読書感想


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「呪い3部作」を読む

      下田治美のエッセイから

 下田治美は1947年生まれで、いわゆる戦後生まれの団塊の世代に属している。20代で小説家志望の文学青年と結婚するが、ちょうど彼女が30才の時、妊娠中に離婚を経験する。この体験はエッセイのなかで何度もふれられているが、いわばそれ以降の彼女の生き方を決定する大きな事件であったことがわかる。競馬にいれあげて、いっこうに働こうとしない夫との間に不和や暴力がらみのいさかいがつのるさなかに、自分が計らずも妊娠したことを知り、そのことをきっかけに、むしろ自分が幸福になるために離婚を決意した、という意味のことを彼女は書いている。これは自立する女性というような見方からすれば喝采を送りたくなるようなことだろうか。あるいは年配の経験豊かな生活者の立場からすれば軽率で無謀なことだろうか。世間はいつでもそういう外野からの言い分がいくらかの真であるかのようにできている。けれど、私にわかるのは、それがぎりぎりの選択であったということだけだ。
 髪が白くなるような夫婦生活が限界にきていて、妊娠がそんな関係の精算のきっかけを与えた。それでも妊娠というきっかけさえなければ彼女は離婚できなかっただろう、と私に思わせるものがある。それは、男がどろどろの格好をして腹がすいたから何か食わせてくれと帰ってきたら、どんなに憎んでいても、とてもことわりきれそうもない、というような彼女の善良で受動的な資質みたいなものからくる印象だ。ともあれ、受胎した子供は彼女の現実を反転させてくれる夢であり、その夢は男児出産という形で必然のようにかなった。ふりかえって、いやな男を追い出して、好きな子供だけと暮らしたい、そんな願望を実現させたのだから、私は好きで母子家庭をやっているんだ、と彼女は言う。世の主婦たちはPTAなどの会合で、きまって母子家庭の陰口をたたきあう。善意の人は誰も母子家庭を好きでやっているんじゃないのよ、と弁護してくれる。彼女は、それも勘違いで、母子家庭というのはみんな自己中心主義で、本当は好きでやっているのだという。そういいきれる強さは一般うけするのかもしれないが、私には、子供を産むことが、新しい自分の生活を産むことと同じだったという希有な反転の体験を彼女が内省的に潜り抜けたところからきているように思える。
 子供を育てながら働いて生計をたてる、女の自立といえば格好はいいが、その裏には多くの場合近親者の援助や経済的な蓄財などの有形無形の支えがある。それが悪いことであるわけがないが、彼女の場合幸か不幸かそういうことと無縁だった。たよるべき肉親がいるわけでも、蓄財があるわけでもない。生まれた子供はベビーホテル、託児所、無認可保育園と、公立保育園に入るまで8ケ所を転々とさせられることになり、当時生きていくために彼女は日に15時間位働いていたという。彼女が自分(たち)は2度ほど餓死しそうになったことがあるというのもこの頃のことのようだ。急性腎盂炎にかかり医師に入院を命じられるが、いざとなると子供を預かってくれるところがない。福祉事務所にかけあっても規約にないと断られ(応対者が無知だっただけで、後に「緊急保育室」や「単身家庭家事援助者派遣制度」があることを知るが)、結局入院も静養もできずに、子供を保育園に送り迎えしながら家事をこなし、自宅で体が自然治癒するのをまつといったことを余儀なくされる。熱がさがるのに半年ほどかかったが、その間自分がどんなふうに過ごしたのか、さっぱり覚えていないと彼女は書いている。精魂つきはてて、これも福祉事務所に生活保護の申請にでむくと、若い指導員に、あなたに生活指導をしますといわれ、根掘り葉掘り私生活の群細を聞かれ、詰問の果てに、家賃4万以上の住居の居住者には生活保護はでない(はじめから申請書類を見ればわかることなのに)と断られる。彼女はこの時の無慈悲な対応を今でも思い出すと涙がでると書いている。
 当時の貧困ぶりは、冷蔵庫電話指輪腕時計テレビはもとより子供のラジコンまで売り払い、売血の方法を赤十字に尋ねたりもした(もちろん若ければ体も売っていた)というエピソードからもうかがえる。こういう苦しい時期の体験から彼女がつかみとってきた生活思想のようなものがある。それはつまらない流行りの清貧の思想(つまらないにきまっているので読んだことはないが)みたいなものではない。数え挙げればきりがないが、たとえば「捨て子」のニュースなどを見たときの彼女の反応に象徴させてみることができる。それは、よくぞ捨ててくれました、というものだ。なにも奇をてらっているわけではない。放っておけば親子ともども餓死してしまうような状況のなかで、親の感情として本当は手放すに忍びないのに、よくぞ我慢して子供をすてる勇気を持ってくれたという気持ちなのだ。個別の事実としてみれば捨て子の背後にある事情は千差万別で、捨てた親の心理にそういう気持ちが働いたのかどうかはわからない。しかし、彼女の現実認識に照らせば、現代の社会というものは、ひとつの家族(親子)がどこまで追い詰められ餓死しようが心中しようがかまわないし、放っておくが、孤児はけして餓死させないものなのだ。
 こまかい事情はわからないが、彼女は30代なかばで仕事をやめ、著述業を志す。これも普通に考えれば大変思い切った転身だが、おそらく、それまでの仕事(なにをしていたのか知らないが)との何らかの関連も含めて、自分の病弱な体や、難しくなってくる子供との対応などのことを考えて、もの書きとして自宅で収入を得られるかもしれない機会にとびついたのだろうと想像する。数年のうちに2、3のさっぱり売れなかった不本意な論文を書いたという。83年に北区のマンモス団地に入居、翌年には子息(隆之介)が小学校に入学する。
 87年に、出版されたエッセイ集『単身家庭の呪い』(情報センター出版局刊)が評判になる。この年りゅう(隆之介)君は小学校4年生。はるさん(著者下田治美)は40才である。翌年『2DKの呪い』、翌々年『マドンナの呪い』が情報センター出版局から順調に出版される。いずれも著者が入居しているマンモス団地の2DK住まいを舞台に、りゅうとはるさんの母子家庭の生活ぶりを中心に描いた「子育てエッセイ」である。この一部で「呪い3部作」とも呼ばれているらしいエッセイ集は、まさに書いている隣で子供が成長していく現場で、過去数年の生活上の出来事をふりかえるというかたちで書き継がれており、現在でもとても臨場感があって読みごたえがある。
 はるさんの子育ての方針は、塾などいかせず、一種放任主義ともとられかねないが、その実たずなはしっかり握っている。子供に「勉強ができる子供」になってもらうために巡らしている策略は3つあるとたのしげに書いている。ひとつは勉強しろと言わないこと、ひとつは遺伝的に頭がいいとほめること、ひとつは家事の手伝いをさせること。主体性をもたせたり、自信をつけさせようというのはわかるが、最後の項目は家事には決まったルールがないので、子供の自発的な想像力を伸ばすと信じているからだそうだ。りゅう君は試験で0点をとって帰ってくると、勉強ではなく、家事をすすめられるというわけだ。これはなかなか合理的な高等戦術かもしれない。世の中には不用な人など一人もいない、と考えているはるさんにとって「勉強ができる」子供というのは、本当は、おまけみたいなものだろう。彼女が立ち向かっているのは、もっと巨大な社会の力のようなものだ。その力に負けないだけのものを子供にもたせてやること、そのことである。
 保育園で子供がナイフの練習中に指を負傷して帰ってきた。おろおろする保母さんに彼女は、子供にナイフの使い方を教えるという大事な仕事をしてくれているのだから、指などいくら怪我させてもいいのですよ、という。保母さんは泣き出してしまう。というのは、昨今では即座に保母さんの監督責任を云々して治療費を請求するような親ばかりだからというわけだが、これは別に美談ではない。はるさんにとっては当然のことで、もし子供が万引きしたら、腕の一本も折ってやれば懲りる、と本気で思っていることと、別のことではないのだ。彼女の立ち向かう敵とは、社会に蔓延して薄い空気のように人を窒息させ萎縮させてしまうものであり、今の例でいえば危ないからといって子供にナイフの使い方を教えるのを禁じたり自粛させたりするような短絡的なある力だ。公立の小学校で卒業式に子供がブレザーを着てくるようにいわれる。その日一日だけお揃いで卒業式に臨ませるというのが、いかに教師−校長のつまらぬ見栄に過ぎないか、その無神経さにはるさんは怒り呆れる。大抵の子供は大人から借りてすませるという。もちろんブレザーは買うことも借りることもできるが、そういう学校の方針に納得できないはるさんは、なぜ納得できないかを説明したうえで子供にどうするか決めさせる。子供が選んだのは卒業式を欠席することだった。一生に一度のことなんだから古着でもなんでも着せてごまかせばいいのに、という発想をはるさんはとらない。彼女が向き合っているのは、その背後にある気味の悪い画一主義や事なかれ主義のもつ無神経さである。子供であるりゅう君は半泣きになって卒業式をあきらめたということだが、はるさんの気持ちがわかるようになるのもきっとそんなに先のことではないだろう。
 どんなに親が手をつくしても浸透してくる現代の空気のようなものがある。それに立ち向かって子供にしてやれることをはるさんは実行した。それはりゅうが小学校5年の時に参加させた一年間の山村留学である。二百万の費用は借金した。その動機を、幾度かのレントゲンの検査結果がはっきりせずに、てっきり自分が癌だと思い込んで、せめて後に残される子供がたくましく生きていけるようにと思い立ったと彼女は書いているが、これも実は彼女の気持ちの相当深いところからでた策略のような気がする。子供をよすがに二人で仲良く暮らすのが一番、などという場所からは、はるかに隔たった決断というべきだろう。先に彼女が苦しい時期につかみとった生活思想などという、硬い言葉で呼びたくなったものの核心が、こういう思い切った行動によく現れているように思う。
 小学校3年のときにりゅう君はいじめをうける。子供の挙動がおかしいと感じたはるさんが問い質すと、後ろの席の子供が耳許で、貧乏貧乏貧乏と一日中いいつのるのだという。朝になると子供は腹痛や頭痛を訴えて学校を休むようになる。登校拒否の始まりだ。はるさんの対応はすばやい。まずりゅうに脅しをかける。おまえに自殺されてはかなわないから、その子供が憎いなら、自分がこれから殺しにいってやってもいい。というのだ。この脅しは利いて(はるさんならやりかねないと思ったに違いない)子供は絶対自殺などしないと約束する。これでひと安心。後の行動も冷静で迅速だ。友人に手伝ってもらい、いじめに関する本をつごう28冊買い込んで読破する。ひとに会い、電話で話を聞き、専門家にレクチャーを受ける。3日のうち総勢14人の人にレクチャーを受けたと書いている。いじめに詳しい弁護士3人、警察官2人、いじめの被害に会っている父母、福祉関係のひと、いじめの取材をしているライター、及び記者、カウンセラー、、、。それらの情報から、大学ノート3冊を費やしていじめのセオリーを発見しようと試みたのだという。事情をうちあけられた教師が子供を個別に呼んで説得する。しかしその後でいじめはいっそうひどくなる。はるさんはみかねて仕事もやめ、子供を学校にいかせなくする(いけばひどくなるばかりだから)。家では時間をとって十二分に子供に甘えさせる(これは大切なことだ)。はるさんが教師に提示した条件はひとつ。相手の親に絶対にいじめをさせない、と確約してもらうこと。貯金もおそろしい勢いで減って行き、転校を考えるせとぎわで、教師のとりなしで、いじめる子供の親と直接談判する機会がくる。相手の親は詫びようともしない。でもやっとのことで、二度と、いじめをさせないでください、と言う言葉にうなずいてもらえる。
 以後事態は好転する。彼女が得た、いじめのセオリーというのは、いじめられる子供の側に問題があるというのは間違いだということ(いじめられる子供は、また自分より弱い子供にはけぐちを求め、連鎖が続くのが一般的)、原因はいじめる子の側にあり、しかもその子と親の問題につきる、というものだったようだ。このエピソードは今ひとつはぎれが悪いが、それは原因がいじめる側の家庭にあるかぎり、そこに踏み込めない限り解決できないということにあるのだろう。そして家庭は聖域、ということになっている。はるさんのケースも、本当は運がよかったというしかないように思う。ただし、親が本気で、仕事もなにも捨てて事態の解決に取り組んでいると子供にわからせた時点で、おそらく最悪の事態は回避されている。
 いつものことながら、深刻な部分ばかり取り上げてしまった気がするが、下田治美のエッセイはいずれも「本音で突っ走る痛快エッセイ集」とか、「痛快子育て記」とか、「その語り口の軽さで椎名調、そのこだわり方においてショージ調」(中沢正夫)とかいう評言が似つかわしいような、気取らない明るさやユーモアに満ちている。読む機会がある人に読んでもらえればいいと思うが、心根の強さや優しさや恥じらいをくったくなくうちあけてくれる奥行きのある文章を読む愉しさはどうしても強調しておきたいところだ。
 下田治美はエッセイ3部作のあと、91年に『同級生』『夫のレンアイ』という表題のそれぞれ3編ずつ収録した短編小説集を書いている(いずれも未読)。92年には『愛を乞うひと』という長編小説が刊行された。これは自伝的小説ともいわれているが、孤児院で育てられた少女が、自分を産んだ母親にひきとられ、壮絶な虐待を受ける。長じた主人公はその過去の傷を引きうけながら、死亡した父親の遺骨をさがす旅にでる、という内容の特異な小説である。この作品を読んで著者のひととなりに興味をひかれて、そんなことでもなければ、私などおよそ手にする機会もなかったであろう「子育てエッセイ」の世界をひもとくことになったというのが実情である。
 小説の印象もそれなりに強烈だったが、実のところエッセイのほうが私には刺激的だった。彼女の住むマンモス団地では、自転車や傘が盗まれるのは当り前で、エレベーターや外廊下の螢光灯も住人が拝借してしまうことも多いという。壁は汚く落書きだらけで、階段の踊り場では夜になると高校生たちがたむろして煙草を吸っている。彼女がたんたんとそんなふうに書き記す背後に、なにやら現代のすさんだ都市住民の感性のありようが透けて見えてくる。しかしそんなふうに感じること自体は、ただ感受性の鋭敏さをあかすだけで、別にどうということもない。彼女は若くて悩み多い時期にプライベートな個室も身近な相談相手も持てない2DK住まいの高校生たちが、階段の暗がりにたむろすることに同情的であり、「でもそういうのって、非行のはじまりなんだってよ。オレ、夜間パトロール賛成!」とのたまう我が子を「井の中の子カワズ」と嘆いて見せるのだ。まったく同じように並んだ団地の窓あかりのひとつの中にそんな視線と感性をもつひとがいること、そういうことがとても刺激的だった。

参照:以下いずれも下田治美の著作
 『ぼくんち熱血母主家庭』(講談社文庫)−『単身家庭の呪い』に加筆、改題
 『ぼくんち熱血2DK』(講談社文庫)−『2DKの呪い』に加筆、改題
 『おにぎりの具は真珠の指輪』(講談社文庫)−『マドンナの呪い』に加筆、改題
 『愛を乞うひと』(角川文庫)
 『蛸のイボイボ伝説講座』(角川書店)


93.11

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