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川端康成が昭和11年10月26日、信州の下高井郡平穏村上林温泉の塵表閣から、中央公論社編集部の松下英麿氏に出した葉書である。
当時川端氏は松竹から依頼されたシナリオを書く為、信州に来ていた。もっとも締切の迫っていた他の作品に、時間の殆どを費やしてしまったらしいが。
信州行きは10月16日からであったが、下諏訪の桔梗屋、松本郊外の御母家温泉、湯田中萬屋等を渡り歩いた後、21日からこの塵表閣に落ち着き、ここが気に入って11月初め迄居る事になる。
葉書は表が「志賀高原の風景お花畑の美観」と説明のついた白黒写真の絵葉書で、内容は中央公論社からの新規原稿の依頼を断わったものとなっている。
当時の住居表示は現在と異なっており、丸の内は麹町だったのである。
消印は昭和11年10月26日付で、下に朱印で昭和11年10月27日の中央公論社総務部の受付がある。
この葉書については川端康成夫人、川端秀子さんの「川端康成とともに(新潮社昭和58年4月-絶版-)」に"中央公論社の松下英麿さんが見えたのもこの頃で、松下さんの回想にも書かれていることですが、川端の手紙のその部分を引用してみます、「一昨日〔十月二十八日〕、中央公論の松下君わざわざここまで来た。(新年小説物断わったので)午后着き湯田中へ散歩、日がくれ、腹がすき湯田中萬屋で晩飯、初めて芸者を二人呼び、直ぐ帰つたところ、物足りなささうなので、またこの宿で二人呼び、十一時半迄遊んだが、松下君は芸者の帰るのと一緒に家へついて行つて、間もなく戻つた。えらい元気だ。」とあります。"とある。この中の(新年小説物断わったので)というのが正しくこの葉書な訳であり、26日に信州から出されたこの葉書を、中央公論社で翌27日に受取った松下氏は、更に次の日、28日に信州上林塵表閣の川端氏を訪ねて行ったのである。