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5~9 April.2001

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  はじめに   4月5日 那覇 首里城   4月6日 残波岬 東南植物楽園

  4月7日 座間味島   4月8日 レジャーセンター 斎場御嶽   4月9日 牧志 壺屋

  おまけの写真集 


  はじめに


 kokoさんと久しぶりに旅行に行こうと話したのはいつの頃だったか。台湾や韓国も候補にあがったが、4日くらいの日程で一味違う亜熱帯の風景や綺麗な海が手軽に楽しめそうだということで、沖縄に決めた。おりおりに色んな本を読んでみたが、雑知識がはいったわりに、具体的にどこそこに行ってみたい、というのが決まらない。北部の山岳地帯、開発の進んでいる西海岸のリゾート地区、那覇の活気のある市場界隈や首里城、南部の城(グスク)や戦跡めぐり、本島の周辺の島々へのアプローチなどが観光本のおすすめコースとして紹介されている。

 結局、知識はほとんど皆無なので、どこに行っても旅の気分が味わえるだろうから、と予定を組まないで行くことにした。とはいえ安い往復航空券を買ったので最終日の帰りの便の時刻は動かせない。最初の二泊は那覇のビジネスホテルに予約して、そこからバスなどで首里や南部の近場を歩き、できれば一日は日帰りか一泊で近くの島に行くとして、最後の一泊は危険回避のため本島で泊まるという漠然としたスケジュールをたてた。イタリア旅行でもフランス旅行でもこんな調子で宿は現地できめてきたから、なんとかなるだろうという感じ。それに今回は初日の夜に那覇在住の石川為丸さんと飲みましょうという話になっているので、何となく心強い(^^;。ということで一路那覇へ。




  4月5日 那覇 首里城


 4月5日。午前の便でkokoさんと沖縄那覇空港へ。ついたら那覇は雨だった。とりあえずタクシーで8分ほどの投宿するビジネスホテル、「ホテル マリンウェスト 那覇」へ。一休みして徒歩で繁華街のある国際通りをめざし(はやくもやや道に迷う)、土産物屋を覗きながら市場本通りを折れて、まずは牧志公設市場へ向かった。市場の建物の周囲には青果商店が並んでいて、建物の一階には、新鮮な肉や魚、加工食品を売る店がぎっしりつまっている。この二階に食堂が何軒も入っていて、そこで遅い昼食をとるのだ。私が注文したのは、ソーキそば、グルクンの唐揚げ、オリオンビール(生)。沖縄ソバというと、うえに三枚肉がのっていて、これが骨付き肉になるとソーキそば、角煮になるとラフティそばになる模様。グルクンは和名でなんという魚か知らないが、その唐揚げは、さっくりしていて、ばりばり食べられる。昼食をすませて、青果店でカニステルという果実をひとつ200円で購入。Kokoさんは紅いもソフトクリームとサータアンダギーをひとつ。

 食後の予定は首里城(註1)見物。食堂のおかみさんに聞いたとおり、国際通りの三越前のバス停まで行き、首里城前までバスで200円。雨はふったり止んだりだが、青空がのぞく気配はない。ここで石畳の坂と城門(有名な守礼門など)をいくつかくぐって、入場料800円を払って、首里城本丸(というのかどうか)へ。団体ツアー客が多いので、その行列に紛れるようにして、正殿や南殿、北殿を見て回る。建物の風格、石垣のカーブなど独特だ。

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 城の奉神門手前の広場には塀で囲われた小さな首里森御嶽(すいむいうたき)(註2)がある。中は覗けないのだが、内部には樹木が茂っていてそこだけ異空間という感じだ。

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 しばし城壁のうえから那覇市街を遠望し、小雨のなかをとぼとぼと帰路につく。途中からバスで牧志まででて、徒歩でホテルに戻り(ここでもやや迷った)休憩。沖縄のひとは親切だというが、実際この日は、路上で地図を広げていたり、バス停留所で時間を調べていると必ずといっていいほど声をかけられて、道を教えて貰った。ホテルでは、もちかえったカニステル(註3)を持参したナイフで皮をむいて食べる。ほっくりしてほのかに甘い。ちょっとマンゴに似ている。手がねばねばするので、三切れほど食べてしまいこむ。

 夜九時にフロントで、迎えにきてくれていた石川為丸さんと再会する。Kokoさんは初対面だ。石川さんは、注文した詩集『海風 その先』や私の預かる詩誌の他、紙包みをみっつお土産に下さった。それらをフロントに預け、雨のなかを、ホテル近くの西消防署通りにある居酒屋「わらじ屋」へ。ミミガーやゴーヤチャンプルなど沖縄特産の肴をつまみながら泡盛を飲み、さらにタクシーで移動して桜坂にある石川さんのおなじみらしきお店「藁火」にはしごして(ここでは石川さんが近所の店から取り寄せてくれた純正にんにく入り餃子も肴に)、某氏の歌う美空ひばりのカラオケを聴きながら呑み、さいごに(こわいおばさんのやっている)、「くみ」という深夜食堂で沖縄そばを食べてしめた(kokoさん曰く、旅行中ここの沖縄そばが一番おいしかったとのこと)。ホテルに帰ったのは午前3時頃だったか。

 呑みながらいろいろ話が弾んだのだが、その詳細は略。ところで、お土産にいただいた包みの中身の話だが、ふたつはなんとオリオンビールのロゴ入り硝子コップで(これは後々大いに役にたった)、もうひとつは、沖縄産の植物(葉のついたポトスの茎の部分2本と、パキラの小苗2本)だった。沖縄のポトスの葉はみるからに巨大なのだが、なんでも本州のものと同一種だというのが通説らしい。そこで、そのポトスを持って帰って育てて発育具合を調べてみてほしいとのこと。面白いので育ててみるつもり。

 石川さんは、もし旅行ルートがきまってないなら、できたら行ってみてほしいとふたつのことを提案された。ひとつは名護市にあって一泊千五百円という「海と風の家」という民宿に泊まってみること。この宿は車椅子のご主人と、6歳の双子の娘さんたち(海ちゃん、風ちゃん)のやっている民宿で、掃除片づけなど全部セルフサービスのかわり泡盛のみ放題、という破天荒な民宿のようだ(石川さんのくれた資料による)。もうひとつは沖縄市近郊の東南植物楽園というところでヒスイカズラという珍しい花が咲いているとテレビでやっていたのを見たので、それをカメラで撮影してきてくれないか、というものだった。どっちもなんだか面白そうな提案なので、できれば、ということで(民宿も植物園もどの辺に位置するのかもよくわかってなかったが、酔ってたし)、石川さんとお別れしたが、さてどうなったか。。。




  4月6日 残波岬 東南植物楽園


 4月6日。起きてバイキング方式の朝食(このビジネスホテルは朝食付きで一泊四千五百円)。どこへ行こうかということで、そういえば昨日石川さんが那覇港がさびれてるとか言っていたのでちょっと散歩がてら見に行こうということになって徒歩で港方面へ歩く(もう影響されている)。植え込みにハイビスカスがきれいだ。高い樹木の梢に真っ赤なデイゴの花も咲いていた。那覇港と言っても広いので当然ながら(^^;、昨晩の石川さんの話にあった悪ガキのたむろしてるような、さびれた感じの場所は見つからなくて、なんとかいう立派なホテル裏の突端までいってしまい、しばし、海をみて一休み。ホテル前からタクシーで北にある泊港まで行く。これは、この時点で明日座間味島にゆくことを決めていて、船の発着時間を確かめ予約を入れるためだったのだが、「とまりん」というビルの切符売り場で予約の必要はないと言われる。さてどうしようということで、また那覇にもどるのもなんだから、今日はレンタカーを借りて西海岸を北上ドライブすることにする。

 切符売り場にあった広告ちらしを見てレンタカーの会社に電話すると、送迎車がきて、それに乗っていったん空港近くのレンタカーの営業所まで赴き、そこで書類の手続きをすませて用意してくれた軽自動車にのりこみ発進。58号線をひたすら北上してドライブを楽しむ。那覇近郊は渋滞気味だが、左手に海が見え隠れする椰子の木の並木道を走り抜けてゆくのはなかなか快適だ(運転はkoko さん)。リゾートホテルの点在する地域を北上して読谷村まで行き、突端の残波岬で休憩。浜にでて海をみる。透明度が高くて実に美しい。

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 そこからさらに名護市まで北上する。頑張ってどこまでいけるかを試してもよかったのだが、やはりレンタカーの身の上だし、那覇付近の渋滞ぶりを体験したところなので、計画を変更する(私たちのように昼くらいから車を12時間借りていても、レンタル会社の営業所は8時までなので、それ以降になるとタクシーを拾わなくては宿にたどりつけないことになる。また7時半までだったら会社の車で宿まで無料で送ってくれるというので、それまでに営業所に帰りつきたい。この辺はレンタカーを借りる人は要注意だ)。そこで、そうだ石川さんの提案があった、ということで、58号線から71号線にそれて島を横断し宜野座にでて国道329を南下、道路マップをひろげながら東南植物楽園へ向かった。

 東南植物楽園は40万平方メートルという広大な敷地をもつ植物園で、2000種の熱帯植物が集められているという。半日はつぶせそうだが、こちらは少々時間に追われる身なので、さっそくお目当ての植物ヒスイカズラを探す。売店のひとに尋ねたらすぐ植えてある位置がわかって、ついに目的達成。これが幻のヒスイカズラ(註4)だ。

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 その後は、南下して最後に給油所でガソリンを満タンにして6時過ぎに無事レンタカー営業所に帰着。宿の前まで会社のバンで送ってもらい、ホテルで休憩。夜は近くのホテルと共同経営という居酒屋「黒潮帆船」に呑みにでる。泡盛を飲んで刺身もりあわせその他を食べるが、ここはもう若い人が多くて東京の居酒屋と変わらない感じだ。私たちの座ったカウンターの両隣にはそれぞれ若い女性ふたり連れがいたが、その一方のテーブルには空のワイングラスやビールジョッキが雑然と並んでいて、女性たちはさらにジョッキ片手に涼しい顔で歓談している。女性の酒量は東京と違うのかもしれない。音楽がうるさいし冷房が効いていてやけに冷えるので店を早々に退散。酒屋兼雑貨屋のようなところで、泡盛のその名も行ったばかりの「残波」を一瓶買い込んでホテルでゆっくり呑むことにする。Kokoさんは「沖縄すば」という店の看板にひかれて沖縄そばが食べたいというので、別行動で夜の市街をすこし散策してからホテルに戻る。ここで石川さんに頂いたオリオンビールのロゴ入り硝子コップが活躍。しばし酒を呑む。さんぴん茶とピーナツの瓶入りを買って帰ってきたKokoさん曰く「沖縄すば」看板の店はいまひとつだったとのこと。石川さんの詩集『海風 その先』をしばし繙いて就寝。




  4月7日 座間味島


 4月7日。宿でバイキング朝食後、タクシーで泊港まで。座間味島までは毎日連絡船が二種類でているが、遅いほうの「フェリーざまみ」だと阿喜島に寄って倍くらい時間がかかるので、高速船「クイーンざまみ」のほうの往復券を購入(5250円)。待合所で、ジョン万次郎のことや、待合所のすぐ外に見える外人墓地のこと、ペリーが何年にやってきたとか沖縄の歴史のことをとうとうと述べ立てるひとがいて、どっかの学者だろうかと思って聞いていたらタクシーの運転手で、帰りにはどうぞご利用くださいと言われた。ともあれ高速艇に乗り込み一路座間味島へ。

 座間味島は、ホエール・ウォッチング(3月頃まで)やダイビングのメッカとしても知られているらしいが、私たちがここを選んだのは割に本島から近い(高速艇で一時間強)のと、遠浅の綺麗な浜辺があるというだけの(もったいない?)理由からだ。港の観光案内でガイドブックに載っていた民宿名「船頭殿(せんどうろん)」(料理がうまいという)を告げたら、電話して料金や部屋の空きを確認してくれる。天候は今日も雨まじりで、とぼとぼと歩いて2分ほどの民宿まで。

 旅装をといて、雨もあがったので、車で5分という阿真ビーチまで散歩。古い亀甲墓や島全体がその地層だと思われる層状の黒い岩肌を眺めながら人気のない海岸沿いの道を歩く。曇天に吹く風がやたらにここちよい。遠浅の浜についたら、やはり海の色が美しい。それに空も晴れてきて素晴らしい海景だ。

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 浜は砂ではなくて砕けた珊瑚のかけらからできている。その中に小さな貝殻が混じっている。しばしそれを拾うのに熱中する。長く弧を描いて伸びる浜を歩いて海につきでた岩礁のうえで一休み。ここからいくつか島の浮かぶ沖合を眺めてスケッチをした。水彩絵の具の筆を洗うのは岩礁に残った雨水のたまりだ。なんとおあつらえむきなのだろうか。

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 いったん宿に帰ってから金属製の旅行用ウィスキーボトルをバッグに入れて、近くのバーガーショップでハンバーガーとコーラを買い込み、高月山にハイキング。ハイキングといっても標高200メートル足らずの小高い山頂まで30分程度の道程だ。沿道には赤、黄色、ピンクのハイビスカスがまっさかりで、花や亜熱帯植物にみとれながらも、ふうふういいながら歩く。途中に石碑があった。沖縄戦のとき、村長以下59人の村人が自決した場所だという。米軍が日本本土侵攻作戦の足場として沖縄を拠点に選んだとき、最初に上陸したのは日本軍守備隊の予想を裏切って、沖縄本島ではなく、この慶良間諸島だった。日本軍は沖縄本島に向かう米軍艦船を爆弾を搭載した特殊なボートでゲリラ的に襲撃するために、慶良間諸島にその秘密基地を幾多設営していた。(余談だが、これは奄美の方でも同じで後の小説家島尾敏男氏は、その特攻部隊の隊長だった)しかし、その目論見ははずれて慶良間は最初に徹底的に叩かれたのだった。というようなことは本を読んで知っている。しかし、この最悪の闘いでたぶん援護もなく山の山頂付近に追いつめられて民間人が59人自決したというのは、なんとも言葉もないような話だ。石碑はめだたない感じで道のわきにひっそりと建っていた。

 高月山の山頂にのぼると展望台があって周囲の島々が見渡せる。風景は戦争の記憶やさらに遠くはるかな海民の記憶をささやくようだ。美しい島々。ここで腹ごしらえをして、コークを飲み、ウィスキーを少量呑む。たぶん胃の中でコークハイになっている(^^;。。

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 てくてくと山を下りて座間味村から道を左にそれて、もうひとつの近場の古座間味ビーチに向かった。こちらの浜から見る海の色は少し深い。知らなかったのだが、この浜の右手の岩場付近では、腰ほどの深さの場所で、シュノーケリングをしながら色とりどりの魚を観察することができるという(同宿していた女性談)。ただし体が冷えるのでスエットスーツは必需品のようだ。また浜辺で形や色の面白い貝や珊瑚のかけらを拾って、のんびりと時間をすごす。靴を脱いで波打ち際までいって東シナ海の水に触れてみた(だからどうだというのでないが)。大きなあざみの花をみつけた。刺々しい葉がざっくりしている。

 宿に帰って夕食。柔らかめのご飯(この炊き方はどの宿でも共通していた)に沖縄そばの入った汁もの。焼き魚。メインには豚肉の甘く煮付けたのがでたが、これが甘すぎてつい残してしまった。若いダイバー向けの民宿のせいか、食器を片づけるのもセルフサービスで、ビールも自分でロビーにある自販機から買うというシステムだ。ともあれ、オリオンビールの小缶を飲んで、あとは、自室にもどって石川さんコップで残波を飲む。9時頃になって宿から2分の座間味港にでてみた。おりしも満月で、群雲がゆっくりと風に流れる空には、くっきりと星の数々が見える。東京ではもちろん見られない澄んだ夜の星空だ。心地よい海風になぶられながら、静かにひたよせては消えてゆく潮騒をきく。




  4月8日 レジャーセンター 斎場御嶽


 4月8日。朝食には、市販ものらしきシュウマイがついていたがこれはご愛敬(プロのコックさんがつくるとガイドブックでうたっていたのに)。宿をでて、港で10時5分発の高速船「クイーン座間味」をまつ。この時、網を片手にした小学生位の少年が港の堤防付近にいるのをみかけた。魚をとっているのだ。傍のバケツをみると、中に二匹ほど魚がいて、ハリセンボンだと教えられる。それに少年は、大ぶりのカニを収穫したところだった。場所はダイビング用の小型ボートが繋がれている港の奥まった堤防なのだが、海水の透明度が高いので海中の魚がよく見える。それを網ですくうのだった。ハリセンボンは唐揚げにするとうまいという。少年は親に仕事として命じられているのか真剣そのものだ。しかしこの魚、いったんふくれてイガグリ状態になると、網を傷つけてしまうので処置にこまる。すてるしかないようだ。少年とkokoさんが網にからまってハリネズミのように膨れたハリセンボンをはずそうとしているうちに、堤防の溝でしきりに毛の生えた鋏をたてて威嚇していた大きなカニはさっと海中に飛び込んで逃げてしまった。ううむ。

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 高速艇では二階デッキに上がって一時間あまり、ずっと潮風に吹きまくられながら海を見て過ごした。航跡のつくる巨大な魚の尾ひれみたいな波のかたちが愉しい。煙草に火をつけようと苦心して50回目位にやっとバッグの中に顔を埋めて着火して成功した。無人らしき孤島がぐんぐん近づいて、濃緑の樹影や岩肌をリアルに見せるのに、すぐにぐんぐん遠ざかると残るのは越えがたい海の距離ばかりで、今目で見たことが夢のようだ。この不思議に懐かしい存在の感覚はなんなんだろう。

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 泊港で、ガイドブックを見て知念の「民宿海野」に電話を入れる。部屋は空いているとのことで、降りるバス停をきいて、そちらに向かうことにする。実はこの最後の宿をどこにするか結構迷ったのだが、那覇市内では面白くないし、遠いと移動に時間を取られるし、ということで、比較的那覇に近くて太平洋側の海の景色も楽しめる東海岸に行こうということにしたのだった。近くに「斎場御嶽(せいふあーうたき)」もあるし。タクシーで那覇のバスターミナルへ出て、そこからバスで海野まで1時間程度。民宿海野のご主人は漁師で、民宿の建物自体那覇市から東にのびる国道137号線のきわにあって道路を隔てたその正面は漁協の建物のある漁港になっている。

 宿に荷物を置いてバスで近在の「知念海洋レジャーセンター」へ。ここにくるのをいつ思いついたのだろう。旅行前まで名前も知らなかった筈だ。船底に硝子ばりの箱のついている「グラスボート」という小型ボートが、ここからでていて、それに乗船すると25分くらいの舟の旅が楽しめる(料金1400円)。それで何をするかというと、舟は海の中のいくつかの海底が珊瑚の棚になっていて水深が浅くなっているポイントに立ち寄ってくれる。そこで解説つきで熱帯魚や海生動物の姿が楽しめるというのだった。このあたりの海は保護区になっているので、魚も舟を怖がらない。ひとでやイソギンチャクなども生き生きゆらゆらしている。魚の名前を説明してくれるのだが、すぐに忘れてしまう。ハリセンボンの魚型は座間味島で覚えたのですぐわかったが。ということで、この簡便なシュノーケリングもどきの船旅、愉しかったかというとそうでもない。舟は大いに揺れるしエンジンの振動と独特の臭いが相当つよい。そういうのに強い人むきだ。

 舟の発着所のある海辺から坂をあがる途中にある食堂で焼きそばとコーヒーを注文する。私はそろそろコーヒーの禁断状態になっている。ここで出たのはお湯のように薄い透明感のある250円のコーヒーだった。さて、ここからバスだと一区間を歩いて「斎場御嶽(せいふあーうたき)」へ。

 「斎場御嶽(せいふあーうたき)」はアマミキヨがつくったとされる古い御嶽のひとつという。もともと御嶽というのに興味があって、御嶽を囲むように創建されたと思われる玉城村の城址巡りをできればしたいなと思っていたのだが、結構時間が必要そうなので、この場所で代表させることに自分の頭の中ではきりかえていた。古代以来の聖地で、たぶん巨石信仰や樹木信仰の古い形を残している場所がどんなものか見てみたかったのだ。酔っていて地名をよく覚えていないのだが、初日の石川さんのいわくのある話の舞台がここだったのかな。周囲を樹木に被われた細い花崗岩の石組みの道をふみわけてゆくと、確かに雰囲気のある巨岩の下のくぼみに幾つかの礼拝所があった。

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 一画には、ここから遙かにニライカナイに真向かう久高島の方向にぽっかりと空いた空間があって、かってはそこから島を遙拝したのだという。観光客も多くて賑わっている感じだったが、夜はさぞやと思わせるものがあった。拝所の前でめつきのするどい人がじっと佇んでいたのもなんだか。帰路に数人の沖縄のひとたちのグループ(ひとりは、なにか捧げもののような包みを持っていた)に挟まれるような格好になって歩いたが、彼らの話す言葉の意味がまったく聞き取れないので、環境もあいまって一瞬不条理な気分に。

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 宿に帰るまえに漁港近辺を散策する。人家の門柱の上などに必ず並んでいるシーサー(狛犬みたいな魔よけ)をデジカメで沢山撮影する。運天という苗字の表札が珍しいと言っていたら、宿に帰ると「民宿海野」のお宅の苗字が運天で、このあたりでは三軒に一軒は同名だそうで、「うんてん」と読むのだという。とかく海の天候しだいの生活という漁村ということと関係あるのかないのかな(註5)。夕食はやはりとれたてのおさしみ中心という感じで美味しい。食事していたら、同宿の初老の男性(花粉症がひどくて東京からこちらに来て一人滞在しているという)がいいちこの一升瓶をさげて食卓にあらわれ、四国から来て仕事でこちらに長期滞在しているという二人連れの男性たちとよもやま話をしはじめたので、それとなく聞きながら食事をとる。思っていたことだが、やはり沖縄のバスの発着時刻は当てにならない、というのが話にでていた。バス停に書いてある時間より数分まえに来て通り過ぎられると、やはり困ったものだなあとは首里城の近くで実感したことだ。やや草臥れていてお酒を飲んで盛大に人と話す気分じゃなかったので、早々に部屋にひきあげて、沖縄産ピーナッツをかじりながら、また泡盛「残波」を石川さんコップでのむ(註6)




  4月9日 牧志 壺屋


 4月9日。朝食後、バスで那覇のバスターミナルへ。ここのコインロッカーに不要な荷物を収めて、軽装で牧志にでる。夕方まではお土産の買い物と焼き物の壺屋見物に当てる予定。まず国際通りの入り口にある県庁ビルに立ち寄った。このビルの立地が風水上問題ありとは石川説だが、この14階が見晴らしの良いラウンジになっているというのだ。行ってみると確かに眺めはいいが、那覇港方面の一方向しか遠望できないのがいまひとつ。観光客は誰もいなくて仕事場を抜け出して来たとおぼしき県庁職員が煙草を喫っているばかり。ということで、一路牧志へ。

 いろんな店を物色しながら国際通りから平和通りを折れて焼き物の町、壺屋へ。ぐいのみをひとつ購入。店の裏に登り窯がある古そうな陶器販売店は喫茶店もかねていたので、そこでコーヒーを飲む。時間があるので、桜坂に道をおれて、ちょっと初日に石川さんが案内してくださった飲み屋さんを探した。今思えば、わらじといったかわらびといったか、などと勘違いしてたので見つかる筈がなかったが、もちろん見つけても昼間で店は閉まっていたはずで、これは洒落みたいな散歩なのだが、こういうところで石川さんは島酒をのみつつ暮らしているのだなあ、と飲み屋さんの看板の並ぶ界隈をふらふら歩き回った。ああ、あの公園で寝ていて石川さんは財布をぬかれたのだろうか、などと。(餃子専門店という看板があったが、あれはにんにく入りのあれを出前してもらった店だろうか)。

 三越などにも寄って牧志公設市場の二階の食堂で昼食。めでたくも最初と最後はここでしめることになった。私はオリオンビールとラフティとえびチャーハンを。えびが新鮮で美味しいのでぺろりと平らげる。またしばし土産物の店を物色、揚げ物屋を注意していたのだが、とうとう豆天(註7)はみつからなかった。ちんすこうやゴーヤ入りミミガーの朝鮮漬けというのを買い込んで国際通りに戻り、喫茶店「インシャラー」(地下の店で、ちょっと京都の四条あたりの喫茶店を思わせるつくり)でコーヒーを飲む(ここでコーヒー禁断症状はずいぶん解消された)。ということで、バスターミナルまで徒歩でもどって、コインロッカーから荷物をだしてバスで空港へ。7時15分発の東京行きの便に乗って、あとはとんとんと話がすすんで夜中の12時過ぎに家に辿り着いたのだった。完。





おまけの写真集


○おまけ・いろんなシーサーの写真



○おまけ・いろいろ

座間味島のハイビスカス古座間味ビーチで(kokoさん撮影)壺屋の登り窯
首里城近くの蕎麦屋さん座間味のアザミ拾った貝と珊瑚の欠片


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