悲しい入院



最後の検診
入院とつらい処置
Tさんとの再会
陣痛室
分娩


最後の検診

二週間後の検診の日、夫の母に同行してもらいました。病院の施設も 担当の先生も、直接母の目で見て、安心してほしかったからです。 (一緒につれていった泰助の面倒もみてもらえたので、とても助かりました。) 母も同席してお話をうかがうことの許しを得て、泰助を含めて三人で 診察室に入りました。まずは診察をしてから、ということで、すぐに お腹に超音波を当てました。白衣の医者と看護婦さんを目にした泰助は 自分の診察か注射だと勘違いをして、泣き出しました。泰助の泣き声と 「たいちゃんじゃないのよ。」と母がなだめる声の入り交じるなかでの 診察でした。しょうがないなあ、なんて、わたしは笑いながらその 様子を見ていました。

「さて」とH先生が超音波の機械を操作しました。ふたりはどれくらい 大きくなったかな、とわたしはモニタを注視しました。「!」「・・・?」 はっとしました。様子が変でした。H先生の様子も変でした。一瞬で わかってしまいましたが、こわくて口にできませんでした。 H先生が何か救いになるようなことを言って下さるのを待ちました。 ちょっと調子が悪いから検査しようとか入院しようとか。でも先生が おっしゃったのは、「困ったな。赤ちゃん動かなくなっちゃった。」

「・・・死んじゃったんですか?」口にすると、まだ決まっていない ことを確定してしまうように感じられて、いいたくない言葉でした。

「そうみたいだね。」母も泰助もそばにいたので、泣いてもいいのかなと 迷ったけれども、こらえられませんでした。H先生は身長、頭囲の 測定などのため、無言で機械を操作されていました。そのものものしい 雰囲気が、はっきりとふたごの死をわたしに実感させました。

ふたりは発育の状態から推定して、前回の検診の数日後に死亡したらしい とのことでした。死んだ胎児をお腹に留めておくことはできないので、 人工的に外に出す処置が必要となり、そのための入院をすることになりました。 診察後、事情を説明するため、夫に電話をかけました。「もしもし。」 という夫の声をきいたとたんにどっと感情がこみ上げてきて、何も いえませんでした。どういったらいいのか。「もしもし、もしもし」と 夫が困った様子なので、かろうじて「死んじゃった」とだけ言えました。 夫は、は?なに言ってるの?と事態を飲み込めないようでした。 病院内の電話でみっともないと思いつつも、わーわー泣きながら ふたごの死と入院について説明しました。ただひどくショックを うけていて、何も考えられない状態だったので、母にかわってもらい、 入院やその他の段取りについてとりしきってもらいました。 一週間の入院の間、泰助は夫の実家に預けることになりました。



入院とつらい処置

入院当日のあさ、ふたごの生きた証がほとんどないことに きがつき、やっと少し目立つようになったお腹の写真をとりました。 経産婦なので胎動を感じるのは早めかもしれないと楽しみにして いました。一度だけ、これが胎動だと(腸のガスではなくて・・・)、 感じたことがありましたが、それもよく考えると 気のせいだったように思えます。ふたごたちとの長いつきあいが これから始まると思っていたところで、急にすべてがおしまいに なってしまいました。心の交流もなにもないまま、ふたりが 去っていってしまうことが、残念でたまりませんでした。 写真を撮ったところでふたりが生き返るわけではありませんが、 できればずっと一緒にいたいという気持ちで、そうせずには いられませんでした。

入院してすぐに担当のH先生から胎児の分娩までの処置について 説明を受けました。妊娠初期の胎児ならば体の大きさが小さいので とくに処置することなく子宮の出口を通ることができるけれども、 わたしの場合、すでに胎児が大きくなっていて、子宮口を通り 抜けられないので、人工的に子宮口を開く処置が必要だとの ことでした。海綿のようなものを子宮口に詰めて、体内の水分を 海綿が吸収してふくらむことによって口を拡げるという方法です。 一度に大きくは開かないので、数回にわけて海綿を詰め替える ことになりました。

H先生の説明では、海綿を詰めるときに少しいやな感じがして (膣の奥にものをギュウギュウと詰め込むわけですから)、 子宮口が開いてくると痛みを感じるようになるだろうということ でした。けれども、わたしの場合には実際は、子宮口が開くことに よる苦痛はあまりなく、海綿を詰める処置そのものがなによりも つらいものでした。

内診台よりもさらに角度のきつい台の上で処置を受けました。 処置の一回目。最初ということで少量の海綿が使用されました。 膣に器具をいれられてガッと拡げられたまま、何分間も 我慢しなくてはなりませんでした。カーテンでしきられた 向こう側でどんな器具が使われ、どんなものが詰められている のかわからない一方、「何々を取ってきて」という医師の 指示の声やぺリぺリと詰め物の封を切る音ばかりが 聞こえてきました。

翌朝、二回目の処置を受けました。H先生がお留守だったので かわりの先生がやってきました。この先生を悪くいいたい わけではなく、やっていただいたことに対して申し訳ないけれども、 この二回目の処置は忘れられない程につらい、つらいものでした。

このときは看護婦さんとの相性も悪かったかもしれません。 こちらが下着をとって処置台にのってから、看護婦さんが のそのそと「先生おねがいします」と電話しているので、 少々あきれてしまいました。女性にとって最もはずかしい 格好を強いることに対する感覚が麻痺していると思いました。 病院のなかで医師は「えらい」存在で「おいそがしい」のかも しれませんが、せめて処置室には入っていて欲しかったと 思います。(女医さんのためか、必要以上に肩に力がはいっている ような印象を受けました。)また先生が「何々を取って」というと、室内の 備品が在庫切れになっていて、看護婦さんが別室に取りに 走るということが二度もありました。これには本当に 腹が立ちました。どうして必要なものを全部そろえてから 処置をはじめてくれないのだろう?気が遠くなるほど処置に 長い時間がかかって、むき出しの足からは血の気が なくなってしびれてきたし(保温しないのはなぜ?)、 下半身を刺激されて尿意を催したし(痛みと尿意を両方こらえる のはかなり大変です)、いままでの人生で最も苦しい 時間でした。1時間位に感じたけれども、実際は30〜 40分位かかったのでしょう。包み隠さずにいえば、 要は先生の手際が非常に悪く、ずっとずっと痛みに耐えなくては なりませんでした。いま終わるか、いま終わるかと思いましたが、 なかなか苦痛から解放されません。”もうダメ”という気持ちで、 「先生、あとどのくらいで終わりますか?」と尋ねました。 「はい、もうすぐ終わりです」という答えを期待していたのですが、 「あと5分くらいで終わるから、もうちょっとがまんしてねー」。 あと5分!絶望的。

痛みに耐えなくてはとはいっても、わたしの場合、 耐えていたとはいえないかもしれません。痛いのと悲しいのが ごちゃまぜになってわーわー泣かずにはいられませんでした。 やっと処置が終わって車椅子で病室へ戻るときにも涙は 止まりませんでした。がまんしていたつもりでも、よほどひどい 様子だったのでしょう。後日同室の人(やはりあかちゃんを 亡くされた方)が退院されるときに、「事情はよく知らないけれども 大変そうですね、がんばって」と声をかけていってくれました。

そして同じ日の夕方、主治医の手で3回目の処置を受けました。 2回目の処置があまりにもつらかったので、もうすこしの勇気が あれば「処置を受けるのはもう嫌です!」と言ってしまいたい 気持ちでした。看護婦さんに迎えにこられて、どうすれば拒否 できるかとぐるぐると考えましたがよい案はうかばず、 仕方なく、重い足をひきずって処置室へむかいました。 いざ内診台を目にすると恐怖がよみがえってきて、どうしても 拒否したい衝動にかられました。でも他にどうしようもなくて、 立ったまま、ただただ泣きました。”いい加減にして”という 感じで、看護婦さんに座らされました。H先生の処置はもちろん 痛かったけれども、えい、やっ!という感じで短時間で終わり ました。この後、子宮口が十分に開いたら、分娩となります。



Tさんとの再会

つらい入院生活を支えてくれた、幸運な出来事がありました。 長男をとりあげてくださった助産婦さんと偶然にも再会できた のです。この助産婦のTさんは愛児センターにお勤めなのですが、 こども医療センターに研修に来られていたのでした。 この妊娠で愛児センターで受診したときに、Tさんの消息を尋ね ましたが、研修を受けているので不在という返事でした。 それが、こんなところでお目にかかれるとは!

退屈しのぎのマンガも読み飽きて廊下をふらふらしていたとき、 「あ、やすださん、いたいた」と看護婦さんに声をかけられました。 「あ!」一瞬だれだか名前は思い浮かばなかったけれども、 見覚えのある懐かしいお顔に、涙があふれてきました。 頭が働くよりも前に、直感的に”この人は頼っていい人だ”と 感じて、体が自然に駆け寄っていました。Tさんでした。 何でも、愛児センターから紹介されてきた妊婦がいるとわかり、 名前にも聞き覚えがあったので、声をかけてくださったとのこと。 すこし時間があるからと、話し相手になってくださり、とても 救われました。この時わたしは入院したばかりで、ふたごが死んだ という事実を受け止めきれていない状態でした。心の整理をするのに、 話し相手を必要としていたのです。

長男の出産のときに、テキパキとしたお仕事ぶりを拝見して以来、 わたしはTさんを尊敬していました。



陣痛室

お産に必要なだけ子宮口が開いていよいよ分娩。朝食後、看護婦さん から「陣痛を人工的におこす薬をつかうので、あとでお呼びします。」 と言われました。薬を入れたら数時間で分娩になるそうなので、病院へ 向かうようにと、夫に電話しました。

お腹のふたごはもう死んでしまったという前提で、ここまで 処置をしてきたというのに、感情的にはやはり納得できません でした。お腹のなかの様子を、ふたりが外へでてきてしまう前に 確認したくて、特別にお願いして超音波の画像を見せていただき ました。万が一生きていたら、今ならとりかえしがつくと思っていました。 でも、ふたりは全然、動いていませんでした。

いままで子宮口に入っていた詰め物がとりのぞかれ、かわりに 陣痛を起こす薬が入れられました。処置室をでて、病室に戻る つもりでいると、すぐに陣痛室へ案内されました。薬の効果が でてくるまで本でも読んで退屈しのぎをしようかと思っていま したが、助産婦のKさんがずっとつきっきりで、話し相手になって くださいました。Kさんはいつ始まるかわからないお産に備えて 待機しておられたわけですが、そのときはそうとは気付かない わたしは、普段はおいそがしい看護婦さんにゆっくりと話を きいてもらえて嬉しいな、などとのんきに思っていました。

小さいお子さんを育てながら、周産期センターで助産婦として 働きつづけておられるKさんは、とてもすばらしい方でした。 病院での精神的にも体力的にもきつい仕事と育児とを両立 させるのは、強くなければできないことだと思います。職業人と して自立した、育児の先輩に、話に耳を傾けていただいたことは、 わたしにとって大変よい刺激になりました。わたしは病室で ぐるぐると考えていたことを吐きだすように、ひっきりなしに しゃべりつづけていたような気がしますが、Kさんは話をさえぎったり 反論したり、かといって迎合することもなく、じっと聞いてください ました。思えば、日常の家族や友人との会話では、互いの発言や 時間などの制約があるので、自分の話をそのまま受けとめてもらう という経験はなかなかできません。陣痛がはじまるまでの時間を そのように寛いで過ごすことができたことは、幸運でした。



分娩

11時半の昼食の時間が近づきました。子宮の張り具合を示すグラフは 緩やかで、しばらくお産は始まらないと判断され、Kさんは「お食事を とってきますね」と退室されました。その直後にグラフは大きく振れて 山型を描き、お腹がギュウッと痛みました。産褥ショーツにあてた ナプキンに何か液体のようなものが染み込むのを感じました。破水です。 張りを示すグラフはまたなだらかになりましたが、痛みがとても 強くて、呼吸法を始めなければ痛みに耐えられそうにありませんでした。 陣痛の痛みってこんなに痛かったっけ?あかちゃんがでてくるまで、 何時間もこの痛みを耐えなくてはならないのかと思うと気が遠くなりました。

やがてKさんが戻ってこられました。強い痛みがあったことなどを説明 している間も痛みがなくならず、何かがおりてくるような感じが。 「出そう!」分娩室へ移動するための車椅子に座ろうとするときには、 もういまにも出てきてしまいそうだと思いました。車椅子から分娩台へ 移動するようにいわれたときには、既に出てきてしまったあかちゃんを かろうじてショーツが受けとめているような状態でした。分娩台に 乗りきらないうちに第一段階が終了。ふたりともいっぺんに「産み」 終わりました。

あかちゃんが出てしまえばこっちのもの。どこも切らなかったのだから 縫う必要もないし、胎盤が出てしまえば、一仕事を終えた心地よい 放心に身を任せることができるはずでした。ところが、気が付くと H先生が器具をつかって子宮の中を引っ掻きまわしているでは ありませんか。お腹を引っ掻かれるのはもちろん痛くていやでしたが、 とりわけ器具で膣を拡げられるのがいやでした。口の端に指をいれて 左右に引っ張ったまま、何分間もがまんさせられるようなものです。 痛いし大変疲労します。子宮口を開くための処置でさんざん がまんしてきたのに、またか、といやになってしまいました。 でもそれは、胎盤が子宮に残ってしまうのを防ぐために必要な処置 でした。安定期にはいっていたので、子宮から胎盤がでてきにくく なっているとのことでした。

やっと胎盤をとりだす処置が終わり休憩をとっているところへ、 夫が到着しました。まだ陣痛の最中と思ったらしく、心配そうな 表情で「どう、おなか痛い?」と優しく声をかけてくれました。 「もう出ちゃった」というと「急いだけど間に合わなかったか」。 H先生もKさんもなにか調べたり記録したりするために別室へ あかちゃんを連れていってしまっていたので、分娩室で 夫とふたりで、あかちゃんをみせてもらえるのを待っていました。



[次:こんにちは、そしてさようならへ]
[このページのトップへ戻る]
[二度目の妊娠のトップへ戻る]
[トップページへ戻る]



ご意見、ご感想は こちらまでお願いします。
E-mail : hiikoysd@air.linkclub.or.jp
〜おたよりお待ちしています〜