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ほわいとぺーじ・更新と呟き・99.1.2〜12.28
99.12.28
「気まぐれ映画メモ」に、「浮き雲」の感想文をアップしました。
「走り書き「新刊」読書メモ」に、西尾幹二『国民の歴史』の感想文をアップしました。
99年も終わりで最後の更新。次回はちょうど1日の予定。2000年問題大丈夫だろうか。。。やめたほうがいいと言われているが、越年時に、 99.12.25
「気まぐれ映画メモ」に、「ザ・グリード」の感想文をアップしました。
「走り書き「新刊」読書メモ」に、多田富雄『独酌余滴』の感想文をアップしました。
先週、関さんのrain treeに、茨木のりこ詩集『倚りかからず』の感想文をアップしていただいたのを書き忘れていました。raintreeの最新号では、「ポエケット」(12月14日の項参照)に参加した人、訪れた人たちの感想文が集結中。感想や提案情報の、こういうすばやい公開のされ方はウェブならではかもしれない。。。
99.12.21
「気まぐれ映画メモ」に、「Uターン」の感想文をアップしました。
「走り書き「新刊」読書メモ」に、曾野綾子『二十三階の夜』の感想文をアップしました。
もうすぐクリスマス。ちょっと早いが、都合でささやかな夕食の宴を催した。記念に撮影した写真を。炬燵の後ろの鳥かごにはQQが入っている。隣の箱にはカメのオセロが。食卓のケーキは私の手作り(といっても市販のスポンジを利用して、ホイップクリームやチョコチップでデコレーションしただけのものだが)。これは私以外の約1名のひとが、ひとりで平らげてくれました(2日かけてです。念のため)。あとは照り焼きチキン、ローストビーフに、サーモンのマリネ。デカンタの赤ワインを飲んだ後用に、はやくも日本酒用の酒器が用意してあるところが私らしい(^_^;)。ついでに壁に飾った電飾のアニメジフをうえに公開。マグリットの絵です。
99.12.18
「気まぐれ映画メモ」に、「LAコンフィデンシャル」の感想文をアップしました。
「走り書き「新刊」読書メモ」に、山田勝『オスカー・ワイルドの生涯』の感想文をアップしました。
渋谷BUNKAMURAでゴッホ展を見る。オランダのオッテルローにあるクレラー=ミューラー美術館のコレクションからの74点は、通常では当地に行かないと見られない作品ばかりという。初期から晩年まで年代順に配列してあり、カタログには、ゴッホの場合かなり激しいと言われるその作風の変化が見て取れるように、同じテーマで比較できる作品が、美術館学芸員の人の解説で、詳しく紹介されている。展示作品を選別するときに、そういう工夫や配慮がされていることに感心したが、それは後で知って思ったことで、実際絵を眺めているときは、初期の風景画に見られるタッチの繊細さや叙情性に驚いた。女性的、というと語弊があるかな。もうすこし違う深刻なイメージを勝手にもっていたのだ。それに黄白色や肌色を多用した光あふれる風景の眩しさ。。。
絵画展自体の特徴は、中期頃の、鉛筆や黒チョーク、水彩などで紙に描かれた作品、特に労働風景や人物を描いた作品の豊富な展示だろう。「ショールをはおったシーンの娘」など、一度みたら忘れられそうにもない絵もある。晩期の絵を見ていて涙がでそうになった、とは、一緒に見た人の、雄弁な感想。。。。ゴッホ展は、渋谷では来年1月23日まで開催。その後、福岡市美術館で、2月1日から3月23日まで。
99.12.14
「気まぐれ映画メモ」に、「シーズ・ソー・ラブリー」の感想文をアップしました。
「走り書き「新刊」読書メモ」に、中村とうよう『ポピュラー音楽の世紀』の感想文をアップしました。
12日、江戸博物館で開かれた第一回TOKYOポエケットに行く。このイベントは現代詩の同人誌や詩集の展示即売と、参加詩誌の人達の詩の朗読、ビデオや8ミリの上映を兼ねた催しで、コミケ(漫画の同人誌の展示即売イベント)のようなものを想像していただければいいと思う(コミケというものに行ったことがなくて書いてますが)。私は詩の同人誌に参加していないが、今では同人同然に時々好きなことをWEB版に書かせてもらっているRAINTREE(WEB版、紙版のある詩の個人誌)の関さんや、同人の集いにも寄せてもらったことのあるBOOBYTRAP(WEB版、紙版のある詩の同人誌)主宰の清水鱗造さん(共にイベントに参加)といったインターネットを通して知り合いになれた方々にお会いできるし、こういう催し始めてなので興味をもって出かけた次第。2時の開場から1時間くらい遅れて行って、RAINTREEのブースの関さんの隣の席にしっかり座り込んで、7時の終了までいて、主宰者(「ぐるうぷふみ」)の方たちが手配して下さった、打ち上げの会(両国駅そばの飲み屋)ではちゃんこなべまで食べて、帰路は清水さんと渋谷から同じタクシーで、(あれこれと詩やネット関係のよもやま話におつきあいいただきながら)ほろ酔い気分で某所に帰り着いた。
基本的に、こういう表現の発信者が直接参加できるような創意あふれるイベントの趣旨には大賛成。第一回ということで、主宰者の方たちにはいろいろなご苦労がおありだった思うが、来年も継続されるということで、もっともっと参加同人誌が増えて、有名なお祭りイベントに発展するのを楽しみにしています(同じようなことをジオラマでもやらないかなあ)。。ひとつだけ感じたことを書かせてもらうと、私のように、ただイベントの紹介記事をネットで読んで、知ってる人に会えるし、同人誌の展示即売というのにも興味があって行ってみたという者にとっては、詩の朗読の時に会場が暗くなって、扉も閉められてしまうというのが、ちょっと気になった。というのは、自分が最初会場に入ったときが、偶然そういう時間帯だったということもあるのだが、限られた開場時間の間、いつでも誰でもふらふら会場に入っていって、いろんな同人誌ブースを回遊して勝手にぬけてでられるようなのが、自由でいいなあと思ったからだ。詩の朗読(聴き体験)というのは、書かれた言葉を黙読する(読み体験)ということと、別次元の世界というところがあるから難しい。ただ、積極的に詩の朗読が聴きたいから来たという人もいるのかもしれないし、イベントに変化も必要だと思うし、要は時間の配分や、ちょっとした会場の工夫ではないかとは思ったことだった。
99.12.11
「気まぐれ映画メモ」に、「ギルバート・グレイプ」の感想文をアップしました。
「走り書き「新刊」読書メモ」に、須賀敦子『地図のない道』の感想文をアップしました。
先日、友部正人のうたっているビデオを見た。先頃、NHKの衛星放送で放映された番組を録画したものだが、昔と声が変わっていないのが驚きだった。近年(というか十数年というか)どんな曲をうたい、どんな活動をしてるのかまったく知らないのだが、こういうケースはもはや珍しくない。でもお酒など飲んでいて興がのると、年に一度くらいは古い音楽テープ(レコードからダビングしたもの)を聴いてしまい、そのうち一緒に歌ってしまうという変なつきあいかたをしてきた。詞が楽しいのだが(たしか詩集も出してると思う)、最初見た時に一升瓶を横に置いて気持ちよさそうに歌っていた印象が強くて、私にとって友部正人というとお酒がつきものなのだ。
99.12.7
「気まぐれ映画メモ」に、「GODZILLA ゴジラ」の感想文をアップしました。
「走り書き「新刊」読書メモ」に、V・S・ラマチャンドラン、サンドラ・ブレイクスリー『脳のなかの幽霊』の感想文をアップしました。
ぺこさんから、志村ふくみさんの展示作品名にについて、「琵琶湖の夕暮れ」、「群青」というのは記憶違いでしたという訂正メールをいただいた。では、どんな名前かというと、「湖上夕照」、「早苗」、「木霊」など。実は、これらの作品(草木染めの着物)の写真も、ぺこさんが、『織と文』(求龍堂)という本からスキャンしたものをメールに添付して送ってくれたのだが、すごく綺麗。よっぽどここに掲載しようかと思ったのだが、やはりそれは問題あるのだろうなあと。もし写真をご覧になりたい方がいらっしゃったら、メールでもください。
99.12.4
「気まぐれ映画メモ」に、「スフィア」の感想文をアップしました。
「走り書き「新刊」読書メモ」に、網野義彦『古文書返却の旅』の感想文をアップしました。
近江八幡在住のぺこさんから、先月読書メモで感想を書いた『母なる色』の著者で染織家の志村ふくみさんが、同地のご出身であることを教えて頂いた。ぺこさんは毎年開催される作品展はよくご覧になっているということで、実にうらやましい(私は本の写真でしかみたことがない。いつか見たい)。展示作品には「琵琶湖の夕暮れ」とか、「群青」というような名前が付されている、ということも聞いて、さもありなんと(ますます見たい)。。
99.11.30
「気まぐれ映画メモ」に、「世界中がアイ・ラブ・ユー」の感想文をアップしました。
「走り書き「新刊」読書メモ」に、楠かつのり『詩のボクシング 声の力』の感想文をアップしました。
埼玉県立近代美術館で開催中の「フンデルトワッサー展」(12月12日まで)に行く。フンデルトワッサーは、絵画、版画、建築に手を染めた存命のウィーン生まれ(1928年)の多才な芸術家(日本にも長期滞在したことがある)。同展では絵画や版画作品の他に、建築模型のジオラマが多数展示してあって楽しめる。絵画はちょっとクリムトを思わせるような細胞の断面図みたいな抽象的な図柄や、蛍光色っぽい原色の使い方に特徴のある個性的な作風だが、建築ではあくまでも自然と文明の調和に重点をおいているのが特色。曲線を多用した不思議に味のある建築は、特に私の気に入ったヘンデルハイム保育所など、思いつきだがシュタイナーのゲーテアミムを髣髴とさせる。こんな童話みたいな建物が、実際に建築されていると思うと驚くが、彼は、ゴミ焼却場とか、美術館とか、集合住宅とか、教会やレストラン、温泉村全体(テーマパークみたいな仕上がり)とか、実際に設計を手がけていて、それがすべて実現しているのが凄い。よく知らないが、オーストリアでは国民的作家という感じなのではないだろうか。建築と絵画(ジオラマにも)に興味のあるひとには楽しめる展覧会だと思う。
***
「読書メモ」が20本分たまったので、ファイルを更新。これまでのメモ(99年8月17日〜11月27日分)は、「言葉の部屋」に、「読書メモ(11)」としてストックしました。
99.11.27
「気まぐれ映画メモ」に、「マンハッタン」の感想文をアップしました。
「走り書き「新刊」読書メモ」に、山田稔『コーマルタン界隈』の感想文をアップしました。
久しぶりに詩を掲載しました(「詩の手帖」)。
99.11.23
「気まぐれ映画メモ」に、「バック・ビート」の感想文をアップしました。
「走り書き「新刊」読書メモ」に、志村ふくみ『母なる色』の感想文をアップしました。
「エキスパンドブックの小部屋」に、山田猫さん製作のエキスパンドブック版詩集「まるめた背中」、「ショーペンアワー」を転載させてもらいました。掲載に至った経緯については同ページの「掲載の記・山田猫さんのことなど」という解説文をお読みください(^_^;)。。
それから回文詩中心のサイト硯海のマスダナオヨさんから、久しぶりにホームページの更新を再開されたという嬉しいメールがあった。もちろん回文も人間業と思えない程すごいが、「エバグリーン日記」の幻想的な散文(詩)の世界の出来映えにもすばらしいものがある。
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「気まぐれ映画メモ」が20本分たまったので、ファイルを更新。これまでのメモ(99年9月14日〜11月20日分)は、「映画の小部屋」に、「映画メモ(13)」としてストックしました。
99.11.20
「気まぐれ映画メモ」に、「NY<ニューヨーク>検事局」の感想文をアップしました。
「走り書き「新刊」読書メモ」に、福田和也『喧嘩の火だね』の感想文をアップしました。
いよいよ晩秋というか初冬というか木々の相が険しくなってきた。木枯らし1号が吹いて、北国には白鳥が飛来とか。家の崖に面した窓には、ケヤキの葉末が空の青を透かしたような明るいコガネ色になって揺れ騒いでいる。もうすぐカエデも色を染めて、二階の窓辺がしばし賑やかになるのが楽しみな季節。木々が落葉すると西の空が明るくなって夕日がきれいに見える(夏場は写真の空を被っているケヤキの細かい枝にびっしり葉が茂っているので昼なお暗い)。
(写真は安易にも昨年掲載したもので代用)。。。
99.11.16
「気まぐれ映画メモ」に、「スパイ・ハード」の感想文をアップしました。
「走り書き「新刊」読書メモ」に、名犬ヨッシー『WEB110個人情報&ネットストーカー編』の感想文をアップしました。
名犬ヨッシー『WEB110個人情報&ネットストーカー編』には、いやがらせで、勝手に相手のメールアドレスをその人の嫌がりそうなメールマガジンに登録してしまうという話がでてくる。最近私のアドレスがさるメールングリストに登録されたという通知がきて、翌日から連日関係メールが送られてくるということがあった。内容は、なんだか登録者同士で楽しそうな内輪話をしているというもので、なんのことだか、さっぱりわからない。管理者に脱会メール(入会した覚えはないのだが)を差し上げたら、なんとアドレスの入力ミス(加入させたいメンバーの人と一字違いだったという)で私のメールアドレスを登録してしまったとのこと。この場合は悪意のないミスだが、こういうこともあるのだなあと妙に感心したことだった。
99.11.13
「気まぐれ映画メモ」に、「スターシップ・トゥルーパーズ」の感想文をアップしました。
「走り書き「新刊」読書メモ」に、石川九楊『現代作家100人の字』の感想文をアップしました。
九官鳥の餌がきれたので、自転車で買いに出るが、橋向こうのバラエティショップはみごとに潰れていて、第二候補の家庭雑貨店は休み。近くの食品店のペットフードのコーナーには無かった筈だと思いながらも行ってみたらやはりない。九官鳥の餌はマイナーフードというのだが、どれも同じ大きさ位の箱入りで、私の知る限り3種類位違うメーカーから出ている。けれど、これが普通の店のペットフードのコーナーなどにはなかなかみつからない。やはり陳列に場所をとるわりには、九官鳥専用なので、あまり需要がないのだと思う。時々私の住んでいる市では何匹位九官鳥が飼われているのだろうと思うことがあるが、登録制じゃないので、これは謎だ。薄暗い夕暮れ時、今日の所はチーズやら果物類を与えてごまかそうかな、などと考えながら、手ぶらで帰って来たが、QQのきゅうきゅういう声を聞いていたら、やはり行こうと、再度自転車で、けっこう遠い駅近くのペットショップをめざすことに。思わず子供をもつ親ってこんな気分だろうかと思って、そう思った自分がおかしかった。
ウィザードリーのゲーム世界を彷徨っているうちに、騎士や魔法使いの登場するジオラマを作ってみたくなって、ぼちぼち35分の1サイズのスケールモデル用の兵隊フィギアをプラパテなどを使って加工したり塗装するのをはじめた。趣味の人形作りというところ。それが結構たまったので、以前作ったジオラマ用のベースの上に並べて撮影。かくて新作ジオラマ二作の出来上がり。紙芝居のように見て楽しんで頂ければうれしいです。
99.11.9
「気まぐれ映画メモ」に、「レディホーク」の感想文をアップしました。
「走り書き「新刊」読書メモ」に、宮台真司『野獣系でいこう!!』の感想文をアップしました。
7日、旅行記に登場するKOKOさんと二人で、新宿御苑で行われたShimirin HomePageの清水鱗造さんの主宰されている「ブービートラップ」という詩誌の寄稿者の皆さんの集いに寄せてもらう。現代詩を書く方々の集まりといっても、今回は詩を朗読する会というのではなく、公園を散歩して広場で一緒にお昼ご飯を食べながらお喋りする・ついでにあとで飲む、という親睦会ふうのもの。私が勝手に誘って参加させていただいたKOKOさんにとっては勿論のこと、私にとっても、主催者の清水さんをはじめ初対面の方も何人もおられたのだが、部外者ながら皆さんに歓迎していただいて楽しく時を過ごせた。当日お目にかかった皆さん、きっかけをつくっていただいた関さん、集まりを主宰された清水さん、どうもありがとうございました。
ウィズの話(5)
こういうひりひりするような難易度と自由度の高いゲームが最初の頃に作られたことは、パソコンゲームの歴史にとってとてもよかったと思う。後発のゲームはおおむね、その良いところをとって、改良を重ね、グラフィックや音楽などの部分では格段に進歩したが、つまりいろんな意味で、安心して楽しめる洗練されたゲームとして進化してきたが、育て上げたパーティの遭遇する回復不能な場面の設定といった、いわばプレイヤーを不条理に苦しめる要素は無くしていったと思う。それは好みの別れるところで、ストレスなく楽しめるのもいいが、このゲームとしては無茶で不親切な恐怖の味わいにも捨てがたいものがある。
ウィザードリーの名を一部に広めたのが88年日本SF大会で星雲賞を受賞した矢野徹氏の『ウィザードリー日記』(ビジネス・アスキー)という本。氏はSF作家で冒険小説の翻訳などもされている方だが、63歳でパソコンを始め、買ったその日のうちにウィザードリーに取り組んで、そのゲームに明け暮れた日々を日記のかたちで出版した。当時その本を読んでわくわくすると同時に、ご年輩の人(失礼)が、パソコンゲームに熱中できるということに、なんだか時代が変わった感じがして新鮮な感動を覚えたものだった。
99.11.6
「気まぐれ映画メモ」に、「ワンダとダイヤと優しい奴ら」の感想文をアップしました。
「走り書き「新刊」読書メモ」に、宮崎学『幇という生き方』の感想文をアップしました。
前回横浜で「セザンヌ展」を見たことを書いたが、感想を書き忘れた(^_^;)。セザンヌは若い頃パリに出て挫折はあったかもしれないが、富裕な家に生まれ生涯経済的な苦労はなく、南仏プロヴァンスの田舎に引きこもり、ひたすら自分の好きな絵を描き続けた人。初期から絵柄やテーマの変遷を辿っていくと、なんだか一度限りの人生をかけた、ひたむきで純粋な精神の実験記録を見ている気がする。オルセー美術館でも見た「マンシーの橋」が来ていたがやはりすばらしい。習作のような淡彩のスケッチにもきれいな小品が沢山あって、こういう絵に巡り会えるのは美術展ならではかと思う。12月19日まで。
ところで、その日の午後にランドマークタワーで開催された詩人北村太郎を偲ぶ講演会「北村太郎の会」にも行った。こちらの感想は、いつもながら関さんのrain treeに掲載して頂いたので、興味のある方は是非ご覧下さい。
ウィズの話(4)
このゲームでは、苦労して育てたパーティがあっけなく全滅(全滅すると墓石のシーンがでてくる)ということなど多々あって、データをしょっちゅうセーブしておかなければとても進めない。へんなところでセーブしても、情況によってはほとんど生還不可能で、他のパーティを組んで救助に行かなくてはならない。よく覚えていないが最初の頃のバージョンでは、ゲームシステムが勝手にデータをあっという間にセーブしてしまい、嘆いても後の祭りという場面が度々あった気がする。迷宮内に置き去りにされたパーティは、アイテムを盗まれたり、体をモンスターに食われたりとぼろぼろになっていることがある。こういういわゆる難易度が高いのに加えて、ゲームが終了しても(ボスを倒してもということだが)、入手できない幻のアイテムを求めて迷宮内をうろつくことも出来るし、キャラクターの職種の選び方も成長のさせかたもゴールに至る道筋も、ほとんど好き勝手ができる。つまり自由度もかなり高いのだ。
99.11.2
「気まぐれ映画メモ」に、「レリック」の感想文をアップしました。
「走り書き「新刊」読書メモ」に、遠山一行『マチスについての手紙』の感想文をアップしました。
横浜美術館で開催中の「セザンヌ展」を見てきた。イヤホンつきの説明機具を借りて(有料500円)、じっくり回る。こういうのをつけるのはアヴィニヨンの法王庁を見物したとき以来で日本の美術展でははじめて。解説は便利だが、すごく落とし穴もある。つまり解説を聞いて絵を理解した気持ちになってしまいがちということ。最初にいちどぐるっと回って、自分の目で絵画の印象を得てから、もう一回聞きながら回るのが理想だと思う。時間があればのはなしだが。
ウィズの話(3)
パソコンゲームの弊害もいろいろ言われるが、私はそういうわけで根っからのゲーム肯定論者で(論なんてないのだが)、基本的にゲームをして時間を浪費するのが好きだ。で、ウィザードリーというゲームだが、創生期につくられたパソコンゲームとして、その特徴はなんともギャンブルに似たランダムに規定される数値の組み合わせにプレーヤーが翻弄されるところにあるように思う。
キャラクターの収得できる能力値しかり、モンスターの出現する確率しかり、入手できるアイテムしかり、すべて、その世界を支配するのは、ウィズのゲームシステムの奧に潜む悪意に満ちた数字の神であり、迷宮をさまよう哀れな冒険者たちの日々にとって、過激な運不運となってはねかってくる。この神は、それ以降の酸いも甘いも噛み分けたような進化したゲームの神を新約の神(主人公キャラクターが死んでもすぐに蘇らせてくれるような慈愛に満ちた神)に喩えるなら、むしろ酷薄で不合理きわまる旧約の神に似ているというべきか。
99.10.30
「気まぐれ映画メモ」に、「エイリアン4」の感想文をアップしました。
「走り書き「新刊」読書メモ」に、石川九楊『書に通ず』の感想文をアップしました。
ウィズの話(2)
今から思えば隔世の感があるが、子供の頃に双六ゲームみたいなのをつくったり(小学生の頃、私は兄と一緒に世界中のF1グランプリの開催されるサーキットの全コースを象った双六ゲームをつくって、べっこ屋で5円か10円で買ってきたプラスチックの小さなF1のレーシングカーを削って実物(ポルシェとかマセラティとか、フェラーリとか)に似せてチームカラーに塗り分けたりして、それを駒にして、双六ゲーム(もちろんF1グランプリ制覇ゲーム!)にして遊んだ。)、いろんなテーブルゲームをするのが好きだった人にとっては、20年位前のパソコンゲームの出現とは大げさに言えば人生の快挙であったといってよいだろう。ウィザードリーやウルティマといったゲームの出現は、こういうのが子供の頃にしたかったんだ!、という驚きと喜びそのものだった。
99.10.26
「気まぐれ映画メモ」に、「カミーラ あなたといた夏」の感想文をアップしました。
「走り書き「新刊」読書メモ」に、出口裕弘『辰野隆 日仏の円形広場』の感想文をアップしました。
半年に一度位、思い出したようにゲームがやりたくなるので、たまに中古ソフト屋を覗いているのだが、先日プレステーション用ゲームソフト「ウィザードリー リルガミンサーガ」を見つけ、思わず買ってしまった。発売後さほど日がたっていないと思う新品なのに安くなっていて3000円弱。このソフトはシナリオが三つ入っていて(ということはゲーム3本分)、お買い得なので、まだやったことがなくてRPGが好きな人は見つけたら老後のためにも買っておいても損がないと思う。
ウィザードリーは元祖RPGと言われるダンジョン探索型のゲームソフトで、10数年前に発売されて以降、様々なパソコンやゲーム機に移植されシリーズ化されて、これまで世界でのべ400万人位やった人がいるという。私もはるか昔の記録を見ると87年にMSXというパソコン規格に移植されたシナリオ1をやっている。。
99.10.23
「気まぐれ映画メモ」に、「妻の恋人、夫の愛人」の感想文をアップしました。
「走り書き「新刊」読書メモ」に、吉本隆明『私の「戦争論」』の感想文をアップしました。
私の住む地域でゴミの個別回収が10月から始まったことは既に書いたが、先日、瓶類の回収の日に何かの事情で市の清掃課の回収作業(朝8時までに出せといわれている)が夜更けまで遅れたことがあった。そのことに、夕方、自転車でスーパーまで買い物に出て気が付いたのだが、家々の玄関先にゴミ袋やプラスチックの籠が置いてある風景というのは、ちょっとした見物だった。半透明のゴミ袋が指定されているので、見た目の格好のわるさもさりながら、どこの家がウィスキーばかり飲んでいるとか、栄養ドリンクばかり飲んでいるということが、他人が散歩したり自転車で通り過ぎるだけでも一目瞭然というのは、どう考えても異様な事態に思えて、変な時代になったものだなあという感じがする。
99.10.19
「気まぐれ映画メモ」に、「マッド・シティ」の感想文をアップしました。
「走り書き「新刊」読書メモ」に、谷川渥『だまし絵』の感想文をアップしました。
花の命は短くて、とはいうが、起きぬけの朝の空気に木犀の花が香しいと思っていたら、もう散り零れている。明るいオレンジ色の小さな小さな十字架のような花。ピラカンサスの赤い実(これはひよどりの好物)が色づきはじめ、萩も終わって季節は秋に。
渋谷区の等々力(とどろき)渓谷というところに遊んだ。両岸が樹木に被われた落差10メートルの谷底の谷沢川に沿った全長1キロほどの遊歩道で、住宅地のまんなかなのに不思議な静けさがある。湧水もあってミネラルウォーターの瓶を持参でお水取りに来ている人もいる。不動明王の祠の脇には小さな瀧があって、そこで背中に梵字の書かれた白衣を着た女性が印をきり、奇声(きっと専門用語があるのだろうが私は知らない)をあげて瀧にうたれては、塩を撒いて霊場を清めていたのが、なんとも時代離れしていて面白い。そこから至近の多摩川の堤に抜けてぼんやり堤防で時を過ごす。学園ものらしいドラマの撮影中のグループがいて(そのうち数人が学生服姿で台本を読んでいた)、川の側には巨大な望遠レンズつきのカメラを構えた写真家のような人が、鳥に餌をやっては撮影してる。白鷺や鴨やせきれいなど。リトリバーを連れた母娘らしい二人連れが散歩に来て、川岸まででていたが、犬が川の浅瀬で凹んだボールを発見したらしく、それをくわえて大喜び。投げてやるとそれを取りに果敢に川に入って行く。今日の収穫はその水入りの凹んだ子供用のサッカーボールで、犬はくわえたまま嬉々として飼い主と帰っていった。きっと庭すみに穴でも掘って埋めるのだろう。その家に本当は庭があるかどうか知らないがあるといいと思う。。。
通りすがりの猫だまり。
99.10.16
「気まぐれ映画メモ」に、「ラブ・アンド・ウォー」の感想文をアップしました。
「走り書き「新刊」読書メモ」に、小松左京『紀元3000年へ挑む 科学・技術・人・知性』の感想文をアップしました。
深夜にインターネットにアクセスしたら、また例の(9月18日に書いた)パスワードが認識されないというトラブル。そういうときは深く考えないで寝てしまう、と教えてもらって、さっそく実行。なんどもアクセスしてみて、いらいらしながら復旧を待つより、精神衛生的にいいようです。
99.10.12
「気まぐれ映画メモ」に、「この森で、天使はバスを降りた」の感想文をアップしました。
「走り書き「新刊」読書メモ」に、井口俊英『告白』の感想文をアップしました。
偶然テレビで写真家のブレッソンのインタヴュー番組を見た。絵も描く人で、「写真は射撃、絵は瞑想」と語っていたのが印象に残った。瞬間のシャッターチャンスにかける写真術と、無心に絵を描いているときの不思議な時間感覚の特質をよく言い当ててる言葉だと思う。では「詩」はなんだろう。北村太郎は「直撃力」という言葉を使ったが、書くことにおいて「瞑想」的、読むことにおいて「射撃」される感じもある。たとえば瞑想っていう魅力的な言葉に弾かれるようにして、絵が描きたくなってくるのが、言葉の力。
99.10.9
「気まぐれ映画メモ」に、「ロスト・ワールド /ジュラシック・パーク」の感想文をアップしました。
「走り書き「新刊」読書メモ」に、井上章一『愛の空間」』の感想文をアップしました。
探してる新聞記事の載ってる紙面が、サンマに塩を振る下敷きに使ったらしくてみつからない、という頂いたメールの一節を読んで、急にサンマが食べたくなった。スーパーにいくと、白っぽい蛍光灯に映えて冴え冴えと輝くばかりのほっそりとしたサンマが並んでいる。サンマを秋刀魚と書くのがいかにも似合いだと思う。
ところで、秋刀魚とか百日紅ということばの読み方は、記号みたいに覚えるしかないのだろうが、いったん覚えるとどうしてもこの場合にはこの漢字でなくてはしっくりこない(似合わない)、という感覚が生まれるから不思議だ。こういう感覚のしくみはどうなっているのだろう。養老氏なら脳のくせだというかもしれないが。
99.10.5
「気まぐれ映画メモ」に、「ストレンジャー」の感想文をアップしました。
「走り書き「新刊」読書メモ」に、辻征夫『ぼくたちの(俎板のような)拳銃」』の感想文をアップしました。
3日に渋谷で行われた講演会「西脇順三郎を語る会」に行ってきたところ(こちらの感想は「rain tree」に掲載して頂きました)、翌日、「北村太郎の会」の主催者の方から、今年の開催通知が届いた。この催しも、詩人北村太郎を偲ぶ講演会です。
どんな内容なのかという去年聞きに行った時の感想は、ホワイトページの98年のストックの中の、10月27日、10月31日の項で触れています。思えば、この時初めてウェブで知り合った方(関さんですが)とお会いしたのだった。今年はランドマークタワーの13階での開催というから、秋の海の見晴らしがよさそう(推測)。横浜美術館では確かセザンヌ展もやっているのではなかったかな。
「北村太郎の会」のご案内
日時 10月30日(土) 14時30分開場、講演15時〜16時半
場所 フォーラムよこはま(ランドマークタワー13階セミナールーム1)
ランドマークタワー 045-224-2001
交通 桜木町駅(JR・市営地下鉄・東急東横線)下車、徒歩7分。
動く歩道を降りてランドマークタワーのエレベーターAを利用。
ゲスト 清水哲夫氏「北村太郎、その人と詩」
瀬尾育生氏「北村太郎の詩と詩論」
会費 2000円(ティーブレークに飲み物、お菓子つき)
問い合わせ先
世話人 柳下和久(北冬舎内)033-292-0350
99.10.2
「気まぐれ映画メモ」に、「ポストマン」の感想文をアップしました。
「走り書き「新刊」読書メモ」に、加藤隆『『新約聖書』の誕生』の感想文をアップしました。
10月、さっそくゴミの出し忘れ。。。
2000年問題を論じた本で、濱田亜津子『西暦2000年問題の現場から』(99年8月20日第1刷・文春新書)が読み応えがあった。派手な本ではないけれど、楽観論にも悲観論にも組みせず、問題のしくみやその性格、どんな対応が現場でなされているのか、どんな風に向き合えばいいのか、などなど大型汎用機のソフトウェア開発技術者の立場から、丁寧に解説されている。
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音楽再生ソフトの話を綴った「MP3の楽しみ」を言葉の部屋にアップ。
99.9.28
「気まぐれ映画メモ」に、「フェイス/オフ」の感想文をアップしました。
「走り書き「新刊」読書メモ」に、宮本紘太郎『み〜んな悩んで電子メール』の感想文をアップしました。
「読書メモ」で取り上げた、宮本紘太郎著『み〜んな悩んで電子メール』に、2000年問題に触れた「あなたの2000年問題」というコラムが収録されていて、いざというときの心構えと予測が書いてあった。素人にはわかりにくいことで、興味深かったので、以下に。
まず、2000年1月には銀行のATM機のかなりの数のものがサービス停止になると考えておいた方がいいという。稼働している機械も、ちょっとした誤操作で、停止する可能性があり、キャッシュカードも問題なく使用できるかどうか保証の限りではないともいう。当然銀行では相当の混乱が予想されるから、12月中に手元に現金をもっておこうとする人が増えて、長蛇の列となる可能性がある。よって、必要な現金を降ろすのは11月までにしておきたい。と著者はいう。
交通機関も制御装置が正常に動かなくなるかもしれない。だからシステム担当者。金融関係者、危機管理要員は、年始年末に会社に詰めていなければならない。既に都心のホテルの予約は相当程度進んでいるという。
電気はつくが、頻繁に停電するという予測もあるという。電気製品は時刻設定などたびたび消える可能性があり、要チェック。公共の交通機関が当てにならないとなると自動車を利用するひとが増え、ガソリンの需要が一時的に上昇する(ガソリンスタンドがちゃんと営業していれば)。これは世界的に起きることで、中東産油国のコンピューターシステムの2000年問題対応は遅れているから、生産が遅れたりストップする可能性もある。すると供給が追いつかずガソリンが値上がりする可能性がでてくる。
交通が停滞すると輸送が遅れるから、スーパーなどの品揃えが不足する。石油ショックのときのようになる可能性もある(炊飯ができない主婦がレトルトのご飯パックを買いあさるのではないか、と著者は書いている)。。
もちろん以上は、転ばぬ先の杖という意味を含めての予測とアドバイスなのだが、システム管理の専門家の指摘されていることなので、ご参考までに。杞憂に終われば越したことがないが、地球上でミサイルから家電に至るまで使用されていて、数百億、数千億あるともといわれるマイコンチップが、どんなふうに誤作動するのか、確実な予測のたてようがないというのは動かしがたい事実のようだ。。。。
99.9.25
「気まぐれ映画メモ」に、「ブレイブ」の感想文をアップしました。
「走り書き「新刊」読書メモ」に、ミラン・クンデラ『微笑みを誘う愛の物語』の感想文をアップしました。
テレビで最近、若い女の子の「プチ家出」というのが増えているという報道を見た。毎日友人や恋人のアパートを泊まり歩いて、ろくに家に帰らないらしいのだが、それでも従来の家出と違うのは、家族と携帯電話で繋がっているということ。親のほうもそれで安心するらしく、子供にむきあう面倒さから逃れる、親の側のウチ家出?と釣り合っているというところだろうか。
近年、家出の捜索願の件数自体は減少しているらしいのだが、実際には、こういうケースが増えていているというような話だった。インタヴューされる紙袋(着替え入り)を抱えた女の子たちは、口を揃えて、ううん、家出じゃない。という。。先日遊びに来た精神病院でカウンセリングをしている友人にこのことを話したら、プチ家出なる言葉は知らなかったが、そういうケースはとても多いと言う返事だった。
こういうことは、子供の頃から便利だからと携帯をもたされて買い物や塾や友だちの家に遊びに行くような生活をしていたら、当然その延長で起こりうることのようにも思える。たぶんこういうのって、どこかで世代をこえた時代の共通感覚と結びついていて、ひととひとの関係性の変化が緩やかに進行している証しなのだろう。
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上でも宣伝しましたが、ようやく、イラスト入りの縦書き「あいうえおうた」(HTML版)が完成。8月にアップしたエキスパンドブック版と、ほとんど同じ感じで見られると思います。ただ、文字の表示がやや貧弱(^_^;)。。。
99.9.21
「気まぐれ映画メモ」に、「天使が隣で眠る夜」の感想文をアップしました。
「走り書き「新刊」読書メモ」に、今泉文子『ロマン主義の誕生』の感想文をアップしました。
私のマックは、女性の声で起動時と終了時に英語で挨拶して、15分単位で時報も知らせてくれる。これはもちろん、そういう音声データをシステムファイルに放り込んで設定してあるのだ。そうした音声データは雑誌の付録などについているが、日本のものはなぜか少年っぽい声優の声というのが多い。これはどうも好みとしては今ひとつ。
先日、さるアメリカのサイトから、メールソフト用の着信音声データをいくつかダウンロードしてみた。なかには、really cute valley girl(解説による)が、"Another email? Oh my gosh, I'm so popular!"と喋るのもあった。「まあ、またメール?どうしましょう。わたしって人気者なのよね。。」ということにでもなるだろうか。傑作だが、いつもこれでは疲れそうだ。
結局、某映画のタイトルみたいな、"You Have New Mail"と喋るのを入れた。入れたのはいいけれど、私の場合メールはあまりこないので、アクセスするたびに彼女の声が聞けるというわけではない。というわけで、メールがくればいいなと(^_^;)。。。
99.9.18
「気まぐれ映画メモ」に、「ブルー・イン・ザ・フェイス」の感想文をアップしました。
「走り書き「新刊」読書メモ」に、平居謙『風呂で読む現代詩入門』の感想文をアップしました。
プロバイダーにアクセスしようとして、突然パスワードが認証されませんという表示がでたらどうするか。 そういう恐ろしい目にあった。
いつもは自動に設定してある接続ソフトのパスワードの書き込みが、 どういう訳か無視されて、アクセスしたサーバーの方から、 パスワードを入力するように指示される。 そこで、メモを片手に不安な気持ちで暗号を入力するのだが、 これがぴしゃりとはねつけられるのだ。 なんだか、犯罪者になったきぶん。。
私の環境では、同じTAを経由して、アナログとISDNで繋いでいる 二台のパソコンで、同じ症状がでたので、これはソフトの問題じゃないと思い、 最悪の状況(誰かにパスワードを盗まれて、 勝手に書き換えられてしまい、そいつがへらへら笑っている!)を想定して、 深夜二時過ぎだったが、急いでプロバイダの24時間サポートに電話をした。
担当の人と、いろんなやりとりがあって、それはそれで面白かったのだが。。 (その時は、あせりまくっていて、もしパスワードを教えたら それがまだ有効かどうか、そちらで試してみてくれるかなどと、 無茶なことを自分で言っていた。その人からは、自分はプロバイダから頼まれてサポートしてるだけなので、 プライバシーに関わることは、できればやりたくない、と迷惑がられた。)
結論をいうと、1時間後くらいに復旧した。 詳細は聞かなかったが、原因はサーバーの故障でしょう。 最初異常ないと言っていたが、もう一度調べてくれると言ったあとで、 しばらくして復旧したので、他に考えられない。。
そこで教訓。そのパスワードは認証されていません、という警告も、 サーバーの故障で表示される場合もあることを覚えておこう。 故障とはいえ、回線が繋がらないのなら分かり易いが、この症状は、 一見アクセスする側に問題がありそうなので、たちがわるい。。
99.9.14
「気まぐれ映画メモ」に、「危険な関係」の感想文をアップしました。
「走り書き「新刊」読書メモ」に、老松克博『スサノオ神話でよむ日本人』の感想文をアップしました。
今年の残暑はきびしい。デジカメとカメのオセロをポケットに入れて、気分転換に近くの公園まで。多摩川の水たまりにカメを放ってみたところ、リクガメなれど、すいすい泳げるのを発見。それとも、あれは泳ぐふりをしているだけなのだろうか。なにしろ格好が歩くのと同じなのでよく分からないのだが、ともかく浮いて前に進んでいた。。。公園の萩の花は盛り。すすきもぴかぴか光っていた。遊び疲れたような蝶もひらひら。。そこで秋の気配なのだが、これが蒸し暑くて、いっこうに兆してこない。ベンチで持参したサンドイッチを食べながらちぎって、寄ってきた鳩にまいてやる。途中から中に雀が一羽混じってきて、そのすばやいこと。並み居る鳩の群(十羽くらい)を尻目に、ほとんど、地面を走り抜ける感じで、一直線にパンくずの落下点に行って、獲物をさらってしまう。これには驚いてしばし暑さを忘れた。機会があればいつかお試しを。。。
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映画感想が20本分たまったので、「気まぐれ映画メモ」のファイルを更新。これまでのメモ(99年7月6日〜99年9月11日分)は、「映画の小部屋」に、「映画メモ(12)」としてストックしました。
99.9.11
「気まぐれ映画メモ」に、「聖週間」の感想文をアップしました。
「走り書き「新刊」読書メモ」に、沢木耕太郎『貧乏だけど贅沢』の感想文をアップしました。
ゴミ処理の問題が指摘されて久しいが、私の住む地域でも10月からゴミの回収方法が変わるとの通知を受けた。驚いたのは、ゴミを出す場所が、これまで指定されていたところから、個人の住居の敷地内(玄関先や門の脇)に変わったことだ。現状ではゴミの捨て方がとてもいいかげんで、責任の所在をはっきりさせることで、なんとか分別回収をスムースにしたい、という意図が見て取れそうだ。苦肉の作というべきか。
ただ、ゴミは各自の家の前に透明な袋に入れて所定の時間にだせ、ルールにあわなければ回収しないだけ、というのは、結構問題があるように思う。住民は否応なくそのルールに従うことを強いられるわけだが、瓶は月に一度の決まった日の朝8時まで、などと、すごく生活パターンを左右されるわりには、そのルールがお役所的(清掃課本位)な感じがするからだ。ともあれ、厳密な分別ゴミすてルールと、ゴミ回収タイムスケジュールに追いまくられて生きるのが21世紀のライフスタイルかもしれない。慣れれば今までのルーズさに驚くようになるのだろうか。。空き瓶に埋もれて暮らしてる気もするが。。。
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前回、書き落としたこと。最初に検索したのはgooで、翌日検索したのはinfoseek。けして酔っぱらっていて見つけ損なったのではありません。。。
99.9.7
「気まぐれ映画メモ」に、「スモーク」の感想文をアップしました。
「走り書き「新刊」読書メモ」に、外間守善『海を渡る神々』の感想文をアップしました。
知る人ぞ知るらしい糸電話を利用した音楽パフォーマンス、「ストリングラフィ」の演奏活動に演奏スタッフとして参加している友だちが、久しぶりに遊びにきた。当夜はその話題でもりあがり、ホームページもあるというので、わいわい検索してみたが、なぜか地方公演の情報ばかり。翌日しらふになって再度検索したら、ぶじに創案者の水嶋一江さんの