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イタリア気まぐれ旅日記


1996 May.20〜Jun.4

Index

1 ヴェネツィア   2 島巡りと美術館   3 散策日和

4 フィレンツェ   5 買い物と美術館   6 オルヴィエート

7 ヴォルセーナへ遠足   8 ローマ・バチカン   9 動物園とエステ荘

10 ダ・ヴィンチ展を見る   11 とんでもない店   12 旅の終わりに


1 ヴェネツィア

5月20日(月曜日)
 成田空港11時45分発のアリタリア航空789便で、KOKOさんと2週間のイタリア旅行へ出発。機内では、隣の空きシートに、禁煙席からやってくる女性グループがたえない。話を聞くと、彼女等も私たちと同じようにローマで乗り継いでヴェネツィア空港まで行くらしい。10日間のツアーだという。ローマまで14時間のフライトなので、機内食が二度ほどでて、映画も2本上映されていた。途中ミラノ空港に寄る。喉が乾くので、待合室の売店でさっそくアクアミネラーレ(ミネラルウォーター)を購入、はやくもイタリア気分。

 7時25分、ローマのダ・ヴィンチ空港へ。ここで入国手続きをして、8時35分発のヴェネツィア行き国内線に乗り換えるのだが、空港フロアが広く、その道順がわからずに手間取る。1時間の余裕があるといっても、私たちのような初心者には要注意だ。団体客の後について移動すればよかったのだが、見失ってしまい焦る。

 やっとたどり着いた入国審査のコーナーでは、ひとり滞っている人がいるらしく、瞬く間に長蛇の列となる。出発時間がせまっているし、列の途中にイタリア人の強引な割り込みがあって(おとなしそうなアジア人観光客に向かって、自分の搭乗券のフライト時刻を示して、私は急いでいて、これにどうしても乗らなきゃならない、どうか君の前に入れてくれなどという。実はみんな同じ出発時刻だったりしたのだが、うまいものだなあ、と感心する)があって不安がつのるが、なんとか間にあって空港バスに乗り待機中の飛行機まで運ばれた。ローマ、ヴェネツィア間のフライトは、美しい夕暮れのさなか。

 もうとっぷりと日の暮れたヴェネツィア空港に到着。荷物を受け出す。日本人団体客は陸路のバスで出発したらしい。私たちは海からヴェネツィアに入りたかったので、水上バスのチケットを買って、近くの船着き場で出発を待つ。狭い座席から解放されて、夜風が心地よい。空にかかる月を見上げていると、なぜか自分が異国の地にいることがしみじみと実感される。夜更けのせいか乗客は私たちの他に地元の女性ひとりと、さきほどの旅客機の乗務員らしい制服姿の男性ひとりだけ。やがて出発時刻がきて、船は視界のきかない暗い潟に向かって、ゆっくりと滑りだした。

 暗い水面のところどころに、にょっきり突き出た杭が黒黒とした姿を現わしては背後に消えて行くのが、水の都の番人に挨拶されているようで心が弾む。遠くには空港の誘導照明のラインや道路の街灯の光の列が帯をなして見える。単調な船の振動に疲れた身体を心地よく揺すられて夢の中にいるような気分だ。途中停船したムラーノ島の発着所では、ぼっと明るんだ街灯のしたで恋人たちらしい若い男女が別れを惜しんでいて、その影絵のようなシルエットが、なんとも魅惑的な印象だった。

 船はリド島経由で、サンマルコ広場に到着。夜空に聳えるカンパニーレ(鐘楼)を見上げ、ここがヴェネツィアだと思う。「世界の大広間」(ナポレオン)の石畳を踏みしめ、広場からほど近い、地図で目安をつけていた予約ずみのホテル「アル・アンジェロ」のある方向へ。路上で帰宅途中らしい少女たちに道を聞いてホテルに到着したのは11時過ぎになっていた。ホテルのロビーのカウンターにはふたりのフロント係がいて電話をかけている。事務的に応対。鍵を受け取り、やたらに素人の描いたような絵画がたくさん壁に飾ってある狭い階段を上がる。部屋は、いかにも近年改装した後がなまなましく、そっけないが、それでも書き物のできる小机と、電話、冷蔵庫、テレビ、バス、シャワーつき。今回の旅では、これだけ豪華な調度品が揃っていたのはここだけだった。


 5月21日(火曜日)快晴。
 ホテル別室で甘い菓子パンとコーヒーのプリマ・コラツィオーネ(朝食)をとる。給仕の女性たちがフィリピーナだったのにちょっと驚く。彼女たちは英語が堪能なので結構国外で出稼ぎしているようだ。ホテルを出て、明日の宿探しを兼ねてリアルト橋市場周辺をそぞろ歩き。今回の旅行では6月3日には帰国のためにローマに居なくてはならないが、それまでの予定はまったく空白にしてある。それでも一応は、それぞれの都市に数泊しながら、ヴェネツィア、フィレンツェ、オルヴィエート、ローマと南下するつもりなので、宿はそのつど決める必要があるのだ。

 リアルトからサンタルチア駅のあるフェロービアまで水上バスで行こうと思うが、切符売場に人がいない。そこで近くのカンポ(小さな広場)でひと休みして、ちょうどベンチに座って新聞を読んでいたおじさんに、KOKOさんが、安いホテルを知りませんかと声をかけた。

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 一泊13万リラ位で、という条件ではサンマルコやリアルト近辺では難しい、隣町のメストレまでいけばあるだろうと言われるが、それでも最後には親切にサンタルチア駅近くのホテルの名前を教えてくれた。さっそく水上バス(無事切符売場は開いていた)でフェロービアまで足を伸ばし、3軒ほどホテルをあたる。

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 おじさんの教えてくれたホテル「アドリアティコ」(アドリア海)のフロントにはしぶい顔の紳士然とした身なりの親父さん。めげずに部屋を見せて貰うことにする。部屋の壁にはバルテュスの絵画『部屋』(もちろん複製)がかかっていて趣味はいい。案内してくれた娘さんは承諾したのに、親父さんはしぶくて、今日から泊まるならいいが、明日の予約はできないので明朝もういちど来て見ろと言われる。それではと出直すことにして、駅近くの店でカプチーノを飲み、再度水上バスでリアルトまで戻り、路地を散歩しながら、ホテルに戻り休憩する。

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 今日は初日なので、なんといっても、サンマルコ広場のドゥカーレ(統領宮殿)を見学。日本で読んできた塩野七生さんの著書『海の都の物語』(中公文庫)での、ヴェネツィアの歴史や統治の記述がいろいろ思い起こされる。がらんとした暗い牢獄には、今でも人が幽閉されているような陰鬱な雰囲気があった。

 店屋でアクアミネラーレを買って、さっと釣り銭をコイン数枚で渡され、後で数えると千リラ足りない。さすが名だたる観光地。リアルト橋のたもとにある、いかにも観光客向けといった風情の店「アル・ブッソ」の派手な赤い色のテーブルクロスのかかった屋外の席で夕食をとる。二人で、プロシュット・エ・メローネ(生ハムメロン)、インサラータ・ディ・マーレ(海の幸サラダ)、スパゲッティ・ポロネーズ、いかすみのスパゲッティ、半リットルのハウスワイン。サンマルコ広場をアカデミア橋の方向に散歩して、ホテルに帰る。

 夜更けに、妙に細長いホテルの浴室の裏窓から、サンマルコ寺院の丸屋根が見えるのに気付く。ほとんど裏手といった感じの至近距離だ。



2 島巡りと美術館     Indexへ

5月22日(水曜日)快晴。
 朝食後、ホテルをチェックアウト。フロントではコンピューター画面を眺めながら、日本に電話をかけたか、冷蔵庫の飲み物を飲んだかなどと聞かれるが、すべてノーと返答する。ここの宿代だけは、日本で支払い済み。「ボン・ビアッジョ!」(よい、ご旅行を!)と声をかけられ、ホテルを後にする。水上バスの三日有効券を購入して、サンマルコ広場から水上バスでフェロービアへ。さっそく「アドリアティコ」に赴いたところ、しぶいおじさんは居なくて、彼の娘さんがフロントにいた。この人は愛想がよくて好感がもてた。部屋は空いているとのことで3日間投宿することに決める。ツインでシャワー、朝食つき。

 今日は島巡りにきめる。

 水上バスでムラーノ島へ。遠足シーズンなのか先生に引率されたイタリアの小学生たちの団体と同乗した。これが何処も同じで、かしましく好奇心旺盛。女の子たちはちらっと私を見ては何か囁きあってくすくす笑っている。めずらしいのだろうきっと。島では運河沿いの曲がりくねった明るい道をウィンドーショッピングしながらぶらぶらと見物して、売店で、サンドイッチを買って小さな橋のたもとで食べる。

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 水上バスでトルチェッロ島へ。ここはさすがに自然があふれている。両岸の燃えるような緑を目にとめながら教会に続く運河沿いの道を行くのは気持ちが良い。屋台でアイスクリームを買って食べ、7世紀に建てられたという古い教会の庭の芝草のうえに寝ころんでひと休み。ここでは、出発する船を待っていて、船着き場のわきにある建物の門の前で休んでいたら、建物からそこに住んでいるというイタリア人が出てきて話しかけてきた。自分は日本の企業に勤めていたことがあり、恋人もいる。日本人はいいが、アメリカ人はくるくるパーだとか、かたことの日本語を話す。ガイドブックに「現在は水音と鳥の鳴き声だけが聞こえる、静寂の島」(『地球の歩き方』)とあったが、この島には男女少数ながら住人もいると教えてくれた。

 水上バスでブラーノ島へ。このレースが特産の島は、立ち並ぶ家屋の壁が美しいパステルカラーで塗り分けられていて、とても印象的だった。窓にはカナリアの篭。あちこち散歩していると、道のわきに島の可愛い女の子がふたりいて、ちょっとおいでという仕草をする。近寄ってみると、折りとったばかりの植物の茎のようなものを差し出した。汁をすってみてよ、ということらしい。KOKOさんが賞味して甘い味がすると言った。お礼をいうとはにかんだような笑顔ですまして会釈をした。思いかえせば夢のように甘やかな時間だ。発着所の正面の店で水上バスを待ち、光あふれる水と空を眺めながらカプチーノを飲む。

 いったんホテルに帰って休憩。夕食はサンタルチア駅近くのピッツェリアで。海の幸サラダと、ピッツァ・マルゲリータ。また路地のそぞろ歩きにくりだして、夕暮れのサンマルコ広場で、高名な映画のシーンみたいに、椅子席に座ってグラッパ、カンパリを飲み、ワインを買ってホテルに帰る。


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 5月23日(木曜日)快晴。
 ホテルで朝食をとる。今日は美術館へ。水上バスでアカデーミアで降りアカデミア美術館で、ヴェネツィア派絵画を見る。ヴェネツィア派絵画についてほとんど予備知識はなくて、そういう意味で期待していったのだが、特色ある宗教画が多く堪能できた。以前、ジョルジョーネの「嵐」について、若桑みどりさんの『イメージを読む』(筑摩書房刊)での印象ぶかい解説(この謎めいた作品についての多様な解釈の紹介)を読んだことがあり、すっかり忘れていたのに、ふいに実物に出会って記憶が蘇ってきて感動した。

 アカデミア橋横のレストランでカプチーノを飲み、近くのグッテンハイム美術館も見学。こちらは、キュービズム、ダダ、シュールレアリズムの画家の作品のコレクション。展示室もモダンで入場者層もヨーロッパの若い学生が多く、いっきょに歴史を飛び越えたようで、がぜん雰囲気が違う。明るい庭のある感じのいい建物だ。

 徒歩でサンマルコ広場まで出てサンマルコ寺院を見物。さらに足を伸ばしてリアルト橋市場で洋なしを購入。

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 リアルト橋周辺の路地を散歩しながら、かってヴェネツィア建築大学に留学されていたという陣内秀信さんの著書『ヴェネツィア』(講談社現代新書)に載っていた古いオステリア(居酒屋)を探す。あいにく時間があわずに休みだったが、どうにか見つけることができたので場所を確認。明日来ることにして、水上バスでフェロービアに戻る。

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 グランカナルを行き来する水上バスは、市民の通勤用にも使われているので、時間帯によっては結構混みあうが、車掌が、つぎに停船する場所を告げる際の独特の抑揚のある肉声や、船の発着のさいの綱さばきは魔法を見ているように見事で、とても風情があって飽きない。ホテルに向かう途中の店でサラダ、スパゲッティ、ワインの夕食。



3 散策日和     Indexへ

5月24日(金曜日)快晴。
 ホテルで朝食。今日は単独行動。9時にホテルを出る。水上バスでサンマルコ広場まで行き、タバッキ(煙草屋)で絵葉書一枚と切手を買う。どの地域に出すのかと聞かれたらしいのだが、早口のイタリア語なので一瞬頭が真っ白になる。しばらく口ごもった末に、ようやく日本と答えたら、その分の送料の切手をくれた。

 海洋史博物館を見る。ここには中世、近世の精密な船の模型、古い要塞の地図などが展示してあり、入場者に若い人や学生が多い。ところどころ欠けおちて古色を帯びた船首像など、海洋都市国家ヴェネツィアの歴史を感じさせてくれて、なかなか感慨深かった。もちろん、ディオラマもあって模型好きの私には興味がつきない。

 サンマルコ広場で休憩しながら、葉書を書いて投函。通りすがりのご婦人に、日本にだすには、二つ並んだポストの受け口のどちらに葉書を投函すればいいのかを尋ねると親切に教えてくれる(身ぶりに注目)。並木のあるガリバルディ通りの前では初めて有料トイレに入った。自動ドアの出方がわからず、うろうろ迷っていると見張り番みたいな婦人がシニョールと声をかけて、大きな円形の赤いスイッチ(あまり大きいので非常用ボタンだと思いこんでいた)を教えてくれた。私は、このへんで、非力な初心者ぶりを発揮していて小学生のような気分。

 並木道のベンチで休み、市民公園を覗く。このあたりはヴェネツィア本島では珍しく樹木が多くて、爽やかで気持ちの良い場所だ。引き返して北上し、陸続きのサンピエトロ島のサンピエトロ寺院へ。入り組んだ路地、目の前にぱっとひらける小さなカンポや運河に出くわすのは、散策というより彷徨に近くて楽しい。観光都市ヴェネツィアでもこの辺は周辺地帯らしく、いかにものどかな漁村というたたづまい。洗濯物の白さがまぶしい。

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 昼過ぎにサンマルコ広場に戻り、正面に浮かぶサン・ジョルジョ・マッジョーレ島に水上バスで渡った。教会に入るとひんやりしてほっとする。扉が半分開いていたので教育施設みたいなところに入って庭を撮影していたら、ノン・ヴィジターレ!(観光客お断り!)と言われてすごすご引き返す。

 サンマルコ広場に戻り、レストランの路肩の椅子席でホットドッグとコーラを注文して軽食。外部からみると上の部分を修復中のようで、昨日は入れないと思いこんでいたカンパニーレ(鐘楼)の入り口に観光客が並んでいたので、私も列の後につく。エレベーターで上がって、鐘のある展望室からの眺めはすばらしく、東西南北をカメラで撮りまくる。

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 遠くまで灰白色の壁と茶褐色の屋根で埋め尽くされたヴェネツィア市街も美しいが、特に海を臨む方向がすてきだ。そこからは、さきほど訪れたサン・ジョルジョ・マッジョーレ島が、おだやかな青の絨毯のうえに、くっきりとその優美な輪郭をあらわにしているのが見える。

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 再度、路地めぐり。リアルト界隈を散策。

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 通行人は足が早い。ヴェネツィアの人は子供の頃から鍛えているので健脚という話を思い出す。面白がって、路地に並ぶ商店をウィンドウショッピング。ガラス、仮面、靴屋、、。ここではコーヒー百グラムで2千〜3千リラで売られていることなどをチェックする。

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 夕方、リアルト橋のうえで、待ち合わせていたKOKOさんと合流。昨日見つけて置いたリアルト市場近くの居酒屋「ド・モーリ」(二人のムーア人という意味)へ。

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 1863年に書かれたタッシーニの本に登場するという古い居酒屋(陣内秀信『ヴェネツィア』)。そういえばオセロはムーア人だった、などと。ワインを二人で6杯、肉団子や、小さいタマネギのような酒の肴(これがおいしい)を注文して飲む。薄暗くて雰囲気のある店で、とても気に入った。水上バスでフェロービアまで帰り、駅近くのピッツエリアでカプチーノを飲み、アクアミネラーレの大瓶を買って帰る。



4 フィレンツェ     Indexへ

5月25日(土曜日)晴れ。
 サンタルチア駅でハムサンドとカプチーノの朝食をとり、7時45分発、ラピド(特急)で一路フィレンツェへ。ビジネスマンみたいな若いイタリア人二人と向かい合って座った。彼等は、しきりにノートをとりながら仕事の話をしている。私たちに興味はあるのだが、話かけるのをためらっている様子。車中、ヴェネト、ロマーニャ地方の美しい農村風景を楽しんだ。10時45分フィレンツェ中央駅に着。

 当然のことかもしれないが、車両乗り入れ禁止のヴェネツィアからくると、フィレンツェは車も人も多いのが新鮮だ。駅の東側、中央市場近くのホテルを当たる。1軒目は満室だったが別のホテルを紹介してくれた。そのホテルを探すうちに、ガイドブック「地球の歩き方」の読者のおすすめ欄にあったホテル「サン・ロレンツォ」を見つけたが、そこも満室。明日からならということで、3日ぶんの予約をする。

 今日は、近くのホテル「ヴェネト」に投宿。ここはシャワー、朝食つきだが、なんと共同トイレという環境だった。フロントにいつも若い女性陣がいて、応対がきびきびしているのがとりえというところか。いかにも若い旅行者向けという雰囲気。宿もきまり、ピッツェリアで昼食。ピザ、ビール、アイスコーヒー。

 午後はドゥオーモ(サンタマリア大聖堂)を見てから、貴金属の店の並ぶヴェッキオ橋を渡って界隈を見物。お土産のピアスを買う。何度か往復することになった、サン・ロレンツォ地区からヴェッキオ橋までの、ほぼ南北に渡る通り(中心はカルツァイウォーリ通り)には、サン・ロレンツォ教会、ドゥオーモと洗礼堂、鐘楼、ヴェッキオ宮、ウフィッツイ美術館と隣接しているためか、日中は衣料品や土産物の屋台がでて、観光客や若者で、活気があるというか、ごったがえしている。

 煙草を喫いながら歩いていて、前から来た女の子に、シニョール、煙草一本くれない?と声をかけられた。思わず、どうぞと差しだそうとししたら、後ろを歩いていたKOKOさんが、ぴしゃりとノーと一声。ううむ。ワイン、ジュースを買って帰宿。


 5月26日(日曜日)薄曇り後晴れ。
 ホテル「サン・ロレンツォ」に移動。朝食なしシャワー付き。ホテルを出てすぐ近くのロレンツォ教会を見る。礼拝堂は閉館だった。

 今日は午前中にちょっと遠出。といっても30分弱で、駅前から7番のバスで郊外の丘の街フィエーゾレまで。ちょっとした坂を徒歩で登って、丘の頂上にある瀟洒なサンフランチェスコ教会からフィレンツェの眺望を楽しむ。

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 教会は白壁やステンドグラスが美しく、こじんまりとした佇まいが親しみやすい。至近にある、ポピーの花咲く古代エトルリアの史跡、ローマ劇場、浴場跡を散歩して、博物館も見学する。

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 バス停留所前でカプチーノ、トーストを注文。バスでフィレンツェへ戻る。

 まだ閉館時間に間に合いそうだからということで、フィレンツェ駅前から11番のバスに乗ってピッティ宮に向かうが、降りる場所が判らず(乗客がごっそり降りるのではないかなどと当てにしていたのがいけない)、あれよあれよという間にバスは終点まで行ってしまった。そこで地元の人に聞いて、折り返しのバスに乗ってローマ広場で下車。埃っぽい工事中の道を徒歩でピッティ宮をめざす。

 どうにかたどり着いたが、今日の閉館時間には間に合わず、併設されているボーボリ庭園を見ることにして長蛇の列に並んだ。庭園は坂の傾斜を利用して造られていて、頂上にある花壇の縁からはフィレンツェ市街が見おろせる。

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 可愛らしい帽子のような花の寺院の丸屋根がとても印象的だ。フィエーゾレからの景観が遠景ならば、ここからは近景というべきか。いずれにせよフィレンツェの街は距離をとって眺めると美しいが、市街に入り込むと人と車の喧噪にちょっと気後れする。庭園内のカフェでアイスティを飲み、ヴェッキオ橋を渡り、徒歩で帰路につく。

 ホテル近くのピッツェリア「ヌーティ」で夕食。かの有名な名物料理、500グラムのビステッカ・アッラ・フィオレンティーナ(ビーフステーキ)に挑戦して無事たいらげる。ホテルに帰り、食堂で宿の主人ロベルトさんにワイン「プルチャネッロ・ヴェリッキア・カンチーナ」を出して貰い、彼にも一杯すすめて、話しながら飲む。

 このホテルがガイドブック(『地球の歩き方・フィレンツェと中世ルネッサンス都市 ’96〜’97年版』)の、読者のお勧め欄に掲載されていたことは既に書いたが、彼の話によると、自分がこのホテルのオーナーになって、まだ2カ月ほどだということだった。前の女主人が老齢になってやめた後を継いだのだと言う。するとガイドブックの投稿欄に載って以降に経営者が代わったということになるのだが、このホテルは、私もお勧めしたい位、居心地がよかった。

 メルカート・チェントラーレ(中央市場)が目と鼻の先ににあるのもなにかと便利だ。KOKOさんの尋ね方がうまかったのか、ロベルト氏はフレンツェ生まれで、10年ほど前に現在の子供連れの奥さんと再婚したことなど、うちとけて話してくれた。ホテルは家族で運営しているようで、昼間は、その息子さんや奥さんがフロントにいた。


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フィレンツェの橋


5 買い物と美術館     Indexへ

5月27日(月曜日)
 今日は美術館が休みなので、買い物にあてる。午前中に通りがかりで見つけた「ナポリ銀行」で日本円をリラに換金。ヴェッキオ橋近くのアリタリアでリコンファームを済ませた後、文房具屋、衣料品店などで土産の品を物色する。タバッキで絵はがき1枚と切手を注文したら、親切に切手も貼って差し出してくれたのが嬉しい。ホテル近くの中央市場(ここは巨大なマーケットで、食料品が豊富)に寄って、パン、チーズ2種、サラミ一本、タコのオリーブオイル漬け、コロッケ2個、トマト500グラム、ワイン一本を買って、ホテルに帰る。

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 途中、中央市場の駐車場の前にあるペットの店の店頭で九官鳥を見つけた。私も日本で九官鳥(QQ)を飼っているので、この遭遇には感激。わが家のキューちゃんはオハヨウとかオゲンキデスカとか話すが、こちらはチャオ、ボンジョルノと流暢に話す(QQは、その後、ボンジョルノと話せるようになった)。KOKOさんがインコの値段を尋ねていたが、日本よりはやや安いとのこと。ホテルで休憩、仮眠。絵葉書を書く。

 再度外出。装身具やキーホルダーなど土産用品をみつくろって購入。KOKOさんにもひとつ。ホテルに帰って、市場で買い込んだ食品で夕食をとる。タコのオリーブオイル漬けが特に美味しい。興味津々で買ってみた大振りのコロッケは大味だが肉がたっぷりでまずまずいける。サラミはピリ辛のを買ってしまったが、ワインの肴にはあうというところ。フロントのロベルトさんに、アクアカルド(お湯)を頼むと、大きなアクアミネラーレの瓶にお湯を入れて持ってきてくれた。これで持参したパックの乾燥ライスをもどして、お茶漬けと、固形インスタントのフカヒレスープを食べて満足。

 このホテルで唯一の難点だったことをいえば、どうも一日中テレビの音量をあげて聞いている住人がいたことだ。昨晩も遅くまでうるさくて、KOKOさんが注意してもらいにいったが効果がなかった。今日もうるさいほどの音量なのでフロントにでむいたKOKOさんが、事情を聞いて戻ってきた。それによると下の階(ホテルではなくてアパートの一室)に耳の遠いオールドレディが独りで住んでいて、彼女が一日中テレビを見ているとのこと。そういうことならしょうがない。やはり皆さんにお勧めするのは、、、。


 5月28日(火曜日)晴れ。
 ホテルの部屋でパンで朝食。8時半過ぎに外出。

 サン・ロレンツォ教会に隣接しているメディチ家礼拝堂で、ミケランジェロがすべてを設計したという新聖具室にある「夕暮」「曙」「昼」「夜」の擬人像を見る。かってフィレンツェに遊んだシモーヌ・ヴェイユが、自らの工場体験を思い出させると書いていたので、これを見るのを楽しみにしていたのだが、私などには彫像の優美さばかりが印象的だ。ちなみにヴェイユは、もし、生まれかわりということがあるとしたら、私は前世はフィレンツェ生まれだったに違いない、と書いているほど、この都市の芸術文化に惚れ込んでいた。

 ヴェッキオ橋を渡り、パラティーナ美術館を見る。複雑な順路に迷うが、どうにかラファエロの「聖母子」に巡り会う。

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 これも有名な作品だが、以前から画集で魅せられて、楽しみにしていた絵画。豪華な金ぴかの額に納まっていた。思わずカメラのフラッシュをたいてしまい、これこれ、と注意される。

 バールでカプチーノを飲み、チェントロに引き返して、ウフィッツイ美術館を見る。ここはいつも、おそれをなすような入場者の長蛇の列が路上まであふれていたが、覚悟を決めて、その最後尾に並ぶ。ボッティチェリの大作はガラスごしなのが残念だが、実物にふれる感動は伝わってくる。楽しみにしていた黒いベレーのラファエロの自画像もしっかり見れたし、思いがけなくクラナッハが数点みれたのが印象的だった。デジタルカメラで、色々な画家の「受胎告知」の絵の天使の部分だけ何枚か撮影する。これは私の趣味。館内は広く整然としていて見やすい。屋上にある見晴らしのいいバールでカプチーノ、タルト。

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屋上から河を眺める

 土産物屋でトレイ、残り少なくなってきたカラーフィルムを3本買い足す。フィルムを買うときに、ハンドレッド?と聞かれて一瞬どぎまぎする。これはASA100と400の違いを尋ねられたのだったが、頭がうまくまわらないので、しばし空白状態。

 一旦ホテルに帰って休憩。夕方外出して、今日は中華料理店で食事。焼き蕎麦、春巻き、ワンタン、白ワイン半リットル。

 市場でリンゴ、ピクルス、キャンティの白ワインを買って帰宿。明日朝はやめにチェックアウトするつもりなので、フロントでホテル代とワインの代金を前もって清算しておく。ロベルトさんが、お土産にとフィレンツェのカレンダーをプレゼントしてくれた。



6 オルヴィエート     Indexへ

5月29日(水曜日)晴れ。
 フロントには誰もいなかったので、すりぬけて出発。来るまで待っていたら電車に乗り遅れてしまうので、料金を昨日支払っていて正解だった。8時15分発のローマ行きでオルヴィエートまで。KOKOさんが駅のチケット売場で料金をごまかされそうになったと言っていたが、もうあまり驚かなくなっている。駅のバールでカプチーノとトリアンゴロ(三角形のサンドイッチ)を食べる。

 ホームに行くが列車がきていない。掲示板の表示を確かめるといつのまにか出発ホームが変更になっていたので、あわてて、そちらに向かう。ここでもぼんやり待っていると、トラブルになりかねなかった。自分でスケジュールをたてて旅行する方はご用心を。

 オルヴィエートには10時15分着。私たちがここに来ることに決めたのは、すこし田舎に行ってみたかったのと、なんといってもワインの魅力である。

 「値段は安いし味はさわやか、それに何よりもあの美しい聖堂をとりまいていた空気がよみがえる!」(井上究一郎『幾夜寝覚』)。

 別にワイン通でもない私たちは、数年前、プルーストの研究と翻訳で高名な井上究一郎氏の、この『幾夜寝覚』という文学と美術の香り高いイタリア旅行エッセイを読み、オルヴィエート・ワインの存在を知った。

 井上氏が日本でも入手されていたという現地直接買い付けしているスーパーというのがKOKOさんの家の近在にあったので、でかけて、買ってみて、とても美味しかったので、ダースで買い込んで飲んでいたことがある。井上先生ごめんなさい。そういうわけで、オルヴィエートという都市そのものについての、由緒来歴などについての知識はほとんどないといういいかげんさである。

 駅からのチケットがケーブルカーとバス料金がこみになっていたのと、どこで降りるべきか(手元のガイドブックで、どこが観光の中心地かさえ調べてなかった!)判っていなかったので、戸惑い、結局ドゥオーモまでチケットを2度買いすることになってしまった。バスで無事到着して、KOKOさんが近在のホテルを探してくれている間、ドゥオーモ前の広場の正面の石のベンチに腰掛けて二人分の荷物の見張りをする。

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 ライターの火がなかなかつかないほどの強風だが、蒼穹にそそり立つドゥオーモの装飾(新旧約聖書の諸場面をこまかく再現した浮彫)が見応えがあっていつまでも見飽きず、少しも苦にはならない。鋭角的なドゥオーモの輪郭の傍らにうっすらと白い昼の月がかかっているのがなんとも印象的だ。

 そうこうするうちにKOKOさんが近在のホテル、その名も「ドゥオーモ」に二泊分決めて帰ってきた。広場からほんの数十歩という距離だ。朝食なし、シャワーつきのツイン。玄関口に小さな庭があって、赤い花がきれいだった。いったんホテルに入り、荷物を置いて外出。インフォメーションに出向いて地図を貰う。無料なのはないですかと尋ねると、去年のジャズフェスティバルの広告入りのパンフレットをくれた。隅っこに簡単な市街の略図が載っているだけだが、これで充分。昼食は広場近くの店でスパゲッティと白ワインですませる。さっそくバルビというオルビエート白ワインを別に買う。

 ポポロ宮殿を経て、サン・ジョバンニ教会のある旧市街の崖ふちあたりを歩く。断崖からの展望は絶景。

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 夕食はピッツエリア「ヴェッキア・オルヴィエート」で。ピザとビール。私はピザは、ヴェッキア・オルヴィエート(赤ピーマン、ウインナーソーセージ、チーズ、トマトソース)というのを名前にひかれて注文する。味つけは特に特殊なわけではなく、素朴な味わいだ。名称(古いオルヴィエート)をそのまま信じれば、トッピングの取り合わせがこの地方の古い由来なのかもしれない。

 中世に迷い込んだような旧市街の石畳の路地を暫く気ままに散歩して、チョコレート、煙草。文具店でスケッチ用にノートを買って帰宿。

 ホテルの窓の向こうに細い路地を隔てて屋根つきのレンガ塀があり、その上にネコが数匹登ってきて遊んでいる。隣室の住人がパンのかけらを投げてやっていたので、私たちも真似をする。



7 ヴォルセーナへ遠足     Indexへ

5月30日(木曜日)快晴。
 早朝にホテルをでて、一人で崖まで散歩。気分爽快で写真をとりまくる。崖の城塞の分厚い石塀にもたれて、独り悠然と煙草をふかしていた老人と、ゴミ捨てにでてきたたおばさんに挨拶する。

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 うむ、という感じの首肯の頷きも、木訥そうな笑顔もすばらしい。教会に続く見晴らしの良い崖の道では、彼等ふたりにしか会わなかった。この朝の瑞々しい風景と爽やかな大気の記憶を、私もまた、いつかオルヴィエート産のワインを口に含むときに、ひそかに蘇らせることができるだろうか。

 今日は遠足だ。

 9時に宿を出発。バルベリーニの白ワイン、オリーブオイル、サンドイッチ、水、トマト、スライスしてもらったハムを買い込み、徒歩でケーブルカーの駅前まで行く。近くのサンパトリツィオの井戸を見学。62メートルの深さの井戸の底まで螺旋階段を降りて見て、とりたてて、なにもないのでまた登る。くたびれたのでカプチーノを飲んで休憩。

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 オルヴィエートの坂を下り、F・クリスピ通りをネクロポリスまで歩く。横を車がとばして走る道路の脇なので、誰にでもお勧めできるルートではないが、坂からの見晴らしはよく、ずっと下りなので、天気の良い日に、のんびり歩くには気持ちの良い道。

 紀元前5世紀後半のエトルリアの死者の町ネクロポリスを見物。お墓の町ということで、ヴェネツィアのドゥカーレの牢獄みたいな陰惨さは感じない。さらに下ってオルヴィエートの駅まで歩く。途中で近道しようと、田舎道に迷い込み農家の庭先にでてしまった。畑では、私が子供の頃もっていたミニチュアの耕耘機と同じような車輪式の農耕器具が動いているのが懐かしい。

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爽やかな黄緑の葡萄畑のなかを日に晒された真っ白い道が続く。畑の葡萄の実はまだ小さいながら立派に房をつけていた。

 家の裏庭みたいなところの隅をかりて、斜面の中腹で、はるかにウンブリアの沃野を眺めながら、買い込んだ食料でワインつきの昼食をとり、駅までくだる。

 オルヴィエート駅のバールで聞くと、ヴォルセーナ行きのバスがあるとのことで、思いきって、足を伸ばすことにする。この時点でヴォルセーナについての知識はゼロに等しい。ただ地図のうえではローマの北にある大きい湖なので、保養地ではないかと目星をつけていた。多摩湖(東京近郊)みたいなフェンスつきの貯水池だったらどうしよう。などと言い合う。しかし、それだっていいのだ。湖が見たい!

 バスは田舎道を走る。途中から下車する停留所が不安になって、ふたりで運転席の横に移動。視界がひろく見晴らしがいい。緑、緑、緑。東の鉄道側から見ると今ひとつだが、西のこちら側から見上げるオルヴィェートの全容は、宮崎駿のアニメの舞台になってもおかしくない。丘陵地帯にそそりたつ半島のうえの城塞都市だ。午後の日差しを受けて、美しく、なぜかとても懐かしい。

 ヴォルセーナで無事バスを降りて、近くのバールの人に帰りのバスの出発時間を聞いておく。青年が時刻表のところまでつきあってくれて丁寧に教えてくれる。広場から美しい並木道を歩くと程なくヴォルセーナ湖畔に出る。

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 ここでは視界が一変して、岸辺の緑をとかしこんだ清閑な湖水の景色がすばらしい。予想があたって、別荘のならぶ瀟洒な観光地という感じ(帰国後、『地球の歩き方』のローマ編を見ると、小さいながら、観光地として記載があった。)だが、日本人はほとんどみかけない。

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 ボートが並ぶ突堤でひと休み。アクアミネラーレの小瓶に詰めてきたワインを湖水に浸して飲む。美味しい。湖に遊ぶ白鳥の姿を至近で眺め、湖畔のカフェでテ・フレッドを飲んで、ひとときの閑雅な時間を満喫した。

 さて、時間どうりに帰ろうと下車した広場まできたが、バスがとんとやってこない。アウトブス・フェルマータ(バス亭)だという広場のまんなかで、二人してぼんやりしているのをみかねて、警察官が、バスはもうないので、観光案内にゆけと声をかけてくれた。

 観光案内はすぐ近くにあった。そこで確認するとやはりオルヴィエート行きの今日のバスはもうないという。ヴォルセーナに接続するバスや近在の駅からの列車の時刻表をプリントしたものをくれるが、別の経路の回りかたも難しそうだ。しかしそれでは、さっきの時刻表はなんだったんだろう。

 仕方がないので、一台だけ広場に駐車していたタクシーの運転手と交渉すると、6万リラだという。観光案内で聞いたおおよその値段と随分違うので、まけてほしいというが、ゼスチャーで自分の首がとぶなどといわれて苦笑するしかない。背に腹は変えられないので、了承してタクシーで帰ることにした。ただしオルヴィェートの駅前ではなく、ホテルに至近のドォーモ前まで運んでくれたので大助かりだった。

 宿への帰りがけに、来店二度目にして、はやくもなじみになりかけたドゥオーモ広場近くの小さな食品店で、パン、バター、トマト、ハム二切れをスライスしてもらい、アクアミネラーレを買ってホテルに帰って食事。今朝オリーブオイルを買い込んだのは、これにピクルスが漬け込んである酢をミックスして、即席のサラダドレッシングをつくってみようという思いつき。スライスした新鮮なトマトにこれをかけて食べようと思う。お味のほうは、、、ぐぐ。



8 ローマ・バチカン     Indexへ

5月31日(金曜日)晴れ。
 今日はローマに出発。早めにホテルをチェックアウト。うかつなことに、ドゥオーモ前広場からのバスのチケット売場がわからない。タバッキは閉まっている。広場に巡回してきたバスの運転手に聞くと、車中でも買えるというので、これ幸いと乗車してチケットを買うが、ケーブルの駅まで一人1500リラ。行きの料金より400リラ高いが、理由は判らない(怪しい)。ケーブルに乗って、オルヴィエート駅に。

 駅でカプチーノ、クロワッサンの朝食をとり、ローマ行き9時6分発にのる。ローマまで1時間15分程度だ。車内で車掌さんが回ってきて、うっかりして駅で切符にスタンプを押し忘れたのを指摘されて慌てる。イタリアではれっきとした不正乗車ということになるのだが、親切な車掌さんで、自分でその場で切符に日付を手書きで記入してくれて、事なきを得た。

 座席に少年少女の二人組がやってきた。私たちの腰掛けているシートの前でたちつくし、二人で暗い顔でじっとこちらを懇願するように見おろしている。事情もわからず、黙っていると、暫くして後部座席に移動していった。前の座席のおばさんが、あれはジンガラ(ジプシー)の物乞いなのだと教えてくれる。妹のほうが病気という設定らしい。ローマで降りると、彼等がうってかわって明るい顔をして歩いているのをKOKOさんが見かけたというので笑った。

 ローマ、テルミニ駅に到着。構内では観光案内のブースを探すが、広くてなかなか見つからない。うろうろしていると、胸にインフォメーションのiの印の入った身分証明カードをつけた、レネさんとういう人に英語で声をかけられた。彼がこちらの要求(テレビとシャワーつきで、駅近くで、星ふたつ程度の安いホテルという条件)を聞いてリストからホテルを選び、電話をしてくれる。KOKOさんと彼が部屋を見に行くことになり、荷物を見張りしながら駅出口付近で待機。トトカルチョの券の売場の横で待つことにする。

 テルミニ駅の構内は、さすがに、さまざまな人種の人々が行き交うので、見ていて飽きない。旅行中、抽象的な言い方で申し訳ないが、非中心的な感覚とでもいいたい感じに何度か襲われた。これは旅行者独特のものかもしれないが、暗黙の情緒的な中心世界がどこにもなく、逆にそれぞれの個々人が確固とした(孤独な)中心であるような世界の整然とした均衡。うまく言葉にできないのがもどかしいが、この感覚は嫌いではない。

 KOKOさんと彼が戻ってくる。ホテルは、テルミニ駅近くの「シモーナ」。テレビとバス、シャワー、朝食つきで一泊15万リラという条件。一泊分先払いで、4泊に決めてきたという。これまでのホテルからすれば、やや高いが、ここはローマだし、朝食、テレビ、バス付きで駅に近くという条件を満たしているので、異存はない。ホテルの従業員らしい青年がついてきてくれて、両肩に荷物をしょってくれる。レネさんとはここで別れたが、彼とはこの先何度もテルミニ駅で会うことになった。KOKOさんの聞いた話では、レネさんはオランダ人で、観光旅行でローマに来たが、英語能力を買われて、インフォメーションの仕事につけたという。国外流出組、一種の出稼ぎなのかもしれないが、最近はイタリア人も英語を話す人が増えて競争が激しくなっているという。テルミニ周辺は危ないと聞いているが、というと、どこでも危険はありますよと言われたというのだが。

 ホテルで休憩。ここが最後の宿になるので旅装をとく。

 2時頃外出。メトロのA線(オッタビアーノ行き)でバチカンへ。つきなみだが荘厳な建築や内部装飾に威圧されるという感じだ。バチカンではやはりミケランジェロのピエタに注目。随分前から見たかったもののひとつ。ガラス越しで、距離も至近から鑑賞できる、というわけにはいかなかったので、ちょっと残念だったが。前の広場でKOKOさんはアイスクリームを買う。

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 帰路は徒歩でホテルまで、地図片手に迷いながら歩いた。途中で立ち寄った書店で偶然見かけたピエタの大判のポスターを買う。ローマの書店では、吉本ばななの小説3種類、村上春樹の小説を見かけた。割と目につきやすいレジの前に並べてあったので、売れている様子。買う人の何割かは日本人観光客かも、などと勝手に思う。テレベ川沿いの並木の通りの屋台でカフェ・フレッド(アイスコーヒー)を注文したら、これはぬるくてまずかった。もともとメニューにないものを氷をいれて即席でつくったらしい。喉がかわき、他の店でビールを飲む。

 夕食も途中のレストランテで、白ワイン半リットル、ラザニア、リゾット、海の幸のサラダ、烏賊のトマト煮。このうち、インサラータ・ディ・マーレ(海の幸のサラダ)は旅行中なんどか食べたが、当然ながら店によって分量も素材も様々で、でてこないとどんなものかわからない。取り合わせが絶妙などといわれる、生ハムメロンも、何度か食べてみて当たりはずれは当然あった。ワイン(オルビエートのビギの大瓶)、葡萄、トマト、煙草(ディアナの赤箱)も1カートン買ってホテルに帰る。

 煙草を買った時に、1カートンのことを、日本語で何と言うのか聞かれた。ええっと。



9 動物園とエステ荘     Indexへ

6月1日(土曜日)快晴。
 ホテルで朝食。ここでは朝食(甘いパンとコーヒー)をトレイに載せて、部屋に運んでくれる形式。時間を指定しておかなかったので、朝食を下さいと言いに行ったところ、英語が話せる昨日の青年が、別料金が必要だという。KOKOさんが英語で、マダムは昨日コン・プリマ・コラツィオーネ(朝食つき)だと言いました、と言い返す。やがてフロントにマダムがやって来たので話すと、こちらではにこやかに、何も心配ないわといわれた。連絡がついていなかっただけのことらしく(彼も聞いていたはずなので、ちょっと怪しいが)、一件は落着。

 9時半頃外出。徒歩でヴォルゲーゼ公園へ。ここは気持ちのよい広大な緑地帯。

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 犬の散歩などをしている人がめだつ。一画に庭園動物園があるのを地図で見つけて、ほう、それではと行ってみることにしたのだ。動物園では、檻の中など、あまり手入れが行き届いていないのが目についたが、来園者はイタリア人の親子連れがほとんどで、彼等の表情が穏やかなので、ほっとする。母親が幼児に小動物を指さして、ピッコラ、ピッコロなどと言っている。園内の店でレモネーテを飲む。動物では、狼がよかった。もちろん、これはほとんだ好みの問題だが。公園内の競技場では、ちょうど乗馬の障害競技をやっていたのにでくわした。ホテルに帰ったあとテレビでその中継をやっていた。

 公園から、徒歩で近くのスペイン広場へ。階段を登った小高い場所からローマの近傍が見渡せる。そこからメトロに乗ってテルミニまで(三つ目)帰ろうとして、観光旅行者に自動販売機の前でチケット購入の仕方を教えている男の人に、テルミニまで行きたいのですがというと、おおげさなジェスチャーで、ウノ、ドゥエ、トレ、といわれ、たったの3歩じゃないか、近いから歩いていけと言われて、相手にしてもらえず、思わず苦笑い。仕方がないので、徒歩でホテルに帰ることにする。

 途中、道ばたで「地球の歩き方」を開いている日本人女性に、声をかける。私たちはローマに行くならヴィッラ・デステも素敵よと知人に聞いていたので、気分しだいで行ってみてもいいつもりになっていたのだが、かんじんの、ローマ近郊に関する手持ちの資料がゼロなのだった(最終到着地のローマでは、バチカン見物と買い物程度できればいいと考えていたので。市街の地図はホテルで貰った)。

 そこで、すみませんが、ちょっとそのご本をお見せ願えますか、と申し出たのだった。彼女の持っていたのは分厚いヨーロッパ全体を扱ったもので、ヴィッラ・デステに関しては載っていなかったたが、別の話を聞けた。私たちが、これも気分しだいで日帰りで行こうなどと思っていたナポリに、行って来たばかりだというのだ。彼女の印象は悪く、海にでるならともかく、市街は悪臭がひどく、走り回る車のスピードもローマの比じゃないと言われた。立ち話をしていると、そこに旦那さんが参加。こちらは、犬の糞尿の臭いがしていたなどと、ダイレクトなことをいう。それでナポリ行きは今回は見合わせることにした。彼等は2カ月かけてヨーロッパをまわっている途中だという。どうぞ、お達者で、と別れる。

 オステリア、ピッツェリアの表示がある「スカリナータ」という店で昼食。生ハムメロン、スパゲッティ・ボンゴレ、オッソブーコ・ディ・ロマーナ。KOKOさんは、フィトッチーネ・アル・フンギ・ポルチーニ、タルトのドルチェ。他にエスプレッソ。白ワイン半リットル。その後、ローマ三越で買い物。ホテルの近くで水とピクルスを買う。

 5時頃ホテルにつき、せっかくなのでテレビを見る。イタリアのテレビは24時間放映でチャンネル数も多いが、古い映画(「アフリカの女王」をイタリア語吹き替えで、しっかりみた)、派手なバラエティのクイズ番組(「ルナパーク」というのを、これもルナロッソ組が高額賞金を獲得するまで、しっかり見た)、健康器具や宝石、絨毯のコマーシャルなどが目につく。ニュースは判らないが、天気予報などは役にたつ。変わったところでは、ジンガラの占いや身の上相談など。通信販売では、さすがに、インターネットの住所なども取り入れている。日本製アニメではセーラームーン、ドラゴンボール。みんなイタリア語吹き替えなので、食事の場面など、違和感がないのだろうかと注目していたら、セーラームーンでは、なにか抽象的なものを食べていた。


 6月 2日(日曜日)快晴。
 ホテルで朝食。ヴィッラ・デステまでの道順を観光案内所で聞こうとテルミニ駅に行くと、ホテルを紹介してくれたレネさんに運良く会うことができた(向こうは駅構内が仕事場なので当然かもしれないが)。道順を丁寧にに教えてもらう。その指示に従い、メトロでB線の終点レビッビアまで行き、バスでチボリまで30分。バスは途中からくねくねした山間部を登り、ちょっとした郊外の観光地、ヴィッラ・デステにつく。

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 緑の多い人工的な庭園内のあちこちに配された噴水と、高みからの眺望が印象的。

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 別荘の室内の壁に直接描かれている絵は襖絵みたいな感覚だろうか。店でそれぞれカプチーノとカフェラッテを飲む。

 帰路にはレビッビア行きのバス停留所が判らなくて迷うが、観光地なので、尋ねる人には事欠かない。無事ローマに戻り、テルミニ駅近くのロスティチェリア(日本でいえば、カウンターのみのラーメン屋みたいな、簡易食堂といったところか)で昼食。ルコーラとチーズのピザ(二人前)、鳥肉の煮込み、ライス入りのコロッケ1つを、カウンター越しに指さして注文する。他にコークをふたつ。こちらのコークは、甘い。ルコーラは、かみしめると、ちょっとゴマあえした青菜の風味があるサラダ菜で、宮本美智子さんの著書『トスカーナの優雅な食卓』(草思社)で知り、楽しみにしていたもののひとつ。ちょっとした遠出を終えて、ホテルで休憩。

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 9時過ぎに市街に散歩に出る。食品店をかねたバールでグラッパ、KOKOさんはワインを飲む。デジタルカメラのレンズのある部分を逆向きに回転させて、自分たちを撮影しようとしていると、カウンターの中から青年が二人の写真を撮ってくれる。デジタルカメラに興味を示したようで、値段を聞いてきたのでリラに換算して答えると、ふーんという感じで、ちょっと沈黙。日本ではこれでも一番安い機種なのだが。

 その店でワイン(バルドリノ赤)とポテトチップスを買って宿に帰る。宿では、フロントの番をしていたちょっと恐そうな太い眉の青年に、インスタントのスープを飲みたいので、アクアカルドを持ってきてほしいと頼む。運んできてくれた青年にチップをあげようとすると、受け取ってくれない。そこで、持参した紙コップに入れたワインを一杯進呈する。こちらは喜んで受け取ってくれた。さっそく固形のフカヒレスープを湯に溶かして飲む。もちろんワインも。



10 ダ・ヴィンチ展を見る     Indexへ

6月 3日(月曜日)快晴。
 部屋に朝食を運んできたのでドアを開けると、昨日の太い眉の青年が愛想良く日本語で「オハヨウゴザイマース」と言ってくれたのには驚いた。なんというべきか。

 朝食後、テルミニ駅へ。今日はイタリア滞在最終日なので、アリタリアの窓口に並んで、明日のローマ空港までの列車のチケットを買っておく。メトロでスペイン広場へ。大都市だけあって、朝のメトロは満員電車。ドアは激しい勢いで少し外部に膨れるように開閉するので、ちょっと恐い。こちらでは、込み合っていると、次の駅で降りる人が前もって扉付近にいる人に声をかけて、場所を代わってもらうという習慣が浸透しているようだ。そういうやりとりを見たし、私自身も若い女性に声をかけられ、最初ぎょっとした。ついでに言えばメトロの車両内のポールなどの鮮やかな赤い配色。これがイタリアの感覚なのだなあと、感心したことだった。

 スペイン広場につく。旅行解説書に紹介されていた革製品と文房具の店が目当てだが、開いていない。10時過ぎまで時間をつぶし、クローチェ通りにあるバールでカプチーノを飲む。目当ての文房具屋の前にいた男性に聞くと、すげなく、ポメリッジョ(午後から)と言われる。仕方がないので、時間つぶしを兼ねて、近くの建物に大きい垂れ幕を下げて「ダ・ヴィンチ展」の広告がでていたので、そこに入ってみる。

 建物の入り口で、展示の関係者らしい人に開館しているか確認すると、絵や作品はないですよ、と言われる。それでもいいと、入ってみると、ダ・ヴィンチの例の有名な手記をコンピューターに取り込んだ画像が展示してあった。いくつものパネルに彼の生涯や手記の由来や解説が(英語でも)あり、そのひとつには、近年行われたオークションで、マイクロソフト社の若き社長ビル・ゲイツ氏が、それまで所在が転々としていたレオナルドの手記を落札したというような経緯が書いてある。室内には、コンピューターがずらっと並べてあって、入場者が自分でマウスを使って、画像化された手記の好きなページを開いたり、拡大できるようになっていた。なるほどねえ、と、あちこちいじってみる。他の部屋では、ビル・ゲイツ氏本人や学者たちの登場する短編ビデオも上映していたので、解説部分はイタリア語で意味不明ながらも、ついでに眺めた。

 目当てにしていた店がいつまでも開く様子がないので、徒歩でヴェネツィア広場へ。

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 フォロ・ロマーノの廃墟を高みから眺め、コロッセオまで歩く。日差しが強くてめげる。昨日のテレビの天気予報で今日のローマの最高気温は29度とあったのを思い出す。コロッセオ内部を半周して、日陰にある巨大な石柱のうえで座り込んでひと休み。さすがに草臥れたので、テルミニまで二駅だがメトロに乗って、ホテルに帰る。

 シャワーを浴びて休憩。シャワーのついでに書くと、私たちの泊まったイタリアのホテルの洗面所やバスには栓がなかったので、持参した旅行用の洗濯もの干しセットの中にあったビニール製の吸盤を、ひっくり返して使った。栓の代用にゴルフボールを持って行くという方法もあるらしいが、ビニールの吸盤は軽くていいと思う。洗面台の水槽に、これで栓をして冷水をためて買ってきたワインやトマトや葡萄などをひやす。またナイフでアクアミネラーレの大瓶のポリ容器の底の部分をきって器にすると、けっこう食器として使える。今回私たちの泊まったようなランクのホテルではツインの部屋に洗面用のコップがひとつしか置いてないところもあったので。

 夕方から単独行動で、私だけ昨日買いそびれたローマ三越で土産を買う。ついでに地下の休憩所の自販機で小銭を無くすためにコーラを買って飲む。6時過ぎにホテルに帰ると、KOKOさんが戻ってきて革手袋を買ったという。では私も、ということで二人で外出。ここでちょっとした事件に遭遇した。



11 とんでもない店     Indexへ

 そこはホテルからほど近い革製品を商う小さな店だった。バックスキンの革手袋を表示の6万9千リラから6万5千リラにまけて貰ったところまではよかったが、いざ支払う段になって、金額を英語で聞いて、とっさに65万だとKOKOさんが勘違いして私に告げた。なぜか私もそれを信じてしまい、財布に残り乏しくなっていた手持ちのリラではとても足りないので、とりあえず30万リラぶんの大型紙幣をカウンターに並べて、残りをKOKOさんから借りようとしていると、一瞬の間に、店主が、その紙幣を持ち去ってレジにしまい込んでしまい、5千リラの釣りを差し出して、これでよいと言われた。

 まだ事態が飲み込めていないふたりは、そうかそうかとお礼を言って店をでたが、程なくごまかされたことに気がついた。さっそく、店にとって返して、私たちは支払いすぎたのでお金を返してほしいと店主に抗議をする。

 親父はしらばっくれて、わるびれもせずに、さっき貰ったのはこれだとレジから青っぽい中型紙幣(1万リラ)の束を取り出してきた。1万リラ札7枚だったと言いたいのだろうが、カウンターから消えたのは、10万リラ札2枚と5万リラ札2枚で、大型紙幣で色も違うのだから、間違える筈もない。電卓を出して計算してみせたり(こちらが、簡単にひきさがりそうもないという姿勢が肝心)、KOKOさんが「私たちは明日、日本に帰るので、お金が必要なのだ」とか、「あなたは計算を間違えたのです(盗んだのではなく)」とか、「これは、あなたの店の評判にかかわることですよ」などとといって延々と交渉すると、ようやくしぶしぶと返してくれる。まったく油断もすきもないとはこのことで、もちろん油断や隙が此方側にあったのだが、なんともどっきり体験だった。

 ところが劇的なことは続くものだ。その後、夕食の買い物をしようと、目当ての食品店に急ぐ途中で、KOKOさんと私の距離がちょっと離れたとたん、地元の路上にたむろしていたとおぼしき少年二人が彼女の後を追い始めた。私も急ぎ足で後を追ったが、シャッターの閉まりかけた店に彼女が急ぎ足で入った後、少年ひとりは、私に気付いたらしく、不自然なしぐさで立ち止まり、ショウウィンドーをしきりに覗き込むふりをしている。私が彼女の後を追って店に入ると、店主が何かこちらに向かって大声で話してかけてきた。

 最初は、もう店はおしまいだから、出ていけといわれたと思ったのだが、そうではなく、もう、かっぱらい少年は行ってしまった(おっぱらってやったから?)心配ないよと言ってくれていたらしい。彼女はまったく追跡されていたことに気がつかなかったらしいが、見るとショルダーバッグの口を閉め忘れていた。少年たちは、街頭で、それをめざとく見つけたらしい。バッグの口は、さっきの革製品の店でのやりとりで電卓を使って、それを仕舞った時にチャックを閉め忘れていたのだ。あんな一件が落着したばかりで、思わず安堵してチャックを閉め忘れるのは誰でもやりそうなことだが、そんな観光客のちょっとした隙を見逃さない不良少年君の眼力には恐れ入ったことだった。

 結局、その店では、ワイン(カステル・ダラゴーナ)と水を買って、一昨日昼食を食べたロスティチェリアに向かい、カウンターのガラスケースに並んだ食品をみつくろって、テイクアウトしてもらう。ハム4枚をスライスしてもらい、ズッキーニの炒めもの、レモンつき魚のフライふたきれ、パンを購入。

 宿の部屋に帰ると、机には洗濯ばさみが沢山あって、窓の外のロープにも洗濯物が半分位干されている。いかにも洗濯ものを干している途中で、私たちが早めに部屋に帰ってきたので慌てたという様子がありありと見て取れた。気の毒なので、フロントにでむいて、どうぞ作業を続けてくださって構いませんよと声をかける。青年は、それではお言葉に甘えて、という感じで、部屋に洗濯物をもちこんで無事干し終えた。

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(手前の窓際と、やや離れた右手の建物の壁の同じ階の窓際に、滑車が打ち込んであって、ロープがその間にループ状にはってある。そこで順番にロープの一方を手元にたぐりながら順番に洗濯物を干して行くという仕組み)。

 今日は、イタリア旅行最後の晩餐。鯵に似た魚のフライは白身であっさりとして旨い。ズッキーニも、スライスしてもらったハムもワインもそれぞれ美味しかったので満足。例によってホテル料金の清算をすませ、荷物の整理などをする。



12 旅の終わりに     Indexへ

6月4日(火曜日)
 今日は最終日。例によって「オハヨウゴザイマース」の声を聞き、遅れ気味の朝食を取る。8時40分頃宿を出て、テルミニ駅へ。よほど縁があったらしく、このときも、偶然、駅前で、出勤途中のレネさんとはちあわせたので、お世話になったお礼と別れの挨拶をする。駅構内で、KOKOさんは「ア〜リベデ〜ルチ ロ〜マ〜」などと歌って(ううむ)、楽しい雰囲気で別れた。

 空港では、成田行きの旅客機の出発が一時間ほど遅れたが、それは、この二週間の晴天続きの旅行で私たちが初めて目にした、イタリアに降る雨のせいだった。


おわりに

 今回の旅行は二週間連日晴天続きだった。旅行の一週間ほど前に、インターネットでヴェネツィアの天候の短期予報などを下見したときは雨や曇天が多かったので、一応覚悟はしていたのだが、結局杞憂に終わった。

 振り返れば、その場の思いつきで、天気が良くなければ、とても楽しめそうもない場所にもいくつか行ったので、その点ではとても恵まれていたと思う。ホテルを予約せず、着いた先々の都市で探す、という方法も、訪れたのが、事務的な英会話の通じる観光都市ばかりだったせいか、ほぼ順調にいった。

 もちろん、これは星ふたつランクの安いホテルで、シャワー、トイレつきのツインもしくはダブルルーム、といった程度のささやかな条件においてである。バスやテレビや冷蔵庫や電話も欲しいというむきには勧められないし、季節の条件もあるだろう。私たちの旅行は、冷暖房の必要のない時期だったので、そうしたことを配慮しないですんだのだった。

 今回の旅行で、イタリアの食物や絵画や遺跡や建築や自然の景観、どれも私達を満足させてくれた。だが綿密な下調べやスケジュールをたてていったわけではないから、2週間の旅行にしては、私たちが触れ得たイタリアの文化遺産や文化施設は僅かなものだったと思う。

 そのかわり、私たちは地名も知らなかった湖や、ローマの動物園に気ままに足を運んだ。ヴェネツィアの迷路のような路地を心ゆくまま、さまよい歩けたのも忘れられない思い出だ。バールの暗がりでワインを傾け、市場で買ってきた惣菜と美酒にホテルの部屋で舌鼓をうった。

 イタリアにいるという旅の時間そのものを充分に楽しんだのだと思う。




97.5 この文章は、96年6〜7月にNiftyサーブのイタリア旅行フォーラムに少しずつ掲載したものです。旅行中のメモをもとに、記憶がホットなうちに書いたので、雑然としていますが、個人的には懐かしい記録となりました。今回Home Pageに掲載するにあたってすこし手直ししました。     Indexへ

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