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プロローグ第一章「夏の終わり」-1-第一章「夏の終わり」-2-
第二章「大黒埠頭」第三章「真夜中の匂い」第四章「卒業」



第五章 「幸江」-1-

会社が始まった。慣れない職場と、考えていたより泥くさい現場の仕事に、少し困惑していた。僕は資材課へ配属になった。毎日、部品の出庫や選別に追われている。「大学を出て、こんな仕事で良かったのか」という思いも無い訳では無かったが、それでも自分の好きなスピーカーが周りに沢山あるというのは、それなりに嬉しかったし、何より店頭に並んだ自社製品を見ると、「ここの部品はオレが買いつけているんだ」と、少し誇らしくもあった。

“相変わらず仕事頑張ってますか?私の方も会社が始まりました。考えていたより泥くさい感じの仕事ではあるけれど、やはり好きなスピーカーに埋もれて仕事が出来るというのは、悪い気はしません。まだ慣れなくて大変ですが、なんとかやっています。……君も忙しいだろうけれど、頑張り過ぎて身体をこわさないようにして下さい。”

“手紙をありがとう。お仕事大変そうですね。でも、何でも好きな事には秀でた才能を示す福山君の事だから、あなたの仕事ぶりは目に見えるように安心出来ます。私の方は今、コンピュータに事務処理がし易い様にプログラムを組んでます。よくわからなくて大変だけど、○日頃迄には完成させたいの。目標があると張りあいが出ます。……慣れない仕事で、あなたも身体には気を付けて下さい。”

就職してから最初の幸江との手紙のやり取りだ。正直な所、大学とのギャップで憂鬱な気持ちになりがちだった僕にとっては、彼女からの手紙が唯一の安らぎだった。

それから約1年……昭和60年2月。
この1年間、幸江との手紙のやり取りは、以前よりほんの少し回数が増えた。正月の彼女からの年賀状も、“もう少し私の方にも余裕が出来たら、また会いましょう”と書いてあったし、去年の後半から今年初めにかけては、必ず返事が来て、月に1度は手紙が来る形になっている。
僕の仕事は、同じ資材課だが、事務的な仕事が中心になった。
クルマの購入予定もこの1年で2転3転した。大学時代、スタリオンをあきらめて目標としていたランサー・ターボも、トヨタのMR2の発表で気持ちが変わった。小さなボディ、手ごろなパワーとミッド・シップ・レイアウトこいつでエンジンをビンビン回して走ったらどんなに楽しいだろうと思った。“MR2を目標にしよう”。ランサー・ターボより高いMR2を買う為に、毎月の貯金額を増やした。LPレコード1枚を買うのにも苦労する様な状態だが、頭金が出来るまでは仕方が無い。が、ある日雑誌に載った記事で、僕はスタリオンの値引き額が予想以上に大きい事を知る。その記事が本当なら、MR2を買う値段で、スタリオンが買えるのだ。そうなったら、もう何も迷う事は無い。大学時代に憧れたスタリオンを買うしか無いではないか。
“斉藤、オレも夢を叶えるぞ!”
そして今、ようやく頭金も貯まった。そろそろ交渉を開始するつもりだ。

幸江から手紙が届いた。
“社会人1年目、いかがですか?もうすっかり自分のペースを掴んだ事と思います。……良かったら、会いませんか?”
僕の返事は、勿論決まっている。

3月初め……。
スタリオンの交渉を始めた。競合させる他車の様子を聞いて回って、それから三菱のディーラーへ出かけた。しかし、交渉は思ったより簡単に進行。こちらの希望が割とすんなり通って2日程で契約までこぎつけた。
スタリオンGSR-IIターボwithインタークーラーが、ようやく僕のものになる。そう……憧れだったガン・グレーのスタリオンだ。
斉藤に電話をした。
「ヤッタネ!福山。良かったじゃん。」斉藤も喜んでくれた。
「ありがとう。お互いに大学時代の夢が叶ったな。」
嬉しかった。クルマだけじゃない。幸江とも会えるのだ。こんなに幸せな気分は今迄無かったと思う。

再び幸江から手紙が届く。
“急な話で悪いけれど、今度の土曜日、3月16日、都合が良いので会いませんか?返事は手紙だと間に合わないかもしれないから、会社へ電話して下さい。電話番号は○○-○○○-○○○○。この番号なら私の机に直通です。昼休みを避けてくれれば、私が出ます。とにかく……電話、待ってます。”

手紙の届いた翌日、僕は幸江の会社に電話をかけた。ダイヤルを回す指先が震える位ドキドキしている。
「もしもし?福山です。」
久し振りに聞く幸江の声。変わらない……。3月16日の午前11時、僕の住んでいる南浦和の駅前で待ち合わせる事になった。
僕の幸江に対する気持ちは急激にどんどん強くなった。

3月16日……ここの所ずっと悪かった天気が、今日は晴れてくれた。天気予報では、今日も“曇り時々雨”だったのだが、晴れている。快晴とまでは行かないが、これなら充分満足出来る(?)程だ。
僕は南浦和の駅前にラムダを停めて幸江を待った。約束の時間まではまだ少し間があったから。幸江に会ったら最初になんと言おうか等と、つまらない事を考えている。

駅の階段から幸江が降りて来るのを見つけた時の気持ちは、もうなんと表現したら良いかわからない。夢ではないんだ……。彼女も僕の姿を見つけて微笑んだ。
「久し振り。」
「久し振りです。」
「あんまり綺麗になっちゃったから一瞬判らなかったよ。」
「またまた。」彼女は笑ったけれど、それは僕の本心だったんだ。
僕達はラムダに乗り込んだ。
「さて、何処へ行こうか?」
「何処でも。」
時間的にあまり遠くへは行けない。横浜辺りを走りたいというのが本音だったが、情けない事にその時の僕はまだ、斉藤の案内無しでは道路が不案内で、横浜など独りではとても走れたものでは無かった。結局、近場で狭山湖へ行く事になった。でも、場所なんかどうでも良いんだ。今日行けなかった所へは、いずれ又行けばいい。幸江もそういう事にこだわるような女性では無かった。
とにかく何もかもが輝いて見える。ラムダのエンジン音までも、今日は調子が良い様に思えた。彼女の横顔……やはりこれ程素敵な女性はいないと思う。彼女が居てくれるなら……何もいらない……歌の世界だけの事だと思っていた言葉が、現実にもある事を知った。
「そういえば、クルマはどうなったの?」と彼女が訊いた。
「え?」
「手紙に書いてあったじゃない。クルマ買うって。」
「あゝ、もう契約して来た。」
「どんなクルマ?」
「こういうヤツ。」僕は後席からスタリオンのカタログを取って、彼女に渡した。
「ワァ、カッコイイじゃない。私こういうの好きよ。」
こんなに嬉しい事は無い。“君に乗って欲しいんだ……”そう思っていた。
「ね、色は何色なの?まさか赤じゃないでしょうね。」
「ガン・グレーだけど……。」
「なら、いいけど。」
「赤じゃダメなの?」僕は彼女に訊いてみる。
「うん……赤はネェ。」彼女はそう言って微笑んで見せた。
“赤は派手だし、子供っぽいもの”僕は彼女の表情から、そういう言葉を読み取った。彼女の好みに合った色で良かったと、つくづく思う。赤にしなくて良かった……と。
「クルマが来たら慣らしにつきあってくれる?」何気なく……でも内心はおそるおそる訊いてみる。
「うん。私なんかで良かったら。」と幸江は微笑んだ。
「充分だよ。」
飛び上がらんばかりの気持ち!“ヤッタ!!”僕は静かにアクセルを踏み増した。街路樹からの木漏れ日が二人の上を流れて行くのが、心地良い。今日は本当に良い日だナァ〜と……この道は良い道だナァ〜と思っていた。

熱い視線
投げていたでしょ?
気付かないと想っていたの?
あんなに遠いから

迷うように
会話(はなし)したけど
言葉よりも口にしない
想いだけ読みあってた

海辺のテラスで誰かが弾いてた
ピアノの響きを急に想い出す


遅いバラードの
ゆるやかな音符のように
そうよゆっくりと
知りあえばそれでいい

次の約束
しないままでも
見えない糸切れないでね
たぶんまた逢えるでしょう

二人でいたって孤独(ひとり)は消えない
孤独(こどく)を足しても愛にはならない

いつかバラードの
やわらかな和音のように
そうね肩寄せて
生きれたらそれでいい
 

[“スロー・バラード”・薬師丸ひろ子・東芝EMI]

to be continued