|
|
|
いわき自立生活センター・えんじょいは1996年10月19日に発足し、同年12月には平字研町1番地に事務所を開設いたしました。また、97年度には福島県の「障害者自立生活センター支援事業」の対象となりました。
第2えんじょいは1999年6月19日に発足し、同年8月には植田町中央2-5-6に事務所を開設いたしました。
わたしたちは、障がい者の自立を支援する非営利の民間事業体(NPO)です。わたしたちは自立を「自己決定」と定義します。自分の人生を自分で選択し、自分で決定することをわたしたちは支援します。
わたしたちの事業の多くは、障がい者スタッフが主体となって行います。障がい者のことは障がい者が一番よく知っているからです。
いわき市にたくさんの障がい者の自立の花が咲いてくれることを、わたしたちは願っています。
福島県にはすでに6ケ所の自立生活センターが誕生しています。実は、これは東京に次いで全国で2番目の規模なのです。
県内の自立生活センターが集まり、情報交換と研修を目的として97年6月には福島県自立生活センター協議会(略称FIL)が結成されました。
各地の自立生活センターは次のとおりです。
・オフィスIL(郡山市)
・ILセンター福島(福島市)
・会津自立生活センター・スマイル(会津若松市)
<ピア>とは<仲間>同じ背景を持つもの同士といった意味。つまりは、障がい者同士によって行われるカウンセリングです。よくある医者と患者という関係ではなく、カウンセラーと相談者が対等な関係でお互いに話を聞き合います。
相談者に「本当の自分に気づいてもらう」ことがピア・カウンセリングの目的です。
自立に向けた様々な問題の相談に応じます。すでに自立生活をしている障がい者スタッフがアドバイスを行います。当然プライバシーは厳守します。
「年金のことがよくわからないのだが?」
「自分にあった自助具を教えて」
「車イスのまま入れるお店はどこ?」
...etc.
★ 障がい者の自立生活と社会参加の促進のため、介助者を派遣します。
主な介助内容は次のとおりです。
< 身辺介助 > | 入浴、トイレ、着替え、車イスからの移動 |
* これは原則として同性介助です。 | |
< 家事介助 > | 調理、洗濯、掃除、買い物、その他 |
< その他の生活介助 > | 外出(通院、買い物、散歩、緊急時の通学など) |
旅行、代筆、その他 | |
★ 介助利用料は1時間あたり850円です。
その内訳は事務連絡費150円、介助料700円です。
これに加え、介助者の利用者宅への往復にかかる交通費(実費)がかかります。
利用時間は最低1時間とさせていただきます。
・ 軽自動車のリフトカー | |
(車イス1台)の場合: | |
40円/キロメートル × 走行キロ数 |
|
・ 普通車のリフトカー | |
(車イス2台)の場合: | |
50円/キロメートル × 走行キロ数 |
|
★ 「在宅福祉サービス総合補償」に加入しています。
★ 利用者、介助者とも正会員として登録していただきます。
必要なのは熱意とやさしさ。 特別な資格はいりません。 介助法は指導します。 |
|
自立した生活をするうえで必要な日常生活術を学ぶのが自立生活プログラムです。
金銭管理の講習やものの頼み方・断り方のロールプレイ(役割劇)をしてみたり、街に出て公共交通機関を利用してみたりと、楽しみながら学んでいきます。
障がい者の権利を守るため啓蒙活動や各種イベントを行います。
障がい者への理解を深めるために講師を派遣します。これまで学校やボランティアサークルなどに派遣してきました。
今までは「障害者」と標記されてきました。しかし、「害」の字は「害虫」「公害」「害悪」など悪い意味でしか使われません。自分たちを表すことばにこのような字を使われるのは不快だ、ということから「障碍者」や「障がい者」と標記するように改めさせようという声が静かに高まってきました。
わたしたちは読みやすさの点で「障がい者」と標記することにしています。
えんじょい、第2えんじょいは、会員のみなさまの会費によって運営されています。ただいま会員の募集中です。
ご協力をいただいた方には、広報誌やイベントの案内をお送りします。
< 正会員 > | < 支援会員 > |
一口 2,000円(年間) | 個人一口 1,000円(年間) |
団体一口 5,000円(年間) | |
有料介助サービスの利用者や介助者、 | えんじょい、第2えんじょいの趣旨に賛同し、 |
その他事業に直接関わってくださる方。 | 資金的援助をしてくださる方。 |
■ 日本国内
■ アメリカ
☆ Center for Independent Living(カリフォルニア州バークレー)
* This homepage is produced by Yoshiro Baba on March 23, 2000 at Enjoy, Iwaki with help of the Link Club, Tokyo.