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VI. バイオを支える好熱菌(その1)(1998.10.18作成)

 若い時に「良い師匠」に出会う、ということと同じくらいに「良い研究テーマ(素材)」に巡り会うことは大事なことだと思います。私が80℃以上で生育する「高度好熱菌」と、少しばかりお付き合いしたのは学生時代です。データを量産できるテーマではなかったにも関わらず、このことは自分にとって「人生の糧」ともいえる良い経験になったと感じています。今回は2回に分けて好熱菌を素材に話を広げてみたいと思います。


  1. ご存じ「PCR 法」
     「PCR」(Polymerase Chain Reaction)が登場したのは1988年のことです(耐熱性酵素でなければ1985年)。現在「生き物相手の商売(研究)」をやっている人で、「PCRってなに?」という人の方が少数派でしょう。ここで、耐熱性の DNA ポリメラーゼを用いることによる技術のポイントをちょっとだけおさらいします。
     好熱菌の耐熱性酵素を使用することにより反応温度を高く設定して

    1. DNA 鎖を1本鎖にする反応と DNA 伸長反応を繰り返すことができる
    2. DNA 鎖伸長反応に対する、1本鎖 DNA の2次構造形成による阻害を軽減できる
    3. プライマーのアニーリングの特異性を高めることができる

    以上の条件がそろって、「遺伝子の特定の領域を増幅させる」技術が実用的になったといえます。
     さらにつけ加えるなら、耐熱性ポリメラーゼは DNA 配列決定の自動化にも貢献しています(もちろん最大の貢献は蛍光色素です)。「DNA シークエンサー」は「Dideoxy 法(Sanger の方法)」に依っており、DNA 配列決定は手動の「化学分解法(Maxam-Gilbert 法)」に比べて圧倒的に簡便になりました。これには耐熱酵素を用いることで、2次構造形成が起こりにくい比較的高い温度でDNA 伸長反応を行うことができるようになり、汎用性がより高くなったという事情があります。

  2. 身近に「PCR」につながるネタは転がっていた
     私と好熱菌との出会いは1986年で、好熱菌が「金儲け」になることが知られるようになる前のことでした。学生ながらも当時の「好熱菌なんて物好きな」というまわりの雰囲気を(さらに就職してからも)感じたものです。さて、所属していた研究室全体では、好熱菌を対象として(あるいは材料として)様々なテーマで研究が行われていて、後から思えば、「PCR」のヒントになるようなことが沢山ありました。
     具体的には

    1. 好熱菌の細胞内で DNA を安定させる因子はなにか?(生育温度が DNA の融点(Tm)よりも高い!)
    2. 好熱菌(Eubacteria の場合)の DNA のシークエンスには Sanger 法よりも Maxam-Gilbert 法の方がいいらしい(CG 含量の高い DNA は2次構造形成により伸長反応が阻害されるからと考えられる)。
    3. Site Directed Mutagenesis(部位特異的変異)の知識は持っていた(合成 DNA プライマーのアニーリングを利用して塩基置換をする技術)。

    こうしてみると、1)〜3) まで見事に PCR の技術のポイントと対応するではありませんか!にもかかわらず「耐熱性ポリメラーゼを使った PCR」など思いも寄らないことでした。私は、この経験によって「ノーベル賞級の発想」にいたる「大きな壁」を意識すると同時に、それは「大変身近なものである」と感じるようになりました。

  3. 「役に立つ研究」幻想
     好熱菌なしに現在のバイオテクノロジーは考えられません。そして今なら「好熱菌は物好きな人たちの趣味」という人はまずいないでしょう。そこで、「役に立つ研究・良い研究とはなんだろうか?」と考えてしまいます。「研究予算の配分」「研究評価法」の議論などで話題になるのは「良い研究に重点的に予算・人員を配分する」ということです。果たしてそんなことが可能でしょうか?好熱菌に関しては、1980年代半ばまではせいぜい「工業利用」がうたい文句で、「商売」になっていたものは「酵素入り洗剤」というところでした。決して「莫大な価値を生み出す可能性がある」といって「PCR」開発の予算申請がなされていたわけではありません。「成果」を見れば「良い研究」はわかります。しかし、成果が出始める前に「良い研究」を選抜する方法が提案されなければ「良い研究に...」というのは単なる「呪文」に過ぎないと考えます(この件についてはまたの機会に)。
     「PCR」という技術に耐熱性ポリメラーゼが必須であるなら、1)好熱菌の単離、2)大量培養法を確立、3)酵素の精製、4)遺伝子のクローニング、などに携わった人はいずれも技術開発に貢献したといえるでしょう。しかし、その時点では1)、2)が「役立つ」と世間に評価されてはいなかったのです(現在でも「研究として評価」されているとは言い難い)。革新的技術は「後になってはじめてわかる」場合の方が圧倒的に多いように思えます。

  4. 開拓者の苦労
     先に述べましたように、一般にも認知されるようになる少し前に「好熱菌」とお付き合いしたことは、「考え方の転換時期」に遭遇するという意味でも良い経験でした。 私が学んだことをざっと要約すると以下のようになります。

    1. ある「考え方」が、定着する前に物事を証明するのは大変
      100℃以上で生物が存在することが一般に信じられていなければ、そのことを立証(あるいは説明)することは、かなりやっかいです。「火星からの隕石に生命の痕跡」というニュースを思い浮かべて下さい(もちろんあれだけでは証拠にならない)。「生物の存在」を証明する手順を考えたことはありますか?
    2. 「立証」には研究(実験)技術に対する「自信」「裏付け」が必須
      たとえば「プリオン説」(タンパク質のみからなる感染因子)を唱えるにはよほど生化学技術に自信がなければできません。「確立された技術」だけを使ってデータを量産している人には想像できないことでしょうけど。
    3. GC 含量伝説〜小さな窓から覗いて世界を論ずるべからず〜
      当時、Bacillus 属の生育温度と DNA の GC 含量の関係から微生物の耐熱性との関係が議論されてました。多くの好熱菌が知られる現在では、DNA の Tm は生物生存の制限要因ではなさそうだと考えられています。「品種間で比較して...」式の研究では「同じ罠」にはまる危険があると常に自戒してます。

     以上、自分の過去の経験から感じていることを紹介しました。この先も好熱菌はまだまだ生命科学研究を支えていく素材だと思います。次回は私の「現在の興味」とどんなつながりがあるのかを掲載するつもりです。

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