退院後
まじめに通院。主治医との心の交流(笑)

退院したはよいが、左腕がギプスなので、けっこう不便。当然、髪の毛は洗えないし、重いものも持てない。掃除や洗濯も不便、ってことでヘルパーさんに来てもらい、髪はヘアサロンで洗ってもらうことにした。見る見る間に部屋がきれいになるわ、プロの洗髪は気持ちいいわで、なかなか快適な日々を送る。ただ、お風呂で背中を洗えないのが不便。でも、何が一番楽しいかって、左手ギプスに右手三角巾で電車なんかに乗ると、みんなが親切にしてくれるってことだ。『体が不自由な方』なので、優先座席に堂々と座れるのもいい。通院は1週間に1度、レントゲンをとったりする。

8月中旬、抜糸。初めてまじまじと縫い目を見る。すんごく大まかな縫い目にしばし、ボーゼン!

8月下旬、ギプスを巻き替えた。電動ノコで切るのだが、これがけっこう怖い。腕も切り刻まれるんじゃないかと思うくらい深々とノコの歯が入る。

私「センセ、これって腕切ったりしたことないんスカ?」
横●「ないですよ」
私「うそー、ちょこっと切ったりしたこと、いっかいもない?」
横●「あ、そうそう、ナガハマさん、HP見ましたよ

げっ! うぞ! まじで、息がとまるかと思った。
「あうあうあう」と突然、言語不明瞭になる私。
横●「僕のこと書いてましたね」

ぎゃーっ!!! 
ところで、入院当初は、宿敵と思った横●先生だが、いろいろ話をしてみるとdancyuの熱烈読者だったり、奥さんの実家が以前、私が大阪に住んでたところと近かったりで、関西の飲食店にも詳しく、けっこう和気あいあいと話が盛り上がったりする。世に露悪的な言動をついしてしまう人っているけれど、そこまではいかないまでも横ちゃん、けっこう恥ずかしがり屋さんなのかもしれない(笑)。

電動ノコで切り、ヤットコのようなものでこじあける。最後はハサミで切る。

9月19日、ギプスが外れる。漫才の「なんでやねん」の突っ込みの手の形に固まった左腕を見て、あっと息をのんだ。だって、むちゃくちゃ毛深いのだ。普段、私の手足は、脱毛のケアがほとんどいらないくらい、体毛が薄い。なのに、目の前に横たわっている腕は、黒々とした毛がもうもうと生えて、すんごく男らしい。とても自分の腕とは思えない。いやん。

私「なんで、ギプスがはまってたとこってこんなに毛深くなるんスカ?」
横●「いやーそんなことはないでしょう。調べてHPで発表してくださいよ」

で、調べてみたのだが、結局そのメカニズムはわからずじまい。しかし、ギプスをはめると毛深くなるのは事実のようで、数々の臨床(?)データがみつかった。いずれも憶測に過ぎないのだが、ウイルスや細菌など、外敵から体を守るメカニズムによるものみたいだ。つまり弱い部分を守るため。たとえば急激に痩せたときとかも、体温を保持するために毛深くなるが、あれと似たようなものらしい。って、ことは? もしかしたら頭部にギプスをはめれば、ふさふさ? これは、もしかしたら、ズラ業界を震撼させるほどのすごい発見かもしれない。特許とろうかなぁ。

診察が終わり、リハビリ室で、リハビリの練習をする。普通、ギプスをはずしたばかりの人は、少し動かしただけでも叫び声を上げるらしいが、私は先生が手首を右に左に回しても少し痛気持ちいい感じはするが、概ねなんともない。実はギプスがあまりに不便なので、指が自由に動くように、カッターナイフで、削ってカスタマイズしていたのだ。カッターでガシガシ削るもんだから、手のひらや指もザックリ切ったりして、文字通りの血まみれカスタマイズ。骨折にはいいのか悪いのかわからないけど、そのおかげでリハビリは苦痛ではない。先生に言われた通り、常に手首をぐりぐり動かしていたら、10日もすれば、痛みはあるが、日常生活の動きは不都合なくクリアできるようになった。

事故に感謝。生きててよかった!


もちろん、これからまだまだ左腕のリハビリは続くし、右手に痺れは残ってるし、半年〜1年後には右腕に埋め込んだチタンの棒とボルトを除去する再手術をしなければならない。でも、もうほとんど事故の後遺症は見当たらない。
たしかに右腕には、15センチほどの傷は残ってる。

私「なーんか、この縫い目って、仮縫いみたいー」
横●「あのときは細菌の感染を避けるのが第一義だったから、2回目の手術のときにきれいに縫ってもらってください」

と主治医も認めるほどにけっこうラフに縫ってあるので、凸凹があり、見た目は水餃子のようだ。でも、まるで阪急神戸線の線路のようなラインがけっこう気に入ってて、最近ではなんだか愛おしい。しかし、この派手な傷を見ると、皆さん「痛々しいね、辛かったでしょう」と、やさしい言葉をかけてくださる。電車なんかで、この傷を目の当たりにした人々は、なんか見てはいけないものを見たように、さっと視線を逸らしてしまう。負け惜しみとか強がりにとられるかもしれないが、せっかく派手な事故とケガを経験したのだから、これくらいの“しるし”があったほうがおもしろい。何にも残らないのもかえって寂しいもんだ。
しかし、仕事の上では迷惑をかけたことは事実だし、それは深く反省。でも、せっかく苦労して免許とって手に入れた楽しみ(=オートバイ)をこれで切り捨てるのも、残念すぎる。ってことで、これからはしつこいくらいに安全に徹する優良ドライバーを目指そうと思う。いずれにしても、なかなかできない経験をいっぱいさせてもらって、事故に感謝! 
事故直後、意識が戻ったとき呼吸ができなくて、薄い意識のなかでまじで「ああ、死ぬかも」と思った。を意識したのは、神戸に住んでたときに直面した阪神大震災のとき以来だが、あのときもこのときも「まだ、嫌だ(死ぬのは)」と思った。事故&入院を振り返って、ありがたかったのは、普段、気ままに生きて、誰にもなんの気遣いもほどこしもしていない私なのに、皆さんにすごく親切にしていただいたこと、そして、やっぱり「生きたい(まだ)」と、生に執着する自分を再認識したことだろう。それと、「2回も死んでるんやしぃー」と、少々のことでは動じなくなった。2度あることは3度あるそうだから、もういっかい死ぬかもしれない場面がやってくるかもしれない。そこで死んだら、まあそれまでだ。なるかならないことに、思案するのは私の性に合わないので、それまで思いっきりわがままに、好きなことだけして、精いっぱい生きようと思う。死ぬときは「もう、いいや。ああ、楽しかった」と思えるように。




左・毛深い腕(現在脱毛済)。中・抜糸直後の餃子の縫い目。右・事故した愛車と同じグラトラ。はずしたギプスとともに。