Previous Page

VII. バイオを支える好熱菌(その2)(1998.12.20作成)

  今年の「蛋白質構造討論会」の案内を見ていたら「総力戦としての蛋白質科学〜好熱菌丸ごと一匹プロジェクトへのお誘い」という魅力的なタイトルのシンポジウムが目にとまりました。農業試験場に職を持つ私が、なぜ一見無関係(趣味の研究?)とも思える分野にひかれたのか順を追ってご説明しましょう。


  1. どうして「好熱菌」か?
     残念ながらシンポジウム「丸ごと一匹〜」はどのような話題だったのかわかりません。とりあえず、「好熱菌」とつき合ったことのある人たちの間で、わりあいと 一般的な考え方を紹介しながら「丸ごと一匹プロジェクト」の意義を考えてみたいと思います。
     蛋白質の研究をする上で好熱菌を材料とすることにはどんな利点があるのでしょうか?

    1. だれでも考えつくとおり、好熱菌の蛋白質は比較的安定で取り扱いが楽です。熱変性だけでなく、蛋白質分解酵素に対しても強い可能性があります。このため他の生物の「同じ種類」の蛋白質に比べれば精製が容易です。蛋白質の構造と機能を調べるには精製する必要があります。とくに立体構造解析には「精製」は不可欠です。
    2. 好熱菌の蛋白質は生命に必須なセットを備えながらも「種類が少ない」可能性があります。蛋白質が「特定の立体構造を取り、機能を維持する」には高温だと条件が厳しく、取りうる構造が限定されると考えられるからです。これ以外の根拠と「種類が少ない」ことのメリットは後ほど詳しく述べます。
    3. 好熱菌の蛋白質は比較的頑丈で、結晶化し易い...かもしれません。大雑把に表現するなら豆腐(変性しやすい蛋白質)を積み上げるよりも煉瓦(変性しにくい蛋白質)を積み上げる方が簡単です。結晶とは「分子間の相互作用によって分子が規則正しく並んだもの」であることは蛋白質でも同じです。「X 線結晶回折」はもっとも分解能の高い構造解析の方法です。

     あの、ATP 合成酵素の研究を思い起こすと、「蛋白質として比較的取り扱いやすく、優れた組み換え・発現系があり、機能解析に必要な再構成系が確立されている」のが好熱菌の FoF1-ATPase であるのは決して偶然ではないように思えます。
     研究には目的に適した材料があります。遺伝・染色体にはショウジョウバエ、神経にはイカの軸索、というのはあまりにも有名です。

  2. 「丸ごと」調べるメリット
     以前、「蛋白質の研究は大事なものからやっていくべき」と掲載しました(I-3)。では「大事かどうかわからない」場合にはどんなやり方があるでしょうか?ヒントとなるのは進化論的な考え方です。蛋白質にも共通の祖先型のものがあると考えて、生命の起源に近い生物の蛋白質を一通り解析するのが作戦の一つです。蛋白質の立体構造を予測するために、祖先型を押さえておけばずっと「見通し」は良くなるように思います。十数万種類といわれる蛋白質を全部調べるのは絶望的気分になりますが、数百から千種類程度の蛋白質ならば勇気がでてきます。
     さて、「好熱菌(特に古細菌)は生物の共通の祖先(原始生命)に近い」という説があります。もともと分子系統的方法(補足1)によって予想されたこの説は、別の証拠があるために(後から考えついたもの、ここでは省略)私は信頼性が高いと考えています(補足2)。現実に、ある好熱性古細菌は遺伝子サイズが小さいことが知られています。祖先型に近い(かもしれない)という意味でも好熱菌は優れた材料でしょう。
     さらに、前述の仮定に基づくと、「生命の基本設計」(補足3)を理解する上でも有利な材料です。「生命現象」は生体内の化学反応が反映されたものです(I-4、II-4、III-5、V-3)。「生命現象の特性」は「十数万ともいわれる遺伝子をすべて解明しなければならないほど複雑ではない」というのが私の直感です (ただし目的による)。基本的な「生命現象」を化学反応の組み合わせとして解析するには、単純なものでかつ、「祖先型」といえるものが向いているはずです。十数万種類の酵素反応を調べるのは大変でも千種類くらいなら何か方法がありそうです。好熱菌を「丸ごと」調べることにより生命の基本設計が見えてくるのではないでしょうか?
     優れた材料を選んで「一つのものを徹底的に調べる」という考え方は「イネゲノムプロジェクト」にもあります。イネで調べられたことが一つの植物にとどまらず、他の作物の共通の性質に応用されることによって大きな波及効果が期待できる、という発想です。

    補足1:遺伝子(蛋白質のアミノ酸配列や DNA の塩基配列)の相同性(どの程度似ているか)を生物種間と同一生物内の近縁の遺伝子で調べることにより、系統関係を推定する方法のこと。
    補足2:最近の生命の起源に関する総説などにいろいろ紹介されています。楽しく読めるという点で大島泰郎先生の「生命は熱水から始まった 科学のとびら24 東京化学同人」がお薦めです。
    補足3:1)外界と区別できる、2)複製を行う、3)物質とエネルギーのやりとりがある、4)恒常性が保たれている、ということです(ただし、ここで使用した言葉を観察事実に基づいて厳密に定義するのは難しい)。

  3. 農業の本質
     農業とは生物の機能を利用して、または模倣して、「価値」を生み出すことだと私は考えています。その「価値」を「食糧生産」に限って化学反応としてとらえるならば、「太陽の光エネルギーを化学エネルギー(結合エネルギーとポテンシャル)に変換する」ことが本質です。そう考えると、作物の収量性とは「光エネルギー→化学エネルギー」変換反応速度となります。
     作物の収量性を調べる目的で、様々な工夫により「養分吸収速度」「光合成(炭酸ガス吸収)速度」などの解析がなされています。しかし、「化学反応」として理解するには、まだまだ大きな隔たりを感じます(たとえば「DNAの複製」と「遺伝」の関係に比べて)。農業の研究(特に収量性など)をおこなう上で、「物質とエネルギーのやりとり」のような「生物の基本的な部分が見えていない」というもどかしさをいつも感じます。なんと例えていいものか、そうですね、「霧の中で『木のてっぺん』(それぞれの現象)は見えているのに、地形の起伏(基本的部分)を知らないために『木そのものの高さ』(生物個々の特性)がわからない状態」とでもいえましょうか?(この件についてはいずれ詳しく)
     「光合成」「酸素呼吸」という生命史上の大発明によって植物が存在するのは事実です。しかし、生物の基本骨格「物質とエネルギーのやりとり」ということに着目すれば、バクテリアでも植物でも大差ないような気がします。「ガソリン軽自動車とディーゼル機関車」が内燃機関を動力にするという点では同じであるように。「生物の基本設計」を理解するために「なんでもいいから」とにかく「生物の機能を組み上げて」みたい、という気持ちが私には強くあります。そのために「好熱菌丸ごと一匹プロジェクト」に惹かれるのです。何か基準が一つでもあれば、ずっと物事を理解し易くなるはずですから。

  4. 鳥をながめて考える
     抽象的で、論理の飛躍があってうまく説明できなかったかもしれません。こんなたとえ話はどうでしょうか?
     鳥をまねて空を飛ぶことを考えてみます。たくさんの種類の鳥を比較して、羽根の色や嘴(くちばし)の形のように「何処が違うか」を調べても飛行の原理はわかりません。むしろ「どこが共通か」を見ることによって「翼で揚力を得ている」ことが理解できるのです。そして、翼と揚力の関係を知るためにはハチドリやクジャクではなくてトンビやカモメの方がわかりやすいでしょう。「飛べる条件」を理解した上で「早く飛ぶには?」「長時間飛ぶには?」と話を進めていくはずです。
     生命科学の研究でも、「どこが違うか?」という研究だけでなく「どこが共通か」に着目して「良い素材を選ぶ」ことから始める人がもっと増えてもいいように思います。

Next Page

目次