華菜島-2-


 父島の二見港に着くと、大きく「山科様」と書かれたスケッチブックを持った男が待っていた。山科がその男に近付くと、その男も気が付いたらしく、山科の方へ小走りに駆け寄った。
 「山科さんですね。私、小笠原の郷土史を研究している岡田と申します。」
 山科が依頼していた郷土史研究家だった。男は、垢抜けない感じだが、顔つきはいかにも聡明そうだった。フレームが細めの黒縁の眼鏡もそんな雰囲気を助長させている様である。
 「いやぁ、わざわざどうも。」山科は握手をしようと手を伸ばしたが、岡田はそんな事はまるで目に入らないあわてた様子で言葉を続けた。
 「山科さん、華菜島、大変なんですよ!!」
 「は!?」
 「大変て、どうしたんですか?」羽鳥が口を挟んだ。
 「華菜島の千寿(せんじゅ)地区、壊滅状態なんですよ。」
 「え!??」一体何の事なのか。訳も判らず山科は羽鳥と顔を見合わせた。
 「とにかく……船、待たせてありますから、すぐ行きましょう。」
 岡田に促されるまま、山科と羽鳥が着いて行くと、港の片隅に小型の漁船が停めてあった。
 「あれです。」
 岡田は顎で船を示すと、足を早めた。
 「詳しくは船の上で話しますから、とにかく、乗って下さい。」
 三人が乗り込むと、船長も急いで船を出した。
 「この人も華菜島の人なんですよ。」と岡田が言った。
 船長は極僅かに振り向く様な仕種で、軽く頭を下げた。日に焼けた白髪の初老の男だが、永年漁を続けて来た証か、意外な程、筋肉質な腕が目についた。
 「それで、岡田さん……でしたっけ。一体どうしたんです?」山科は初めて会った岡田の様子からただならぬ雰囲気を感じていた。
 「昨夜の事らしいんですが……。島の南側の千寿地区……戸数20戸に満たない小さな漁村なんですが、どうやら壊滅したらしいんです。」
 「壊滅って……なんで……?」
 「判らないんですよ。まったく……。昨夜……何時頃だったかなぁ、タクさん。」と、岡田は船長に問いかけた。
 「へぇ、11時過ぎでしたか……とにかく夜中過ぎですわ。急に島の反対側の千寿から火の手が上がりまして……。」いかにも南の島の猟師らしい初老の男は、船の進行方向を見つめたまま応えた。
 「火事……ですか?」羽鳥が問いかけた。
 「わからんのですよ。しかし、単なる火事では無い感じなんですよ。話を聞いていると。」と岡田が顔をしかめる。
 「それはどういう……。」
 「地鳴りがしたんですわ。」山科の質問に船長が口を開いた。
 「地鳴り?……地震ですか?」山科は思わず手帳を取り出す。記者として自然に身に付いた動作である。
 「いや……揺れはせんかったけど……、とにかくドンドンドンドンて……。」
 「断続的に?」
 「あゝ、太鼓を叩くみたいやったなぁ。」
 「他には何か?」
 「雷の音みたいな、獣の遠吠えみたいなそんな音も何度もしたなぁ。」
 「雷の……?」
 山科には身に覚えがあった。今朝ここへ来る連絡船の中で聞いた雷鳴……。それは夢の中の事だったのか現実だったのか、判然としなかったが、この話が本当だとすれば、あの雷鳴も現実だったのかもしれない。
 「僕もここへ来る途中、雷鳴みたいな音、聞いたんですよ。」
 「え!?何処でです?」岡田は山科を振り向いた。
 「連絡船の中で、です。僕が聞いたのは今朝……まだ暗い時分ですけどね。夢だったのか、本当に聞いたのか、はっきりしなかったんですが、今、船長さんの話を聞いて、やっぱり本当に聞いたのかもしれないなと……。」
 「そんなの全然気付かなかったな。」と羽鳥は首をかしげたが、
 「あ……。」と突然顔をあげた。
 「山科さん、あの漁船のテープ……。」
 「あ!」と、山科も羽鳥を見た。
 「なんですか?」岡田が不思議そうに声をかける。
 「いや、先日この華菜島の漁船が遭難しましたね。」
 「ええ……。」
 「その遭難の時の緊急通信のテープにも雷鳴みたいな音が入ってるんですよ。」
 「何か関係があるんでしょうか。」
 「いや、判りませんけども……。そう言えば、あの遭難した漁船の回収された残骸とかはありますかね。出来ればそれも取材したいんですが……。」
 「あれは、ここにはねぇな。」船長がつぶやいた。
 「え?けど残骸は回収されたんですよね?」
 「あゝ、けどひとつ残らず海上保安庁が持って行っちまったんですよ。遺族も怒ってるさ。遺留品ひとつ返さねぇって。」
 「山科さん、海保は何か掴んでるんじゃないですかね。」羽鳥が山科の耳元に囁いた。
 二見港を出て父島の湾を出、船を南に転進させて父島の西側を回り込むと、華菜島は意外な程近くに見えた。海の上に碗を伏せた様な形に浮ぶ島の背後から、黒煙が立ち上っている。
 「まだ燃えているんですか?」山科はまるで火山の様に煙を上げる島を眺めた。
 「どうも出来ねぇんですよ。千寿に入れねぇんだから。」船長は拳を握りしめた。
 「御覧の様に……。」岡田が付け足した。
 「御覧の様に、華菜島には平地が殆どありません。こちら側……北側になりますが……そこにある潮見地区と、島の向こう側……南側ですね、そっちの千寿地区と二つの集落に分かれているんですが、それを結ぶのは島の外周を回っている道路だけなんですよ。ところがその道路が西側も東側も千寿地区に入る辺りで大きく崖崩れを起こしてるそうで、入れないらしいんです。後は島の中央部の山の上にある神社を経由して千寿地区へ降りる方法しかなくて……。」
 「古文書のある神社……ですか?」
 「ええ。ですから、潮見地区の人達や父島からの応援は、その山道を抜けたり、船で周り込んだりして、千寿地区へ入ってるんですが……。」
 「千寿は、港も壊れてて、船で回り込んでも近付けねぇのさ。どうにも出来ねぇ。」船長が付け足した。
 「千寿地区の生存者は?」
 「いないみたいですよ。元々小さな漁村ですから……全滅です。」
 「都へ連絡は?」
 「漁協の方から……。」
 海は、島のひとつの地区が壊滅した事等信じられぬ位穏やかだった。目の前に黒煙をあげる被災地があるというのに、いかにも南の島然とした澄んだ青い海や、強い日射しは緊迫感というものとは程遠い様に山科には感じられた。
 漁船は華菜島潮見地区の小さな漁港に入港した。
 船の入った潮見地区は、思いの外静かだった。
 「静かだなぁ。」
 「みんな、船で回ったり、山から回ったり、千寿地区へ行ってるんですわ。」山科の呟きに船長が応えた。
 「行ってみますか?」岡田が山科に聞いた。
 「ええ。日が暮れる迄に千寿地区を見てみたいですね。」
 「神社の件もあるし、山を越えましょうか。」
 華菜島そのものを構成する中央の山は、「山」とは言ってもさほど高くは無い。標高も200m以下だろう。古文書のある神社は、山頂から少し千寿地区側に下った所にあり、千寿地区側には神社迄参道としての石段があるが、潮見地区側からは山道を辿って行く事になる。
 山科、羽鳥、岡田の3人は漁村の路地を抜けて歩いた。南国らしい家並みは、伊豆半島あたりの漁村とは何処か趣が違う。強いて言えば沖縄の家並に近いだろうか。
潮見地区と呼ばれる島の北側の地域は、平地が殆ど無く、狭い土地にひしめき合う様に、集落が出来ていた。そこかしこに漂う生魚の匂いが、この島が漁業で成り立ってる事を物語っている。
 何気ない家の裏から始まる山道は、細く、急だった。
 「こっちからはあまり登らないんですか?」羽鳥は早くも息が切れている。
 「神社へはみんな参道のある千寿地区から登りますからね。」
 山科は普段の運動不足を痛感していた。
 疲労の割には、大して時間がかからずに3人は山頂付近に出る事が出来たが、木々が茂っていて、千寿地区の様子はまだはっきりとは見えない。
 「神社迄降りましょう。」と、岡田が言った。
 「社の辺りからなら、千寿地区が見渡せます。」
 その時だ。爆音とともに黒い影が上空を横切った。
 3人は思わず首をすくめながら上空を見た。上空を飛ぶものに首をすくめても意味は無い。それはとっさに自分の身を守る反射作用だったのだろう。
 「US-1だ。」山科が声をあげた。
 「US-1?」岡田は何の事だか判らない。
 「海上自衛隊ですよ。」
 「自衛隊……。」
 しばらくしてもう1機、US-1がまるで山頂の木々をかすめる様に飛んで行った。
 US-1A……海上自衛隊所有の飛行艇である。
 「自衛隊が来たのか……。」
 2機のUS-1は、島の南側の海面に、相次いで着水した。
 山頂から少し下って、神社の社迄降りると、岡田の言う様に、千寿地区は一望だった。
 「ひどいな……。」山科は思わず呟いた。
 千寿地区は惨澹たる有り様だった。

to be continued