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その1その2



 極楽寺坂は、鎌倉七口と呼ばれる七つの主要な切り通し、極楽寺坂の切り通し、大仏坂の切り通し、化粧坂の切り通し、亀ヶ谷坂の切り通し、巨福呂(こぶくろ)坂の切り通し、朝比奈の切り通し、名越の切り通しのうちの一つである。切り通しというのは山腹を細い谷状に切り開いた道であり、一方を海、三方を山に囲まれた天然の要塞である鎌倉の、守りの要であった。つまり、鎌倉に入る事の出来る通路を限定し、更にその通路を狭く作る事で封鎖し易くするのである。鎌倉攻めを不可能にする、言わば“封じ手”であった。
 元弘三年(1333年)、鎌倉に向かった新田義貞はその険しさと守りの固さに極楽寺坂を攻めあぐね、思い悩んだ末に稲村ヶ崎へまわり、海から鎌倉に攻め入ったのである。北条軍も海上に兵船を多数配置し、海からの侵入に備えていたが、新田義貞が黙祷を捧げ、黄金の太刀を波間に投げ入れると、みるみる潮が引き、兵船も彼方の沖へ遠ざかったと言う。新田軍は浅瀬になった稲村ヶ崎を馬でまわり込み、混乱して統一性を欠いた北条軍を破ったのであった。いかにも歴史上の転換期を彩るドラマティックな展開だが、明治期になって“引き潮の時なら稲村ヶ崎をまわれる”という研究が発表された。もしかしたら新田義貞はその事を知っており、彼自身のカリスマ性を際立たせ、兵士の士気を高める為に、大袈裟な芝居をうったのかもしれない。
 いずれにしても当時の極楽寺坂は非常に険しく、鎌倉に入る為の道とは言っても、生易しいものでは無かった様だ。
 しかし現在の極楽寺坂は、お世辞にも緩やかとは言えないものの、道幅は広げられ車道となり、大分掘り下げられて極々ありふれた坂道になっている。ここは、この山あいの極楽寺に海からの風を運ぶ“風の道”でもある。

 桜橋に背を向け、極楽寺坂を少し下ると海沿いの平地へと高度を下げて行く坂とは逆に、切り通しの崖に張り付く様な形で上へ上る階段が現われる。成就院の参道だ。参道は、掘り下げられた切り通しの、ほぼ元の高さにある成就院を頂点として、再び極楽寺坂の下端あたりへ下って行く。梅雨時には紫陽花で埋め尽くされるこの参道も、今は新緑の道だ。コンクリート製の階段は、鋭く切り落とされた山肌の影に薄暗く、切り紙細工の様な姿をさらしているが、頭上の木々をすり抜けて走る日の光はふわりと柔らかく、この場所が往時の血生臭い歴史を背負っている事等忘れさせてしまう。
 「この参道から、海が縦長に見えるんだ。」
 康志はこの参道から海を見る為に、いつもこの参道を歩いていたのだった。
 階段の参道を上りつめた成就院の門の前を過ぎ、今度は下りになる参道を数段降りると両側に茂る木々で、縦長に縁取られた空間の遥か向こうに、碧い日差しに温まる由比ガ浜の海岸が見えるのである。浜から海に多数の千羽鶴を散らした様に見えたのは、ディンギーやウインド・サーフィンの帆羽根であった。
 「本当だ……。縦に長い海って初めて見た。」彼女は参道の途中で立ち止まり、そうつぶやくと振り向いて微笑んだ。そしてこの不思議な景色が気に入ったらしく、しばらくその場を動こうとしなかった。
 「海、好き?」

 「好きよ。」と、康志の記憶の中で夏海が応えた。
 「好きよ。碧かったり、緑だったり、夕焼けに緋かったり……。見ていて奇麗だし、音もいいわ。サテンの布を優しくなでる様な……。」

 彼女が何か応えた様だった。
 「え?何?」
 「いやぁね。自分で訊いといて、聞いてないの。」彼女は吹き出す様に笑った。
 「ごめん。」
 「あそこに行きたいなって言ったの。海、大好きって。」
 康志はこの彼女の言葉や仕草の折々に、夏海の影を重ねた。いや、彼女だからという訳では無い。少女っぽさを残しているとは言っても、やはり女性特有の物腰の柔らかさや、温もり、匂い、ふくらみ等が、記憶の底から、夏海を引っぱり出すのである。多分……そうだろう。
 極楽寺坂を過ぎると、そこにはもう生活都市としての鎌倉が顔を出している。自然の中に作られたミニチュアの様な桜橋辺りの景色は、下町的に生き生きとした感じの街並に変わる。凛とした隠れ里の様相が途切れて、人々のざわめきが聞こえて来た。
 そして何気ない路地の向こうに突然、海が見える。雑踏が突如解放される様な感覚。日差しも、急激にその強さを増した様な錯覚に陥る。路地の開けた先に海の見えるこの場所は、人を無意識のうちに浜へ引きつける……そんな魅力がある。思いもかけない場所から、まるでその路地だけを照らす様な碧いきらめきが差し込んでいた。
 “鎌倉の本当の魅力は路地にあるのではないか……”康志はいつもそう思っていたが、この場所へ来るとその想いは一層強くなるのだ。
 二人は足早に海に向かった。浜へ渡る国道の赤信号さえもどかしい。
 海岸線に沿って走る134号線は、その道路そのものが鎌倉とは全く別の輝きを伴っている。いかにも海浜リゾートといった、日常の生活感とは隔絶された独特の華やかさがあるのだ。しかしそれは多くのガイドブックにある様な“お洒落”という言葉で片付けられるものではない。この場所を支配するのは、言わば“未成熟な儚さ”であり、それ故の脆さであると思う。134号線にやって来る事自体が、既にここから離れていかなければならない事を意味していて、その刹那的な空気による焦りや悲しみが、夏の花火にも似た、思い切り華やかな、しかし一瞬の輝きを作り出しているのである。
 そんな国道に縁取られた浜へ降りて目のあたりにする鎌倉の海は、お世辞にも綺麗とは言えない。けれどそれが“刹那的華やかさ”しか持たない、そして同時に“生活都市”でもある鎌倉の海なのだ。汚いのが良いという訳では無いが、パンフレットで見るグァムやサイパンの、絵画の様に綺麗な海よりも、ずっと親近感がある。
 不意に、風に乗って潮の香りが鼻をつく。良い香りだ。
 「いいわねぇ。やっぱり……。」
 「いいねぇ、海は……。」
 浜辺での彼女は、突然に無邪気だった。浜は人を童心に帰す力があるものだが、彼女の無邪気さは“童心に帰る”というよりは、抑えていた気持ちを解き放つ様に見えた。逆に言えばその様子から康志は、未だ少女の様に見える彼女の心が、思ったよりも大人だった事に気付いたのだった。決して子供の様に唯無意味にはしゃぎまわる訳では無い。
 彼女は(誰もがそうする様に)足元に追いすがる漣から逃げて遊んでいた。悲しい程白く、柔らかく伸びた足の間から砂をさらってゆく波が光るのに、僕は目を奪われていた。彼女の足先から漣が去ってゆくのか、それとも漣から彼女の足が逃げているのか、区別がつかない。透き通る様なくるぶしも、はたしてまつわりそうになる波が透き通っているのか、くるぶしの方が透き通っているのか……。軽く裾を持ち上げたスカートから覗く膝と、背景の漣がお互いに逆方向に動いてゆくのは、ひとつの美しい動画だった。康志はその光景をいつまでも眺めていたい気持ちになった。何処か優しく穏やかな時間に思えた。けれど、彼女は唯見つめているだけの康志に気付くと、少し恥ずかしそうに微笑み、綺麗な砂を選んで座り込んだ。彼も隣に腰を降ろした。
 暖かい陽溜まりの浜に座り込んで話をする中で、二人は急速に親しくなった。
 「そういえば、まだ名前も聞いてなかったね。」
 「しおり。しおりっていうの。でも本に挟む栞じゃなくて、潮騒の潮に里って書くの。」
 「へぇ、珍しいね。」
 「両親がすごく海が好きでね、海にちなんだ名前にしたかったらしいの。」
 「でも、それすごくいい名前だよね。」
 「ありがとう。あなたは?」
 「康志。徳川家康の康に志って書くんだ。」

 幾羽もの鳶が上空を舞っていた。漁船のおこぼれを狙っているらしい。康志は潮里の話を聞き乍ら、上へ下へと飛び回る鳶を目で追いかけていた。

to be continued