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フランス気まぐれ旅日記


10〜27 May.1999

Index

1 はじめに   2 パリ   3 アヴィニヨン

4 セト   5 エクス・アン・プロヴァンス   6 マルセイユ

  村松剛訳「われらの海」(海辺の墓地 初稿)
1 はじめに


 フランスに旅行しようと決めてから、いくつかの関連書物を読み返したりした。例によって目的があっての旅行ではなく、そういうプロセスのなかで目的らしいものが浮かび上がってきて、あそこもここも行ってみようなどと、だんだん輪郭がはっきりしてくるという、いたって気まぐれかつ安易な旅行計画である。私の場合、フランス関連書物といっても、若い頃から無意識に愛読してきた文学系の本にたよることになり、それらとの接点をたどるという感じになる。それは一面記憶をめぐる旅であり、積年の文芸ミーハー気分を満喫できる旅ということにもなりそうだ。

 実質16日程度の旅程の大枠は、前半がパリ、中頃にアヴィニヨンに南下して、エクス(エクス・アン・プロヴァンス)を中心にプロヴァンス地方のいくつかの都市に逗留して、マルセイユから帰国としようというもの。航空機の搭乗券予約の関係で、出国日と帰国日だけは動かせない。他にはパリ滞在の最初の二日間のホテルの予約。またフランスの新幹線に相当するTGVは、全席指定なので、これを利用する移動日も早々に確定しておいて、後は逆算してどこに行けるかと考える。

 前半パリの雰囲気を味わって、後半はプロヴァンス地方のエクスあたりで、ゆっくり過ごしましょう、という流れのなかで、パリではモロー美術館とモンマルトル墓地にあるギュスターブ・モローのお墓。ちょうどバーン・ジョーンズ展を開催しているとの情報を得たので、オルセー美術館。南仏方面では、セトにあるポール・ヴァレリーの海辺のお墓。あとはプロヴァンスの沃野の眺められる見晴らしのいい場所に行ければいい。できればおまけで(交通が不便なようで実現が危ぶまれたが)、ラコスト村にあるサド侯爵の居城(廃墟)がみたいなあ。というのが、ささやかな?(^_^;)私の希望。これらは運良くすべて実現したのだが、ほかにも構想を膨らませている時点で、いろいろおまけがつきはじめた。

 まず旅行会社との折衝で最初に二日間宿泊するホテル「マドリッド」が決まった時点で、その住所を地図で調べていて驚いた。パリ9区のフォーヴール・モンマントル通りに面したグレヴァン博物館(蝋人形館)の先から、ちょっと小道に入った所にあるそのホテルは、かってイジドール・デュカスが住んでいた場所の至近にあるのだ。イジドール・デュカスとは、散文詩集『マルドロールの歌』の著者、かのロートレアモンの実名。南米生まれのこの詩人は、1867年秋から3年間パリに住み、1870年11月24日に24歳の若さで急死している。そのパリ在住の三年の間に、彼が詩作に没頭しながら渡り歩いた4つの住居(かってはホテルだった)が、私たちの投宿するホテルの周囲数百メートル四方に集中しているのだ。『マルドロールの歌』のなかで、ロートレアモンが美少年を誘惑して殺してしまう有名な「第6の歌」の舞台も、近辺の証券取引所のあるヴィヴィエンヌ街の一角あたりからはじまる。

 こういうことを何故知っているかというと、出口裕弘氏の『ロートレアモンのパリ』(筑摩書房)という本からの受け売りである。この本はパリにおけるイジドール・デュカスの足跡を克明に調べた出色の評伝であり、20数年前の当時モンマルトルのアパートに滞在していた出口氏が、実際に足を運び撮影したデュカスの住居跡の写真なども掲載されている、とても面白い本だ。

 ところで、この『ロートレアモンのパリ』には「パリで一番安くて、そんなにまずくない」というふれこみのシャルチエという名のレストランが登場する。出口氏は知人に教えられてそこで食事をした後で、そのレストランの所在番地が、かってデュカスが息をひきとったホテルと同じだったことを知って偶然の奇縁に驚く、という嘘のような本当の話が載っている。そして、それから20数年を経た現在、シャルチエ(シャルティエ)は、ガイドブック「地球の歩き方98〜99版」に「古き良きパリの時代の面影の残る」お勧めレストランとして掲載されていたのである(このことを出口氏はご存知だろうか)。

 出口氏の本から教えられた別のことを書くと、パリには19世紀から様々な場所に作られたパッサージュと呼ばれる屋根付き小路があり、今でも古い時代の面影を残しているが、そういう小路のうち、パノラマ小路、ジェフロア小路、ヴェルドー小路というのが、やはりホテル「マドリッド」の至近にあることが知れる。今ではさびれているが、ロートレアモンが住んだ当時には、この界隈は、知的にも風俗的にも、パリの聖地だったという。こう情報がインプットされてくると、なんだか偶然きまった私たちのパリの最初の宿の界隈が、行く前から親しく思えてきて、なんだかパリに招かれているような気分になってしまうのだった。

 そこで、私のさらなる要望としては(^_^;)、20数年前の出口氏にならって、イジドール・デュカスの住居跡の撮影をしたい。シャルチエなるレストランで食事してみたい。パッサージュを歩いて見たいというのが付け加わったのだった。もうひとつ書いておくと、やはりホテルにほど近い場所にある証券取引所というのは、ポール・ヴァレリーの『テスト氏』にも登場する。テスト氏は、なんとも抽象的な生活をしている知性の怪物のようなヴァレリーの想像上の人物だが、彼は証券取引所に勤めて株の仲買人みたいなことをやっていたことになっている。そこで、空想とはいえテスト氏が当時賑やかだったパッサージュをうろつき、たまにはシャルチエで食事したに違いない。などと考えるのも楽しい。と、こういうことを書いているときりがないので、そろそろメモと記憶をたよりに再現してみた旅行日誌に。。。


2 パリ     Indexへ


パリへ

5月10日(月曜日)KOKOさんと成田発スイス航空で正午に日本をたつ。途中チューリッヒ空港でパリ行きに乗り換え、パリに着いたのは午後7時頃。日本時間では深夜2時過ぎになっているはずで、時差の関係で約7時間得をしたことになるが、体のほうはやや変調気味。空港からロワッシー・バスでパリ市内のオペラ座前まで40分。バスがのパリ市街に辿り着くと、暮れかけた夕闇のなかにライトアップされた古めかしい建築群が、なんとも印象ふかく目にしみいってくる。オペラ座前に到着後、グレバン博物館(蝋人形館)近くのホテル「マドリッド」まで、まだ通行人で賑わうイタリア大通りからモンマルトル大通りにかけて地図を片手に歩く。


ホテル探しの後、パッサージュを歩く

5月11日(火曜日)曇天。ホテルの食堂で朝食をすませ、明日から泊まる宿を探しにでる。地下鉄リューモンマルトル駅窓口でカルネ(10枚綴り券)を購入。バスチーユで下車してから、広場にあるカフェ「カフェ・デ・ファール」の所在をちょっと確認して、スナップ撮影。

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 ここは92年からマルク・ソーテが哲学ディスカッションをはじめたカフェで、日本でも話題になった『ソクラテスのカフェ』(紀伊国屋書店)の現場。同書によれば、96年の時点で、彼のはじめたディスカッションは、フランス全土で100あまりのカフェに飛び火して、社会現象になった、とあるが、今でもやっているのかどうか知らない。至近の国鉄のリヨン駅へ。ここで16日に予定しているアビニョン行きのためTGVの指定席乗車券を購入。

 セーヌ河の中州にあるサン・ルイ島、シテ島を歩く。サン・ルイ島はボードレールが若い頃に住んだホテルがあったところで、その住所を確認。

ARCHボードレールの住んだホテル

 サン・ルイ島で立ち寄ったアン・リル教会では、偶然お婆さんの弾いていたオルガン演奏を聴く。ヌフ橋(ポン・ヌフ)を渡り、サンジェルマン・デ・プレへ。

 宿はセーヌ左岸でと決めていたので、界隈でホテルを探しながら、カフェで休憩。なかなか良い宿(安い宿の事だが)が見つからず、メディスン通りを歩いてソルボンヌの方角に抜け、サン・ミッシェル大通りとパリ第三大学の間のソルボンヌ通りにあるホテル「ジェルソン」をみつけ、KOKOさんが、部屋をみせて貰ったうえで、同じ部屋でなくても同条件で、とという確認をとってから、明日から4泊分を予約。フロントにいた若い女性は、セイムセイムと言っていたのだが。。。ホテルから歩いて5分もかからないところにある青葉の茂るリュクサンブール公園で一休み。

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 地下鉄でリューモンマルトルに戻り、ホテル「マドリッド」近くのスーパーで食品(ワイン、サラダ、チーズ)を買っていったんホテルに帰る。さっそく紐つきで首からぶらさげていた老眼鏡を紛失したことに気づく。。

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 夕方からホテルを出て、パッサージュめぐり。ついでに南北に歩き回ってイジドール・デュカスゆかりの住居跡の写真を撮影。レストラン「シャルティエ」で夕食をとることにする。

ARCHシャルティエ

私は願望を着々と満たしている。1896年開業当時から内装はほとんど変わっていないという「シャルティエ」店内の雰囲気はなかなかのもの。しかししかし有名になると味はかわるのか、フランスでスパゲティ・ボロネーズなどを頼んだ私がいけなかったのか、麺はのび、味はコンビーフに似ていると的を得たことを味見した同伴者がいう。ハウスワインの味もいまひとつ。ううむ。。ちなみに値段を書いておくと、トマトサラダ、スパゲティ、白身魚の揚げたもの、ハウスワイン二分の一を頼んで、二人で109フラン。日本円で二千円ほど。


マレ地区をめぐって運河へ、さらにオルセー美術館

5月12日(水曜日)曇り時々雨。ホテルで朝食後、地下鉄でオデオンで降り、ホテル「ジェルソン」へ移動。9時半過ぎに行くとフロントにお婆さんがいて、部屋がまだ空いていないというので、裏庭の洗濯物置き場の片隅という凄い場所に荷物を置かせて貰い出かけることにする。地下鉄で3区のマレ地区にあるサン・ポール駅へ。このあたりはパリでも古い土地柄で、杉本秀太郎氏が、著書『異郷の空 パリ・京都・フィレンツェ』のなかで、その沿革と歴史的な意味合いを簡潔に記述している。

 「マレーというのは沼沢地を意味するフランス語である。人力によって制せられる以前のセーヌ川は、大蛇のようにうねって沿岸を泥まみれにしていた。パリは蛇の卵のようにころがっているセーヌの中州から育った中世都市であった。十四世紀にいたって、中州の王宮が右岸のマレーに移った。埋め立ての開墾地が一変して王国の中心地になった。やがて十七世紀のはじめ、アンリー四世はこの地に広場を作らせ、ついで広場を高さのそろった建物でかこんだ。フランス式の室内、フランス式の窓、フランス式の家具調度、そしてフランス式の生活が、この時以来、上流、中流に普及しはじめる。個人主義のこの国が、文化省の名によってマレー地区を称揚するのは当然である。」(杉本秀太郎『異郷の空 パリ・京都・フィレンツェ』(白水ブックス))

ARCHボージュ広場

 ユダヤ人街のブルジョワ通りを歩いて、上記の引用文に登場するボージュ広場に至る。整然と広場を囲繞するアパート群は、似たような風景の多いパリ市街のなかでも、どこか古色を帯びていて風格がある。

ARCHタチ

 安売りスーパー「タチ」で昨日紛失した老眼鏡を購入。約60フラン(1200円程度)だったので、無くした安物眼鏡と同じ位の値段。。カフェでコーヒーとサンドイッチを食べる。店内でトイレを借りるが、なんと1フラン入れないと鍵の開かない有料トイレ。小銭がなかったので、「シャンジュ、シルブップレ」といって、10フランを細かくして貰う。英語のチェンジと同じスペルなのに、シャンジュと発音する言葉をはじめて使う。「シャンジュと厨子王」などと言って覚える(^_^;)。。

 地下鉄でポルト・ド・パンダン下車、ヴィレット公園からオルセー美術館に運河を通って向かう遊覧船「パリ・カナル」に乗ろうと出向いたのだが、工事のために運行停止中とのこと。がっかりして運河の対岸にあるコランタン・カリウ駅まで歩く。このあたりは子供の国といった感じで遊戯施設がならぶ。近代的な万博会場みたいな広い舗道を行くと、やがて科学産業博物館などが見えてくるが、ひときわ目をひくのが銀色に輝く巨大な球形のドーム(ジェオードと呼ばれるプラネタリウム形式の映画館)。これもパリの現在の顔のひとつ。

ARCHジェオード

 地下鉄でパレロワイヤルまでひととび、気分を変えて、オルセー美術館へ。上階で印象派の絵画やアールデコの美麗な家具類を鑑賞して、地階で開催中のお目当てのバーン・ジョーンズ展を見る。フランスに来て英国絵画とは変かもしれないが、ラファエロ前派とその中世趣味は私の好みなのだからしかたがない。展示作品数が多くて大満足。美術館内のベンチで休んでいて、KOKOさんが靴を脱いでいたら、女性の館員に注意される。注意しながらいかにもにんまりしたソフトな笑顔に、なんともこれがフランス調かと印象深いものがあった。またも地下鉄を駆使してホテル至近のオデオンに帰還。途中のカフェでハイネケンの小瓶と、サンドイッチ。KOKOさんはクロックムッシュ(よく知らないが砂糖のかかったもの)を食べる。近くの食品店で、トマト、洋梨、チップス、ワインを買ってホテルに帰る。

ARCHパリの犬

 ホテルにつくとカウンターはインド人に変わっていて、午前中にお婆さん(イロレさんという)と約束したことが全てチャラになっている。もう予約した部屋はふさがっていて、シャワーなし(別室で使用するには、一回20フラン必要で、そのつどフロントに鍵を貰いに行かなくてはならない)、トイレなし(無しと言っても、さすがに同じフロアの廊下のさきのどこかにある。なおビデはついている)の部屋しか空いていないという。約束したといっても、あのお婆さんは耄碌しているのだと言って聞き入れてくれない。そんなら何故フロントにいたのだというと、このホテルの持ち主だから仕方がないのだという。結局すごい条件を呑むことになった。もっとも予定より料金は安くて、一泊286フラン。


モロー美術館とモンマルトル墓地

5月13日(木曜日)今日はキリスト昇天祭で休日。ホテルから至近のソルボンヌ広場にあるカフェ「エクリトワール」で朝食をとる。朝食のことを「プチ・デジュネ」というが、その内容は場所によって様々で、コーヒー(たっぷりのカフェオレか、小さい器のエスプレッソ(カフェ・ノワール、略してカフェノワ))のどちらかにクロワッサンやフランスパン。これに小さなパックに入ったジャムやバターがついていて、さらにオレンジジュースがつくと正式のようだが、ジュースがつかなかったり、パンにバターがべったり塗ってあったりするところもあった。

ARCHソルボンヌ通り

 オデオンから地下鉄。途中乗り換えてサンジョルジュ駅に。徒歩で傾斜のある坂道を少し歩いて、モロー美術館を見る。ここは落ち着いた雰囲気で可動パネル方式の展示棚にデッサンもたくさん所蔵されているので、好きな人なら半日はつぶせると思う。美術館はモローが青年時代から晩年まで過ごした住居を改造したもので、遺言状で、家にあるすべてのものをそのまま保存するという条件で、国家に寄贈されたという。そのため古典的な螺旋階段や、彼の居室などもそっくり残っていて見学できる。私事をいえば、モローは大好きな画家のひとりで、自宅の寝室には「スフィンクス」という妖しげな絵画の複製を飾ってあるほど。この美術館では有名な「一角獣」も展示されている。

 美術館を出て東へたどり、カジノ・ド・パリの建物を見て、クリシー通りを北上するとピガール広場に出るが、その手前の小さなベルリオーズ公園で休憩。子供を砂場で遊ばせて自分もズボンが砂まみれになっているお父さんを見る。今日は祝日で、途中のサント・トリニテ教会の鐘ががんがん鳴っていた。彼は教会に行かないのだろうか。店も休みが多くて、普通の通りではユダヤ人のお店くらいしか空いていなかったような気がする。

 さらに徒歩で北上して、モンマントルの墓地へ。ここのお目当てはモローのお墓参り。「地球の歩き方」などには、墓地の紹介と埋葬されている有名人の名前が列挙してあるが、モローの名前はない。でもここに墓があることは、美術展カタログのモローの略年譜で知っていた。掲示板で確認して、お墓のあるあたりへ。掲示板には簡単な地図と数字のふされた名前だけが表示されているので、その先は自分たちで調べなくてはならない。しばらくあたりを歩き回ってちょっと変わったデザインのギュスターヴ・モローの墓を発見する。

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 通りを隔てた愛人の墓(この事情については、詩の小部屋にある詩集「水の力」のなかの「モローの墓」を参照)も探すが、これは見つからなくて残念。でも怪しいのがあったので撮影しておく。近くには天才舞踊家ニジンスキーのお墓もあったので、これもカメラに収める。彼の墓には新しい花束がいくつも飾られていて華やかだった。

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 墓場では猫の姿をよく見かけた。どうも誰かが餌を与えているらしく、お墓の石のうえに魚などが置いてあったりする。

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 墓参りを終えてモンマルトルの丘を登り、サクレ・クール寺院へ。途中でサンドイッチ(サンドイッチとして売られているが、長いフランスパンにハムなどをはさんだもの)を買ってふたりで折って分け合い、カフェでコーヒーを飲む。寺院のまえでは白塗りの人が硬直した彫像パフォーマンスをやっている。硬直パフォーマンスは観光名所には珍しくないのだが、教皇ポープさんのにっこり笑顔を真似をしているひとがいて、これが周囲の見物人に大受けしていた。

ARCH彫像パフォーマンス

 サクレ・クール寺院から階段を北側にくだり、東にあるシャトー・ルージュ駅へ。このあたりはアフリカ系やアラブ系の人が多くてちょっと異様な雰囲気が漂う。駅前で市場が開かれていたので、面白がって一枚写真(下図)を撮ったところ、遠くから「ムシュー!」との声が。

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 見るとおじさんが駄目駄目という仕草をしている。推測すれば、この界隈には不法入国者なども出入りしているので、スナップ撮影禁止というところか。こちらも、わかったわかったという身振りをしてみせるが、そばの箱のうえに座っているショールを纏ったおばさんも恐い目でこちらをにらんでいる。そのうちおじさんが、手ぶりで、今映したカメラのフィルムを引き出せという動作をしはじめた。こちらはあせってわかったわかったといいながら、わからないふりをして必死でその場をのがれた。追いかけられるとやばい。市場の裏がわの道を通って地下鉄駅から早々に退散する。この旅行で一番緊張した一瞬だった。

 地下鉄でオデオン駅から帰還。パリの地下鉄では、車両内でも駅構内でも、やたらにパフォーマンスにでくわす。サックスを吹く人、ギターを弾く人、シャンソンを歌う人、人形芝居をする人などなど。気に入った乗客や通行人が気が向けば小銭をあげる。この時は日本人女性が、駅の構内でなんと琴を弾いていた。さくら、さくら〜、やよいのそ〜ら〜に〜。たくましいなあ。

ARCHソルボンヌ広場

 ホテルで休憩して、はやくも、なじみとなったソルボンヌ広場のカフェ「エクリトワール」で夕食。広場には、オーギュスト・コントの彫像があって、そのてっぺんによく鳩がとまっている。サラダ二種、ポテトフライ、ビールで179フラン。ホテルに戻って、ややみすぼらしい裏庭の風景を窓からスケッチする。

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 どこかの窓から、大きな音量でシューマンのピアノ曲が流れてくる。ところがそれだけではすまなかった。ホテルのマダム(例のイロレさん)が、ピアノの練習をしはじめたのだ。モーツァルトのピアノソナタの一節である。くりかえし、くりかえし、これが延々と続く。

 ここでKOKOさん経由できいた話を書く。今日のフロントのインド人ジョセフさんは、父はアラブ系、母はインド系のモーリシャス諸島の生まれ。17年前にX線技師になりたくて渡仏してきたが、仕事の口がなく、ホテルマンに。デパートで働く妻と二人の子供がいて、1時間以上かけてこのホテルに通勤して働いている。ホテルは相当古びて、修理もされていない様子なのは、86歳になるマダムイロレが、もう続ける気がないのだろうということだった。ホテルの女主人イロレさんの頭がすこしぼけているという話は、最初信じられなかったが、だんだん納得できてきた。フロントで出会うと、いつも同じことを聴くのだ。ムシュ〜、今夜はお泊まりですか?鍵はどうしましたか?他の客も対応にややうんざりという感じなのがみてとれる。

エッフェル塔とセーヌ河めぐり

5月14日(金曜日)晴れ。ソルボンヌ広場のカフェ「レクリトフール」で朝食。地下鉄でピラケムへ。

ARCH地下鉄駅の広告

 車内では例によって若い女性の歌声。ここでエッフェル塔に向かう。早朝で斜めに昇るエレベーターの始動前なのにはやくも行列ができている。並んでいるとドイツ人らしき夫婦が強引にわりこんでくる。後ろの夫婦が注意して後ろに追いやる。しかし、ふてぶてしいというか、あまり気に留めていないようす。

 エッフェル塔に登るというのは、いかにも観光旅行していて、眺めもどんなものかわかる気もするので、いかなくてもいいやと思っていたが、日本をでる直前にロラン・バルトの『エッフェル塔』という美しい小冊子の中の、エッフェル塔から眺めたパリの景観の記述を読んで、是非にと思った。文章の力は恐ろしい。

「セーヌ河の水平なカーブと直交に交叉した巨大な磁性軸上には、ちょうど仰向けに寝た人間の体のような、階段状に重なった三つの地帯、すなわち人間生活の三つの機能がある。上の部分、つまりモンマントルの丘のふもとには快楽があり、真中の部分、すなわちオペラ座のあたりには、物質、事業、商売があり、下の部分、パンテオン寺院のあしもとには、知識と学問がある。さらに、二つの防寒用マフのようにこの生命の軸は左右に拡がり、そこには二つの移住地帯が横たわっている、近くにあるのは高級住宅街であり、遠くにあるのは人口の密集した下町である。そしてさらにそのむこうには、二つの植樹地帯、ブーローニュとヴァンセンヌの森がひかえている。こう見てくると、昔ながらの一つの法則が都市を西へ西へと発展させていることに気づかざるをえない。富裕地域の富は西へと向い、貧困地域は東にとどまったままなのだから。」ロラン・バルト『エッフェル塔』(宗左近・諸田和治訳・審美社)

ARCHセーヌ河

「エッフェル塔は、大地と街を空に結ぶ、立った橋である。、、、エッフェル塔とパリの他の橋とを、一つの映像の中に集めてごらんなさい(ある写真では、それが見られる)。あなたは、エッフェル塔と橋とが同一の事物であることに気づくことであろう。そして、そこに現れている多様でありながら同一の事物をとおして、二十五の橋を持つ都市、パリの人間らしさを知ることであろう。」(同前)

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 こういう文章に感染して、すっかりエッフェル塔ファンになっていた私は、しっかり小さなエッフェル塔のお土産も買ってしまった。

ARCHエッフェル塔売り

49フラン(約1000円)でサングラスも購入(もってきたほぼ同額のサングラスは柄が折れてしまった)。

 エッフェル塔至近の船着き場から遊覧船「バトゥー・パリジャン」でセーヌ往復の1時間ほどの船遊びを楽しむ。

ARCHバトゥー・パリジャン

 船内は乗り合わせたドイツ人学生集団でややうるさかったが、やはり歩行では味わえない、川岸からのパリ風景が望めて楽しかった。地下鉄トロカデロからシャルル・ドゴール・エトワールへ。凱旋門、シャンゼリゼを歩き、高級カフェ(といってもシャンゼリゼのカフェはどこも高いのだが)で、チョコレートつきのカフェノワールを飲む。二人で70フラン。ひとり700円位だから銀座なみ?

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 地下鉄でオペラにでて有名デパート、ラファイエットでお土産の買い物。今日一日をとると、実にできすぎた観光客気分。遅い昼食に中華料理店でタンメンを食べる。ここからがすこし違って「モノプリ」というスーパー(KOKOさん曰くイトーヨーカドーや西友のような店)で、夕食の買い物。水、ワイン、蒸し海老、ポテトサラダ、パテ。ちなみに「モノプリ」は、フランス中の都市のどこにでもあると思われるほど、行く先々で世話になった衣料や日用雑貨や食料品をあつかう庶民的な総合スーパーだった。


ARCH映画の広告。マトリックス!だ。

リュクサンブール公園と中世美術館

5月15日(土曜日)晴れ。ひとりでリュクサンブール公園に出かけてベンチに座りリュクサンブール宮をスケッチ、時間がないので素描だけする。また脱線すると、この公園は、女性哲学者シモーヌ・ヴェイユが幼くして遊んだ場所。サン・ミッシェル大通りに面したヴェイユ一家の住んだアパートはすぐ近くにあって、もちろんカメラに収めた。

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 ついでにいえば、ほど近いオデオンのあたりにあった広大な邸宅でサド侯爵が産まれている。こういうことを書くときりがないが、パリの歴史は、過去に生きた人の名前と地名を幸福に結びつける作用をする。通りの名前に人名を冠したものが多いこと、建物に住んだ有名人の名前が刻まれていたりすることを思うと、フランス人にはそういう結びつきへの独特の嗜好というのがあるのかもしれない。

 待ち合わせていたKOKOさんとソルボンヌ広場のカフェで朝食。やはり数百メートルという至近の距離にあるサン・ミッシェル大通りに面した中世美術館(旧クリュニー美術館)を見物。ここには魅力的な「一角獣と貴婦人」という6枚組のタピスリーがあって有名だが、このタピスリーについては、リルケが『マルテの手記』で数ページを費やして描写している。

 「ここにつづれ織りがある。アペローネ、有名な壁掛のゴブランだ。僕はおまえがここにいるのだと想像しよう。六枚のゴブランだ。さあ、これからいっしょにひとつひとつゆっくり見て行こう。初めは少し退がって、一度に全体を見るがよい。しんと非常に静かな感じだね。ほとんど変化らしい変化もない・目立たぬ虹色の地は、いっぱいに草花が咲き乱れて、小さな動物が思い思いの格好でちらばっている。、、、」(リルケ『マルテの手記』(大山定一訳「新潮文庫」)

 こういう調子で、繊細な記述が続くのだが、実物を見てからこの『マルテの手記』の数ページを再読したひとはなおのこと、リルケのどこか夢想に誘うような静謐な文体に込められた観察の確かさ、表現の豊かさを実感することができると思う。前述の杉本秀太郎氏も、最初はリルケの文章に導かれて、在仏中に足しげくこのタピスリーの前に通ったようで、「ここへくるとき、私はいつも独りになってきた。いっしょに食事をし、談笑し、旅をした親しい友人たちでさえ、私がそんなにしばしばクリュニーにしのびこんだとは知らないはずだ。」と書いている。ひとりでしのびこんでじっと眺めていたい感じというのが良く分かる気がするが、このタピスリーは謎めいていながらも心のなごむとても不思議な魅力をもっているので、パリ来訪者に、ぜひお勧めだ。

ARCH河畔の簡易本屋ブキニスト

 館内を1時間くらいかけて見て回り、徒歩でセーヌ河畔に出てから、ホットドッグをひとつ買って、ヌフ橋(ポン・ヌフは新橋の意だが、パリで一番古い橋)のふくらんだところの石のベンチにすわって分けて食べる。

ARCHヌフ橋

 フランスパンのサンドイッチは一本が長いのでこれで充分。パリも今日で最後なので、デパートで土産物の買いたしてから、サンジェルマン・デプレ界隈を散歩して一旦ホテルに戻る。

 ここで事件発生。KOKOさんが所持していた明日のTGVのチケットが見つからないという。実は本にはさんであって、その本を私が読んだときにわきによけてしまい、チケットは私のバッグにまぎれこんでいたのだが、てっきりゴミと一緒に捨てたものと思いこんでしまったKOKOさんは、勇敢にも宿のひと(今日のフロントはアルジェリア人)に事情を説明して裏庭でゴミ箱あさりをすることに。ほどなくチケットを発見した私があわてて階下に降りたときには、KOKOさんは両手にしっかりゴミあさり用のビニールの手袋を借りてつけていた!

 4時過ぎにまたリュクサンブール公園へ。休日のせいで、朝がらんとしていたベンチは、家族連れや、若いカップル、思い思いに読書するひと、日光浴をするひとなどで、満席状態。

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 ようやく今朝方スケッチした場所近くに空いたベンチを発見。そこでスケッチの続きの彩色をする。側を通る通行人が「トレ・ジョリ」と言っていたとKOKOさんが教えてくれた。ふふふ。

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 店屋で夕食のおかずを買ってかえる。カマンベールチーズと野菜と肉入りの揚げ餃子みたいなもの。それにワインだが、一番安いワインを買ってみた。8、4フランだったから、170円もしない!!


アヴィニヨンに移動。さっそくポン・デュ・ガール見物

5月16日(日曜日)晴れ。ホテルをでて地下鉄でオーステリッツで下車。パリでは地下鉄に乗りまくり、二人で30枚くらいチケットを使ったことになるが、これが最後。オーステリッツ橋を渡って対岸のリヨン駅まで歩く。水と缶ビール、コーラ、パンを買って、11時24分発のTGVに乗り込む。

 はじめてのフランス鉄道の景観。パリだけは別の国というようなことを聞いたことがあるが、実際列車がパリを離れると、にわかに緑が多くなり、田園や牧草地の流れる車窓の風景が美しい。向かい合わせの座席に乗り合わせた年配婦人はクロスワードパズルに熱中しながら、物音がすると、さっと顔をあげて周囲を注意していたのが印象的。


3 アヴィニヨン     Indexへ


 3時間半ほどでアヴィニヨンに到着。年配婦人には息子と孫とおぼしき二人連れが待ちうけていた。駅はアヴィニヨンを囲む城壁の外側に位置するが、駅前からまっすぐ市内にむけて、ジャンジョレス通りが延びている。

 通りから右わきに入った観光案内所近くのホテル「オテル・ド・パルク」に宿をとって、荷物を置き、観光案内所でバスの時間を調べる。ついでに『昆虫記』のファーブルの住んだ家の場所を聞くが、すこし町外れにあって遠いらしい。他にも尋ねる人があるらしく、ファーブルは日本では有名のようですねと言われる。彼はアヴィニヨンで30年間前半生を過ごした。ただし本格的な研究生活を送ったのは別の場所。

 駅で明日の時刻表を調べた後に、バス待ちの間にカフェノアをカフェで飲み、5時半発のポン・デュ・ガール行きの11番のバスに乗る。

 ポン・デュ・ガールは、ローマ時代に作られた古い水道橋。プロヴァンス地方では名所といっていい場所だが、バスでおろされた場所から、橋までしばらく1キロ位歩かなくてはならなかった。帰りも同様で、とくに帰りのバス停留所は来たときとちょっとずれた場所になるから、バスで行く人は注意が肝心かと思う。また橋の一番上の水路にのぼることができるとガイドブックにあるが、しっかり扉がしまっていて使用禁止状態っだった(KOKOさん談)。単身旅行中の若い日本人女性と話をかわす。彼女の話では、夏場だけ橋のたもとまでバスが来るという。

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 歴史を考えると高さ49メートル、長さ275メートルという三階建てのアーチ型の石橋はやはり驚異といっていいほどの建築物で見応えがあり、そこからの景観も見事。自家用車利用の観光客が多く、バス利用は日本人(私たちと、これからニームに行くという彼女)くらいだった。

 いったんホテルに帰ってから、出直して散歩。ジャンジョレス通りをまっすぐに北上してゆくと、ロルロージュ広場にでるが、さらに一分ほど歩くと、法王庁の威容が目前に現れる。今日は建物を外側から眺め、さらに五分ほど歩いて、サン・ベネゼ橋の見えるローヌ河畔に出る。

 スイスのレマン湖を水源とするローヌ川は、アルプスの谷間を南西にくだり、リヨンでぐっと南に向きを変えて、約200キロ南のアルルで大小二本に別れ、中央にヴァカレス湖をかかえた大湿地帯、カマルグの大三角洲を形成して地中海に注ぐ。水量はセーヌ川の3倍でフランス一をほこるこの大河は、「プロヴァンス平野の父」、別名「アルプスから駆け下りてくる気ちがい牛」と呼ばれ、歴史的にさまざまな地勢的役割を果たしたという。そのローヌ川に12世紀に最初にかけられた石橋が、このサン・ベネゼ橋(今では洪水で半分流されたままの状態をとどめている。歌で有名なアヴィニヨンの橋)。

 橋をしばし眺めてから、通りの店でワインを買う。銘柄は、ここは「シャトーヌフ・デュ・パブ(法王庁の新居)」できまり!いろいろあるが安いのを。

 夕食はロルロージュ広場近くのベトナム料理店「越南」で食べる。チキンサラダ、かたやき蕎麦!。。おいしかったので、珍しくチップをおいて店をでた。

 一日中、朝から晩まで動き回っているようだが、この時節フランスで日が暮れるのは9時過ぎだから、まだ日がたかいと思うと、どうしても動いてしまう。実際、フランスの夕景を楽しめる頃には、たいてい草臥れてしまってホテルでごろごろしているという感じだった。


法王庁をみて、一路セトへ

5月17日(月曜日)雨。ホテルで朝食をとった後に精算。荷物を預けて、本格的に法王庁を見物する。入場料は45フランだが、日本語の翻訳つきのレシーバーを無料で貸してくれる。その説明をききながら回る。内部は結構がらんとしているが、おもしろかったのは、キッチン。高い天井がそのまま煙突になっていて煤けている。法王庁をでて前の広場からスケッチ。

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 アヴィニヨンの駅構内の自動販売機で水を買う。チョコレートなども買える自動販売機は使い慣れると便利だが、ミネラルウォーターの小瓶が10フランと高いので注意。また国鉄駅での乗車時には、出発ホームが変更されたり、P区画のG路線というように分かりにくい場合があるので、乗車ホームには注意が必要。駅員さんに聞くのが一番。

 3時13分発のローカル線のセト行きに乗る。車内で私たちの乗ったコンパートメントに後から乗り込んできたナディアさんという若い女学生と、KOKOさんが英語で話すのを横で聞いている。

 ナディアさんは、モンペリエのポール・ヴァレリー大学!で現代美術を専攻。エルンストが好きだという。アルジェリア生まれで6歳の時にモンペリエに越してきた。アルジェリア人の父はコマーシャル関係の仕事をしていたが、すでに退職して、毎日サッカーに興じている。イスラム教徒で酒は飲まず、肉食もだめ。今日はアヴィニヨンで、虫歯の治療をしてきたばかりということで、私たちはこれからヴァレリーの墓を見にセトに行くところだというと、モンペリエでは、周りがみんながヴァレリー、ヴァレリーだと言っていた。彼女は住所のメモをKOKOさんとかわしてモンペリエで降り、私たちはほどなく4時33分にセトに着く。


4 セト     Indexへ


 セトは日ぐれて夕波小波〜などと歌っているうちに、天候悪いセトに着いた。セトは地中海の沿岸潮流がつくりあげた砂州の先端にある丘のふもとにある小さな港町。駅前から運河にかかる橋をわたって駅前通りでめについたホテル「ドゥリ」に宿をとる。

 何もわからず、地図もないまま歩いて、みつけた警察署で地図を貰って、ヴァレリーの墓や記念館の場所を教えて貰う。応対してくれた親切なポリスマンは自分もツーリストだと言って笑う(パリから赴任してきたらしい)。

 概要が把握できたので、墓参りは明日にして、地図を眺め、道路が集まっていて繁華街らしきところにあたりをつけて運河沿いに散歩する。雨が時折激しく降る。8時前なのにまだ食事時ではないのか、コーヒーやビールを飲む客はいても、食事する客は少ない。結局、ホテル近くの閑散としたレストランで夕食。むしえび、グラタン、サラダ、ロゼワイン(南仏のロゼは辛口)などとって、177フラン。栓がプラスチックの安ワインを買ってホテルで飲む。


10時過ぎ ホテルのテラスで僕は煙草に火をつける
通りには犬を連れた急ぎ足の歩行者がちらほら
街路樹は無惨に首を切られてその向こうのサン=クレールの丘に
教会の白い十字架のネオンが常夜灯のようにともっている
暮れ落ちた青い夜の闇をかもめの白い翼がよこぎる
ここはセト 僕は海辺の墓地のある町にやってきた


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海辺の墓地、一路エクスへ

5月18日(火曜日)うってかわって晴れ。ホテルで朝食。徒歩でヴァレリーの墓のある海辺の墓地に向かい、墓地の管理人に墓の場所を尋ねる。右に行って五つ目というのがよくわからないが適当に探していると、一畳ほどの大理石のうえに白い十字架をたてた墓は階段の五つ目の横にあった。しばし海風になぶられながら遙かに地中海の景色を眺める。お墓をスケッチ。

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 ヴァレリーの144行に及ぶ長編詩「海辺の墓地」は、「風立ちぬ、いざ生きめやも」(堀辰雄訳)の詩句で有名だが、私などには、鮎川信夫の長編詩「アメリカ」に登場する「酷薄なゼノン!」という詩句との照応を発見したときの驚きの記憶のほうが強い。鮎川の長編詩「アメリカ」は、その覚書の言葉を借りれば、多くの「剽窃」が込められている実験的な作品だが、そうしたひとつの箇所として、私はこの詩句を印象深く記憶しているのだ。なぜかと問われれば、自分でもよく分からないのだが。しかし「酷薄なゼノン!」とは。。。

 ともあれ生前に「海辺の墓地」という詩を書き、「私は生まれるならばこういう場所で生まれたい、と思うようなところで生まれた、、、」と書いたポール・ヴァレリーは、遺言によって、故郷セトの地中海の見える墓地に葬られた。

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 村松剛『評伝 ポール・ヴァレリー』(筑摩書房)によれば、「海辺の墓地」の初稿の表題は、ローマ人の慣用で「地中海」を意味するというMare Nostrum「われらの海」であり、副題には「C...の古い墓地にて」とあったという。(村松氏は、副題のCはセトの古い綴りCetteの頭文字であろうと推測されている)。モンマルトル墓地のモローの墓は、緑の木陰におちる光の斑におおわれて静かに眠っている感じだったが、ヴァレリーの墓は海風に白い石の肌を晒して輝いていた。それぞれの生と詩にふさわしい墓所というべきか。

 ここで長編詩「海辺の墓地」全編を引用したい誘惑にかられるが、144行にわたる長大なものなので、それはやめておいて、村松氏訳の初稿42行を末尾に転載させてもらうことにする。

 帰路に土産店でセトの風景をあしらった小さな灰皿を買う。セトは日本のガイドブックにはあまり載っていないが、港をそれて地中海に面したあたりでは、いくぶんリゾートっぽい建物の並ぶ観光地なのだ。地元ではポール・ヴァレリーよりも、もうひとりの地元出身の詩人で歌手だったブラッサンスの方が有名みたいだったが。

 ホテルで荷物を請けだしてから、11時発のローカル線でマルセイユに移動、ここでバスに乗り換えエクスに向かう。駅の右手にあるバスの発着所前のカフェでコーヒーを飲み、パンを買って食べる。


5 エクス・アン・プロヴァンス     Indexへ


 マルセイユから、バスでエクス・アン・プロヴァンス入り。

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バスの車窓。セザンヌの絵で有名なビクトワール山がみえる。

 バスは、国鉄駅をはさんで、中心街と反対側のターミナルにつく。エクスでは、とりあえずホテルを探して、駅前近くの三ツ星「オテル・メルキュール(・ポール・セザンヌ)」にきめる。165フランで泊まった「ドゥリ」から比べると、540フランと、ぐぐっと高価になるが、様子がわからず、今晩とにかくどこかに泊まらなくてはならないので仕方がない。それに、まともな部屋は久しぶりで、その喜びが大きい。バス、トイレ、シャワー、テレビは言うに及ばず、洗面室には拡大鏡や据え付けのドライヤーまでついていた。

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 エクスは紀元前122年にローマ提督セクスティウスが最初に建設した町。ガリアの泉のあった聖地で、水の町を意味する「アクアエ・セクスティア」に町名は由来する。中心街は、中央にミラボー通り〔上写真)を挟んで、観光案内所のあるシャルル・ドゥ・ゴール広場から向かって左手(北側)が、路地が入り組んでいて、広場がところどころにある旧市街。通りの右手(南側)は整然とした京都の町みたいに碁盤状に通りが走っているマザラン地区と呼ばれる邸宅などの並ぶ住宅地。旧市街は学生や市民、観光客で賑わっている。

 ホテルを確保して、明日からのホテル探しを兼ねて散歩。KOKOさんがミラボー通りの両側を探しまわるが、これがまったくといっていいほど見つからない。こんなことはなかったことだが、そもそもホテルの看板が無いのだ。

 結局ホテルは見あたらず、明日を期すことにして、えびせんみたいなおかきと、チーズ、ロゼワイン、パテ、スライスしたサーモンをミラボー通りのスーパー、またも当地の「モノプリ」で買ってホテルに帰る。


サン、ソブール大聖堂とセザンヌのアトリエ

5月19日(水曜日)晴れ。久しぶりにバスタブで入浴。洗髪。チエックアウトタイムだが、ホテルに荷物を置かせて貰い、昨日はとても混んでいたというインフォメーションに出向いて、ホテルを紹介してもらう。せいぜい二つ星の安いホテルを所望したのだが、どこも満室ということで、三ツ星ながら、やや安い「オテル・ラ・ロトンド」にきめる。シャワーにトイレがついて360フラン。とりえは駅に近いこと。

 ホテルが決まったので一安心。4世紀から18世紀までの様々な建築様式が合体しているといわれるサン・ソヴール大聖堂まで散歩。内部には大きなパイプオルガンがあって、表にちょうど明日の夜コンサートがあるとポスターがあったので、来ることにする。リシェルム広場のマルシェ(市場)で、トマト、オリーブ、チーズ、ピスタチオナッツなどを買い込む。

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 カフェでコーヒーを飲んで休憩。ついでに椅子席から街路をスケッチする。

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 帰りがけにインフォメーションに寄って、明日のバスツアー「リュベロンめぐり」というのを申しこむ。ひとり198フラン(約4000円)と高いようだが、このツアーには半ば諦めていたサドの居城のあるラコスト村訪問が含まれているのだった。

 午後にホテルを移る。フロントで身元を確認するためにカードの提示を求められることがあり、ここではそうだった。そういうところでは現金を持っていて支払えるといっても駄目。そのかわり宿帳の記載というのはいっさいなし。二つ星以下のホテルではお金だけだせば何も記帳せずにすんでしまう。ヨーロッパ統合にむけて、時代はかわりつつあるというところか。

ARCHエクスの犬

 午後から徒歩でさほど広くない街を散歩。駅から15分というセザンヌのアトリエを訪れる。ちょっと高台にあるので、道中やや草臥れるが、1903年にセザンヌ自身が設計したというアトリエは、緑溢れるという感じの低い灌木や樹木に被われた庭<をもった瀟洒な建物で、とりわけふりそそぐ木漏れ日が美しい。

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   画架の置かれたアトリエの外光を取り入れる大きな窓が印象的で、セザンヌの静物画の題材になった花瓶とか髑髏とか果実の模造品とか、そのままの姿で並べられている。あたりまえかもしれないが、アトリエの壁の色が、あ、あの灰色がかったセザンヌブルーだ。

 帰路、カフェでビールを飲む。やたらビールの飲むと書いているが、ビールはほとんどハイネケンの小瓶で、喉をちょっと潤すという感じで、とても酔うには至らない。注文するとき「ビア、ペルファボーレ」と言ってしまう。ペルファボーレはシルブプレ(どうぞ)の意のイタリア語だが、生覚えなので、ときどき混乱するのだ。。

 夕食はホテルの部屋で、ワインを開けて市場で買ったおかずを食べる。塩が効いて味にこくのあるピスタチオナッツが美味しいがこれは調子にのって食べていて夜になってやたら喉がかわいた。。


リュベロンの谷めぐり、大聖堂のコンサート

5月20日(木曜日)八時過ぎにホテルを出て一人で散歩。煙草を忘れてでたので、途中でキャメルを買う(1箱19.5フラン(400円位)というのは、やや高い感じ)。昨日のリシェルフ市場でリンゴをふたつ買って、かじりながら、町外れの方角にあるいてみる。これぞプロヴァンスという風景があればと思ったのだが、エクスの町外れでは難しそう。かわりに住宅地にぽつんとあったカフェ・レストラン「ジュ・ドゥ・マイユ」をみつける。ここは地元の人たちが愛用している場所のようで静かそうだ。チェックして花々の咲き乱れるきれいな住宅地を撮影しながら、ホテルに戻る。

 ホテルからマルセイユのスイスエアにリコンファームの電話を入れ、通りにでる。創業が古くてセザンヌが通い、店を描いた絵も残っているというカフェ「ドゥー・ギャルソン」でカフェノアを飲む。葉書を書いたり、地図をひろげて長居していたら、注文していないのに2杯目を持ってきた。たまたまKOKOさんが席をはずしていたときのことで、にこやかな笑顔でコーヒーのお代わりをだされ、私はそういうシステムなのかと思ってしまったが、本当はどうだったのか。謎である。

 午後1時半、シャルル・ドゥ・ゴール広場の停留所から、小型のバスに乗って、リュベロンめぐりのバスツアーに出発。リュベロン山脈は約60平方キロにわたる。石のとれるローニュ、ついでカミュの家や墓のあるルールマラン村で休憩。

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ここの風景は咲き乱れる花と糸杉の深い緑が対照的でとりわけ美しく感じられた。ついでボニューの村では教会をスケッチしていてバスに遅れそうになる。

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KOKOさんがガイドの人に、彼は絵描きさんですかと聞かれて、いえ詩人ですと答えたという。ううむ。。

 ついで念願のラコスト村で休憩。サド侯爵の住んでいた廃墟は、いかにもできすぎた風情で、なぜかそれらしく枯れ木なども立っていて凄みがある。

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 サド文学の翻訳者だった故渋沢龍彦氏もここを訪れたようで、私も彼のすばらしい評伝『サド侯爵の生涯』(中公文庫)に掲載されていたモノクロの廃墟写真に影響を受けて機会があれば是非と思ったのだった。。

 バスは日本でもベストセラーになったエッセイ『南仏プロヴァンスの12ヶ月』で、リュベロン谷を世界的に有名にしてしまったピーター・メイル氏の住居跡を通って、メネルグの村、丘の頂きに古い教会のあるオペットの村にそれぞれ小一時間停車して、休憩をとりながら帰路についた。このツアーは少人数のグループ編成で、英語を話すガイドさんがついて、プロヴァンスの沃野の眺められる場所で何度も休憩をとりながら小気味のいいテンポで移動するので、とても快適。エクスに行く人は是非おすすめです。

 ここで前後するが私のプロヴァンス嗜好について書いておきたい。今回の旅行に地図やガイドブックや旅行用フランス語会話ブックの他に唯一携えてきた書物があって、それはジャン・グルニエの『孤島』(井上究一郎訳・竹内書房)という本なのである(ちなみにKOKOさんはアランの『幸福論』を(^_^;))。『孤島』は私にとって若いときから思い出深い書物なのだが、その話はともかく、この本には「見れば一目で、、、プロヴァンスへの開眼」という美しい一章が含まれている。いわばプロヴァンス賛歌というか、ひとつの風景との出会いがひとの心を魅了する幸福な瞬間の意味合いが、とても詩的かつ端正な表現で語られている。いってしまえば、これが私のプロヴァンス嗜好の原点ともいうべきであろうか。

 ジャン・グルニエは、プロヴァンス地方の自然を愛した哲学者で、前述のルールマラン村で結婚式もあげている。アルベール・カミュを草深いプロヴァンスの片田舎に引き込んだのも、おそらくこの人の文章と人格のなせる業であろうと、私は思っている。そして今回のリュベロンめぐりツアーで、私の確信はますます強固なものとなったのであった。貧困や冬の厳しさやミストラルの激しさ、そういうものはいい、もう手放しで賛美してしまおう、その原風景は、いわば人が携えて生きるべき心象でもあるのだから。

 ツアーがエクスに帰りついても、まだ7時。サン・ソブール大聖堂のコンサートは8時半から。私のせいで旧市街で路に迷うが、どうにか辿り着いて、当日券を購入。近くのカフェで鶏肉とトマトを挟んだフランスパンを食べて、腹ごしらえをしてからコンサートに。

 コンサートは混声合唱団と、金管楽器、それにパイプオルガンの組み合わせで、演じるほうも地元の人なら、観客も地元の人ばかりという様子。モーツァルトやメンデルスゾーン、グレゴリオ聖歌みたいな曲も。石造りの聖堂の内部は音がとてつもなくよく響く。休憩時間に子供が泣いていたが、そのこえも凄く響く。パイプオルガンのある二階ぐらいの高さから音がふってくる感じだった。音響はややばらばらに聞こえてしまい今ひとつという感じだが、合唱団の老若男女の顔を見ているだけで異国情緒?あふれて楽しくなってくる。指揮者のひとりが、うまく説明できないが、物腰やしゃべり方がすごくきどった人で(3度ほど台からこけたが)、なるほどこれぞフランス風きどりスタイルだなあと思ったものだった。10時を過ぎて流石に暮れ落ちて宵闇の雰囲気のある石造りの旧市街をくねくね歩いてホテルに帰る。こんな雰囲気のある噴水も。


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グラネ美術館、カジノ、市場

5月21日(金曜日)宿をでて、昨日の朝みつけてチェックしてあったカフェ・レストラン「ジュ・ドゥ・マイユ」で朝食。硬めのフランスパンがおいしい。セボン、セボン。市内はせまいので、徒歩で、17世紀マルタ騎士団の修道院だった建物を改築したというグラネ美術館へ。グラネもエクスに住んだ画家。今ちょうど日本!に所蔵作品を出展中とのことで、セザンヌの目玉作品はなかったが、中世から印象派にわたる作品が、それぞれ少数ながら展示されていた。

 今日は新市街のほうを散歩して、シャルル・ドゥ・ゴール広場横のカジノの寄ってみる。カジノに入るのは初めて。50フラン(約1000円)を販売機で2フランに相当するコインにかえて、スロットマシンを前に真っ昼間からしばしの享楽にうつつをぬかす。日中とはいえ、けっこう人が入っていて、その顔つきは日本のパチンコ屋などでもおなじみの、ひきつったような、暗いような、輝いているような、、、。

 昼食も「ジュ・ドゥ・マイユ」で。ふたりでコリアンダーの効いたサラダソースの美味しいヴェールサラダや、ステーク・アン・フリット(揚げポテトにステーキ)やポワソン・プロヴァンサル(白身魚のプロヴァンス風ソース)や、タルト・オ・ペッシュ(梨のタルト)などをたっぷり食べる。ついでに椅子にもたれてスケッチをして楽しみ、坂が傾斜している方向につれずれの散歩。歩いていると、プロヴァンス大学(エクス・マルセイユ大学)の校門前にでた。ついでなので、構内に入って、図書館で休む。パソコンが6台置いてあって自由にインターネットに接続できるようになっていたが、どれもマウスがついていないマシンや、あってもウィンドウズ系フランス語表示なので、すこしいじって、すぐやめてしまった。

 いったん宿に帰ってから、ワインと水の買い物を兼ねてひとりで散歩にでる。買い物は例によってスーパーマーケットのモノプリですませ、シャルル・ドゥ・ゴール広場のベンチで煙草を喫って休んでいたら3人組のおばさん連中がやってきた。体を移動して席を譲ったら、「メルシーマダム」と言われる。はっと顔をあげたら、彼女はあわてて「メルシームッシュ」と言い直した。こういう場合、なんと言っていいのやら。。きにせんといてと、体であらわしてみたが。。しばし休息して立ち上がり、小声で「オーヴァー」といって立ち去ろうとしたら、3人がそれぞれはっきりした口調で「オーヴァー」と挨拶をかえしてくれた。なんとなく嬉しい。。

 花屋さんで、花束を買う。20フランの表示のあるやや安い花束をみつくろって、レジに持っていき、「ボンジュー、ディスワン、シルブプレ」とかなんとか変な英仏語を操って、花を買ってしまう。この花束、実は赤白ピンクのカーネーションで、フランスでは5月の第3日曜日が母の日。それで安かったのかも、と後で思う。これはもちろん、ホテルで花瓶を借りて、部屋に飾るのだ。。。


ラ・シオタで地中海にさわる

5月22日(土曜日)今日はバスでマルセイユ・サン・シャルル駅にでる。そこで有名な駅前の階段を降りた右側の建物にある星ひとつのホテル「リトル・パレス」を明後日から2泊分予約。用心のため1泊分を前払いする。そこで駅にもどり、ローカル線の10時32分発ツールーズ行きに乗り、ラ・シオタまで。11時着。

ARCHシオタの駅

 ラ・シオタは、コート・ダ・ジュールの名だたる沿岸都市ほど有名ではないが、一応地中海に臨むリアス式海岸や穏やかなビーチのあるリゾート地。リュミエール兄弟が初めて映画を撮影、上映した土地として知られ、映画祭もひらかれる都市としてガイドブックなどにも載っている。駅をおりると、壁にリュミエール兄弟の写真と蒸気機関車の写真パネルがふたつ飾ってあり(最初の映画は蒸気機関車がラ・シオタ駅に滑り込んでくるものだった!)、駅前はこれほど素朴でよいものかと思うほど、なんにもない。ここからさらにバスで15分位かけて旧港に向かうのだ。

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 旧港付近はさすがに観光客で賑わっている。観光案内所に行って地図を貰い、西側のすこし旧港からはずれたところにある見晴らしのいいフィジュロル湾に向かうことにする。観光案内所では、どこからきたのかと聞かれる。ここでは日本人はまだめずらしいらしい。

 きりたった崖に囲まれたフィジロル湾は、階段から小さな入り江に降りられるようになっていて、プライベート・ビーチみたいなこんじんまりした雰囲気がなかなかよかった。なんといっても渚で地中海の水に触れられたのが心地よい。波打ち際近くに陣取った家族連れが石を水辺に投げている。すると忠実な犬がそれを拾いにいこうと走ってゆく。水中を犬かきでごぼごぼと。当然石は取れないのだが飼い主はまた新たに石を投げる、あきずにこのくりかえし。なんだか馬鹿馬鹿しく残酷にも思うが、みんな笑っていて、変に晴れがましい風情だ。渚の水辺に座り込んで奇岩近くにヨットの浮かぶ風景をスケッチする。

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 途中もうひとつの景勝地ミュゲル湾も覗いて旧港にもどり、食事にすることにしたが、どうせならということで、ムール・プロヴァンサルというムール貝をオリーブオイルとハーブで蒸したようなものを注文して食べる。

 他にペトゥチーネ・インビアンコ、ペリエ、ビア、アイスクリームにカフェノア。バス、ローカル線、バスと乗り継いでエクスに帰還。

 まだまだ日は高く元気で、リッシエルフ広場の布製品の店で買い物。広場のカフェで、マンタロー(ペパーミントの味のする色つきジュース)を飲む。KOKOさん曰く、万太郎といえば通じると、玉村某氏の随分昔のエッセイにあったそうだ。走り回って遊んでいた少年(レミ君)をデジタルカメラで撮影。モノプリでワインやチーズ、クロワッサンを買って帰宿。

 帰ってみると部屋はきれいに掃除されているが、タオルも石鹸もない。一応三ツ星ホテルなのになんたること。さっそくフロントに行って用意してもらう。


町外れを散歩、ホテルでテレビをみる

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5月23日(日曜日)カフェで朝食後、散歩。今日は街の北はずれ方面に歩いてみる。すこしはずれると緑がぐっと濃くなって農村という雰囲気だが、バスツアーで訪れた村みたいな感じとはほど遠く、陽射しのせいもあって、けっこう草臥れる。途中でジュースやコーラ、屋台みたいな店でメロンを買って、白い砂の敷いてあるマンションの中庭みたいなところで食べる。ハイキングというかなんというか、へんな気分だ。面白い色をした甲虫を見つけたので執拗においまわして、コーラの缶といっしょにデジタルカメラで撮影。

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なにやってんだか。ふとファーブルのことを思い出す。

 旅行前のことだが、「『ファーブル昆虫記』にでてくる「たまころがし」」と言ったら、それは「糞ころがし」というのではないかと言われた。その後、子供の頃に読んだ『少年少女 ファーブル昆虫記』(あかね書房)をひっぱりだしてみて「たまころがし」となっているので安心した。いつから「糞ころがし」などというようになったのだろう。ファーブルを魅了したあの愛すべきスカラベが、庭や草むらにいるのじゃないかと探したことがある。もちろん遠い子供の頃のことだ。

 宿にもどって休憩。夕方でかけて夕食。ピザ屋さんでピザ2種類とサラダ・ニソワーズ、ビールという献立。宿にかえってテレビを見る。ちょうどカンヌで映画祭をやっていて、その紹介番組。時々俳優の顔はわかるが、英語もフランス語に翻訳されるので何を言ってるのかよくわからない。数分たけし氏も登場した。3年ほど前にイタリアに行ったときにはテレビではやたらに通販番組をやっていたが、フランスではまったく見かけない。ただ視聴者参加型のクイズ番組やメロドラマみたいなのは多い。映画ではジャンヌ・モロー出演の「黒衣の花嫁」をやっていた。

 夕暮れの街を散歩。シャルル・ドゥ・ゴール広場のカフェで、カンパリとクレームドカシスを飲む。この店の前にはオートバイがずらりと並び、客もライダーという出で立ちの人が多い。隣席のややふけた若者が不意にやってきて煙草を一本くれというので、わけてあげる。しばらくすると、他のテーブルの観光客にも同様に懇願していた。ずうずうしいというか、経済観念が発達しているというか。。


マルセイユへ。イフ島と高台の寺院

5月24日(月曜日)晴れ。荷物をまとめて、ホテルをでる。あと二日あるしもったいないということで、飾ってあった花束もきりつめて、切り口を濡れたテッシュで被い、荷物とともに持って行くことにする。バスでマルセイユ・サン・シャルル駅前へ。


6 マルセイユ     Indexへ


 マルセイユ到着。予約してあったホテル「リトル・パレス」に入り、部屋はまだ空いていないので、花束をとりあえずビールのコップに活けて貰い、荷物をあずけてアテネ通りを直進、カヌビエール大通りを右折して歩くとヴュー・ポール(旧港)にでる。町中の店舗は祝日(精霊降臨の祭)のせいで閉店している店が多いが、旧港のベルジュ河岸では荷揚げしたばかりの魚を売る仮店舗がならんで、観光客でごったがえしていた。旧港わきの観光案内所で地図を貰い、近くのカフェでコーラを飲み、ベルジュ河岸からシャトー・イフ(イフ島)行きの船に乗る。

 イフ島の城は元要塞だった建物を監獄に改造して使っていたもので、アレキサンドル・デュマの小説『モンテクリスト伯(厳窟王)』の舞台として名高い島。観光名所という感じだが、島は港から3キロほど沖合にあるので、なんともすがすがしい地中海の海景が四方にひろがる。紺碧の海と空。群れ飛ぶ鴎。16世紀に築城されたという、おどろおどろしいシャトーの中の牢獄はそれなりに見物だが、それよりやはり島から臨む風景が素晴らしい。

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 レモネードやホットドッグを頼んで食事。海水の色がきれいに変化している岩礁を前にして海景をスケッチする。30分間隔程度に発着する帰りの船にのって旧港に帰還。

 徒歩で、ノートルダム・デ・ラ・ギャルド寺院へ。このマルセイユを見下ろす高台の教会に至る坂道はけっこうきつい。とぼとぼとぼとぼと休みながら登って、ようやくロマネスク・ビザンチン様式の白い教会にたどりつく。

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 ここからの景観もまたすばらしいが、あたりには右往左往する観光客が絶え間ない。日本人のツアーも大勢いて、そのうちの一人に声をかけたら、ツアーの添乗員のひとで、自分たちは90日間世界一周の最中だという話だった。ううむ。

 さすがに歩き疲れたのでトートルダム・デ・ラ・ギャルド寺院からはバスで旧港に戻り、水とジュースを買ってホテル「リトル・パレス」へ戻る。ホテル従業員のお婆さん3人がフロントの近くでわいわいとやっている。部屋で一休み。ミネラルウォーターの大型ペットボトルの口の部分を切り取って水を入れ、花瓶代わりにしてフロントから運んできた花束を移し替える。

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この部屋はトイレはないがシャワー付きのツインルーム。室内は案外広くて、ツインベッドのそれぞれがダブルサイズなのが嬉しい。窓からはマルセイユ・サン・シャルル駅の表玄関ともいうべき、特徴のある街灯と彫像の置かれた階段(映画にもよくつかわれるらしい)が間近にみえる。

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 夕方旧港まえまで出向いて、カフェで夕食。マルセイユ名物のブイヤベース。えび、烏賊のフリッタ、コーヒー。帰りがけにに夕暮れの港を散策して、ホテルの隣にある見かけはちょっとあやしげな「カフェ・ピエール」に行ってカルバドス(りんごを原料にしたブランデーで、ノルマンディ地方の特産酒)、パスティシュを飲む。

 「カフェ・ピエール」のカウンターにいた黒人女性ギレニーさんはアフリカのガボン出身でフランス語しか話せない。彼女が客に接待して自分は店全体を見張っているという、ちょっと用心棒のような凄みのある顔つきをしたマスターのラヴァさんはアルジェリア出身で70歳になる両親がいるという。もっとも彼が店主というわけではなくて、店主はいつもこうだといって、ラヴァさんは寝てる真似をしてみせた。

 ラヴァさんが店内の壁に展示してある昔のマルセイユの風景写真を説明つきで見せてくれる。途中で妙になれなれしく仕事で覚えたという日本語を呪文のように繰り返しとなえる変なひとがやってきて、しきりにKOKOさんに話しかけてきて、しばらくして行ってしまったが、ラヴァさんによると初めての客だということで、ふうんとびっくり。KOKOさんがライ・ミュージック(アルジェリアの民族音楽)が好きだというと、その話で盛り上がり、ジュークボックスでライ・ミュージックをかけてくれて、CDを売っている「フナック」という店と、何人かの歌手のCDの名前をメモしてくれる。

ARCHマルセイユの市街スナップ




カンチニ美術館と最後の買い物

5月25日(火曜日)ホテル横のカフェで朝食をとって、旧港方面に買い物を兼ねて散歩。カンチニ美術館を見る。彫刻家カンチニのフォービスムから現代美術に至る約400点のコレクションがあるとガイドブックにあったが、ロシア・アバンギャルド系の作品展示が多いなあと思った。ここは通りに面した目立たない建物で、見過ごしてしまいがちなので注意。

 買い物の品目が違うこともあって、1時間半ほどKOKOさんと別行動。市街でスナップ写真を撮ったり、書店や土産物店を物色してラファイエットデパートの周囲を歩き回る。しかし、マルセイユの旧港前の繁華街で一番多いのは女性ものの衣料品店で、次がなぜか靴屋。どの通りも、そればかりといっていいほどで、文具店や安物Tシャツを売っている店など皆無に近い。しかし銃砲店にはピストルが。

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 徘徊していて通行人の異様なみぶりに驚く。みると、石畳のうえにあった巨大な犬の糞を踏んでしまったらしい。さっと周囲を見渡して何事もなかったような顔をしながら靴を舗石にすりつけながら立ち去っていった。ガイドブックなどに書いてあるが、たしかにフランスの街の路上では犬の糞をよく見かけた。犬はよく躾けられているようで、デパートなどにも鎖をつけないで入ってくるのだが。いうことをよく聞くのは、そのほうのストレスがないせいなのかなあ、などと。

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本屋にはパトリック・モディアノの新作小説の広告があった。

 結局何も買わないままKOKOさんと合流して、昼食に港のそばの中華料理店で海老炒飯とヤキソバをそれぞれ食べて、チンタオビールにウーロン茶を飲む。この時点で買い物はほぼ諦めかけていたが、昨日ラヴァさんから聞いた、CDを売っているという「セントル・ブルス」というショッピングセンター内の「フナック」という店に出向くことにする。

 行ってみるとこれが当たり。CD売場では、私の大好きなリシェンヌ・ドリルのシャンソン(古くて日本ではあまりみかけない)のCD3枚を見つけ、即座に購入。書籍売場ではソルボンヌ広場の哲学書専門店でも見つからなかったジャン・グルニエの『孤島』(JEAN GRENIER「LES ILES」(L'MAGINARE GALLIMARD))!を発見して購入する。自慢じゃないがフランス語の原文なんて全く読めないのだが、手元に訳本があるので、それなりに楽しめそうだし、とりあえずどっかに飾っとこう。

 ホテルに戻り、休憩して再度旧港方面に。ここで土産をやっと買い、ガイドブックに「安くて新鮮で大人気の貝類専門店」として載っていた店「コキヤージュ・トアヌ・デギュスタシオン」で、最後の晩餐。

ARCHムール貝の山盛り。

 従業員のひとりが低い口笛でなにかを歌っている。聞き覚えがあって思わず真似するのだが、なんの曲だかわからない。KOKOさん曰くムソルグスキーの「展覧会の絵」の中の曲の一節ではないかと。山盛りのムール貝と白ワイン。カフェノアにタルトを食べる。

 またホテル横の「カフェ・ピエール」に寄って、ラヴァさんとKOKOさんが英語で話すのを聞きながら、カルバドスを小さいウィスキーグラスで飲む。3杯くらいおかわりしたら、ラヴァさんが一杯おごってくれたので、お返しにまだ封を切らずに残っていた日本の煙草一箱と百円ライターを進呈。気は心ということで。


帰国へ

5月26日(水曜日)朝食はクロワッサンとカフェノア。ホテルをチェックアウトする際に、KOKOさんがフロントに花束を持っていったら、お婆さんたちがとてもよろこんでいたとのこと。駅周辺を散歩してゴチック寺院を撮影してから、ホテルで荷物を請けだし、マルセイユ・プロヴァンス空港行きのシャトルバスに乗る。空港で手続きを終え飛行機に搭乗。出発は1時間半ほど相当遅れたが、乗り換えをするチューリッヒ空港では6時間の余裕というか待ち時間があるので気にならない。。

 旅行にはスイス航空を利用したが、日本航空とジョイントしているとかで、帰りのチューリッヒ-成田間は、日本航空のジャンボ機でのフライトだった。スイス航空の機内では、設置された大型モニターに、西欧版どっきりカメラみたいなへんなジョーク番組を映していたが、日航ジャンボ機で驚いたのは客席のそれぞれに小型モニターがついていること。しかも番組選択用のコントローラーまでついている。これで映画(3種)や、音楽や、テレビゲーム!のなかから選択して、イヤホンをつけて楽しめるのだ。

 結局、私はチェスゲームを3回ほどやって一度も勝てず、テトリスでは2300点しかあげられず、映画「ユー・ガット・メール」を見て、ああまた帰ったらインターネットをやるのだろうなあと思いながら、12時間位の長旅を過ごしたのだった。

5月27日(木曜日)帰国。9時過ぎに家に帰宅。コンビニで買った寿司を食べ、入浴して眠る。




村松剛訳「われらの海」(海辺の墓地 初稿) Indexへ   旅行記へ戻る


われらの海

    ---C...の古い墓地にて---

この静かな屋根は 鳩の群の歩みをのせて
松の木々のあいだに脈うっている 墓石のあいだに
海に輝く金が いま焔で構成する 海
海 ひいてはまたくりかえし
ああ 一すじの思念ののちにかえってくるもの
みごとなこの褥の上では それは忘却にふさわしく

不動の美よ ミネルヴァのための簡素な神殿
静かに漂う宝 みなぎる蓄えを見せて
松の木々のあいだに 眼よ おまえは自分のなかに
炎のヴェールの下に (あまたの眠りを)かくしている
ああ 豊饒なるもの! 壮麗な 魂のなかの「殿堂」よ
しかしそこに笑う 千の瓦の 屋根よ!

私にさし出された それは一つの盃
私の乾きは そこに甘露をみる
眼をそむけようと 私は壁に甘露を追い
壁は波うち 内なるかげに走り寄る
苦しく大きな 冴えわたる井戸が 魂のうちに
つねにとおい 一つのうつろな音をひびかせる

死者たちはまさにこの大地にかくされ
大地は彼らをあたため その神秘を涸らす
真昼はあの頭上に 真昼は動くこともなく
ただみずからを思い みずからに似る、、、
十全の頭蓋 完璧な宝冠
おまえのなかの 私は ひそかにうつりゆくもの

おまえには私だけがある 不安に堪えるものとして
私の苦しみ 私の疑い 私の刻印
それらはおまえの巨大な金剛石の瑕痕として、、、
だが大理石に重くひしがれたその夜には
木々の根によこたわる 朦朧とした人びとは すでに
徐々に おまえに荷担してきたのだ

酷薄なツェノン ツェノン エレアのツェノンよ
おまえはこの羽のある矢で私をつらぬいたのか
わななき 飛び そして飛ぶことのない矢で
私を殺す矢音を 私はきく
太陽は亀 そして
魂のアキレスは 大股に走って動かない

風が立つ 生きねばならぬ 試みねば
(広大な)息吹きは、私の詩書をひらきまた閉ざす
降りかかる波は岩人々からもほとばしり
飛べ 呟くページよ
うち砕け 波よ 喜戯する水で うち砕け
帆船のゆきかう この静かな屋根を


ARCH




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