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川端康成が昭和43年6月19日、講談社、当時の文芸第二出版部の有木勉氏宛に出した書簡である。
川端康成という作家は実に筆マメな作家で、非常に沢山の手紙を、様々な人達に書いている。しかも、この書簡の様にその殆どが毛筆である。
氏にとっては別に毛筆だから丁寧という事では無かった様で、本人の随筆にも「手紙を書く時は、特別必要は無いと思いながらも、毛筆でないと書けない」という様な事が書かれている。
その為、こんな単なる事務文書にも毛筆が使われている訳だ。
おまけに前述した様に、終生、数え切れない程沢山の手紙を書いたので「川端康成の手紙を持っている」と言っても、大した自慢にはならないらしい。
それでも古書市場で氏の書簡が高値となるのは、流出する事が殆ど無いからだろう。
さて、しかし、私自身はこの書簡に特別の価値を見い出している。
けれどこれはあくまで私自身にとっての価値であって、一般市場とは全く関係が無い。市場ではこの書簡は殆ど何の価値も持たないに違いない。私にとって、市場での価値はさほど問題ではないのである。
私がこの書簡に抱いている価値の一つは年号である。昭和43年・・・。この年は川端康成が日本人初のノーベル文学賞を受賞した年であった。ノーベル文学賞受賞は10月。この書簡の約4ヶ月後の事だったのである。
二つ目は氏自身の作品名が自身の筆によって書かれている事である。「古都」と「眠れる美女」。そしてこの二作品は私が最も好きな作品の中の二つなのだ。
そして三つ目は追伸の部分。当時川端康成は僧侶で作家の今東光の選挙出馬の際、選挙事務長をしていたのだが、この事が正しくここに書かれている。
実はこの川端康成の書簡を購入する際、同時に他にも二種類の氏の書簡が有った。一つは馴染みの友人なのか、飲み屋の開店祝いの文面だった。
もう一つは昭和10年代のものだったか古いもので(文面に「花のワルツが出来上がった」とあるので、昭和15年だろうか)、借りた本のお礼の文面だった。
その中でこの書簡を選んだのは、上に書いた事柄が決定的だったが、「筆跡」というのも重要な要因だった。
川端康成は書に精通していた訳ではない。氏の書の魅力は彫刻や絵画の様に、氏独特の筆運びが作り上げた文字の形態の面白さにある。
その点では氏の書が芸術的色彩を帯びて来るのは、昭和30年代以降であると、個人的には思っている。そう考えると、極普通の文字を毛筆で書いただけの昭和15年の書は候補から外れた。もう一つの開店祝いの書簡は書面としては、ここに掲げた事務的通信文などより明らかに丁寧に書かれており、受取人に対する配慮も見られたが、筆の太さ、細さの変化や乱筆(?)故の流れ方など、この書簡が一番美しかった。
もっとも、氏としてはこんな走り書きの様な書を見ず知らずの人に迄、見られたくなかったに違い無いだろうが。

ところで、この書簡で「古都」と「眠れる美女」の収録を断わられた講談社は、どうしたのだろうか。
その答え迄もが、この書簡にはついていた。封筒の裏に、鉛筆で書かれた小さな文字で、「新潮社OK、但し各全集が同じ作品では、と言った」とメモ書きがされていた。
川端に断わられた有木氏は、新潮社へ交渉し、なんとか許してもらえた様である。