あこがれの中国 2000年
  異文化社会の現実 子供の社会勉強に

西 安 Xian
  空港を出て、バスに乗り込もうとしたとき
一人の裸足の少年が出迎えてくれた。その目は寂しそうな、哀願するような表情を見せていた。そして、money,money と手を出していた。少年の年令は12歳前後、日本ならば学校で勉強しているはずの年令である。地方から出てきて生きるための糧を求めているのであろう。3月とはいっても気温はさすがに低い。垢で汚れた体。そして、ところどころ破れた汚れた衣服。
これが、中国の現実であるということを思い知らされた。子供達にとっても、初めて観光に訪れた地での思わぬ人物の出迎えに戸惑いを隠せなかったようである。
見てみぬ振りをする。目を合わさないように少年の横を擦り抜けてバスに乗車するのがやっとだったようである。少年にとってみると、観光客が「かわいそうに」と思ってなにがしかの金品をめぐんでくれればよかったのかも知れない。また、大人に命ぜられて稼ぐためにその場に立ってわずかな施しを受けることが「仕事」だったのかも知れない。
 しかし、今の日本では考えられない光景に子供達は衝撃を受けたことは間違いなかった。
 その後も、訪問する先々で片側の手足のない子供の物乞い、箱車に乗った両足のないいざりの老人、老婆と幼児の物乞いなどに遭遇した。そして、そのたびごとに目をそらさざるをえなかった。正に写真でみる終戦直後の日本の町の様子を思い起こさせてくれた。さすがの私もカメラを向けることはできなかった。そして、土産物の露店をのぞく暇も無く足早にその場から離れざるをえなかった。
 一元(日本円で14円ほど)のその場限りのほどこしをすれば、免罪符になったのかも知れないが、予想だにしなかったことだけに、躊躇したまま時だけが過ぎてしまった。

 かつての唐の都「長安」 遣唐使が艱難辛苦の果てに目指した都「長安」 東西南北に碁盤の目のように整然と家並みが広がる古都 その壮大な歴史のイメージとは全く異なる現実の姿に、ただ戸惑うだけだった。
IN XIAN When we visited Xian in China,we came across a beggar boy. He looked about 12 years old and was shabbily dressed. His act had an impact on us. An image in our China was changed by his existence.

 人口12億の大国 中国 Great China 社会主義の理想とは程遠いともとれる庶民の生活の現実を垣間見た。日本にもホームレスはいる。しかし、幼児の物乞いはいないと思う。思わずテレビで見た飢餓に苦しむ北朝鮮の人々の暮らしや南アジアの児童労働の光景が頭をよぎってしまった。私の子供達は中国社会の「救いようがない暗さ」を感じたのか、帰国後は「もう一度行ってみるか」という問いかけに「別の国に行きたい」という答えを返すのみである。

空のペットボトルを欲しがる老人
 観光地の一つ 龍門石窟でのこと 長女に老人が声を掛けた。長女はミネラルウオーターが半分ほど入った飲みかけのペットボトルを持っていた。そのペットボトルを指して老人が何か言ったそうなのだ。長女は当初その老人が水を欲しがっていると思った。私達に水の入ったペットボトルをあげてもいいかと聞きに来た。
 通訳に聞くとその老人はペットボトルがあいたらくれと言いにきたようだったのだ。つまり、リサイクル工場か何かにペットボトルを持っていけば某かのお金になるということだった。そのため、ごみ箱をあさっては捨てられたペットボトルがないかと探していたのだ。そこで、その老人は、たまたま見掛けたペットボトルを持っている娘に もし、水を飲み終わったら、空のボトルを渡してくれと言いに来ただけのことだった。中国人らしい若い男性が1元札をその老人の手に握らせていた。老人は、礼も言わずに、半分戸惑ったような表情を見せていた。



労働者:本当に働いているの?
 中国国内を移動中、いろいろなところで建物の建設作業や道路工事などの工事の様子を目にした。日本の様に重機を駆使して働いているというよりも、どちらかと言えば「つるはし」やスコップをもってという印象が強かったが、どこにいっても作業員が働いていないなという印象をもってしまった。
 何かというと、10人その現場に居たとすると、その内の一人二人が働いているだけで、あとの8人は、何もしないで立ち話をしている。そんな光景が目についた。たまたまなのか、どうかは分からないが、どこに行っても黙々と働いているのは1人か2人であった。また、建設現場であれば、さしずめ日本であれば「お揃いの作業着」を着ているのであろうが、なんと服装はバラバラであった。清掃作業のおばさんが白衣を着ているのも「奇異」にうつったが、国情の違いをそんなところからも感じ取った中国旅行だった。
 また、中国の内陸の都市は、家の中が日中でも「暗い」というのも印象に残った。しかも、なぜか玄関先に出て食事をしている。あたかも「私の家ではこんな良いものを食べています」ということを示しているかのように戸外で食事をしているのだ。屋台では、食器と言うよりも日本の家庭で料理をするときに使うようなプラスチック製のボールのような器に何でも入れて食べている光景も目にした。夫婦共働きの家庭などでは3食全て外食で済ませるところもあるとのこと。これもお国柄の違いのようだ。 (中国国内をくまなく見て回った訳ではないので、明確なことは言えないが・・・庶民の生活に国民性を感じ取ることができた。)
P>



「アイヤー」が聞けた
 外国と言うととかく我々は固定観念を持っていがちである。長女は中国人というと頻繁に アイヤーという感嘆詞をもらすものと思っていた。しかし、中国を訪れて何日もたつのに一向にその言葉が聞けない。長女は少々不満に思っていた。そんな矢先、蘇州駅でのこと、長女がちょっと急いで歩いたため中国のご婦人にぶつかったらしいのだ。そのとき、どうやら足を踏んでしまったらしい。
なんとそのご婦人から長女の期待するアイヤーが聞けたそうだ。足を踏まれた方には申し訳ないが、長女はとても満足していた。いや、嬉しさが満面の笑みとなって表れていた。ついに待望のアイヤーという一語が聞けたと。

トイレは開けたまま
 向こうのご婦人はトイレに鍵をかけないで用を足されるようである。我が家のご婦人方から聞くところによると、トイレに入って個室のドアを開けるとなんと先客が。開けられた当のご本人は平然としていたとのこと。おおらかといえば、それまでだが、文化の違いを感じた。
 ちなみに、女性用のトイレにドアがないところもあるそうである。いや、すごいなあと思った。しかも、個室同士お互い顔を見合わせるようなところもあるそうだ。改革解放政策の成果であろうか。もっとも、この場合は解放ではなく「開放」の方が的を得ていそうである。
 余談だが、アメリカの男子トイレで足元が外から見えるのがあるが、それ以上ではないかと勝手に想像してしまった。

観光地の水
 北京郊外の有名な八達嶺の万里の長城に行ったときのこと。行く前に水を用意していなかったので、長城の売店で水を買った。なんとミネラルウオーターのボトルの値段が1本15元。必要に迫られて買い求めたが、思わず売り子(売りおばさんだった)に値段を聞き返してしまった。市価の3倍から5倍の値段だった。
 どこの観光地も事情は同じだが、中国でこれほど高い買い物はなかった。長城の上り下りに一息つくたびに生ぬるい高価な水を味わった。それからは、予め「安い」水を用意するように心がけた。
 宇宙から肉眼で確認できる唯一の人工建造物 万里の長城 その長城をこの目で見た感激よりも高い水が私にもたらしたショックの方が大きかったように思う。普段の生活が貧しいせいであろうか・・・。どうも私自身の人間のスケールが小さくなってきたように思った。

中国の列車
 日本の新幹線のようにおねえさんが物を売りに来ることはなかった。 軟座車(一等車)に乗ったが、むくつけき車掌のおじさんがコーヒー一杯を10元で売りに来る程度。もう少し奇麗な手だったらと思った。もともと黒いのか洗っていないのか分からなかった。
 また、列車の旅行では、お湯だけはふんだんに貰えると聞いていたのだが、ふんだんどころか、一杯の湯を手に入れるのにも苦労してしまった。まさか、私達が乗った列車だけがそうだった訳ではないだろう。
 とにかく、向こうの人はサービス精神というものはまるで無いのではないかと思った。もっとも、日本的なサービスを期待していたわけではない。要求したものに応える努力もしないのには怒りを越えて諦めのみが残った。
 ちなみに、華山のそばを通ったときのこと、車掌さんと簡単な筆談をした。漢字でコミュニケーションができる楽しさをそのときだけは味わうことができた。ただ、その車掌さん勉強熱心で私の隣の席に座り中国共産党の機関誌らしきものを読んでいた。ひょっとしたら中国共産党の政治局委員か何かの偉い人だったのかも知れない。

 どこの国も同じ。中国でも列車は、定刻通り走ると思っていてはいけないそうだ。30から40分程度の遅れは定刻ということか。目的の駅に着くだけ有り難いと思わねばということのようである。
 また、上海の駅に降り立ったとき、たまたま駅の改修工事中だった。そのため地下道はほとんど明かりが無く、薄暗い中を人々はバスのターミナルなどに向かって歩いていた。日本では考えられない光景だった。いくら工事中とはいえ、大勢の人が通行する地下道、日本ならば昼間でも明々とライトが照らしているはずである。薄暗い地下道の中を歩きながら一抹の不安を覚えた。暗闇は人の心を不安にするようである。このときも国情の違いを実感した。

クレジットカードは危険
 ホテルの支払いでお釣りに小銭を貰いたくなかったので、ルームサービスの代金をクレジットカードで支払った。すると、翌月のカード会社の支払い請求書に宿泊したホテルから身に覚えのない請求額が別に記載されていた。どうやら「ぼられて」しまったようだった。ホテルマンの小遣いにされてしまったのかもしれない。目の前で端末を操作していたので安心していたのだが、そういえばちょっともたついていたのがひっかかった。金額そのものは日本円で、1500円ぐらいだった。小額でもあり、申し出るのも面倒なのでクレジット会社にもクレームをつけなかったが、中国のホテルはこうして少しずつ外貨を稼いでいるのではないかと勘ぐってしまいたくもなった。
 中国の役人の汚職が問題になり、全人代の副議長も賄賂のために死刑になる昨今、その程度のことは日常茶飯なささいなことのようにも思えてきた。

何でも1000円
 アジア共通の日本人向けキャッチコピー

日本人と見ればちょっとおかしな発音でみやげものを手にした売り子が「千円、千円」と言い寄ってくる。「無用」といって断っても相手によっては、しつこく付きまとってくる。それだけではない。例えば最初は3枚千円だったスカーフなどが、10枚千円 20枚千円とディスカウントしてくるのだ。いったい原価は幾らなんだと思いたくもなる。
 ブランド品の偽物もあるし、買ってみたら全く使い物にならない商品もあるので、相手にしなかったが、一つ話の種に買ってみても面白かったかもしれない。

 ただ、比較的信頼がおけそうな駅の売店で漢詩が書いてあるTシャツを3枚買った。帰国してから開けてみると、どれも一部に穴が空いているという欠陥商品だった。
 中国ではこんな商品でも売り物になっているんだと思った。中国の検品の基準を知りたくなった。やはり、外国の店では商品を必ず確かめなければいけないなと再認識した。自分の目の前で包装紙に包んでくれていたのだが・・・。返品に気軽に来ることはできないだけに海外での買い物は慎重でありたい。(もっとも、その日に返品にいっても知らぬ存ぜぬかもしれないが)

 中国シルクを買い求めた時のこと。三女がチャイナドレスを欲しがったので品質を確かめずに買ってしまった。店員は正絹だと言ったがなんと人絹だった。安さに惑わされてつい観光気分で買ってしまう失敗をしてしまった。くだらない扇子のおまけは付いたが。つまるところ、安さの裏には裏があるという話だ。もっとも、買った品物が全て欠陥商品だったという訳ではない。刺繍研究所に立ち寄ったときに購入したものは、結構な値段もしたが、日本で買えばかなりいい値がつくものだった。


その他の写真へ