の息がしたたる」「晴れ間と見まごう土埃の中から、あたらしい草が積もりつつある。」というようにきれいに整えられた作品の様式性の獲得(これらは、それぞれの過去においての、「わたし」の「水の草」(過去の光源)との距離の取り方の様相がみごとに象徴されている)がなにを意味しているかといえば、それはたぶん、作者独自の表現のスタイル(作品世界の統御や昇華の仕方)の成熟を意味しているのだと思う(註3)。

 ここで「「自身から他者へ向かおうとしている」という心の動きは、直接は作品の中への他者性の侵入というふうにいえる。」と先に書いたことにこだわってみる。たぶん、作品の中への他者性の侵入ということについて、作者自身にとって、身体生理の感覚世界(意識の背後にある気分や情動の流れのようなもの)を、うつしこむ器のように考えられている「作品世界」というものは当然のように拒絶反応を起こしてきたのだと思う。あるいはその拒絶反応が、あるいみ、文体のねじれや省略や意味の飛躍といった書記の運動をおこす、とでも、いうべきだろうか。現実の他者やある場所は固有名や固有の地名をもつが、そういう名はこの作者の胎内のような世界の中ではあくまでも異物なのだ。けれど統御する主体の獲得は、そういう検閲や免疫機構のような胎内システムが、ある内省のレベルで完成した、ということを意味する。それは別のいいかたでいえば、他者そのものでなく、他者をふくめた現実の出来事に対する距離感が胎内世界という枠をこわさずに、自在にとれるようになったというふうにいってもいいように思える(自在に、というのは、たとえばいくつかの作品のなかで、これまで否定性として周縁にあった「彼ら」の像がある種の具象性と遠近感をもって語られているように思える、というようなことで、そういうテーマとしての他者性のひろがりは、作品世界に浸透しはじめたたしかな内省の視線の確立と無関係なことではないだろう。)

 たぶん、ある個性をもった詩作品の世界を指して、「胎内」のようだとか「繭の中」のようだ、といった言い方が、ありふれているかもしれないように、そういうイメージで自分の詩の作品世界を構築しようと試みている多くの人がいると思う。けれど多くのイメージが身体生理の感覚の印象からやってくるような言葉の原質をそこなわないまま、そこに何層もの記憶の薄絹を重ねるようにして、異物であるような「他者」に「向かおう」とした作品に出会えるのは稀有なことではないだろうか。一見言葉の人工性や晦渋さともとられそうな表現の奥で持続されたこの試みの意味となしえた達成は、たぶん日本語の詩にとってもよろこんでいいことだと思う。



註1)著者は詩集『隣睦』のあとがきで、この詩集のタイトルにふれて、「隣と睦まじくなりたい、だけでなく、隣という他者に、ふるさとに対するような郷愁に似たものを感じている、ということも含まれている。それは思うだけで、けっしてたどりつくことはできないから。」と書かれている。ここで、著者の第一詩集のタイトルが『共振』であったことを思い出すのもいいかもしれない。詩集『共振』の末尾には、やはり詩集のタイトルにふれて書かれている個所がある。

「タイトルは、ずっと心にひっかかっていた/言葉のうちのひとつからとりました。/共有、共振、共鳴。/私たちは、お互い心を割って見せ合うことはできない。/ただ、ときたま共にゆれることができるだけだ.....。」

「隣睦」(近づきなかよくする。)への願いと、「共振」(共にゆれること)への願い。ここでは5年を隔てて刊行されたふたつの詩集のタイトルにこめられた意味が、ほとんど反復するようにうちあけられている。他人と心を通わすこと、うちとけあうこと、そういうことの断念とともに、この希求(望み)が語られていることに注意しよう。この対句にこめられた意味は、著者にとっての「切実さ」ということの内実を、そのままうち明けているように思える。


註2) 詩集『季碑』に収録されている「季碑 土地の名」で、著者は自らの幼少期について語っている。

「私には二歳半ぐらいから、記憶があります。「どんな言語からも切り離された季節というより、むしろ、言語の総体から切り離された季節(1)」に近いあたりだと思います。まだことばを良く知らないので、楽しいような気分のとき、それをつかむために、頭のなかで、あるいは口に出して、リズムのようなものを、刻んでいました。
私は「記憶の徴候が現れ、やがて言語の岸辺で身震いして、そこに立つ。それまでは、人は生きているが、生きている自分の姿は見えない。なぜなら人は生きている自分の姿を見ることはできないから。(2)あるいは「いまだに自己がなかったときの自己について(2)」の、かけらを覚えています。サークラインをじっと見てから、目を閉じます。光の輪が、くらげのように浮遊します。私は太陽にすらなれました。飽きることがありませんでした。
そこを引っ越すまでが、いちばん幸せだったと、いつも思っていました。、、」(「季碑 土地の名」より)

 作品では、末尾に(1)はパスカル・キニャール『アルブキウス』(青土社)(2)はパスカル・キニャール『舌の先まで出かかった名前』(同)からの引用と断られている。ふたつのちょっと興味ふかい幼児期の体験が語られているが、ここで注意したいのは、それらがいずれも言語習得以前の身体の生理感覚と結びついた「快」感として記憶されていることと、生活史のうえで幸福感に満たされていた時期と重ねられていることだ。このエピソードは、著者の詩作品における、屈折した語法や語調のリズムの展開や、複数の作品にくりかえし象徴性を帯びて登場する像的なイメージの、いわゆる同時代的な詩表現のスタイルからの影響という以前の、遠い由来をあかしているように思える。

註3)詩集『共振』に収録されている「水草」という作品は、あるいみ『草宮』の世界の原イメージをあらわしているように思える。作品では「私」が「私の中」をのぞきこむと、そこに川の流れがあり、川の中からたちあがる「私でない」女の姿をみとめる、という、暗い夢の情景のような視覚像との遭遇が描かれているが、作品の中には見えなくなった女のいた場所に「水草」があらわれ、「、、、私は水草がその本来の住処のなかで風にふるえる麦のようになびいていた透明な存在だったころを知っていたと思った、、、」という印象的な記述がある。



海埜今日子詩集『隣睦』(思潮社刊・2005年7月20日発行・定価2200円)
灰皿町吸殻山大字豹(海埜さんのホームページ)


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