陽の光が、トンネルから出て来た2両編成の電車の屋根に落ちるのが、その橋の上からは見ることが出来た。

 1987年……。  柔らかな日差しが、頭上から降り注いでいる。茂り始めた木々の葉は、冬の間灰色だった梢の影を覆い隠して、この鎌倉にも春の盛りが近いことを感じさせていた。暖かくなった空気もわずかに濁り出した印象で、真冬の、刺す様な研ぎ澄まされた透明感は失われている。淡く白い色をつけたかの様な陽の光に縁取られた彼の影も、輪郭が柔らかくぼやけていて、アスファルトの上に溶け出すようだ。
 あの時と全くと言って良いほど同じ景色。いや、勿論同じ筈は無いのだが、そう思えてしまう位、康志の感情の琴線は麻痺していた。それは多分にこの日差しや、日差しが作り出す影の雰囲気の所為だろう。そしてあの日と同じ気持ちに陥っていた。彼は、車輪に磨かれたレールの鉄材が、太陽の光を線状に反射するに導かれるまま、デ・ジャヴを感じているのだった。
 康志は去年の今日もここでこうしていた。

 1986年……。
 柔らかな日差しが、頭上から降り注いでいた。彼は極楽寺坂を上りきった辺りに立って、朱に塗られた橋をスケッチしていた。
 この桜橋という名の橋は、鎌倉から藤沢へ走る江ノ電の線路の上、極楽寺駅の近くに架かる、小さな橋である。この橋は、海沿いの町から極楽寺坂と呼ばれる切通しを上りきった所にある。この場所から見る江ノ電は江ノ電全線の中で唯一のトンネルを抜け、まるで水路へ放たれた魚の様に、細く単線分だけ切り込まれた“溝”の中へ飛び出して来る。そして桜橋の下を潜って極楽寺駅へ入るのである。極楽寺坂から桜橋を渡る道は、真直ぐ行けば忍性塔や月影地蔵堂を抱える鎌倉の山懐に向かうが、左へ折れると江ノ電の線路を見下ろす高さのまま、駅のホームの真向かいにある極楽寺の山門に達する。
 忍性が開山した極楽寺は往時には隆盛を究め、この辺りの山一帯が寺領だったというが、今ではその面影も無い。わずかな敷地に息を潜める様にたたずんでいるだけである。しかし、その境内は暖かな日だまりに溢れ、傍らを走る江ノ電の音も、遠くの山から届くこだまの様に微かに閉ざしてしまう。虫が葉を渡る音さえ聞こえてきそうな程の空間なのである。
 境内にはそろそろ盛りの近づいた桜の木がある。一本の木で一重と八重を咲き分ける不思議な古木で、誰が付けたのか判らないが、“御車返し”と呼ばれていた。大木ではないが、蹴放に柵を立てて無用の者の拝観を退けている寺の厳しさの中で(実際には脇の木戸を通れば入れるのだが)、張り詰めた空気を和らげていた。その名前とは裏腹に、質素で堅実に見える極楽寺を、唯一この季節だけ華やかに飾る役割を負っている様だ。
 線路を境に、橋の手前の道は左側へ緩やかに下り、小さな改札の辺りでは線路と同じ高さになるのだった。そんな激しい起伏が山あいの極わずかな空間に展開されて、まるで箱庭を見ている錯覚に陥る程だ。
 しかもこの場所は海に突き出た小さな岬を横断する中間にあり、桜橋から極楽寺坂を下っても、又、逆方向に駅の改札前を通り越して道沿いに行っても海へ出るのである。その為この小さな駅は、景色は山の間に少し開けた隠れ里の雰囲気なのに、風向きによっては見えもしない海からの潮の香が漂うのだった。

 スケッチブックの上に鉛筆で描かれたラフな線の重なりは、いつしか橋の形を表わす様になり、箱庭の景色が紙の上に写し取られていった。淡く絵の具を溶き、欄干の朱を塗ると陽の光の暖かさが、木々の葉の若い緑色を塗ると春の空気がスケッチブックの上に墜ちた。灰色のアスファルトの上に欄干の影を置くと、この場所に漂う切なさが見えるのだった。
 絵の中の木陰に碧い色を落とした時、彼は背中に柔らかい息づかいの様なものを感じた。けれど彼は振り向かなかった。この鎌倉で、こんな空気の微かな波動を感じたのは、初めてではなかったからだ。風という程の動きでは無く、それはまさしく「息づかい」の様である。息づかいの様な空気を感じて振り向くと、誰もいない……。彼はそんな、鎌倉の息づかいが好きだった。この鎌倉という土地に魅せられ、スケッチを続けていた康志にとっては何か自分が、“鎌倉の息吹を感じる事の出来る特別の存在”になった様な気がしたからである。そんな自惚れがスケッチに艶を与えている面があった事も又、事実だった。
 ところが、今日のその息吹は「声」を発した。本当の息づかいであったらしい。
 「上手ですね。」
 驚いて振り向く彼の視界に最初に入ったのは、肩まで垂れた髪だった。その髪は日の光を受け、輪郭がカラスアゲハの鱗粉の様な暗緑色に輝いていた。ふわりと柔らかく揺れた幾筋かに導かれた先に少し開いた唇は、未だ子供じみた膨らみを残している。眩しさに眉根を寄せた目は、大きく丸いのに、目尻は水平に細く伸びていた。
 「ありがとう。」
 そう答えたものの、康志はその言葉を素直には受け取れなかった。ありがちな社交辞令の言葉だったからだ。
 ところが、彼女の言葉はそれ一言では終わらなかった。彼が絵を描く間、彼女は傍らに立って離れようとしなかったのだ。筆の進み具合を見ては、一言二言、短く康志に話しかけるのだった。
 他人に見られながら描くというのは、あまり嬉しい作業ではない。見ている相手が単なる物見遊山なのか、それとも同じ様に絵を描き、多少なりとも批評してやろう等という気持ちを持っているのか、真意を計りかねるからだ。
 最初のうちは彼も、色を落とす筆の運びが萎縮してしまいそうで、絵を覗き込む彼女が、少し迷惑でもあった。けれど、そのうちに彼女の絵を見る眼が、技量を推し量ろうとするものでは無い事がわかってきて、次第に落ち着いてきた。それにやはり、傍らに若い娘が居るというのは、悪い気のするものでは無い。
 スケッチを始めてから、四度目の江ノ電を見送った。彼女は本当に絵を見るのが好きそうだった。そしていつしか彼女の存在は、康志の気持ちを和ませていた。
 「ここ素敵な場所ですね。」彼女は、いつしか緩く風の渡り始めた極楽寺駅周辺を見回して、そうつぶやいた。そして彼がその言葉に応えないうちに続けて言った。
 「絵が描けるっていいわね。うらやましいわ。」
 「どうして?」
 「え?どうしてって……、何となく……、よくわからないけど……うらやましいわ。」
 一寸困って言葉を探している彼女がおかしくて康志が小さく笑うと、彼女もおかしそうに微笑んだ。

 ─「絵が描けるっていいわね。うらやましい……」
 思い出していた。以前同じ事を言った女性が居た。その女性もやはり康志の「どうして?」という問いかけに応えられず、「何となく……」と言って笑ってみせたのだった。
 「絵が描けても何もメリットは無いよ。それを職業にでもしないかぎりはね。別にモテる訳でも無いしさ……。自己満足って奴くらいかな……。」
 「それでもいいわよ。やっぱり……。」
 「わからないな。」
 「他人から見ないとわからないメリットなのよ。きっと……。」
 その女性は、そう言っていた。2年も前の事だ。康志より年下だったが、より大人びて見えた彼女は、艶のある、しかし抑え気味の色をした口紅をつけ、目の前の熱い紅茶を息でさます様な事もせず、そっと吸い込む加減だけで飲んで見せた。それは意識しての事だろうか、それとも癖なのだろうかと考え乍ら、彼は彼女に魅かれてゆくのを感じていた。
 それは彼の敗北の始まりだったと言えるだろう。けれどそれは、彼女に対しての敗北という意味ではない。彼自身に対しての敗北だった。
 彼女は夏海(なつみ)という名だった。その華奢で刹那的な名前にも、康志は少なからず心を震わせていたのだ。

 鎌倉行きの江ノ電がトンネルの中に消えて行く音が、橋の下側から唸る様に響いて来て、線路際の木々の葉をカサカサ揺らした。

 似ている筈は無いが、彼はこの一言から彼女に夏海を重ねようとしていた。

to be continued




用  語  解  説


◇デ・ジャヴ
  既視感。初めて見た景色なのに、前にも見た気がするとか、始めてしている事なのに、以前にもしていた事がある気
がする等の感覚。過去の様々な記憶の断片が、結合する為に起こると言われているが……。

◇蹴放(けはなし)
  俗に「豚がえし」とも言う。門にある大きめの敷居。「用の無い者は入るな」という意志表示。極楽寺ではこの蹴放
部分に柵を立て、更に強く無用の者を拒絶している