バロック・ヴァイオリン

この写真のヴァイオリンは、平成10年12月にわがやにやってきました。 以前からお世話になっている東京は代々木の弦楽器店に 弓の毛替えに行ったときに、偶然出会ってしまったものです。 おなかのふたごを亡くしてから、まだ半年も経っていないときでした。 「こんな楽器があるよ」とお店の社長さんが出してきてくださったのですが、 一目みて、その外見から強いインパクトを受けました。深いこげ茶色が 、この楽器が経てきた時間の長さを物語っていて、とりわけ、 通常渦巻きが彫刻される糸巻きの部分に、人か獣か妖精かわからない 顔が彫られているのが印象的でした。もしもこの顔が端整な美男なり 美女なりであったなら、また印象が違っていたかもしれないのですが、 その顔は一見おそろしげで、でもよく見ると少しも恐くない。それで、 なにか魔よけか或いは、守護神のようなものかもしれないと、わたしは 勝手に想像しました。そこからさらに想像がふくらんで、天国にいる ふたごたちが、この楽器に宿ってくれるようなそんな気になったのです。 どうしても欲しくなってしまいました。社長さんとお話したところ、 この楽器は、事情があってお店としてははやく手放したい品だったそうで、 幸運にも手持ちの資金で購入することができました。 いつか手に入れることができたらと憧れていたバロック・ヴァイオリンが、 思い掛けない形で手に入ったのです。

バロック・ヴァイオリンといっても、もちろんバロック時代に製作された オリジナルのものではなく、推定で1850-1900年ごろにドイツで製作された ものを改造したものです。 なぜ改造が必要なのかといえば、ヴァイオリンがその時代その時代で 異なる音楽の要求にこたえて、変身をとげているからで、19世紀後半に 作られたヴァイオリンとバロック時代に作られたヴァイオリンでは、 改造を要するほどの違いがあるのです。 ”時代によって異なる要求”とは何かを説明するキーワードは、 音楽の大衆化といえます。

前項にも書いたように、バロック時代の音楽は身分の高い人たちの ものでした。当時はいまと違って、一般の人々が聴きに行くような コンサートは存在しませんでした。大きなホールで何百人もの 人に聴かせるわけではありませんから、比較的音量は必要と されませんでした。けれどもバロック時代以降、次第に音楽が 市民のものになっていくにつれ、大勢の人に聴こえるよう、 大きな音が出せることが求められるようになったのです。

バロックの時代区分は、17世紀初頭から大バッハの死の年である 1750年までとするのが一般的です。1789年のフランス革命に 代表されるように、18世紀の後半は市民革命によって市民が力を もつようになった時代です。余談ですが、モーツアルトはまさに この時代を生きた人です。 映画『アマデウス』の後半にオペラの上演シーンがでてきます。 モーツアルトのオペラをおもしろおかしく楽しむ市民のすがたと、 現代のわたしたちがオペラを観るときの態度にはおおきなギャップを 感じますが、むしろそこにリアリティがあるのでしょうね。

大きな音をだすために、ヴァイオリンはすこしずつ姿を変えていきました。 どのようにして音を大きくしたのでしょうか。その答えは、とにかく つっぱること!張力を強くするために、ヴァイオリン本体では、駒は高く、 指板は本体に対して下がり気味になり、弦も強化されました。 バロック・ヴァイオリンでは裸のガットを使用しますが、モダンでは それにスチールの糸を巻き付けて補強したものやスチール製のものを 使いますね(弦が切れてしまったときに、外側のスチールだけを シュルシュルッと引いてみると、なかからガットがでてくるので、 モダンの方でも生のガットを目にする機会があるかと思います。)

生のガットは需要が少なくて値段が高いかと思いきや、あまり加工が なされていないだけに、よく使われているオリーブの弦などと比べてかなり てごろでした。お店にはなかなか置いてないので取り寄せてもらう 必要がありますが、どんな音がするのか試してみる場合に、 それほど負担にならないかと思います。


左:バロック、右:モダン。テールピースの丸みが違います。
バロックでは平らな板に近く、モダンでは曲面に削り込まれています。

弓のほうは、山なりな曲線を描いていた形を反対側にそらせることに よって強さをだしました。この変化は一気に起こったわけではなく、 次第に変わっていったので、いわゆるバロック・ボウとモダン・ボウと して知られる形の中間のような形がたくさん存在します。 クラシックやロマンティックの頃に製作された弓などは、両者の中間の ような形をしています(もっていないのでお見せできません、 あしからず)。この結果、弓の元から先まで均質な音が出しやすい ようになりましたがそのかわりに、先が重たいので小回りが効かなく なりました。それに対して、バロック・ボウでは先にくらべて元が重いので、 自ずとダウン・ボウとアップ・ボウではニュアンスが異なります。 基本的に楽譜にはボウイングまで指示されていませんので、 弓づかいに悩むことがしばしばあります。


上:バロック、下:モダン。
バロックは山なり、 モダン・ボウは谷側にしなっています。


上:バロック、下:モダン。
バロック・ボウの先は細く寝ていますが、 モダン・ボウの先は張力に耐えられるよう
しっかりと立っています。

また、山なりにしなった弓では、毛が弦と反発するのではなく なじむ感じになりますので、重音や分散和音が弾きやすく なります。鈴木バイオリンの教則本でかなりのところまで 進まれた方は、イタリアの代表的な作曲家、 コレッリArcangelo Corelliの『ラ・フォリア』をご存知でしょう。 バロック・ヴァイオリンで演奏されたこの曲は、とてもすてきです。 テーマにつづく変奏の分散和音などは、前に弾いた音がよく残るので 和音に近く聴こえます。

「フォリア」というのはイベリア半島に起源をもつといわれる、 たいへん人気のあるテーマです。ピアノがお好きな方は、 ラフマニノフが上記のコレッリの曲を元に変奏曲を作ったのを お聴きになったことがあるかもしれません。その他にも わたしのあいまいな記憶によれば、確かク−プランF. Couperin、 ジェミニア−ニF. Geminiani、その他大勢の作曲家が『フォリア』 を残しています。フランスのヴィオールの作曲家 マレM. Maraisとその師サント・コロンブS. Colombeを主人公として、 芸術とは何かを問うた映画『めぐり逢う朝』のサウンドトラックで、 マレのフォリアを聴くことができます。

さて、一番上の写真には、あご当てがうつっていません。これは撮影のために はずしたという訳ではなく、バロック・ヴァイオリンでは、モダンで 一般的なあご当ても、その裏側の肩当ても使わないのがふつうです。 なぜって、バロック時代には顎当ても肩当ても使われていなかった ことがわかっているからです。大バッハ以前の音楽が再評価される 流れのなかでも「古楽」と呼ばれるジャンルでは、その曲が作曲された 当時の演奏法や解釈を再現しようという興味がとても強いのです。 楽器の形状や構え方は、当時の絵画が残っているので、比較的容易に 知ることができます。また、当時の音楽家が残した教則本その他の文献 などから、曲の解釈などについても知ることができます。

作曲当時のスタイルで演奏する、と口で言うのは簡単ですが、 いざ弾いてみようとすると大変です。モダンではあご当てと肩あてで 楽器をはさむので、左手を添えなくても、高い位置に楽器を保持 することができますが、バロック・ヴァイオリンではそれができません。 最低でも楽器を載せた肩と左手がそろって、はじめて楽器を 構えることができます。こうなると、モダンで覚えたポジション移動や ビブラートのかけ方が通用しなくなってしまうのです。また弓も バランスが違っていますので、最初はとても弾きにくく感じます。 管楽器や鍵盤楽器など、全く違う楽器にトライするならともかく、 モダン・ヴァイオリンとバロック・ヴァイオリンではなまじ同じ 楽器であるだけに、身につけた技術が通用しないということが かなりの抵抗感につながります。さらに、古楽のピッチが、モダンで 慣れ親しんだピッチとずれていることも相まって、小さい頃から しっかりとヴァイオリンをやってきた人ほど、古楽に対する 抵抗が強いように見受けられます。リコーダーなどは、指使いや 解釈にはいろいろあるとしても、学校で吹いていたものがそのまま バロックの楽器であり、ピッチも楽器そのものによって規定されて いますから、古楽に抵抗感のあるリコーダー奏者というのは、あまり いらっしゃらないのではないでしょうか。リコーダー人口の 多さにくらべて、バロック・ヴァイオリンの奏者が少ないのは この当たりの事情が関係あるかなと思っています(もっとも、昨今では 音楽の専門教育を受けられた方が、趣味で古楽を演奏されるケースも 増えているのだとか)。






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