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プロローグ第一章「夏の終わり」-1-第一章「夏の終わり」-2-
第二章「大黒埠頭」第三章「真夜中の匂い」第四章「卒業」
第五章「幸江」-1-第五章「幸江」-2-



第五章 「幸江」-3-

帰り道、何処かへ入ろうという事になった。
「私ね、スパゲッティが好きなの。」
「へぇ、スパゲッティだったら、あそこ、ホラ、新大宮バイパス沿いにあるじゃない?なんて店だか知らないけど。スパゲッティの専門店。」
「あそこあんまり美味しくないの。」
「もう試験済みか。」
「あそこでしょ?白いお店。」
「そうそう。」
「あそこは、あんまり……。」と彼女は微笑んだ。
「結構ウルサイね?」
僕がそう言うと、彼女はおかしそうに笑った。
「私ね、可愛いお店知ってるの。埼大通りをこっちから行くと左折して……。スパゲッティが美味しいの。ヴェガスってお店なんだけど……。」
「何処を曲がるの?」
「それが……良く覚えて無いのよね。感じは覚えてるんだけど……。」
「危ないな。知ってる所へ行くかい?」
「う〜ん、どうしよう。」
「おまかせしますよ。君の好みに。」
「それじゃ、行きましょうよ。」
「そうだね。間違えたら戻ればいいよ。」
しかし、やはり、それらしき場所を通り過ぎてしまった。
「さっきの所だったかしら……。」
「そうみたいだね。もうそれっぽい交差点は無いから……。次の信号で左折して、少し戻ってみようか。」
「うん。」
左折して、細い路地をすり抜け、埼大通りと並行して走る道路に出る。その道を更に戻る形で左折すると、幸いにもヴェガスは見える所にあった。
「あ、冴えてるねぇ。ここだよ。ここ。あの店でしょ?」
「あっ、そうそう。」
ヴェガスの駐車場にラムダを停めて、エンジンを切った。
「ね、可愛いお店でしょ?」
「ホントだね。」
「ここはいつも混んでないし、雰囲気もいいのよ。」
「でも、混んでないっていうのは、店にとっては良く無いけどね。」
「それもそうね。」彼女が微笑む。

二人でスパゲッティを注文した。
「前に会ってから、どの位経つかしら……。」
「今年で4年目……かな。」
「そう?……そう4年目ね。」
「うるう年みたいだな。」
「うるう年?」
幸江は笑った。
「うるう年ねぇ、オリンピックとか……。」
「オリンピックか。」
「でも、残念ながら今年はどっちでも無いわね。うるう年もオリンピックも去年だったもの。」
「そうか。」
二人の食事は最高の気分だったけれど、正直な所胸がいっぱいで、スパゲッティが中々喉を通らない。
「ねぇ、今度の休みに、ちょっとつきあってくれないかな。印象派の美術展があるんだ。」彼女なら、美術展でも喜んで来てくれる筈だ。
しかし、彼女は少し困った様な顔をして、微笑んだ。
「私ね……私……10月に結婚するの……。」
頭を何かで殴られた様な気がした。身体全体がビクッと動いた様な、めまいの様な……。それでもなんとか、僕はそんな気持ちが表に出ない様に押しとどめた。
「そうか……。」それだけ言うのがやっとだった。
“おめでとうって言わなくちゃいけない”頭の中ではそう思っていても、言葉にはならない。
「今日は……この間送ってくれたクリスマス・カードが嬉しかったから……、お礼を言うつもりだったの……。だから、これからあまり会うのは……。」

店を出てクルマに乗り込む時、彼女は言った。
「ネェ、今年を私達のうるう年って事に決めちゃわない?……」
僕はその言葉にうなづく事が出来ず、唯笑って見せた。

彼女の家の近く迄送って行く、その間も僕達は、お互いに相手の事を気遣い、何気ない風に他愛ない話をしていた。切なかった。もう総てが彼女に傾いてしまった気持ちを、どうして良いかわからない。3時5分で止まったままの時計が、うらめしかった。
「じゃあ、どうもありがとう。今度何処かへ行ったら、お土産買って来るから。」
「あゝ、僕もクルマが来たら連絡するよ。」
その帰り道、僕はラムダを無茶苦茶に飛ばして帰った。それでも危ない所では、無意識のうちにブレーキを踏んでいる自分が情けなかった。“もうどうでもいいじゃないか!オレなんて!”

翌日は雨。涙雨だと決めつけていた。

「そうか……ダメだったのか……。」
斉藤も電話の向こうでどう話して良いか判らない様子だった。僕はそれ程落ち込んでいた。
「なぁ、斉藤センセー、風の『君と歩いた青春』て歌があるだろ?」
「あゝ。」
「アレのさ、最後の部分、“君はなぜ男に生まれてこなかったのか”っていう部分、どういう意味だと思う?」
「さぁね、多分“男に生まれて来ていたら、もっと深い、親友になれたのに───”っていう意味だろう?」
「そうかな……、オレはもっと現実的な意味だと思うけどな。」
「どんな?」
「もし君が男に生まれて来ていたら、好きにならずに済んだのに───っていう……。」
「そんなに悪く考える事も無いさ。」

君がどうしても帰ると言うのなら
もう止めはしないけど
心残りさ少し 幸せにできなかったこと

故郷(くに)へ帰ったらあいつらに
会うといいさ よろしく伝えてくれ
きっと又昔のようにみんなで
楽しくやれるさ

みんないいやつばかりさ
ぼくとはちがうさ
そしてあの頃と同じように
みんなで釣りへでも行きなよ

ケンカ早いやつもいた
涙もろいやつもいた
みんな君のことが好きだったんだよ

本当はあいつらと約束したんだ
抜けがけはしないとね
バチ当りさぼくは
だけどほんとさ 愛していたんだ

きれいな夕焼け雲を
憶えているかい
君と初めて出逢ったのは
ぼくが一番最初だったね

君と歩いた青春が
幕を閉じた
君はなぜ
男に生まれてこなかったのか  

[“君と歩いた青春”・風・クラウンレコード]



4月28日、スタリオンが納車された。ようやく夢が叶った。でも、僕はその夢が幸江というフィルターを通して見ていた物である、という事に気が付いていた。スタリオンで彼女と走りたい。彼女が居て、スタリオンがある───そういう場面を夢見ていたのだ。
いずれにしろ、夢のひとつは去り、もうひとつはやって来た。僕はスタリオンの真新しいシートに座って、小さく息を吸った。

to be continued