読書感想


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林道義『父性の復権』(中公新書)


 「父親の役割は家族を統合し、理念を掲げ、文化を伝え、社会のルールを教えることにある。この役割が失われると子どもは判断の基準、行動の原理を身につける機会を逸してしまう。いじめや不登校が起こり、利己的な人間、無気力な人間が増えるのもこの延長線上にある。独善的な権威をもって君臨する家父長ではなく、健全な権威を備えた父が必要だ。」というカバーの言葉が、この著書のスタンスをよく伝えている。著者はこの本で、「優しい父親」「厳しい父親」の二者択一で論じられがちな、父親の在り方の問題を、「父性」とはなにかという議論から掘り起こして、「父性の健全な権利」の復活の必要やその条件を説く。本書の売れ行きが好調ということを、版元では、団塊の世代の「普通の」親たちが身につまされて読んでいる、と分析しているらしく、「出るべくして出た本」(小浜逸郎氏・朝日新聞書評)といわれる所以である。
 著者のいう「父性」とは、男らしさ(男性性)ということではなく、現実には母親も分担するような「家族に対する関係や態度」のことである。それは、むしろ「母性的な人間観」に対立すると著者はいう。「この思想(註・母性的な人間観)から見ると、子どもは何らかの道徳的基準に照らして評価されるのではなく、ただ元気なのが一番ということになる。しつけをしなければならないとか、人間社会のルールを教えなければならないなどということは、もっと大きくなってからでよいのだと考えられる。むしろ、しつけをしようとすれば、子どもに規制を与えることになり、のびのびとしたところが失われるから、幼い子どもに対してしつけをすることは悪と考えられる。」そのような母性的な生命力中心の思想は、正しく生きることより、強く生きることを求めるから、他人に勝つ技術ばかり優先されるようになる、と著者はいう。要するに幼少年期のしつけのすすめである。
 こうした母性中心の世界観は、価値を相対化(父性の欠如)した、戦中派-団塊世代-団塊ジュニアという世代交代の中で、一貫した心理的特質として保存され、大衆資本主義社会(著者のいう、企業が商品の価格操作よりも、大衆の感覚や嗜好を大量コマーシャルによって操作して大量消費を作り出すような社会システム)の完成により、いっそうの拍車をかけられた、と著者はいう。つぶさに読んでゆくと、著者の誠実だがやや断定的で理想家肌の語り口が、目に見えない大きな困難に対峙しているのがわかる。要するに著者が本当に否定したいのは、母性的世界観に立脚した生命力中心の子供への対応から、そうした環境を助長している戦後から現在に至る社会の高度産業化の総体であるらしいからだ。切り口が本格的で説得力もあるだけに、あるべき父性の社会的意味でのイメージの広がりが、やや希薄な気がした。そこを書くと何らかの既存のイデオロギーとどうしても接触してしまうからだろうか。そうしたスタンスが良くも悪くもこの本の特色になっている。
 授業中に学生が平気であくびをするので注意をすると、最近の学生は自分がなぜ注意されたのかわからない、という例を著者は書いている。その理由を説明するとようやく納得するという。このエピソードから読者がなにをくみ取るのかも、本当はもうよくわからなくなっている。きっと若い人は「唖然」とはしないだろう。著者は、その学生がもっと幼なかった頃に、理由を説明してやるような父性(関係性)が必要だと言っているのだが、その情景さえ、なかなかみえてこない。


97.2
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