ふたごの妊娠の喜び



はじめに
妊娠の判明
ふたごの喜び


はじめに

家族が増えるのをたのしみにしていた私たちは、二度目の妊娠を、 とても喜びました。次の検診に行ったとき、ふたごであることが 判明しましたが、それと同時に、一絨毛膜一羊膜という、とても 稀なタイプのふたごであるということがわかりました (一絨毛膜一羊膜について)。ふたごができる確率は1/120程度、 そのふたごのなかでも、一絨毛膜一羊膜は200件に1件の割合だ と聞きました。

この妊娠はさまざまなリスクを負っていました。まず、ふたり 一緒にひとつの羊膜の袋のなかに入っているため、ふたりが羊水 の中を動きまわったりして、へその緒が巻きついて死亡する危険が ありました。また、双胎間輸血症候群という病気になってしまう 危険がありました(双胎間輸血症候群について)。その他にも ふたごに一般的な問題として、早産によって未熟児として生まれる 可能性もありました。こうしたリスクを乗り越えて無事に出産に こぎつけた場合でも、障害を残す可能性もあるということを、 担当医から指摘されていました。

望んで神様から授かったいのちだから、たとえ障害が残った としても、大切に育んでいこうというのが、わたしたち夫婦の 気持ちでした。帝王切開で生まれた、少し小さめの赤ちゃんを 育てている自分の姿を、ずっと心に思い描いていました。けれども 結局、わたしたちのふたごは、17週(妊娠5ヶ月)のときに、 へその緒が首に巻きついたことが原因となって死産となってしまい ました。

この経験を忘れてしまわないようにするために、記録しておこう と思います。わたしたちとおなじように、情報を必要とされて いる妊婦さんに、すこしでもお役に立てたら幸いです。

   

妊娠の判明

長男の泰助に兄弟がいたほうがいいし、育児がはやく終わった ほうが楽だからと、わたしたちは次の子ができるのをとても 楽しみにしていました。市販の妊娠検査薬では陰性でしたが 生理がおくれていたので、今度こそはと、泰助を出産した 横浜市愛児センターへ、いさんで行きました。

(横浜市愛児センターは横浜市立大学の病院に吸収されて なくなってしまうことが決まっており(平成12年)、 それまでの間、分娩数を制限している状態でした。 はやく分娩の予約をしないと愛児センターで出産できなく なってしまいます。どうしても次のお産も愛児センターで したかったので、受診を急いだわけです。 愛児センターは公立のお産専門(小児科もありますが)の 病院です。夫立ち会い出産、母児同室や母乳の指導に 積極的に取り組んでいて、また助産婦さんが 大勢いらっしゃるので、小さなことでもとても丁寧に 対応していただけます。こんなすばらしい病院が なくなってしまうことは、本当に残念です。)

診察は前回の妊娠でお世話になったS先生。緊張して病院に 到着する直前にトイレにいってしまったので、妊娠を判定 する検査のための尿がでそうにありませんでした。「先生、 おしっこがでないので、診察のあとでもいいですか。」と質問 すると、「最終生理日から数えて日が浅すぎるから、おしっこ 調べなきゃさー、わかんないよ。」とのお答え。先生の表情は (妊娠してないんじゃないの)といっているように 見えました。一緒に連れていった泰助をかかえて、どたばたと 採尿室へ行きました。そして検査の結果は陽性。数カ月間、 待ち望んでいた妊娠だったので、「わー、やっとだ!!」 と心の底から嬉しい気持ちが込み上げてきました。

初診につきものの内診。何度経験してもこんなおぞましい ものはないと思う内診ですが(先生ごめんなさい)、この ときは、不安そうな面もちの泰助をお腹に乗せるといった 妙な格好で受診しました。超音波の映像には、何も映りません でした。妊娠は判明したものの、どんな妊娠かわからない (子宮外妊娠などの異常妊娠の可能性もある)ので、また 一週間後に受診するように言われました。 お腹の上の泰助には「たいちゃん、おにいちゃんになるんだよ。 わー、なれるかなあ。」と話しかけていました。

一週間後にふたたび愛児センターで受診。今度は子宮の中に、 1.4センチメートル大の羊水が確認されました。正常妊娠で あることがわかってホッとしました。この日、泰助出産後の 入院中に大変お世話になった助産婦のAさんが、外来を担当 されていました。ほぼ一年ぶりにお会いすることができて うれしくなりました。「次の子ができたんです!」と ご報告すると、「まあ、よかったわね。おめでとうございます。」 と応えて下さいました。このとき、「おめでとう」って、 とてもいい言葉だなと思いました。Aさんからそう言われて わたしはとても誇らしい気持ちになったのです。



ふたごの喜び

一ヶ月後のある金曜日、次の検診を受けに、愛児センターへ行きました。 夫は、研究室で飼育するウニを捕りに伊豆の海へ行っていて、この日 から三日間留守でした。

診察ははじめてお会いする女医さんでした。女性の先生だと、男性の 先生とは診察のしかたが違うかな、などとくだらないことを 考えながら、また泰助と一緒に内診台に乗りました。しばらくすると 「むむむー。」何か一風変わった空気が伝わってきました。 お腹の上のカーテンをジャッととりはらうと、先生はモニターを 示しました。「ふたごのようですね。」

その瞬間、わたしはうれしくて、ニヤーというひきつったような 表情をとりつくろうことができませんでした。なにしろ、こどもは できれば三人欲しいから、ふたごが生まれたら手っ取り早いねと、 冗談半分に夫と話し合っていたのですから。それが現実になるなんて 信じられない気持ちでした。そばにいらした助産婦さんもモニターを のぞきこんで「かわいい!」という歓声。その場はなんだか にぎやかな雰囲気でした。はじめて見たふたりの様子は、雪でつくった かまくらのなかで、ちっちゃいこどもが身をよせあって内緒話を しているよう。本当にかわいらしい姿でした。 「ただちょっと。」とモニターを示しながら「ここに膜が ないといけないんですが、それがないようですね。他の先生に診て いただかないと。」と先生がおっしゃっても、うわの空でした。

先生が、近くにいらしたH先生とふたりで「モノ(Mono)ですね。」「うーん、 そうですね。」と深刻な表情。気が付くとめずらしいケースを見物しにきた 助産婦さんに取り囲まれていました(経産婦でいくらか慣れていて、相手が 医療関係者だといっても、カーテンをとりはらわれて、大勢のまえで 裸をさらしているのは、いい気持ちがしませんでした。お医者さん、 看護婦さん、助産婦さん、そういう患者の気持ちを理解してください。)

なんだか大変そうな雰囲気だな、とは感じながらも、ふたごが できたという喜びで胸がいっぱいでした。少々のトラブルが あってもこの子たちは生まれてくる。一度に二人の子が生まれて、 わたしは三人の”子沢山かあさん”になるんだ。そのことは確定した 事実のように感じられました。ふたごがこの世に生を受けるという ことに、なんの疑いもありませんでした。ふたりがついに胎内で 死んでしまったことがわかるその瞬間まで、ふたりが生まれて こないなんてことがあるとは、思ってもみませんでした。 「わあい。ふたごだ!ふたごだ!!ふたごだ!!!」 早く知らせたいのに、夫がウニ捕りへ出かけていてすぐに連絡が とれなかったので、とてももどかしい思いをしました。




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