傷ついた言葉・嬉しかった言葉
〜身近なところで赤ちゃんや幼児が亡くなったときに〜
もしも、あなたの身近なところで小さいお子さんがなくなった場合、 あなたはきっと悲しんでおられるご両親をなぐさめ、力になりたいと 思うことでしょう。愛しいわが子を亡くした親は、めったに経験しない ようなショッキングな出来事のために、とても感受性が鋭くなって います。だから残念ながら、あなたが励ましたり慰めたりしようとして かけた言葉で、かえって傷ついてしまうこともありえます。
ここに、 「天使の会」のメンバーにとって 特に印象に残ったという言葉をまとめてみました。これを読んで、 子を亡くした親の気持ちをお察しいただければ幸いです。 (プライバシーを考慮して、個別の詳しい状況はあえて ふせてあります。複数の意見を要約したものもあります。)
ただし、それぞれの言葉は、状況やタイミング、発言者、言い方 などによってニュアンスが変わります。「傷ついた言葉」を 絶対につかってはいけないわけでも、「嬉しかった言葉」を いつでもつかっていいわけでもありません。 大事なのは、想像力を 駆使して、相手の気持ちに寄りそうことだと思います。



<つらく悲しかった言葉や傷つけられた言葉>

「がんばって」
「はやく元気になって」

日常では励ましや慰めの言葉の代表ですが、身内を亡くした直後の 人につかうのはさけたほうがよいと思います。 「がんばれ」だなんていわれなくても、本人はすでにこれ以上できない くらいがんばっているのです。それに、 悲しみが和らいで元気を取り戻すのにはとても時間がかかるものです。 最初は、愛する人の死に直面して、その事実を受け止めることで精一杯で、 泣くことすら容易でないのです。「元気をだせ」といわれることは、 悲しみを封じ込めなさい、心をいつわりなさいということを 意味し、かえって苦しいばかりです。それよりも、悲しい気持ちを そのままに受けとめてもらえたほうが救われます。 一緒に悲しんでください。

「いつまでも悲しまないで、はやく忘れて」
「流産したと思ってはやく忘れて」

たとえ短いいのちでも、親にとってはかけがえのない子どものことです。 いつまでも心のなかに留めておきたい、という気持ちなのです。 「忘れなさい」というのは残酷なことです。悲しみは人それぞれの ゆっくりしたペースで癒されていくものですから、「はやく、はやく」と せかさないでください。むしろ、本人の納得がいくまで、とことん 悲しませて下さい。そうしたら自然に回復にむかいます。 (それにしても、流産=リセット reset なのでしょうか。 こんなことをいう人の人間性を疑います。)

「また次の子を産めばいいじゃない」
「他にもお子さんがいるからいいじゃない」

親は、ほかの誰でもない、その子を亡くしたことを悲しんでいるのです。 人ひとりの存在を、ほかの人間の存在で埋め合わせることはできません。 ほかに子どもがいたとしても、その先妊娠が望めたとしても、とにかく その子が死んでしまってつらいのです。
特に「次の妊娠」について言及されると、悲しみの上に更に つよい心理的負担を感じますので、やめてください。

「障害をもって産まれてくるよりはましだ」
「わたしの様に できないんじゃあなくて、またできるんだからいいじゃない」

人の世の苦しみは数えきれないほどありますが、個々をとりだして 比較して、”どちらがよりつらいか”と議論することに意味があるのでしょうか。 他のつらい事情と比べて、人が「死んで良かった」「死んでも大したことない」 だなんて、絶対にいわないでください。

「あなたは強いね。私だったら立ち直れないと思う」
「強いわね。私だったら気が狂っていたかも」

悲しい出来事に遭遇したからといって、その人が特別な人だという わけではありません。愛する人を失うということは、誰にでも 起こりうることです。弱くて心細いから手をかしてほしいのに、 「あなたは強い人だ」といわれてしまったら、頼ることができなく なってしまいます。本当は、無理をして立ち直った様にふるまって いるだけなのです。それとも、子を亡くした親は、 気がふれたようにならないといけないのでしょうか。

「今度は、元気な子を産みなさい」
「あの子は、泣く力もなかった」
「馬鹿な・・・可哀相な事をして」

こどもの身体の先天的な問題や、その他の母親自身が関与しようのない事情で こどもが亡くなったとしても、母親は自分が悪かったのではないかと 自分自身を責めるものです。これではまるで、母親が残念な結果を 望んでいたようではありませんか。妊娠中の母親の不摂生がこどもの死の 直接の原因である場合を除いては、このような言い方は理不尽です。 誰よりもこどもの死を悲しんでいる母親に対して、”犯人よばわり”は やめてください。

「こどもが障害児=奇形児で死産だったことは、他人に言うな」
母親が夫の家族から言われた言葉。 障害を持っていようとも、奇形があろうとも、親にとっては、かけがえのない 大切な命です。それを「恥ずかしいもの」として切り捨てられることは、 本当につらく、くやしいことです。 そもそも”健常者”のどこが、完璧で、すばらしいというのでしょうか。 誰しも生得的な資質というのは、自分の意志ではどうしようもないもの。 その意味では”健常者”も”障害者”も違いはありません。 ”障害者”を差別する人こそ、心に障害をもっているのではありませんか。

「夫の両親に謝れ!あちらに会わせる顔がない」
母親が実父から言われた言葉。自分の親が孫の誕生や成長を楽しみに していたということは十分に承知していますから、そのように いわれなくても申し訳なさでいっぱいなのです。肉親の口から でた言葉だけに、ショッキングです。

「死産だったの。お産をこわがっていたから、やっぱりね。」
母親が親しい友人からいわれた言葉。(妊娠中に、はじめてのお産に 対する不安を聞いてもらっていた経緯があります。) 妊娠中の母親の精神的なストレスが、胎児の発育に悪影響を 及ぼすことはあるそうですが、それは戦争や大災害などの 極度に強いストレスが存在したときに認められることだそうです。 初産の不安は誰でも多かれ少なかれ感じるもので、特別なことでは ありません。ましてやそれが死産の一因だなんて、ナンセンスです。

「死んだ人の話はしちゃいけないんだよ」
これは亡くなった子の兄弟が、その友だちからいわれた言葉です。 何故いけないのでしょうか?これを言った子は親が、亡くなった人の 身内の気持ちをおもんばかって「むやみに口にしないように」と 教えたのを、こどもらしい律儀さで受け止めたのかもしれません。 でも、自分のきょうだいのことを語ってはならないといわれた方は 傷ついてしまいます。

「親より先立つ子供は、親不孝だ」
お寺の住職さんの言葉。”そう思って早く忘れなさい”と いう意味だったようです。でも実際に子供を亡くした親には、まったく 意味をなさない言葉でしょう。

「申し訳ないけど、私は今、希望で一杯。私の妊婦姿も見に来て。」
妊娠中の友人が、母親に対して手紙に書いてきたもの。言うまでもありませんが、 子どもを亡くした直後には、妊娠やお産の話はききたくないものです。 友人の幸せを祝いたいと頭では思っても、なかなか気持ちはついていきません。 笑顔で「おめでとう」といっていても、心の中では泣いているということを 覚えておいて下さい。

(次の赤ちゃんを授かったときに)
「早すぎる」
「病気があるのに、大丈夫なの?」
「結婚前から、病気がちだったの?」

赤ちゃんを授かるタイミングも、病気も、個人の極めて プライベートな部分です。また、本人の意志で完全に コントロールできることでもありません。他人に立ち入られたく ない領域に土足でずけずけと入り込むことは、お互いに控えるように したいものです。
こどもを亡くしたあとにまた赤ちゃんを授かることで、その子が 戻ってきてくれるというような考え方をすることもあるのです。 この場合、子を亡くした悲しみを完全に克服したというわけではなく、 むしろ亡くなった子が愛おしいがために、次の赤ちゃんを望んで いるのです。(必ずしも、亡くなった子の身替わりに、というわけでは ないと思います。このあたりの複雑な心境はわかりにくいかもしれません。) だから、次の赤ちゃんを授かったからといって、すっかり悲しみが 癒えたわけでも、亡くなった子どものことを忘れてしまったわけでも ありません。




<嬉しかった言葉、なぐさめになったこと>

「我慢しないで、すきなだけ 泣いていいのよ」
人前では、本人も無意識のうちに”元気にふるまわなくては”という 気持ちになってしまいがちです。「泣いてもいい」といわれることで、 心をいつわる必要がなくなり、とても楽になります。

「あなたのところに生まれてきて、○○ちゃんはしあわせだった」
親は、子どもが亡くなった原因が自分にあるのではないか、 自分のせいで苦しめてしまったのではないかという 自責の念に苛まれます。そうではなくて、子どもは幸せだった、 親に感謝しているといってもらえると、救われます。

「○○ちゃんのことは、何度でも思い出してあげよう」
「○○ちゃんのことは、絶対に忘れないから」

精神面での回復(「悲しみを忘れる」こと)と、子どもの存在を 忘れ去ってしまうこととは、まるっきり別のことです。 たとえ目の前に姿はなくとも、親はかけがえのないわが子のことを を忘れるなんてことはできません。いのちが短かったために、 まるではじめから存在しなかったかのように思われるのはつらいのです。 だから逆に、周りの人の記憶に残っているということは、子どもが存在 したことの証であり、よろこびです。

ただ話を聞いてもらった
子どもの死の直後には、親の心の中は、悲しい現実に対するショックや とまどい、信じたくないという気持ち、あるいはしっかりしなくてはと 自分を奮い立たせる気持ちなどが入り交じった、複雑な心理状態になります。 そこで、自分の心の整理をするために、誰かに話をきいてほしいと 思うのです。自分の思いを言葉に表す過程で、だんだん悲しみを受け入れる ことができるようになっていきます。だから、励ましや慰めの言葉も、 お説教も、解釈もいりません。ただ「そうですか」とあいづちをうって、 全部はきだしてしまうまで聞いてくれるだけで十分なのです。

一緒に泣いてもらった
このコーナーの冒頭に書いたように、誰かが自分の悲しみに 心を寄せてくれること、そばにいてくれることが慰めになります。 一緒に泣いてくれると、相手の思いやりをとても自然に、 直接的に感じることができます。自分以外の人の気持ちに共感できる ということは、人間の心のすばらしい側面ですね。

事情を知ってかけつけてもらった、まめに連絡をもらっている
子どもに先立たれると、心に大きな穴があいたようなさびしさ、 孤独をあじわいます。遠路をいとわず会いにきてもらったり、頻繁に 電話や手紙などで連絡をもらうと、自分は支えられていると 実感できて、安心感が得られます。逆に、「いまはまだ 悲しみが癒えていないだろうから」と遠慮されると、友人を 失ってしまったようで、ひどく孤独を感じます。

(つづく)

E-mail : hiikoysd@air.linkclub.or.jp

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