第五章 「幸江」-2-
狭山湖の辺り……。道路脇に木立が連なっている。
「わぁ、いい感じね。」
「いいねぇ、武蔵野かどっかみたいだね。」
「うん。」
僕達はそのまま、狭山湖の周りを走った。ちょっとしたワインディング・ロード。僕はギヤを2速へ落とす。タコ・メーターの針が踊り、ラムダはトルクを得て、グッと加速する。僕は2速ホールドのまま、そのワインディングを駆け抜けた。
「今、何速だった?」
「え!?今、2速。」
「やっぱり。エンジンの音で大体判った。」
「コーナーがどの程度か読めないからね。ホラ、2速ならエンジン・ブレーキも強く効くだろ。だから、オーバー・スピードでコーナーに入っても、アクセル緩めればスピード落ちるから……。初めて走る所はやっぱり怖いからね。」
「えゝ、今みたいな走り方してても、やっぱりそう(怖い)なの。」
「そりゃ、やっぱりね。」
少し反省……。クルマのペースが少し速過ぎたかもしれない。
湖の反対側の方へ出た。未舗装の登り坂。湖を見下ろす様に上ってゆく。湖側は金網と草で、決して見晴らしが良いとは言えないけれど、その間から時々見える湖は、人造湖である事を忘れさせるのに充分な景色だ。車速は40キロかそれをちょっと下回る位。
「わぁ、綺麗。ね、もう少しゆっくり走っていいわよ。福山君、景色見られないでしょう。」
「あゝ。」
そんな彼女の心遣いが嬉しくて仕方が無い。長い間、彼女と手紙のやり取りをして来て、その間いつも心の何処か片隅で彼女の事を思い悩んで来た事も、今日のこの時の為だったとしたら、すべて許せる。それだけの価値はあったと思う。手紙の中の彼女の生活に一喜一憂して来た事が、もう遠い昔のような気がした。
その登り坂は上の方で行き止まりになっていた。僕はラムダをUターンさせて道を折り返した。
湖畔の駐車場にラムダを停める。
「この時計……。」
幸江がラムダのインパネに埋め込まれた、アナログ式の時計に目を止めた。
「動いてないよ。壊れてるんだ。買った時から……。」
「どうしても動かないの?」
「駄目。断線してるのかもしれない。照明も点かないし……。」
「ふ〜ん。……ねぇ、今の時間に合わせておこうよ。そうすれば、外をどの位歩いて来たか、戻った時わかるじゃない?」
「あゝ。」
「3時……5分ね。」
「うん。そうだね。」
僕達はクルマを降りた。
湖にかかる橋の袂で、彼女は水面を見つめてつぶやく。
「ここからなら、水際迄降りられそうね。」
「降りてみるかい?」
「ううん。」彼女は首を横に振って、笑った。
二人でしばらく橋の手すりにもたれていた。3月とは言っても、空気はまだ冷たい。
「綺麗ね。陽も傾いてきて……。」
「あゝ。」
「水鳥が沢山いるのね。」
「ほんとだ。僕も初めて来たから。もっと人造湖っぽい所かと思ってた。」
「でも、中々いいわよね。」
「そうだね。」
「ねぇ、会社はどう?」
「私、こういう者ですが……。」
僕は幸江に名刺を手渡した。
「ありがとう……。わぁ、いいな。名刺があるの?」
「一応、“資材”ですから。考えていたより、泥臭い感じの仕事だけどね。業者相手の仕事だから、一応名刺は持ってるんだ。」
「私も“それじゃあ”ってサッと名刺を出せればいいんだけど……、私は無いのよねぇ。」
「君の所みたいな商社だと、あんまり不況だとかって事無いんじゃない?」
「ううん、そんな事も無いみたいよ。福山君の所はどうなの?」
「あゝ、オーディオ関係はダメ。全然。」
「どうして?」
「だって今の時代、大抵の家はちゃんとしたステレオの1台位あるだろう?」
「私の所、無いわよ。」
「あ、買って!」
「あ、こういう事言うといいお客さんになっちゃうんだ。」
彼女と顔を見合わせて笑う……幾度夢見た光景だろう。それが今は現実なのだ。
「ね、福山君って本当に絵が上手なのね。」
「え!?」
「ホラ、前になんだか送ってくれたじゃない。」
「アレかな?河津七滝の釜滝の絵……滝の……合宿先から出したやつ。」
「あれは葉書だったでしょう?なんか栞に出来そうだなぁと思ったのがあったの。」
「う〜ん、色々送ったからわかんないなぁ。」
「う〜ん、それと前にクリスマス・カードをくれたでしょう。ベルの絵が描いてあった……。」
「あゝ、それは覚えてる。」
「友達にも見せちゃったもん。“いいでしょう!”って。友達も言ってた。『とても人間が描いた絵とは思えない』って。」
「なんだよ、それ。マァ、いいか。でも、そこまで誉められちゃ今年が大変だな。」
優しい会話の数々。地面にきちんと足が着いていない様な気分。幸江は益々素敵になる。以前よりもっと……。
陽が沈みきってしまう前に僕らはクルマに戻って、狭山湖を後にした。
「本当に節度のある運転の仕方をするのね。」
「そう?」
「うん。ギヤチエンジもこまめだし……。」
「多分……。横浜の友達の所為かな。運転のウマイ奴が居るんだ。そいつに運転習ったし、そういう運転を見てるから……。」
「ふ〜ん、私なんか駄目。手紙にも書いたけど、もうクルマ手放しちゃったのね。あまり乗らないから……。でね、もう買わないの。」
「どうして?乗れなくなっちゃうよ。」
「いいの。でも免許の更新はするけどね。」
「ふ〜ん。でも勿体無いなぁ。」
「“なんで、免許の更新はするのに、クルマに乗らないのか”って?」
「あゝ。」
「いいの。乗りたくなったらレンタカー借りるもの。」
不思議な気持ちがした。心に影が射す様な……。何処か不信感の様な、変な気持ちがよぎったけれど、それはほんの一瞬だった
彼女がカセットテープのインデックス・カードを見て、声を上げた。
「あれ!?なぁに、この曲。竹下景子の『ケイスケ』っていうの。」
それは僕と同じ名前だ。僕達の年代、竹下景子というのは憧れの存在だった。この曲が初めてTVで流れた時、大学の友人からすぐに「今TV見てたか?なんだよ、アレ?」と電話がかかって来たし、斉藤はとてもくやしがったものだ。僕は勿論その偶然を喜んでいる。それにこのケイスケというのは、竹下景子の以前の曲「結婚してもいいですか」の時の、竹下景子の恋人の名前だと、レコードの歌詞カードに注釈がある。最高の気分。幸江も“竹下景子と夏目雅子を足して2で割った様な女性”が理想なのだと言っている。
「いいだろ〜。」
「え〜、ホントに?」
「ホントに!!」
「え〜、どうして〜?」
「いい歌だよ。」
僕はカセットをかけた。
あの角を曲がるとベーカリー そうよね
素敵なぐうぜん 映画ならね ケイスケ
ディスプレイ見つめて 頬よせる二人に
幸せだったわ 私たちも ケイスケ ケイスケ
想い出はジグソーパズル
つないでも つないでも 一人遊び
繰り返す季節の中で
ひとかけら ひとかけら 恋(いと)しむだけ
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ケイスケ ケイスケ あれはもう遠いことね
着せかけてくれたわ だぶだぶのセーター
あなたのぬくもり 肘のほつれ ケイスケ ケイスケ
想い出は遠くのラジオ
とぎれては とぎれては 胸に残る
ききなれた やさしいメロディー
ひとときを ひとときを 輝かせて
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ケイスケ ケイスケ あの頃の歌が好きよ
想い出はジグソーパズル
つないでも つないでも 一人遊び
繰り返す季節の中で
ひとかけら ひとかけら 恋(いと)しむだけ
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ケイスケ ケイスケ 6月に結婚するの
[“ケイスケ”・竹下景子・ポリドール・レコード]
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「どう?」
「うん、でも、ちょっと淋しそうな感じの曲ね。」
to be continued
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