足跡


 翌日早朝、自衛隊の調査範囲は父島にも及んだ。元々本土との定期連絡船は父島3泊のスパンの運行だったが、その時点では、山科達がいつ迄拘束される事になるのかは、判らなかった。連絡船が運行されるかどうかも未定という状態である。
 自衛隊の一行は続々と父島へ上陸、あっと言う間にテント張りの作戦本部を建てると、 島のあちこちの放射線測定を開始し、島民に対しても役場を通じて、人体の放射線量検査を始めた。それは山科達、島外から来た者達に対しても同様だった。
 山科達は、役場に集められ、自衛隊員の説明を聞かされた。
 自衛隊員の服装は。南の美しい島の雰囲気にはおよそ似合わない、威圧的なものに感じられた。
 「えー、みなさん御存じの様に、一昨日の夜、隣接する華菜島で、大規模な災害がありました。その後の現場検証の結果、極微量ながら被災地から放射能が検出されましたので、念の為、父島のみなさんにも放射線量の測定を行う事になりました。繰り返しますが、被災地の華菜島においても放射線量は微量であり、人体の健康に影響を及ぼすものではありません。今回の測定はあくまで影響範囲の把握の為にすぎません。」
 自衛隊員の説明はそれだけで、何か釈然としないものだった。
 「質問!」山科が手を上げたのは記者としての本能だったかもしれない。
 「どうぞ。」
 「華島の千寿地区が壊滅したのは一体どんな理由なんですか。」
 「不明です。」
 自衛隊員は表情を変える事もなく、即座に応えてみせた。当然予想された質問だったのだろう。
 「放射能というのは穏やかな話じゃない。核兵器が使われたという事は無いんですか?」
 山科の言葉に、その場に集められた島民達も俄に騒ぎ出した。
 「静粛に!静かにして下さい。核兵器なら、明らかに人体に多大な影響を与える放射線量が検出される筈です。しかし、何度も言う様に、人体に深刻な影響が出る程の放射線量は検出されておらんのです。実際、私自身も華菜島を視察しましたが、この通り何の影響もありません。」
 しかし、そんな自衛隊員の必死の説明も空しく、島民の騒ぎはエスカレートしていく。どっ、と自衛隊員につめよって質問とも罵声ともつかない言葉を浴びせ始めた。山科や羽鳥も思いがけず島民達の波に押されて、自衛隊員達の立つ所へ一気に流された。倒されれば、自分の上をこの群集が容赦無く踏み付けて行くに違い無い。山科も羽鳥も、唯、下敷きにならない様にするだけで必死だった。
 「じゃあ、なんで千寿地区の住民は全滅したんだ!」
 「何か隠してるんじゃないのか!!」
 「あんた達が何も影響無いのは防護服を着ていたからじゃないのか!」
 群集の波に滅茶苦茶に押されながら、矢継ぎ早に浴びせられる言葉に、自衛隊員が悲鳴の様に叫んだ。
 「わからない。我々にも何が何だかさっぱりわからないんだ!!」

 「華菜島からも放射線反応が出たって?」
  幕僚長の高橋は、ここの所連続している一等海佐の水鳥川からの、報告にいささかうんざりしていた。状況の判らない報告ばかりで、何ひとつ解決した事が無い。
 「はっ。微量ですが、壊滅した華菜島千寿地区の非常に広範囲に渡ってあちこちから、放射線が検出されました。」
「検出されたのは?」
「ストロンチウム90です。」
 「それで……?放射線反応が出て壊滅というのは、核兵器の可能性は無いのか?万が一核兵器の可能性等という事になれば、一筋縄ではいかんぞ……。」
 「はい……。しかし検出された放射線量が微量なものですし、核兵器では無いと思われます。……それより……。」水鳥川は口籠った。
 「まだ何かあるのか?……。」高橋は溜息をついた。
 「もういい加減にして欲しいものだな。判らない話は……。」
 「はっ……はい……。」
 水鳥川は、1枚の写真を持ったまま、それを高橋に提示すべきかどうか、迷っていた。
 「いいよ。出せ……。もう何でも見てやる。」
 高橋の言葉に水鳥川はおそるおそる写真を高橋の机に置いた。それは、華菜島の倒壊した地域の写真だった。低高度から撮った斜面地に建つ住宅の写真で、家屋は押し潰された様な形で倒壊しており、家屋の前を走る道路が下の斜面へ地滑りを起こしている。
 「これが……何だ?」高橋はその地滑りの写真を手に取った。
 「はい……。説明し難いのですが……。」水鳥川はどう説明しようか迷っていた。
 「じれったいな……。早く言え。」
 「はい。その地滑りの形なんですが……何に見えますか?」
 「地滑りの形?」
 高橋はもう一度その写真をじっと見つめた。水鳥川が高橋の手の写真の「その部分」を指でなぞってみせた。
 道路を崩して斜面へ崩れた地滑り。その中央に長円形の凹みの様なものがあり、その崖下へ向いた先端には3つ角(つの)を生やした様な尖った凹み、更にその3つの凹みから少し山側へ戻ったあたりにも1つの尖った凹み、つまり全部で4つの凹みがある。
 「なんだ……これは……。」高橋は首をかしげた。
 「足跡……ではないかと……。」
 「足跡!?」高橋は笑い出した。
 「偶然だよ。偶然。地滑りが偶然こんな形になってるんだろう?」
 「それが……偶然では無いんです。一番はっきりしているのは、この写真なんですが、千寿地区のあちこちに、大きさまでぴったりの同じ形の窪みがありまして……。」そう言いながら、水鳥川は千寿地区の白地区を広げてみせた。
 「千寿地区の都市計画図にプロットしてみたんですが……。この足跡らしきものの配置を見ると、二足歩行の何者かが縦横に走り回った様な形跡が……。」
 「走り回る?何が走り回るって言うんだ。大体これが足跡だとすると、その大きさは……。」
 「判りませんが、体高50m〜80m位の生き物かと……。この足跡の様な窪みの中が比較的放射線量が多いんです。あとは焼失した家屋の残骸と……。」
 「馬鹿な……。恐竜だって二足歩行のやつに、そんな巨大なのはおらんぞ。核爆弾抱えた恐竜もな……。」
 「はい……。」水鳥川は頭を下げた。
 高橋は水鳥川の言葉が俄には信じられずにいたが、しばらく考えた後にゆっくりした口調で言った。
 「この件……調査を続けろ。しかし、まだ公表はするな。」
 「判りました。」
 水鳥川はもう一度軽く頭を下げると、高橋に背を向けて足早にドアに向かった。
 「それから!」
 高橋は部屋を出ようとする水鳥川をあわてて呼び止めた。
 「は!?」
 「それから……。一応……。一応、あれだ……。古生物学者にも内密に声をかけておけ。」
 「……はい。」
 ドアノブに手をかけたまま振り向いた水鳥川は、一瞬考える素振りを見せて、部屋を出て行った。
 「ちっ!」
 独りになった高橋は舌打ちして机の足を蹴った。
 「古生物学者なんて言っちまった。今どき恐竜が生きてるなんて馬鹿げた話を信じたみたいじゃないか……。」
 自分の気持ちに苛立っていた。

 結局山科達からは放射能は検出されなかった。いや、正確に言えば、千寿地区に入り込んだ潮見地区の住民からは予想通り若干の反応があったのだが、それは自然界に存在するレベルより少し高いという程度で、人体に影響を与える程のものではなかった。山科達は、山の上にいた所為か、反応は出ず、羽鳥等は心底ほっとした様子だ。
 「岡田さん、インターネットはありますか?」
 役場を出た山科が聞いた。
 「ええ、ウチの事務所にありますが……。」
 「貸して頂けませんか。定期連絡船も日にちがずれそうだし、社に連絡を入れたいんですよ。」
 「ああ……そうですね。ではどうぞ。すぐそこですから。」
 岡田の事務所は、役場から5分位の所にあった。事務所とはいえ、極普通の家である。一室に事務機器を運び入れているにすぎない。
 極普通の部屋にオフィス用の書庫やキャビネットが並んでいるのは、何処か違和感があった。書庫の中は郷土史研究家らしく、小笠原や東京都(東京市)の史誌が並んでいるが、その他にも民話・伝承等に関する書物も多い。
 「あ、ああ、僕結構好きなもんですから……。郷土史とは直接関係無いんですけどね。」
 そんな本に目をやっている山科に気付いて、岡田は弁解する様に言った。
 「さっきの御慈羅についての考察もこんな所から来ているんですね。」
 「ええ、まぁ。お恥ずかしい事です。」
 しかし、そんな事はどうでもいい。山科はこの騒動を一刻も早く伝えたかった。もうすぐ各社が空からやって来るに違いない。今はまだ自衛隊が押さえている様だが、放射線濃度が危険な程では無かった為、いつまでも規制をしている訳にはいかないだろう。それこそ、マスコミが騒ぎ出す……。放射線騒動を他社よりも早く報道しなければ……。
 けれどその後すぐには華菜島の規制が解かれる事は無かったのだ。それは勿論あの「足跡」の所為だったが、その時の山科達はそんな事を露程も知らなかったのである。

 淳子が山科からのメールを開いたのはその夜だった。
 "山科です。今、父島で足止めをくってます。そっちでも報道されているでしょう?「小笠原の騒動」は……。何が起きたのか、判らないと思うけど、僕は今そのまっただ中にいるよ。しかし、全く心配いらないよ。僕自身、ちょっとワクワクしてるんだ。定期連絡船も2日ずれたけど、帰ったらまっ先に淳子に逢いたい。ちょっと面白い話が出来ると思うよ。"
 淳子はホッとしたと同時に無性に嬉しくなった。"ふふ"と微笑みが止まらなかった。
 TVで山科の行っている華菜島の「千寿地区壊滅状態」というニュースを聞いてから、心の隅に沸き上がる暗雲がどうしても拭い去れなかった。何度も小笠原への定期連絡船の日時の確認をした。山科達が乗った定期連絡船は華菜島の災害の翌日に父島に到着した筈で、山科達は巻き込まれていない筈である事は判っていたが、それでも山科は新聞記者である。必ずや被災地に入るに違い無い。最初の災害に巻き込まれていないまでも、二次災害に巻き込まれないとも限らない。しかも華菜島の災害について、TVでは詳細不明を繰り返すばかりで、何日も全く状況が解明されなかった。各民放はそろそろ自衛隊が入ったまま情報が規制されている事について、大地震や何処かの国の侵略から、果ては隕石落下説迄、様々な最悪のシナリオを想定し始めていた。一体何があったのか……それが淳子の不安感を一層助長していた。それだけに山科からのメールは、淳子にとって単なる安堵を超えたものだったのである。自然に微笑が漏れたのは、安堵だけではなく、"帰ったらまっ先に淳子に逢いたい"という山科の言葉に対する恋慕の気持ちも強かったかもしれない。いや、無事を知った今は、その想いの方が遥かに強かった。
 淳子は部屋の窓のカーテンを開けてみた。遠い夜景の前に微笑んだ自分の顔が重なっていた。
 山科の妻、慶子の所へ、会社から"山科は無事で、数日中に帰るとメールが入った"という内容の電話があったのは、淳子の元にメールが届いてから約1時間後の事だった。勿論慶子はそんな事を知る由も無いが……。
 TVのニュースを淳子同様不安な気持ちで見ていた慶子は、会社からの連絡にホッと胸をなで下ろした。慶子には山科が無事であるという事が何より嬉しかった。その瞬間は山科の背後に見え隠れする女の影の事等忘れてしまった程だ。
 TVのニュースからは、相変わらず華菜島の災害についての勝手な憶測が流れている。今迄は耳を塞ぎたくなる様な思いで見ていた、ニュースが、慶子にとって突然他人事になった。ニュースキャスターやコメンテーターの無意味な憶測の言葉が、唯、頭の中を通り過ぎて行く。慶子は既に山科が帰って来た時の献立の方が重要になっていた。

to be continued