秋田はDD51 1号機が初めて配置されるなどDD51とは関わりが深い。かつて秋田のDD51は、奥羽本線や羽越本線の優等列車などの先頭に立って活躍した。現在は秋田にDD51の配置はなく、秋田港線や北上線などの貨物列車はすべて東新潟機関区のDD51が牽引を担当している。
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秋田港線 |
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秋田港
秋田貨物−秋田港の貨物列車は東新潟機関区のDD51が牽引し、秋田港から先は秋田臨海鉄道が担当する。紙コンテナと硫酸タンクが主な荷であったが、小坂鉄道廃止に伴い硫酸タンクは消滅し、現在はコンテナ便のみとなった。土崎−秋田港間の営業キロはわずか1.8キロではあるが以外と深い世界が広がっていた。環日本海シーアンドレール実証実験
「環日本海シーアンドレール構想」として海外へのコンテナ輸送を鉄道と船舶を利用して行う実験が行われた。実験は仙台港−秋田港−ロシアルートで行われているが、実現するかは某自動車メーカー次第のようだ。
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北上線・奥羽本線 |
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北上貨物
深夜山間に響き渡る4基のDMLサウンド。秋田貨物−北上の貨物列車は東新潟機関区のDD51が重連で牽引する。原色・重連ではあるが、深夜帯走行のためあまり注目を集めることもなかったが、そうもしてられないようだ。これまで増感増感で細々と撮ってきたが、技術革新は新たな世界を作ってくれた。横手貨物
かつては白昼堂々秋田−横手間に貨物列車が設定されていたのですが、その牽引の任にDD51があたっていました。
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男鹿線 |
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準備中
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1号機 |
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昭和37年3月、DD51の1号機が日立製作所で誕生した。1号機は秋田機関区に配置となり、奥羽本線で各種試験が行われ、量産へ向けて貴重なデーターを残した。その後昭和38年6月から盛岡機関区、昭和42年釜石機関区を経て昭和43年9月再び秋田へ戻ってきている。そして昭和54年9月に現役を退くまで秋田地区で活躍を続けた。
ここでは1号機の秋田時代、そして現在、横川の碓氷峠鉄道文化むらに保存、展示されている様子を紹介します。また、秋田で活躍した初期型の画像もご覧ください。