序章


 「奴や……。頭が見える。追い付かれるぞ!!早く!!(雑音)ゴジラや。本当におったんや……ゴジラや……」
 雷鳴の様な音とともに緊急通信は途絶えていた。
 「ゴジラ?」
 小笠原諸島南端近くにある華菜島の漁船が、遭難する直前に送信して来た緊急通信の録音だった。年老いた老人のしわがれた聞き取りにくい声が叫び声の様に記録されている。慌てた様子で、それだけの送信の間にも、マイクを口から離したりしているらしく、通信内容を総て判別するのにもかなりの時間を要した。
 山科は、手に、その判別した通信内容の書かれた、僅か1行のレポートを持ち、録音テープを聞いていたのだった。しかし、どうも理解出来ない文字がある。唯一カタカナで表記された「ゴジラ」という文字。これは何を意味するのか。聞き取り難い録音テープも、確かに「ゴジラ」と聞こえはする。
 「ゴジラって何の意味だ?」
 「華菜島の漁労長に聞いたんですが、なんでも、華菜島にある神社に伝わる古文書に書かれている怪物の名だそうですよ。」山科の部下の羽鳥が、手帳を繰りながら応えた。
 「怪物?」山科はふっと、口の端で笑った。
 「怪物にやられたって言うのか?3日前のアメリカ船籍の大型貨物船も?。」
 そうだった。この漁船が遭難する3日前、50km程しか離れていない海域でアメリカ船籍の大型貨物船がやはり同様に、原因不明の沈没事故を起こしていたのだった。
 貨物船は、最後に"船底に何か大きなものがぶつかった"と告げたまま交信を絶った。
 「海上保安庁や、防衛庁が危惧しているのは、北朝鮮の潜水艦だろう?」
 「その様ですね。アメリカ船籍の貨物船の"何かとぶつかった"っていう交信が、相当効いた様で……。海保と海自は、あの海域を探査しまくったみたいですよ。」
 「でも、何も出なかった……。」
 「まぁ、敵も馬鹿じゃないですから、2度も事故を起こして、いつまでもウロウロしていないでしょうからね。」
 「"敵"か……。」
 羽鳥の話を聞きながら、幾度も録音テープを繰り返し聞いていた山科は、ふと不思議な事に気が付いた。
 「羽鳥……。」
 「はい?」
 「この漁船の事故、何時位だって言ったかな?」
 「21時を過ぎていたそうですよ。」
 「天候は?」
 「え〜と、晴れ。風も殆ど無かったと……。」
 「……じゃあ、このテープの最後に入っている雷鳴みたいなのは何だ?」
 羽鳥もテープに耳を傾けた。
 「さぁ……。多分、ノイズ?……、船が壊れる音?……いや、転覆する音かなんかでは?」
 山科は、しばらく黙ってテープを繰り返し聞いていたが、突然思い付いた様に立ち上がった。
 「羽鳥、華菜島へ行くぞ!怪物の正体調査だ!」
 「怪物?山科さん、まさか本気でゴジラ伝説を信じた訳じゃあ……。」
 「馬鹿。ウチみたいな夕刊紙が発行部数を確保するには、突拍子も無い話題が必要なんだよ。この2件の事故、ゴジラ伝説を交えて書くんだ。」
 「しかし、山科さん、デスクがそんな事承知しますかね。」
 「知るか!俺は行くぞ。」
 そう言うが早いか山科は部屋を出て行った。
 「待って下さいよ。僕も行きます。」
 "やれやれ"と羽鳥は思った。"そんなタブロイド紙みたいな記事を、この山科という男は本気で載せるつもりなのだろうか?"と。


 海上自衛隊海上幕僚監部。
 幕僚長の高橋は少し苛立っていた。無意識のうちに、彼の手のボール・ペンが、規則的なリズムで机を叩いている。
 単なる海難事故、それなら良い。しかし、彼はアメリカ船籍の大型貨物船が最後に発した"何かが船底にぶつかった"という言葉が頭から離れなかった。だが、その後の調査ではそれらしい潜水艦は発見出来ずにいる。彼は苛ついた気持ちのまま、一等海佐の水鳥川からその後の報告を聞いていた。
 「現時点では、事故発生後の海上保安庁の巡視船や当方(海上自衛隊)の護衛艦の探査、それからP3Cの探査でもそれらしい潜水艦は発見出来ておりません。」
 「ふむ……。」高橋は事故原因について、何ひとつ進展した部分の無い報告が少し不満である。
 「……北朝鮮の潜水艦という線はどうだ……。」
 「しかし、大平洋側の第三管区ですし、北朝鮮の潜水艦という可能性は低いかと……。」
 「アメリカの原潜という事も考えられるな。もし、そうなら日本の出番は無くなるか……。アメリカ船籍の貨物船とアメリカ海軍の原潜……。」
 その言葉に反応したかの様に、一等海佐の水鳥川は僅かに辺りを伺うかの様な素振りで、ちらりと周囲を見回すと、声を低めた。
 「実は気になる報告がありまして……。」
 「気になる?」
 「放射線反応が出たんです。」
 「放射線反応?」高橋は机にペンを放り出して、身を乗り出した。
 「ええ。海保でアメリカ船籍の貨物船の積荷確認の為に、回収した残骸を色々調べたんだそうです。そうしたら……。」
 「そうしたら放射線反応があった……?」
 「そうです。人体に即危険な程の濃度では無かったそうですが……。」
 「残骸の残留放射能だけじゃ判らんだろう。」
 「ええ……。」
 「その残骸は?」
 「既に船の損害保険会社の手に渡っています。」
 「放射線反応があったという事は、積み荷に放射性物質があったのか?」
 「いや、それは無いと思われます。」
 「では、接触したのは原潜で、その原潜に重大な損傷が有ったと?」
 「ええ、その線が濃厚かと……。」
 「海保は何故、残骸を確保しなかったんだ。」
 「あまり押さえていては、大ごとになります。理由を問われますからね。それでデータだけ取って引き渡した様です。」
 「保険会社にはこの件は?」
 「知らせていないそうです。簡単な事では無いですからね。国際問題にもなる事ですから。勿論、海上保安庁長官から総理へは、連絡が行きまして、こちらの防衛庁長官にも……。」
 「修理でドック入りしたアメリカ原潜は?」
 「はい。事故の後、アメリカ側に問い合わせたんですが、横須賀始め国内のアメリカ海軍基地には該当する艦船は無いと……。」
 「信用出来んな。そのまま沈没でもしていたら、もっと大ごとだぞ。」
 「しかし、これ以上は踏み込めない領域ですし……。"しんかい"を使って探索はする様ですが。」
 "しんかいだって!?"高橋は半ば呆れ返った。"しんかい"は海洋科学技術センター所有の深海潜水艇だが、居所の判らない相手をどうやって探すと言うのか。勿論ソナー等で、"あたり"はつけるのだろうが、相手が潜水艦だとすれば、たかだか7、80メートルのシロモノに過ぎない。真っ暗な深海底で、しかもスポットライトの小さな視界の中だけでどうやって探すと言うのか。
 「"しんかい"なんて……。そんなものピンポイントにすぎんじゃないか……。タイタニックや大和とは大きさが違うんだぞ……。」
 それよりも高橋には、もう一つの事故の方が気にかかっていた。
 「漁船は?……華菜島の漁船の方はどうなってる?」
 「海保と漁協で動いてます。」
 「海自(ウチ)は?」
 「出ていません。」
 「要請は無かったのか?」
 「漁船の事故ですし……。」
 高橋はチッと舌を打って、ひとりごとの様に呟いた。
 「関連性濃厚だぞ……。」
 華菜島の漁船の残骸からの放射線反応が報告されたのは、翌日の事だった。


 山科の妻、慶子に彼が勤める新聞社から電話があったのは、山科達が島へ向かった日の夕方だった。
 「もしもし山科ですが・・・。」
 電話は山科の同僚からだった。
 「はい……主人が出張に……。そうですか……。え!?華菜島?何処ですか?それ……。え!?小笠原?そんな所迄……。はい。判りました。わざわざありがとうございました。はい……。それじゃ……。」
 言葉少なに電話を切ると、慶子は部屋のソファーに力無く座り込み、そのまま上半身を倒した。髪が乱れて、顔にかかるのもかまわず、そのまま動かなかった。
 窓から西日が入り込んでいた。そのオレンジ色の光が、慶子には非常に息苦しく感じられる。
 彼女は近頃の山科が信じられなかった。仕事は職業柄元々不規則ではあったが、時折つじつまの合わない事があったし、知らない香水の匂いがする事も最近になって度々だった。彼がいつも所持している筈の携帯電話に、知らない女が出た事もあった。そんな事から、慶子は、夫に別の女が居る事を、単なる"女の勘"以上の感覚として感じていた。だから、今度の電話、山科が華菜島へ取材に行ったという同僚からの電話も、俄には信じ難かった。何故、本人からでは無く同僚を通じてなのか、何故、何日も宿泊となる小笠原への取材を、自分に告げていかなかったのか……。勿論それらは総て事実であったが、今の慶子には疑わしい要素としてしか移らない。
 慶子は薄暗くなっていく、室内を唯ぼうっと見つめて、溜息を吐いた。
 "女の所へ行ったんだわ……"
 結婚して7年、二人には子供が出来なかった。慶子はそれが、山科を他の女の元へ走らせた原因だろうか、と考えてみた。しかし、山科は一度もそれを口にしたり、責めたりした事は無い。若くして結婚した二人は、互いに相手の身体をむさぼる様に求めあったものだ。それは、時として"子供が出来てしまったら、この欲望も自然に減衰してくれるだろうか"と心配になる程だった。勿論それも結婚生活が歳月を重ねるにつれ、互いに歳を重ねるにつれ、自然と落ち着いて来たが、それは決して"相手に飽きた"という事では無かった筈だ。逆に子供が出来ないままの関係を楽しんでいる面も、少なからずあった様に思われる。
 "じゃあ、どうして……"
 夫の裏切りとも言える行為の原因が何なのか、それが明確にならない限り、関係は元通りにはなるまい。
 考えれば考える程、結論の無い不毛な世界に落ち込んで行く様だった。けれど、今の慶子にはそれを振り切る気力も無い。こんな絶望感を味わわせる原因は山科にあるのに、その彼が今身近に居ない事が、慶子の思考力を奪ってもいた。
 "あの人が帰って来た時、どう迎えれば良いのだろう……"
 そんな事迄が虚ろな視線の先にあった。
 部屋は既に暗くなっていた。

to be continued