古文書


 建物として残っているものは何ひとつ無い。唯、その辺りに家屋があったという事を示す様に、残骸が散らばっているだけだ。しかも、その家々の残骸は、何かでかき回したかの様に、ひどくバラバラに散在している。未だ黒煙を上げている場所も幾つかある。
 所々に、潮見地区から千寿地区に入ったらしい人影がちらほら見える。岡田の言っていた様にこの山道を越えたり、小さなボートで崩れた海岸線から無理矢理千寿に入ったのだろう。
 「奥尻みたいだ……。」羽鳥が独り言の様に言った。
 「やっぱり津波ですかね?」
 山科は羽鳥が問いかけても、山の下の惨状を見つめたままだ。
 「いや、津波じゃないと思うな。」しばらく山の下を見つめていた山科は、廃虚と化した千寿地区を見渡していた。
 「地震は無かったみたいですしね。」と岡田も言った。
 「いや……、殆ど揺れを伴わない津波っていうのもあるんですよ。けど、これはきっと津波じゃない……。」
 「どういう事です?」
 「静かな海底地滑りもあるんですよ。何かで読んだ事がある。地震が起きなくても大きな津波が起きる……。でも、これは違うな。」
 「……。」羽鳥も岡田も黙って唯、山科の話を聞いていた。
 「確かに惨状は地震性の津波に似ているけど、津波ならこの島の周囲を周り込んで、潮見地区にも影響を及ぼしている筈だ。けれど、潮見地区には何の影響も無い。同じ理由で、これだけの津波なら父島にだって潮位の変化はかなりあった筈だ。けれど、父島にもそんな話は無い……でしょう?」
 「確かに……。」岡田は感心した顔で山科を見た。
 「羽鳥、写真を撮っておけよ。」
 「あ、ああ、そうだった……。」
 羽鳥はカメラバッグからカメラを取り出して、写真を撮り始めた。これだけの惨状が目の前にあるのに、シャッターの音がはっきり聞こえる位に静かだった。鳥がさえずる声が被災地には不釣り合いな雰囲気である。
 「地形も変わってるなぁ……。」岡田が首をかしげた。
 「え!?」
 「いや……。部分的に崖崩れを起こしたみたいに、高台だった所が崩れている所もあるし、港なんかは完全に崩れてる……。」
 岡田は指を差しながら説明した。千寿地区も北側の潮見地区と同様狭い平地に集落を作っていた。その為、家並は海側は海岸線ギリギリ迄、山側は地形が急激に立ち上がる際を削った部分にも家屋があった。しかし、今は、岡田の言う様に、山際の高台は崖崩れを起こした様に、崩れて真新しい土の地肌を見せ、漁港も含めた海岸線の殆どは海側に崩れ落ち、おびただしい残骸が海に流出して波に揺れていた。
 一体ここで何が起きたのか……。
 「なんか辺ですよ。」望遠レンズで惨状を撮影していた羽鳥の、シャッターを切る指が止まった。
 「何が?」山科は、羽鳥に視線を合わせる様に、身をかがめ、羽鳥の顔の横に自分の顔を寄せた。
 「あれ……。自衛隊ですか??」
 「どれ?」
 山科は羽鳥からカメラを奪って、ファインダーを覗く。
 少し離れた所に着水した2機のUS-1からはゴムボートが降ろされ、それぞれに乗り込んだ数人づつの自衛隊員が華菜島の千寿地区に向かって、やって来る所だった。
 しかし、その服装や装備は、雑誌やTV等で見なれた災害救助時の自衛隊のものではなかった。
 顔面も含め、全身を覆う防護服。口元にはフィルターが付いている様だ。
 「何かの防護服を来ているみたいだな……。」
 「毒ガスか何かですかね。」岡田は思わず口元を手で覆った。
 「そうだとしたら、もう間に合いませんよ。」笑って振り向く山科の言葉に、岡田も苦笑いしながら、口元からゆっくり手を離した。
 自衛隊のゴムボートは漂流する残骸に手こずりながらも、なんとか接岸し、上陸して来た。
 「ただいまから、この千寿地区は、自衛隊の管理下に置かれる事になります。他の地区から千寿地区に入っている人は、直ちに退去して下さい。速やかに退去されない場合は、強制排除する事となります。」自衛隊員の独りが携帯の拡声器を使って怒鳴っている。
 「いきなり、乱暴だな。」岡田が言った。
 「何……してるんですかね……。」羽鳥は心配そうだ。
 山科は、じっとファインダーを覗き続けた。
 上陸した自衛隊員はすぐさま残骸や地面に何かマイクの様な機材を向け、何かを測定している。
 「ガイガー・カウンター……か……?」山科はそう言うと、ゆっくりとファインダーから目を離し、羽鳥と岡田の顔を交互に見た。二人も、山科の一言に息を飲んだ。
 「や、やばくないすか?」羽鳥のこめかみに汗が滲んでいる。
 「やばそうだな……。戻ろう。」山科も自衛隊に向けて、あわてて、数枚シャッターを切ると千寿地区に背を向けた。
 「あ、待って!」
 岡田の言葉に道を戻りかけた山科と羽鳥が同時に振り向くと、岡田は神社の社へ駆け寄り、持って来た鍵で急いで扉を開けると、奥から桐製の薄い箱を抱えて出て来た。
 「古文書です。」
 3人は潮見地区への道を駆け降りた。

 華菜島の調査に駆り出された自衛隊員にも、任務の詳細は何も伝えられていなかった。
 「一体何があったんだ……。」ゴムボートの上で自衛隊員の一人が煙りの上がる華菜島を眺めてつぶやいた。
 ゴムボートのエンジン音が大きい。
 「放射線を測定しろっていう命令です。」もう一人がフィルターの奥からくぐもった声で怒鳴った。
 「ここで、何があったんですか?」
 「我々は、唯、この千寿地区の現状確保と、放射線量測定を指示されているだけだ。任務遂行だけを考えろ。」この任務の隊長らしい男が振り向いて言った。
 島に近付くにつれ、おびただしい家屋や港湾の残骸が上陸を阻み始めた。
 ゴムボートの先端にいた隊員が、手を伸ばして漂流物を避ける。
 「防護服を損傷しない様にしろよ。」と一人が声をかける。手を伸ばしていた男は、その言葉に一瞬びくっと手を引きかけたが、無言のままもう一度手を伸ばし、ゆっくりと漂流物を掻き分けた。
 ようやく上陸出来る様になると、彼等の行動は素早かった。一人は即座に携帯の拡声器を使って、住民の排除を始め、他の者達は、すぐに壊れた家屋の残骸にガイガー・カウンタのセンサーを近付けた。カウンタのメーターが触れ、ガリガリと放射線反応検出の音がする。
 「放射線反応……出てますね……。」センサーを持った男が、隣でメーターを覗き込んでいる男に、つぶやいた。
 「……。」
 話しかけられた男は黙ってメーターを見つめたままだ。
 「核兵器……が使われたって事ですか?」
 「いや……。」メーターを見つめていた男は、振り向いてようやく口を開いた。
 「違うな……。自然界レベルよりは確実に多いが、人体に深刻な影響が出る程の被爆量じゃない……。そんな核兵器は無いよ。」
 「しかし、かなり破壊されてますよね。」
 「爆発とは違う気がする……。」男は立ち上がって周囲を見回した。
 「では、一体何が……。」センサーを持った男も立ち上がって、マスクの狭い視界の中から、辺りを見回した。
 「放射線反応が出る様な……一体何が……。」

 山科達3人があの時に山を降りた判断は正しかった。3人は、そのまま潮見地区へ降り、すぐに父島へ戻った。その直後に海上自衛隊の輸送艦艇、掃海艇等が次々と華菜島へ到着し、華菜島は完全に自衛隊の管理下に置かれ、島に入る事も出る事も出来なくなった。山科達を船に乗せて来た"タク"と呼ばれる船長も父島に足止めになってしまい、島へ帰る事が出来なくなってしまったのは気の毒な事だったが、彼等にはどうしようも無かった。
 その夜、山科と羽鳥は、岡田と共に彼が手配した旅館の一室にいた。
 「自衛隊の行動は怪しすぎるな……。」山科は壁に寄り掛かって天井を見つめていた。彼の指先の煙草から煙が、立ち上っているが、その煙は途中から水平にたなびいて層になっている。煙草は、山科が口にしないまま、灰になって行った。
 「しかし、島を隔離したと言う事は、本当に放射能汚染されてるんですかね。ここもヤバいのかな……。」羽鳥は自分自身の被爆が気になっている様子である。
 「ところで、これなんですが……。」岡田が神社から持ち出した桐の箱をテーブルの上に置いた。例の華菜島に伝わる古文書である。
 山科は持っていた煙草を灰皿にねじ込むと、寄り掛かっていた部屋の壁から勢い良く離れて、テーブルの所へ来た。煙草の煙の層が霧散した。
 岡田が箱を開けると、黴臭い匂いが、ふわりと広がった。薄い和綴本の体裁を取る古文書は、かなり黄ばんではいるが、紙面はしっかりとしている様だ。
 「かなり古いものなんですか?」羽鳥が鼻を押さえながら覗き込んだ。
 「いや……明治の初めか……古くても江戸末期ですよ。多分……明治になってからだな。」岡田はそっと古文書を箱から取り出した。
 「なぁんだ、意外と新しいんですね。」羽鳥はちょっと拍子抜けした感じである。
 「小笠原の歴史自体が新しいんですよ。日本人が初めて移り住んだのは、江戸末期でしてね、最初はイギリス領、次にアメリカ人……ハワイからの人達だったらしいですが、移住して、英米で領土紛争が起きたりしたらしいです。その後江戸末期に日本から30人程の移民が行きまして……、正式に日本の領土になったのは、明治9年なんです。」
 「知らなかったな……。ちょっと待って下さいね。メモりますから……。」山科はメモ帳を取り出して、慌てて書き込んだ。
 岡田も、山科が書き込むのを待って、話を続ける。
 「だから、あの千寿地区も、元々は"先に住む"と書いて、先住地区と言ったらしいです。英米あたりからの移民が先に住んでいた、という意味ですね。それを明治13年に正式に東京府所属になった時に今の様な文字表記に直したらしいですわ。」
 「もう片方の潮見というのは……?」
 「結局……昔から華菜島の住民というのは、その生活の糧の多くを父島に頼らざるを得なかったんですよね。それで父島と華菜島を往来する為にはやはり父島と華菜島の間の海の様子が重要な訳で……。」
 「ああ、それで潮の具合を見ると……。」
 「そうです。」
 「ところで、例の話なんですが、古文書に書かれている"ゴジラ"というのは……?」山科は既に新聞記者の顔になっていた。
 岡田は、しばらく古文書を一枚づつそっとめくっていたが、しばらくして一つの行を指さした。
 「これです。」
 "御慈羅"……その行には、そう書かれていた。
 「御慈羅(ゴジラ)……か……。あの……その前後の文章、全く読めないんですが、大体どんな事が書いてあるんです?」
 「海の守神である御慈羅様を敬い、祈りを捧げて、豊漁を願うべし……乱暴に言えばそんな内容ですね。後は少し物騒な話ですが、シケが続いた時の生贄の捧げ方とか……。」
 「生贄……、そんな風習が残ってたんですか?」
 「いや、実際に行われた事は無い様ですよ。」
 「しかし……御慈羅って神様なんですか?怪物じゃなくて……。」羽鳥が怪訝な顔をした。納得出来ないという表情である。
 「怪物だけど、神様なんですよ。」と岡田は微笑った。
 岡田はまた違う行を指して、「ここ……大きさはおおよそ5丈にもなる龍の様な姿をした、という意味の事が書かれています。」
 「5丈?」
 「1丈が約3.03mですから、約15m位っていう事になりますか……。」
 「御慈羅って、何だと思います?」山科は、上目づかいに岡田の顔を見た。
 「さぁ……ここからは僕の推測ですか……、先に移り住んでいた、外国人から聞いた話を古文書として書き残し、神様に奉り上げたんじゃないかと……。昔の欧米の書物なんかによく有りますよね。海に棲む怪物の話……。」
 「なんで"御慈羅"って言うんですかねぇ。」羽鳥の言葉に山科も岡田も同時に彼を見た。
 羽鳥は二人の視線を浴びて、自分が相当的を外れた質問をしたと感じたらしい。
 「そんなの……判る……訳無い……ですよね。」おどおどした表情で首をすくめて苦笑した。
 岡田は小さく笑いながら「判らないですね。想像するに、日本語表記からすると"御"は敬う上で付けたもの、"慈"は慈悲の"慈"、羅は阿修羅とか、そういう仏教的な存在からの"羅"ではないかと……。唯、それをこの古文書を書いた者がそのまま思い付いたのかどうか……。もしかしたら元になる名前があったのかも知れないですね。」
 「元になる名前?」
 「これも、例えば、の話ですが、ゴジラという発音ですね。英米の先住民から聞いた言葉が元かもしれない。先住民から海の怪物の話を聞いた時……先住民達もそれをネプチューンの様な神として説明したのかもしれない……。それがジーラという名前の神、ゴッド・ジーラだったとしたら……。名前も怪物を神とする事も、なんとなく合致して来ますよね。」
 「なるほど……。」
 「あ、山科さん、そんなのメモらないで下さいよ。根拠の無いデタラメですから……。」
岡田は笑った。
 「ええ……。」山科も笑ったが、メモは止めなかった。
 「御慈羅か……。」羽鳥がつぶやいた。
 「御慈羅……。」山科も声に出してみた。

to be continued