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V. 酵母を使った巧妙な実験系(1998.08.24作成)

 最近の植物栄養分野の研究で、もっとも印象に残っているものを一つあげるとすれば、カリウムイオンチャンネルの研究です。先日も立体構造解析の結果が発表されていました。発端となった1992年の論文には大変感銘を受けましたので、今回はその紹介をいたしましょう。


  1. あっと驚く「Complementation」
     植物のカリウムイオンチャンネルをクローニングした方法を一言でいえば、酵母の変異体の「complementation」を利用した、ということです。その内容は

    1. 高濃度のカリウムイオン存在下で酵母を培養することにより、高カリウム条件でしか生育できない変異体を得る。
    2. 植物の cDNA で形質転換して通常のカリウムイオン濃度で生育できるものを選択する。
    3. 1)の変異体はカリウムイオンの輸送体(チャンネル)が欠損したものであると仮定すると、2)で形質転換することができる cDNA はカリウムイオン輸送を相補(「complement」)したことになる。
    4. 仮定3)が正しいとすれば、この cDNA はカリウムイオン輸送体をコードしていることになる。

     以前、「生物に必須の機能を解析するには、帰納法には限界がある」という趣旨のことを書きました(参照 I-4)。植物のイオン輸送(養分吸収)もおそらく「帰納法」による研究は不可能だろう、と思っていたのでこの論文には大変驚くと同時に、固定観念にとらわれていたことを反省させられました。

  2. もうチャンネルは「単なるモデル」ではない
     もし、酵母の変異体が得られなかったら、そしてもし、植物の cDNA で形質転換できなかったら、「蛋白質という物質として」カリウムチャンネルを特定することは困難を窮めたでしょう。「試験管内で機能を測定すること」、「精製すること」、いずれも難しいことが予想されますから。ちなみに、Na+/K+-ATPase の存在を証明することがどんなに大変なことだったかは昨年のノーベル化学賞関係の総説・解説記事を参照してみて下さい。
     また、動物のカリウムチャンネルはショウジョウバエの変異体からポジショナルクローニングで遺伝子を得ています。この方法も、「突然変異の原因を調べたら、(たまたま?)カリウムチャンネルだった」ということです。シロイヌナズナを用いて同じことをしようとしても変異体を得るには偶然に頼らざるを得ませんし、植物と酵母とでは、スクリーニング(目的とする変異体・形質転換体の選抜)に要する労力は、ケタ違いです(動物のカリウムチャンネル研究なら最近の生化学にも載っています)。
     「養分吸収・物質輸送」の機構を、「植物個体の観察に基づく単なるモデル」ではなく、実体のあるものとして解析することの困難さを、現在でも私は強く意識しています。それ故に、植物関係のゼミや学会誌の総説で「酵母の変異体を利用してカリウムチャンネルがクローニングされた」とあっさり記述されてしまうことに違和感があります。
     ゼミの論文紹介や、勉強会で「新事実・新知見」が紹介されます。「何処の誰が何をした」というだけでは、井戸端会議のうわさ話と同じです。背景を踏まえて「どこにブレイクスルーがあったのか」、「どんな発想の転換があったのか」、「今後どのように展望が開けるのか」というところに私は感銘を受けるのです。

  3. 植物は「濃縮屋」
     「植物は光の子」という名言(名曲)があります。地球上のほとんどの生物が究極的には植物の光合成に依存していることから、光合成の重要性に気付かない人はいないでしょう。一方で「植物は濃縮屋」ということを意識している人はどのくらいいるでしょうか?もしもこの世の中で、空気中の二酸化炭素と同じ濃度で炭水化物や蛋白質などが分散していたら...たぶんほとんどの動物は生きていけません。ちなみに濃縮に要するエネルギーはモル数(濃度差)と気体常数と絶対温度の積です。ちょっと物理化学と熱力学を学んだ人なら、「光エネルギー→化学エネルギー」変換(光合成)と同様に「光エネルギー→化学ポテンシャル」変換(濃縮)がいかに重要であるかイメージできるはずです。
     植物の「植物らしいところ」を研究するなら、光合成だけでなく、常に働いているはずの、ベースともいえる養分吸収(物質輸送)という現象を化学反応として理解したいと思います。そして、それは「律速段階・制限要因」という高校の化学レベルで記述できるような単純なものではないでしょう(この件に関してはまたの機会に)。1992年のクローニングの論文でようやく ATPase に続く、養分吸収に関わる反応を観察する2つめの手がかりが得られたと感じました(参照 II)。
     余談ながら、「植物は形質膜 H+-ATPase によって細胞膜内外に電気化学ポテンシャルを作り出し、それに従って元素を土壌溶液から吸収する」と専門家以外(研究管理職を含む)に説明する必要から、私も使ってしまう表現です。しかし、生物は目的を持って設計されたものではありませんから、本音?で表現すると、
    「植物体を構成する成分組成、構成に要する時間(成長速度)・温度依存性は、生体内反応を担う蛋白質の規格や、その機能に影響を与える因子によって決まる(個々の反応の性質が反映される)」
    となります。

    本川達雄:

  4. 専門分野・専門外分野
     「ATPase やイオンチャンネルって養分吸収に関係があるの?ボクは専門外だから良くわからないけどさ」。これは、研究室の某 OB が吐いて、私を絶句させたセリフです。確かに植物栄養学、土壌科学分野も細分化されていて、専門外のことに疎くなるのは仕方のない面もあるでしょう。しかし、「養分吸収力」「根活性、根活力」という言葉を駆使していた人物がこのような発言をすることに怒りを感じます。いまどき「窒素・リン酸・カリ」を知らないで「地力・土壌養分」を論じる研究者はいません。「免疫力」「病原体」云々と言っている医者や医学研究者が「免疫グロブリン・T, B 細胞」「ウイルス・バクテリア」は専門外だからわからない、といっているようなものです。
     「養分吸収力」など、植物の基本機能は、特定の因子に帰結したり、複数の因子の「加減乗除」に近似できないと私は予想してます。個々の反応を一通り、かつ、徹底的に把握して初めて全体が見えてくるものに思えます(参照 II:これに関してはいずれ掲載)。私に「あっと驚く」すばらしい発想ができるかどうかはわかりません。しかし、「現象に名前を付けただけ」で安心している人たちに比べれば、ずっとチャンスはあると思いますね。

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