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プロローグ第一章「夏の終わり」-1-第一章「夏の終わり」-2-
第二章「大黒埠頭」第三章「真夜中の匂い」第四章「卒業」
第五章「幸江」-1-



第五章 「幸江」-2-

狭山湖の辺り……。道路脇に木立が連なっている。
「わぁ、いい感じね。」
「いいねぇ、武蔵野かどっかみたいだね。」
「うん。」
僕達はそのまま、狭山湖の周りを走った。ちょっとしたワインディング・ロード。僕はギヤを2速へ落とす。タコ・メーターの針が踊り、ラムダはトルクを得て、グッと加速する。僕は2速ホールドのまま、そのワインディングを駆け抜けた。
「今、何速だった?」
「え!?今、2速。」
「やっぱり。エンジンの音で大体判った。」
「コーナーがどの程度か読めないからね。ホラ、2速ならエンジン・ブレーキも強く効くだろ。だから、オーバー・スピードでコーナーに入っても、アクセル緩めればスピード落ちるから……。初めて走る所はやっぱり怖いからね。」
「えゝ、今みたいな走り方してても、やっぱりそう(怖い)なの。」
「そりゃ、やっぱりね。」
少し反省……。クルマのペースが少し速過ぎたかもしれない。
湖の反対側の方へ出た。未舗装の登り坂。湖を見下ろす様に上ってゆく。湖側は金網と草で、決して見晴らしが良いとは言えないけれど、その間から時々見える湖は、人造湖である事を忘れさせるのに充分な景色だ。車速は40キロかそれをちょっと下回る位。
「わぁ、綺麗。ね、もう少しゆっくり走っていいわよ。福山君、景色見られないでしょう。」
「あゝ。」
そんな彼女の心遣いが嬉しくて仕方が無い。長い間、彼女と手紙のやり取りをして来て、その間いつも心の何処か片隅で彼女の事を思い悩んで来た事も、今日のこの時の為だったとしたら、すべて許せる。それだけの価値はあったと思う。手紙の中の彼女の生活に一喜一憂して来た事が、もう遠い昔のような気がした。

その登り坂は上の方で行き止まりになっていた。僕はラムダをUターンさせて道を折り返した。

湖畔の駐車場にラムダを停める。
「この時計……。」
幸江がラムダのインパネに埋め込まれた、アナログ式の時計に目を止めた。
「動いてないよ。壊れてるんだ。買った時から……。」
「どうしても動かないの?」
「駄目。断線してるのかもしれない。照明も点かないし……。」
「ふ〜ん。……ねぇ、今の時間に合わせておこうよ。そうすれば、外をどの位歩いて来たか、戻った時わかるじゃない?」
「あゝ。」
「3時……5分ね。」
「うん。そうだね。」
僕達はクルマを降りた。

湖にかかる橋の袂で、彼女は水面を見つめてつぶやく。
「ここからなら、水際迄降りられそうね。」
「降りてみるかい?」
「ううん。」彼女は首を横に振って、笑った。
二人でしばらく橋の手すりにもたれていた。3月とは言っても、空気はまだ冷たい。
「綺麗ね。陽も傾いてきて……。」
「あゝ。」
「水鳥が沢山いるのね。」
「ほんとだ。僕も初めて来たから。もっと人造湖っぽい所かと思ってた。」
「でも、中々いいわよね。」
「そうだね。」
「ねぇ、会社はどう?」
「私、こういう者ですが……。」
僕は幸江に名刺を手渡した。
「ありがとう……。わぁ、いいな。名刺があるの?」
「一応、“資材”ですから。考えていたより、泥臭い感じの仕事だけどね。業者相手の仕事だから、一応名刺は持ってるんだ。」
「私も“それじゃあ”ってサッと名刺を出せればいいんだけど……、私は無いのよねぇ。」
「君の所みたいな商社だと、あんまり不況だとかって事無いんじゃない?」
「ううん、そんな事も無いみたいよ。福山君の所はどうなの?」
「あゝ、オーディオ関係はダメ。全然。」
「どうして?」
「だって今の時代、大抵の家はちゃんとしたステレオの1台位あるだろう?」
「私の所、無いわよ。」
「あ、買って!」
「あ、こういう事言うといいお客さんになっちゃうんだ。」
彼女と顔を見合わせて笑う……幾度夢見た光景だろう。それが今は現実なのだ。

「ね、福山君って本当に絵が上手なのね。」
「え!?」
「ホラ、前になんだか送ってくれたじゃない。」
「アレかな?河津七滝の釜滝の絵……滝の……合宿先から出したやつ。」
「あれは葉書だったでしょう?なんか栞に出来そうだなぁと思ったのがあったの。」
「う〜ん、色々送ったからわかんないなぁ。」
「う〜ん、それと前にクリスマス・カードをくれたでしょう。ベルの絵が描いてあった……。」
「あゝ、それは覚えてる。」
「友達にも見せちゃったもん。“いいでしょう!”って。友達も言ってた。『とても人間が描いた絵とは思えない』って。」
「なんだよ、それ。マァ、いいか。でも、そこまで誉められちゃ今年が大変だな。」

優しい会話の数々。地面にきちんと足が着いていない様な気分。幸江は益々素敵になる。以前よりもっと……。

陽が沈みきってしまう前に僕らはクルマに戻って、狭山湖を後にした。

「本当に節度のある運転の仕方をするのね。」
「そう?」
「うん。ギヤチエンジもこまめだし……。」
「多分……。横浜の友達の所為かな。運転のウマイ奴が居るんだ。そいつに運転習ったし、そういう運転を見てるから……。」
「ふ〜ん、私なんか駄目。手紙にも書いたけど、もうクルマ手放しちゃったのね。あまり乗らないから……。でね、もう買わないの。」
「どうして?乗れなくなっちゃうよ。」
「いいの。でも免許の更新はするけどね。」
「ふ〜ん。でも勿体無いなぁ。」
「“なんで、免許の更新はするのに、クルマに乗らないのか”って?」
「あゝ。」
「いいの。乗りたくなったらレンタカー借りるもの。」
不思議な気持ちがした。心に影が射す様な……。何処か不信感の様な、変な気持ちがよぎったけれど、それはほんの一瞬だった

彼女がカセットテープのインデックス・カードを見て、声を上げた。
「あれ!?なぁに、この曲。竹下景子の『ケイスケ』っていうの。」
それは僕と同じ名前だ。僕達の年代、竹下景子というのは憧れの存在だった。この曲が初めてTVで流れた時、大学の友人からすぐに「今TV見てたか?なんだよ、アレ?」と電話がかかって来たし、斉藤はとてもくやしがったものだ。僕は勿論その偶然を喜んでいる。それにこのケイスケというのは、竹下景子の以前の曲「結婚してもいいですか」の時の、竹下景子の恋人の名前だと、レコードの歌詞カードに注釈がある。最高の気分。幸江も“竹下景子と夏目雅子を足して2で割った様な女性”が理想なのだと言っている。
「いいだろ〜。」
「え〜、ホントに?」
「ホントに!!」
「え〜、どうして〜?」
「いい歌だよ。」
僕はカセットをかけた。

あの角を曲がるとベーカリー そうよね
素敵なぐうぜん 映画ならね ケイスケ
ディスプレイ見つめて 頬よせる二人に
幸せだったわ 私たちも ケイスケ ケイスケ
 想い出はジグソーパズル
 つないでも つないでも 一人遊び
 繰り返す季節の中で
 ひとかけら ひとかけら 恋(いと)しむだけ
ケイスケ ケイスケ あれはもう遠いことね

着せかけてくれたわ だぶだぶのセーター
あなたのぬくもり 肘のほつれ ケイスケ ケイスケ
 想い出は遠くのラジオ
 とぎれては とぎれては 胸に残る
 ききなれた やさしいメロディー
 ひとときを ひとときを 輝かせて
ケイスケ ケイスケ あの頃の歌が好きよ

 想い出はジグソーパズル
 つないでも つないでも 一人遊び
 繰り返す季節の中で
 ひとかけら ひとかけら 恋(いと)しむだけ
ケイスケ ケイスケ 6月に結婚するの  

[“ケイスケ”・竹下景子・ポリドール・レコード]

「どう?」
「うん、でも、ちょっと淋しそうな感じの曲ね。」

to be continued