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1977 | 26歳 | メアリー・ブーンに見い出される。 |
| 1979 |
28歳 | メアリー・ブーン画廊で個展。 12月2回目の個展、皿を張り付けた絵で一躍有名になる。 |
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| 1984 | アップ・タウンのペイス画廊と契約し、ハイブローの作家となる。 |
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バイカート・ギャラリーに勤務した後、1977年からメアリー・ブーン画廊を経営する。 新表現主義の作家たちを売り出す。 |
| 皿の散乱するシュナベールの画面は、一瞬ごみ捨て場を連想させる。画面に描かれるイメージもありきたりでメディアが使い捨てたそれのように感じられる。 不要となった皿と使い捨てられたイメージが出会う画面は、これ以上逃げ場のない殺伐とした現実感に包まれている。 |
untitled(バーナード), 1988,182.9×152.4cm |
シュナベールを一躍有名にしたのは、皿を埋め込んだ異様で巨大な彼の画面でした。皿の部分が飛び出した画面は、モザイクと呼ぶにはあまりにも荒々しく作られ、絵を描くカンヴァスとしてはおよそふさわしくない様子をしています。 |
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通常、私たちが絵を見るとき、画面を絵画の空間として見ようとします。ところが、画面から突出する皿は、絵画の空間を見ようとする私たちの視線に否応なく介入してきます。皿は私たちの絵に向かう視線をさえぎり、現実の事物を見る位置に引き戻します。 |
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シュナベールはあるインタヴューで皿を使ったいきさつを訪ねられ、即座に次のように答えています。「絶望だね。あれは一九七八年のことで、何をしてもうまくいかなくて、僕は途方に暮れていた。」 |
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現在を他の時代と隔てる特徴の一つが、大量生産方式の生産構造とマス・メディアが連動して働くことによって、両者の上部に、イメージの全域を制御するメカニズムが成立することです。それはマス・メディアや産業の意図を超え、むしろそれらの働きをリードし制御する自律した運動、働きとして存在しています。
私たちはそのシステマチックな働きを、<都市の記号のシステム>と呼んできました。 私たちが好ましい日常生活のスタイルと「商品」を結びつけてイメージするとき、住まいはしかじかの仕様、車を買うならどの会社の何型、外食するのはどこそこがよいという具合に、デパートのウインドーショッピングでもするように分厚いイメージの価値体系を眺めていることに気づきます。 そのイメージの価値体系は私たちの日常生活をパターン化(記号化)し、そのパターン(記号)を体系化つつ(辻井氏の言い方でいえば、シュミレートして)、私たちの日常の広がり「生も死も恋も」を包み込もうとしてその領域をなおも広げています。 |
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辻井喬氏は、「価値」を即、「利潤を生む価値」とみる現代企業の視点から<記号のシステム>の働きを限定してとらえています。 |
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完備を進める<都市の記号のシステム>は都市のさらなる高機能化をめざします。<システム>は私たちが目にするイメージ全般を制御し、私たちが日常で何を見、何を感じ考えるかを、操作の対象にしています。 |
![]() 「プラハの大学生」1983 , 294.6×579.1cm New York, Spiegel Collection |
運のよい表現は美術館に収容されます。 その代償として、それらの表現は、都市に流れる時間に対立して個がつくり出した時間(作品)の生々しい働きかけとしてでなく、安全に鑑賞できる芸術の記号の一つとされます。 |
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完備した<都市の記号のシステム>は、かつてウォーホルが取り上げたデザイン記号だけでなく、芸術の全域をイメージの記号として編入します。
古典芸術から現代美術の最先端までが連続する歴史の同じ位相のイメージ記号とみなされます。 |
![]() A.ウォーホル「最後の晩餐」1986 |
ウォーホルは、<システム>のオーダー再編の機構を真似て、個の位相で同じオーダーの再編を繰り広げます。彼は古典の名画であるダ・ビンチの「最後の晩餐」を、雑誌からたまたま見かけた「花」のイメージ記号を選ぶ感覚と同じレベルで選び、そのまま自身のイメージ記号として転用します。彼は、完備に近づく<システム>の機構を再び批判的になぞってみせます。 |
| ウォーホルにはダ・ビンチの一点透視図法による神の秩序を表現する名作をも、巷にあふれるイメージ記号の一つとして、彼の作品に転用する。 |
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完備した<記号のシステム>がもたらす困難さに対する表現の一つがアース・ワークです。 |
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彼らが都市の機材を使い、自然に向かって成したその行為は、写真という都市の記号に収められ、都市の画廊や美術館に飾られます。 |
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ラウシェンバーグは七〇年代について次のようにコメントしています。 「・・・七〇年代のことはよく思い出せないんだ、五〇年代と六〇年代のことならよく知っている。八〇年代は現実だ。(中略)作品を未完のままに残しておこうという考えは、ヴェトナムとカンボジアの状況に直面して感じた絶望に端を発していると思う。
私が支持したいと思う理想主義は七〇年代には姿を消してしまった。 誰もが自分を破滅に追い込んでしまい、八〇年代にまで活動を持続していこうとするものはなかったんだ」 |
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画家がどのように表現しても、その差異や批判は不問に付され、時代は彼らの営みとは無関係に進行していってしまう。 ラウシェンバーグは表現の閉息する状況を、アメリカの政治的な行きづまりに原因するとみました。しかし、根本の原因は、<記号のシステム>の完備からきています。彼の状況理解からは打つ手はなかったのです。 |
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新たな表現を展開する難しさは次の点にありました。 <記号のシステム>は新たな表現をすぐさま自らの記号領域に組込みその批判を無化してしまいます。完備した<システム>は記号の<収集---放出--オーダー再編>のサイクルのスピードをめまぐるしいまでに早めます。 |
![]() 「無題(花瓶)」1985,153×123cm |
シュナベールは「絶望」のうちに、<記号のシステム化>が進行し、絵画が終わったことを理解します。
かつてジャッドが、カンヴァスと絵具という画材がすでに絵画の価値を決定づけしまっている、と現象的に事態をとらえたように、<記号のシステム>の完備が近い状況下では、絵は何を描いても絵画としての記号的価値をはすでに定められ、絵画は終わっています。この時期に画家をめざすシュナベールが、絵の主題の工夫によってその終わりを突破する余地はすでになくなっていました。 |
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<絵画が終わったということは、逆に、今まで出回った主義主題の何を使ってもよくなったということではないか。 新しい主題がもはや存在しないのなら、いっそ最もありきたりの主題を使えばよい。そのありきたりの主題と、どこにでもころがっているありきたりの事物をくっつけよう。 ありきたりの主題と事物こそ私たちを囲んでいる絶望的な現実をあらわしているではないか。 誰もが絵画とは思えないありきたりの事物と結びつけたありきたりの主題の組み合わせは、もはや絵画であって絵画でない、現実感に満ちた何かになるだろう。> |
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「絶望」だけがリアルだと感じるシュナベールは、すでに命脈の尽きた絵画と彼の日々の「絶望」を象徴する事物と結びつけます
。あろうことか、彼は働いていたレストランのごみ捨て場に捨てられた皿を画面に張り付けます。 「ぼくにとっては皿を使うのは自然な成り行きだった。そのころぼくがレストランで働いていたからだという人もあるけれど、そうではなくて、皿が実用品だからなんだ。それと同時に、皿ほど不安を感じさせるものはなかった。どんなふうに見えるか見当もつかなかったからね」 割れて不要となった皿の集積は私たちが今まで目にしたことのない殺伐とした現実感をもつ表現をもたらしました。それは彼が毎日目にする職場のごみ捨て場の殺伐とした風景であり、私たちをとりまく現実の殺伐さそのものでした。また、彼の描くイメージもレストランの壁にかけられた複製画そのままのような、使い捨てられたありきたりのイメージです。シュナベールは、現実の生活空間で記号の役割を終え、事物の間に埋もれつつあるイメージを再び表現の場に引き出します。 |
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ここで、私たちはフロイトの説いた退行説を思い起こしてみます。 |
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フロイトは個人の精神的成長を外敵を駆逐しながら進む民族の大移動にたとえます。重大な衝突があった地点に要員の一団を守りに残し、民族はなおも前進を続けます。民族の一行と要員にたとえられているのが精神のエネルギーです。重大な衝突にみまわれ要員を残した地点が固着でした。 |
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行進する残りの一行が再び対処できないような大きな戦闘に直面したとき、一行の大半が体制を整えるべく要員を残してきた地点へ退却してしまいます。 今、<記号のシステム>の完備に突き当たった作家たちの営みを<時代の無意識>への退行としてとらえます。芸術表現の進展はさしずめ民族の大移動です。部隊が対処出来ない重大な事件が <記号のシステム>の完備です。部隊は体制を立て直すべく、現実から過去の固着地点に向かって退却を重ねます。作家たちは自らの無意識にまかせて、進路を過去にとります。退行の進路は各々の固着地点によって異なり、ある作家は美術史上の表現の成立をさかのぼり、またある者はより深く、絵画として意味をなす以前の個の表出史に向います。 |
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七〇年以降のジョーンズは、ふと見かけた車のクロス・ハッチング模様にこだわり、都市の記号が成立する以前、無意識に沈みこんだ記号の履歴に向かって深く退行していきます。七〇年代中ばからのステラは、彼の表現が都市の記号に組み込まれる分だけ時代の無意識への退行を深め、事物が記号として成立する以前をたどり事物の混沌とした状態のなかに踏み込んでいきます。 |
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彼の営みは、表現を重ねるに従ってその退行の度合いをなかば自動的に深めていく事例となっています。 新表現主義の作家たちは、、表現史の固着点めざして退行していき、彼らが行きついた初源の表現が表現主義です。 |
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時代の無意識への退行は、作家たちが見つけ出した精神の平衡を保つ方法です。退行は深く進めば病理の領域に達しますが、通常は精神の平衡を守る働きです。その意味では現在の時代の無意識に退行する表現は、時代に対する精神の防御の表現と言えるかも知れません。シュナベールの独自性は、表現主義への退行と現実の事物である皿を結びつけたことです。 それは彼の精神の相反する要素、絵画を否定する意識と絵画へ固執する無意識を満足させ、精神の平衡を保つ方法となり、自らを絶望の淵から引き上げたのです。彼はその事情を次のように述べています。 「暮らしのなかで、感覚はばらばらにされている。そうした分離のためにぼくらは平衡を失っているんだ。平衡の欠如から出発して、平衡を回復した新たな詩情をつくりたい。何かがうまくできる人というのは、平衡を欠いているんだが、つねに平衡を回復しようと努めている人なんだと思う」 |
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前にもふれたように、ミニマル・アートの作家、ドナルド・ジャッドは新表現主義の潮流に対して、手厳しい意見を述べています。
その要点を抜き出します。 |
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彼の激しい口調の論旨を取ると次のようになります。 |
抑圧の認識以後
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ステラにみるように、作家が表現の可能性を時代の無意識に委ねれば、表現が記号に組み入れられる動きに伴ってより深く退行を進め、記号化が及ばない初源のイメージを引き出す道をとります。 「・・・だいたいこの世の中はあまり住みやすくないし、人間的でもないからね。恐怖の体験を暴露しながら、なおかつ生き延びる糧となるような絵を描きたい。人々の自由を抑圧しているものを明らかにして、人々を解放したいんだ」 シュナベールが「人々を解放したい」と言うように、芸術表現は、現代都市に生きる私たちの<疎外>を解く営みとしてあります。 <時代の無意識>へ退行する彼の芸術表現によって「人の自由を抑圧しているものが明らかに」なり、退行を重ねる意味が明らかになれば、私たちにとってはその表現の役割は終わります。つまり、さらなる退行の表現は、必ずしも取らねばならない道すじでもないのです。 |
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人間的な退行の道筋をとらず、逆に「私は機械になりたい」とあかあらさまに宣言したのは、かつてのウォーホルです。彼が冷静に見ていたのは、<都市の記号のシステム>が完備に近づく姿と、それにつれて記号のすそ野にひろがる<時代の無意識>が資本の意図を超えた濃密さを湛えるようになった事態です。彼は完備した<システム>にはもはや内側しかないという認識を表に掲げ、「機械のように」<システム>のイメージ記号の生成過程をなぞります。 |
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その営みによって逆説的に、危機に瀕する個の領域と危機の進行につれて膨れ上がる<時代の無意識>の様態を浮かびあがらせたのです。
ウォーホルの芸術表現は、世界を概念的につきつめる営みによってのみ、芸術表現の新たな地平がひらかれることを示しています。 |
![]() M.Duchamp 1887-1968 |
シュナベールの「皿」は現実の「絶望」の相を私たちにつきつけています。さらなる道はひらけるのか? もはやここで現代の芸術表現の命脈は絶たれているのか? 今までみてきた現代美術の流れは私たちをどこに向かわせるのか? 私たちの生きる道はあるのか? 今世紀のはじめ、すでに時代の行方を見すえていたデュシャンの言葉をここで再び聞きます。 |
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「私は何事も受け入れることを拒み、あらゆる事を疑った。そう、あらゆるもの を疑ったので、私は以前には存在しないもの、また以前には考えたこともなかった ものを見い出さねばならなかった。何かが頭に浮かぶと、私はそれをひっくり返し てみて別の方向から見ようとした。」 世界のとらえ方を概念の次元でつきつめ、私たち以前には存在しなかった世界の像をひらくこと、デュシャンの言葉は私たちになおその課題が残されていることを語っています。 |
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