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プロローグ第一章「夏の終わり」-1-第一章「夏の終わり」-2-
第二章「大黒埠頭」第三章「真夜中の匂い」第四章「卒業」
第五章「幸江」-1-第五章「幸江」-2-第五章「幸江」-3-



エピローグ 「あの海を忘れない」

昭和62年9月……。あの日から1年位の間、僕の生活ぶりはひどいものだった。でも、今は、あらかた以前の生活を取り戻している。でも、僕は少し変わった。少し慎重になった……と言えば聞こえはいい。少し臆病になった。会社の所属も資材課から総務課へ変わっている。
僕は突然、海が見たくなった。あれからも幾度か三浦半島や湘南へは出掛けている。けれど、今、僕は海が見たいと思っている。そういえば、ラムダの頃から海へ行く時はいつも友達と一緒で、クルマと二人きりで出掛けた事は無かった。
9月20日に、僕はスタリオンと二人きりで、あの海へ出掛けてみる事にした。

9月20日……前日の天気予報では、午前中雨、午後から天気はゆっくりと快復するといういうものだった。
「大丈夫。きっと天気予報は少し外れて、朝から良い天気になるさ。」
自分にそう言い聞かせて床に入ったが、翌朝は雨こそ降っていなかったものの、今にも泣き出しそうな雲行き。それでも僕の予定の妨げにはならない。たとえ雨でもいい。僕はあの海がどうしても見たかった。

午前6時、僕はスタリオンのサイドブレーキをリリースした。道は珍しく空いている。首都高速を走り、斉藤の住む横浜の子安インターで降りて、狩場のインターから横浜横須賀道路に乗る頃、雨になった。斜め前をグレー・メタリックのRSターボが走っている。しばらくその後を140km/hでついて行ったが、僕は途中で追走をやめた。横浜横須賀道路を終点(当時)の衣笠インターで降り、久里浜へ向かう。海が見える頃、雨はやんでいた。幸江の事を思い出した。


君がさしかける 傘の中で
雨の輪がゆれる プールを見ている
六月といえば 夏を待てず
みんなして はしゃいだね

遠い日は 蒼い馬さ
煙るように 駆けてくる
ひさしぶり 肩よせ歩けば
ああ ここはすこしも変わらない

パシフィック 想い出の
海が 聞こえる

裸足で国道 よこぎったら
入道雲みえる 浜辺にでられた
子供じみた夏 もう来ないか
君にただ 聞きたくて

淋しさと いう呪文が
仲間達を 引き離すよ
君がもし いてくれたならば
ああ 僕は変わりはしなかった

今も恨むよ
今も恨むよ

ひさしぶり 肩よせ歩けば
ああ ここはすこしも変わらない

パシフィック 想い出の
君が 好きだよ  

[“HOTEL PACIFIC”・ブレッド&バター・アルファレコード]



津久井浜のデニーズに着いたのは8時半。僕は海を背にしたカウンターに通された。カウンターの前の壁には、所々装飾の鏡が付いている。僕は今迄色々な海を見て来た。春の淡く消え入りそうな海、夏の華やかな海、秋の静かな海、冬の冷たい海……それでも、あのラムダで初めて来た昭和58年7月の海程、哀し気で美しい海には会えずにいる。けれど今、目の前の鏡に映っている海は……銀色にたゆたい、水平線は灰白色の空へと溶け込んでいる。そう、あの時と同じ海だ。 思えば、あの時が一番幸せだったのかもしれない。幸江の事を考えながら、雨の海を見ていたあの時が……。
この店も、今は随分と綺麗になってしまった。朽ちかけたテラスは、新しく生まれ変わった。変わらないのは、壁に掛けられた船の絵と、染み付いた潮の香り……。

独りの食事はなんとなく落ち着かない。急いで食事を済ませると、僕は再びスタリオンのステアリングを握った。
「劔崎(けんざき)へ行くぞ。」僕は僕自身とスタリオンに言い聞かせた。
海は視界の左側を滑ってゆく。


海沿いのカーブを 君の白いクーペ
曲がれば 夏も終わる……
悪いのは僕だよ 優しすぎる女(ひと)に
甘えていたのさ

傷口に注ぐ Ginのようだね
胸がいたい 胸がいたい

夏のクラクション
Baby もう一度鳴らしてくれ In My Heart
夏のクラクション
あの日のように きかせてくれ
跡切(とぎ)れた夢を 揺り起こすように……

海沿いのカーブを 二つの夏過ぎて
今年も ひとりきりさ
「夢をつかまえて」と 泣いたままの君が
波間で手を振る

傷跡に触れた まるでKnifeさ
瞳閉じる 瞳閉じる

夏のクラクション
Baby もう一度鳴らしてくれ In My Heart
夏のクラクション
風に消されて もう聞こえない
Leave Me Alone

(So Lonely Summer Days)
夏のクラクション
Baby もう一度鳴らしてくれ In My Heart
夏のクラクション
あの日のように きかせてくれ
躓きそうな僕を振り返り  

[“夏のクラクション”・稲垣潤一・東芝EMIエクスプレス]



思い出していた……。“男女の友情は成立しないものでしょうか?”ずっと以前、幸江から届いた手紙に書いてあった言葉……。その時僕は、内心“そんなものは成立しない”と思った。“ふざけ合うだけなら本当の友情じゃないし、深くなればなる程、恋愛感情が湧き上がってしまう”と。でも、僕は、幸江への手紙で“きっと成立すると思う”と嘘をついた。彼女の気持ちを乱したくなかったから……。けれど今は違う。男女の友情も成立すると思える。僕は今、幸江の事を親友だと思っている。ずっと深い友情だと……。唯、やはり男と女の友情を得る為には、僕と幸江の様な季節を通り過ぎる必要があると思う。そんな季節を経験しなければ、本当の意味での男女の友情などというものは、獲得し得ないと思う。

僕は今でも幸江は素敵な女性だと思っている。彼女は結局、最後まで優しかったし、僕を目一杯気遣ってくれた。新しい生活を始めた彼女に、今なら“おめでとう”と言える。
僕は幸江に恋愛感情を越えた友情を感じる様になった。しかし、そうなった時には、既に二人は自由に会えない関係になっていた。それが哀しい。

僕はまだ、あの時の幸江の“今年を私達のうるう年って事に決めちゃわない?”という言葉にうなづけなかった自分を悔やんでいる。でも、今日は、この海に幸江の思い出を捨てに来た訳じゃない。むしろその逆だ。僕は探している。あの日の海の様な、“哀しさと幸福感の入り混じった気持ち”を。“幸江に友情を伝える術”を……。
僕は今の自分の総ての始まりだと思える、あの日の海を、あの海を忘れない。



FIN

後書き

一枚のメモがある。「部屋の壁に、暮れなずむ海辺の街の絵のポスターを貼る。紫色に溶けてゆく空と、海岸線に沿って走る道路。もう暗くなってしまった街には点々と灯りがともる……。おそらくハワイか何処かの海の絵なのだろうが、私はどうしても湘南の海を想い出してしまう。真夏の真っ青な空と、更に青い海。海水浴に来た人達の明るい声の波と、沖に浮かぶウインド・サーフィンの花々。そして雨に煙る灰色の海も……。海辺のファミリー・レストランにクルマを停めて、行き交うサーフ・ボードを積んだクルマを横目で見乍ら飲んだコーヒー。磯の香、砂浜、海の色。潮風、夏の日、湘南道路……。秋から冬への22歳。湘南、海に憧れている。」
1枚の写真から書き始めたこの物語は、この海の絵の中へ、自分を引き戻す様にして終えた。あの頃を思い出す───というよりも、もう一度あの頃を体験している様な錯覚を抱かせた。
僕はその後、思い出多いスタリオンを手放した。それも又、自分自身の中に、あの頃の様な力を取り戻す為のトライだった。この物語は、昭和62年の9月で終わっているが、その後の話も又、機会があれば執筆したいと思っている。
やはり又、あの海を起点にした物語を。僕は、今でも、いつでも、あの海を目指している。

1990年11月3日書く