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プロローグ



第一章 「夏の終わり」-1-

毎日暑い日が続く。大学は夏休み前の前期テスト期間になった。が、僕は3年迄に卒業必要単位数を取得してしまっていたので、講義は必修科目のゼミだけ。ゼミは卒論だけだから、テストには無関係である。
「いいなぁ、テストが無いなんて。」友人達はうらやましがった。
「お前らが週休3日制にしてる時に、ちゃんと週休2日で通して来たからな。」
確かにテストが無いというのは、就職活動をする上では楽な要素である。けれどその年の就職状況は意外と厳しく、僕はクルマのディーラー以外どこからも良い感触を得ていなかった。もう夏である。春先、ようやく暖かくなり始めるかという頃から動いているというのに……。あせる気持ちだけが先走っていた。

僕も斎藤も大学では芸術部という部活に所属していた。その芸術部は内部で更に絵画科、写真科、マンガ科の3科に別れている。本来なら別々であるべき部なのだが、“その部の規模(人数)によって活動資金をふり分ける”という学生会の規程に有利になるように、1つにまとまっているのだった。その為、我が芸術部は文化部の中では最大である。そして斎藤はマンガ科、僕は絵画科に在籍している。
僕は高校時代から美術部に所属し、絵を描き続けてきた。特に大学に入ってからは鎌倉という場所に魅かれ、スケッチを続けていたが、鎌倉についてもそういった経緯があってこそ、特別な想い(鎌倉を描きたいという)が生まれたのだと思う。美大進学は果たせなかったけれど、それはそれでマイペースで絵が描けるという利点もあった。
そんな訳で僕は、出来ればデザイン等に関係している所に就職したいと考えていた。
そうでなければ趣味を生かしてオーディオ・メーカーがいい。とにかく、興味の持てない所で働いてゆく自信は無い。甘い考えかもしれないが、それが本音だ。

7月の下旬、僕はあるキャラクター商品のメーカーに電話をかけた。
「あの……すいません、企業研究に伺いたいんですが……。」
「はい、学部はどちらでしょう?」
「経済学部ですが……、あの……デザイン部門の方にお伺いしたいんですが。」
「は!?」
「デザイン部門の方に……。」
「え、あ〜、それじゃですね、作品を5点以上持って、え〜とそれじゃあ……8月5日の10時においで下さい。」
とんでもなく無謀な事をしている様な気がしてきた。

8月5日、イラスト・ボードを抱えてその会社を訪ねると、待合室には同じ様に今日の、この時間を指定された学生が既に何人か来ていた。約束の10時になると、まず作品が回収された。
「皆さんの作品を見せて頂くのに、1時間程お時間を頂きます。その間に別室で質問をお受けしますので……。」
この日時を指定されたのは、僕を含めて8人。男が6人、女性が2人。会議室の様な所で4人づつ向かい合わせに座った。
各自の大学名紹介は、僕を絶望的な気持ちにした。マァ、当然と言えば当然で、判っていた事なのだか、このデザイン部門に集まった学生達は皆、美大か芸術学部の人間だったのだ。いくら“部活で絵を描いてます”とは言っても、経済学部なんていうのは一人もいない。開き直るしかなかった。他人の作品は見ていないが、おそらくとても太刀打出来るものじゃないだろう。
ありきたりの質問と、ありきたりの回答のやりとり……。退屈な時間……。
僕の前には2人の女性が座っていた。 "向って左側の女の娘の方が可愛いな。"もうあきらめの気持ちも混じっていた僕がその時考えていたのは、その程度の事である。表面上はやる気満々の様なフリをしていたけれど……。
1時間後、再び作品が返され、解散となった。
「作品の評価によって、もう一度来て頂きたいと思った方には、こちらから2日以内にお電話致します-。」
会社を出ると、駅の方へ向うのは男が僕ともう一人、そして女性二人の4人だけになった。
「どこかでお茶でも飲んで行きませんか?」僕は3人に声をかけた。
就職活動の時、その後に予定が入っていない限りは、帰り道に誰からともなく声をかけて喫茶店に入るのが常になっていた。そこで今行って来た会社の悪口を言い合ったり、他の会社の情報を聞いたり、とストレス解消を兼ねて情報交換をするのだ。勿論、その時その時で皆見知らぬメンバーだが、不思議と必ずそういうパターンになる。今回もそのつもりだった。
「いや……僕は……ちょっと……いいです。」いかにも気の弱そうな男は、そう言って足を早めた。
「私もちょっと用事があるから……。」女性の一人もそう言う。 "なんだ、今日は情報交換も無しか……"女性がもう一人いるが、女の娘というのはこういう場合、同性の連れがいなければ嫌がるもんだ。
「私、1時間位だったら……。」予想に反した声がした。さっき"可愛いな"と思った方の娘である。

僕は彼女と駅に近いビルの地下にある喫茶店に入った。
「いやぁ、マイッタよ。」
「何が?」
「だって、みんなちゃんとした美大とかじゃないか。僕がいくら絵を描いているって言っても部活だからね。太刀打出来ないよ。君も美術系でしょ?」
「でも、私も美術って言っても日本画科だから畑違いなの。」

彼女がマーメイドの様に思えて来た。毎日毎日就職の問題に頭を痛めて、憂鬱な日々を送る中で出逢った、マーメイドの様だった。ホッとしていた。理由はわからない。でも、なんとなく……。
「ね、絵を見せてくれます?」彼女が訊く。
「ああ。」
彼女は僕の描いたキャラクターを可愛いと言ってくれた。
「君のも見せてよ。」
彼女の描いた絵はとても柔らかいタッチだった。色鉛筆描きのピエロや動物達が、スケッチブックの上で踊っている。
「綺麗だね。可愛いよ。こういうのってやっぱり、女の娘の発想が必要かもね。」
僕がそう言うと、彼女は微笑んだ。

1時間は思ったよりゆっくり流れた。僕は彼女と、大学の事、絵の事、就職活動の事等を、久し振りに逢った友人と話す様に話した。

「そろそろ1時間だし、行こうか。」
「うん。」
地上への階段を上る。昼の強い日射しと街のざわめきが流れ込んで来る。夢から現実へ引き戻される、そんな気持ちがした。
「どこまで?」
「新宿で友達と待ち合わせてるの。」
「じゃあ、新宿までは一緒だ。」

山の手線のドアの脇に立って、二人はもうあまり喋らなかった。彼女は窓の外を見つめている。そんな彼女の横顔を見ながら、僕は川端康成の小説「伊豆の踊子」の一説を思い出していた。

"その時は若い女が三人だったが、踊子は太鼓を提げていた。私は振り返り振り返り眺めて、旅情が自分の身についたと思った。"

僕も"旅情"の様なものが自分の身についたのだと思った。

新宿駅が近付く。
「ねぇ、もし電話がかかって来なくても、あの会社を受ける?」僕は彼女に訊いた。
「わからないわ、まだ……。他の所も回ってみて……。」
「いずれにしろ、デザイン関係を狙うんだろ?」
「うん。出来れば……。」
駅に着いてドアが開く。
「がんばって!」
「うん、ありがとう。あなたも。」彼女は少し笑って見せた。
振り向く筈のない彼女の姿が、人波の階段の中に消えて行くのを、ずっと見ていた。

涼しい風のようなきみに
愛を見たのはいつからでしょうか
あの頃手にしたときめきは
今でも心にゆれている
電車のドアのそばに立って
一目しのんで指先からめて
もうすぐきみだけ降りて行く
悲しみ駅までしのび愛
 きみが好きさ目を閉じれば
 都会の夏は海に変わる

 愛に流されて愛に流されて
 今日も流されてふたりは
 愛に流されて愛に流されて
 どこまで行くのですか

ホームにひとりきみを残し
今日も別れのステージの様に
電車は冷たくドアを閉め
ふたりの時間に幕を引く
小さく胸に波をたてる
きみのつぶやくさよならはいつも
悲しいくらいにやさしくて
離れているほど心配さ
 きみが好きさ何も出来ず
 こうして僕は波にゆられ

 愛に流されて愛に流されて
 今日も流されてふたりは
 愛に流されて愛に流されて
 どこまで行くのですか

 

[“愛に流されて”・西島三重子・コンチネンタルレコード]

to be continued