鎌倉……。相模湾に面したこの狭い土地に興味を持ったのは、ある歌の歌詞に出て来た坂道の名前からだった。「化粧坂」と書いて「けわいざか」と読むその坂は、その場所を見た事も無い僕にとっては、長崎のオランダ坂の様な、洒落た雰囲気の坂に思われた。石畳の小さな坂……。その坂を見たくて、初めて鎌倉の街を訪れたのは18歳の時だった。地図を片手に鎌倉駅に降り立った瞬間に感じたのは“匂い”。特段強い匂いがあった訳でも無い。何の匂いかも判らない。寺社に漂う香の匂いか、海からの潮の匂いか……。それが何であるのかは判らないけれども、なんとも心地良い優しい空気だった事は覚えている。
一度若宮大路側へ改札を出てしまった僕が、反対の出口である事に気付いて、傍らの横須賀線のガードを潜って江ノ電の改札側へ抜けると、若宮大路側とはうってかわって小さな可愛らしい駅前広場があった。この小さな駅前広場が返って鎌倉には似つかわしい様な気がしたものである。

地図に載る路地を探し歩くと、その路地は意外と容易く見つかった。他の観光客達の多くがやはりその路地を曲がっていたからである。路地に入ると、季節の木々や花が各々の庭先に咲いていた。そして、ここは鳥の声が近い。ここに住む人達がうらやましくなった。
路地はしばらく行くと、地元で谷戸(やと)と呼ばれる小さな谷あいに入り込んで行く。そしてやがてその尾根へ上る様に、だらだらとした坂道になって行くのだ。この道は鋪装されてはいるものの、角度が急で足を前に運ぶのが億劫になる程だ。
途中の崖にぽっかりと口を開けるのは銭洗弁財天だった。洞門を潜ると今度は鳥居の列のトンネルで、俗世から離れて行く気分にさせてくれる。
ここの湧き水でお金を洗うと、増えるという事で有名なこの場所だが、そこには同時に「人の為になる様な使い方をしなければ増えない」という戒めもある。
山間の極狭い空間に満たされた空気は、線香の香に揺れて、不思議と神聖な感じがした。
銭洗弁財天から、更に坂道を上るとやがて道は平坦になる。この辺りは、住宅街からも完全に離れて、山道の赴きさえ感じられる。
地図を頼りに、鋪装道を外れて右へ曲がると源氏山公園へ繋がる道だ。


ここに棲む野鳥達の書かれた案内板を見ながら、しばらく歩く。空を見上げると、しばらく見た事も無かった位の青空が、木々の間に広がっていた。日射し迄もが柔らかく薫る様な気がした。
そのまま源氏山公園へは行かずに、左へ折れると杭が何本か打たれた急な下り坂が……。そこが思いがけず、化粧坂だった。初めて見る化粧坂はその名に似合わず険しい坂だった。石畳のオランダ坂の様な……どころでは無い。山の中の、勿論未鋪装の急な坂だった。確かにここは鎌倉屈指の紅葉の名所であるらしいが、その姿は荒々しく男性的な感じである。その急な坂は一度途中でUターンする様に折り返す、そしてまたもう一度折り返すと、もうすぐそこからは急に鋪装された住宅地の中の坂になってしまう。険しいと思った化粧坂も、その大半は住宅地に飲み込まれ、往時の面影を残す部分は極僅かなのである。

「化粧坂」という名前の由来には、幾つかの説がある。「坂の上に遊廓があったから」、「打ち取った大将の首に化粧をして、この坂を上ったから」、「木生え坂(きはえさか)がなまった」等である。この中でも「坂の上に遊廓があった」という説が一般的な様だ。

短い化粧坂を降りてしまうのがなんとなく勿体無くて、僕はもう一度坂を上り、一つ目の曲がり角に立って坂を眺めて見た。鳥の声、木々の葉のさわさわと鳴る音。うっそうと茂る木々の陰に沈む坂の木立の間からは、暖かい色に温む住宅街が見える。他の観光客が坂を上り降りするのを気にせずにしばらく佇んでいると、鎌倉の谷戸に溶けて行く様な錯覚に陥る。あゝ、鎌倉の空気は自分の肌に合う、僕はこの空気を待っていた、とさえ思えた。
どの位経っただろうか、坂を降りて住宅地の中の鋪装された坂を歩き出した頃は、もう、日の光も橙色になり始めていた。けれど、この静かな住宅地の中を歩きながら僕は、この鋪装された何気ない坂にも、愛着の様なものを感じ始めていたのだった。
「このまま北鎌倉へ抜けて帰ろう」
化粧坂以外何処へも寄らずに帰ったとしても、充分に満足出来る思いだった。


※化粧坂 : 現在は正確には「仮粧坂」と書く