Previous Page

  1. 「環境保全型農業の研究」が招く誤解と偏見
 長らく更新をさぼっていました。所属が変わってからいわゆる「バイオ」とは離れていましたが、5年期限の研究に何とか目処が立ったように思います。果たして復帰はできるのか???
 2002年から与えられた研究テーマは、「有機質資材等を利用した環境保全型養液栽培技術の開発」です。養液栽培とは土を使わずに肥料を含んだ水(養液、培養液)を与えて植物を育てる栽培方法で、いわゆる水耕栽培もその一種です。これまで主に理論研究を基に技術開発を行っています。理論面の完結を機会に論文とする予定でしたが、残念ながら審査結果は Reject。研究期間内になんらかの形で(特に農家にとって役に立つ形で)公表するつもりでいます。養液栽培では、排液をなくすには培養液の供給量、濃度や組成の精密なコントロールが必要というが通説ですが、精密制御は不要であることが私の解析結果の要諦です。
 さて、区切りがついたところで研究テーマについて学会誌へ意見を投稿しました。その結果は掲載拒否(いわゆるボツ)です。その原稿がもったいないこと、また、中西準子先生のHPにある雑感345「研究者の病理」に触発されたこともあり、若干手を加えてここに掲載します。(2006.05.21作成)


  1. 中西準子先生のこと
     これまで筆者の報告(1)(2)(3)では「養液栽培の排液による環境負荷が問題となっている」という表現を注意深く避けている。さもないと論文の緒論や考察を通して、大して問題でないことが大問題であるかのように、まるで伝言ゲームのように増殖しかねないからである(なぜ大した問題ではないと考えるか、については後述する)。特に環境問題を扱う場合、研究を公表するときには、考えられるリスクの大きさを大雑把であっても示すことは研究者としての責務である。ましてや、他の研究を引用して、それを曲解する(誇大宣伝する)のは言語道断である。この点に関して尊敬する中西準子先生の文章には大変刺激を受けた。ホームページから一旦削除されていたが、名誉毀損事件(濫訴事件)裁判の証拠として公開されているため(4)、再び読めるようになったのは幸いである。まだ読まれたことのない方には是非ご一読をお勧めしたい。

  2. 得られる利益に上限のある技術開発
     養液栽培に限らず、技術開発において環境保全を謳うのであれば、投入エネルギーなども含めて総合的に見ることが不可欠である。農家はもちろん、社会全体が得る利益とコストとのバランスから、どのレベルの環境負荷軽減を目指すのか判断するのは当然のことであろう。予算や労力、時間に限りがある以上、何がより大きな問題であるかを的確に判断しなければならない。さらに、環境負荷を軽減するという技術開発の場合、それによって得られる利益には上限があることを意識すべきと筆者は考えている。現技術による負荷の大きさによってその限界は決まり、現時点での環境への悪影響が大きければ大きいほど新技術で得られる利益の上限は大きい。逆に現在の悪影響が大したことなければ得られる利益の上限も大したことはない。このため現技術との比較により、そもそも技術開発を実施する価値があるかどうか判断することは可能である。この点で、将来得られる利益の大きさを前もって知ることが困難な、新たな価値を生み出す可能性のある研究の事前評価とは大きく異なる(この場合でも少なくとも実現可能性の大きさは示すべきとする意見もある(5))。

  3. いわゆる環境保全型養液栽培で得られる利益
     以上の前提に基づいて、環境保全型養液栽培技術開発の意義について考察した。まず、有機質培地が環境保全的であるか否かについて、リサイクル方法の確立しているロックウール培地との比較を行ったが、その結果について、ここでは「有機質培地は必ずしも環境保全的ではない」と述べるにとどめておく(補足1参照)。また、養液栽培の排液を削減することにより得られる利益に関しては、筆者の所属する研究室の現地試験地である徳島県東みよし町加茂山地区を例に行った考察を少し紹介する。この地域では露地栽培に近い簡易雨よけ栽培が行われており、急傾斜地であるため肥料成分の流亡は少なくないと考えられる。にもかかわらず何も問題は生じていない。これが養液栽培に置き換わる場合、排液をそのまま施設外に放出しても、肥料成分による栽培期間全体にわたる環境負荷はむしろ減少することさえあり得る。従って排液削減により環境負荷を減らすことの利益がそれほど大きいとは思えない。以上が極めて大雑把な現技術との比較である。

  4. 間違いなく環境保全的といえること
     そこで、研究の視点を切り替え、農家にとって利益となり、かつ、間違いなく環境保全と言えるのは、肥料やエネルギーなど、資源の無駄をなくすことであると筆者は考えた。養液栽培用の肥料は価格も高く、農家にとって経済的負担になるばかりでなく、製造に要するエネルギーが一般の肥料よりも多いと想像され、ライフサイクルアセスメントの観点から環境負荷がより大きい可能性があるためである。施設栽培においてロックウール培地の処分法や養液栽培排液の環境負荷を問題とすることについて、まるでアルコール飲料に含まれる合成着色料の有害性を論じるような偽善性を感じる筆者は、エネルギーや資源の無駄を減らして利用効率を上げるという視点から、排液を再利用する技術に意義を見いだしている。

  5. 余談(本音)
     余談ではあるが、有機質培地を用いた栽培試験を行っていないという点で、研究所内の成績検討会において前記研究テーマの試験成績に対する批判を頂戴した。優先事項は「環境保全」であり、知識の集積に伴って研究の視点が変わることを当然と考えている筆者は、有機質培地を用いることが目的であることにあらためて驚愕した。組織として研究計画の文言との整合性を優先しているのではなく、単に「何がより大きな問題であるか」という点での見解の相違であるならば、まだ幸いである。

  6. 悪役に仕立てるのはやめよう
     環境保全型養液栽培技術の開発が国の予算で行われる研究課題であるということで、「現在、養液栽培の環境に及ぼしている悪影響がきわめて大きい」、そのために研究開発が行われている、といった一面的な誤解を非専門家に対して生じさせる危険がある。その他の環境保全を謳った研究、例えば「化学肥料や化学合成農薬の削減」などについても同様の懸念を筆者は感じている(補足2参照)。もし、自分が携わった研究が結果的に、誤解と偏見を増大させることに荷担するようであっては心苦しい。ロックウールや化学肥料や農薬などを悪役に仕立てて予算獲得の方便にしている者ならともかく、環境問題を真剣に考える研究者ならば皆同じ気持ちであろう。それ故、「皆のホームページ」を利用して環境保全型養液栽培技術に関する個人的見解を述べさせていただいた。

    文献
    (1) 笠原賢明・東出忠桐・角川修・伊吹俊彦:養液栽培においてアスピレーターの使用により排液を再利用する方法,土肥誌,76,49〜52(2005)
    (2)養液栽培において過剰な培養液の供給を抑制する給液管理の考え方,土肥誌,Reject
    (3)養液栽培において排液を再利用するための培養液濃度管理の考え方,土肥誌,Reject
    (4) http://www.i-foe.org/suitor/index.html 甲1号証
    (5) 吉田賢右:意見と思いつき,生化学,77,1133(2005)

    補足1:養液栽培でいうところの培地とは「作物の根を支持し、培養液を一時的に保持する資材」のことです。ロックウールは物性においても、コストにおいても、作物や人体に対する安全性においてもきわめて優れた素材です。多くの試験成績書で「ロックウールに比べて廃棄の容易な有機質培地は環境負荷が小さい」などと述べられていますが、その根拠は「有機質培地は畑に鋤き込むことができる」といった程度のものです。まさか、「山林原野に放置してもロックウールに比べて目立たない」という意味ではないでしょう。製造から廃棄に至るまでの環境負荷やコストについて比較した報告は目にしたことがありません。これはロックウールのリサイクル・再生利用技術を確立したメーカーや技術者に対してあまりにも失礼な話です。

    補足2:食料の安定生産に果たす農薬や化学肥料の貢献は計りしません。にもかかわらず、なぜ農薬と化学肥料は毛嫌いされるのでしょうか。農薬は開発段階できわめて厳格に安全性の検査がなされ、使用基準が定められています。それを知ってか知らずか、「農薬に対する消費者の懸念」を「錦の御旗」にしているだけのエセ研究者はたくさんいます。「農薬を削減することによるメリット」を述べるのだったら、「現在農薬を使用していることによる悪影響」もきちんと示すべきなのに。また「化学肥料による環境負荷」を問題にするならば現在の「悪影響」はどのくらいか(測定値がいくら、では不十分)、どの程度削減すればどのくらいメリットがあるのか、それにはどのくらいコストがかかるのか定量的に示すべきだと思います。

Next Page
はしくれ生化学者のひとりごと・目次