大阪渡船つあー(1)


落合下渡船 『福崎丸』

 大阪市では、現在8か所で市営の『渡し船』が運行されています。
 連休真っ最中の5月3日、これら渡船の『全線制覇』に出かけました。『鉄分』はちょっとしかないけれど、一応知る人の少ない南海"汐見橋支線"に乗り、浪速貨物駅も見物してきたので、その様子を紹介したいと思います。

■大阪市の渡船については、こちらが詳しいです。 大阪の渡し船

■手書きの地図です。参考までに...。 地図

■浪速駅と安治川駅の貨物列車時刻表はこちら

■落合上渡船
 本日の渡船つあーの起点は、南海汐見橋駅である。
 汐見橋は南海高野線の起点だが、同線の運行系統はすべて難波始発となっていて、汐見橋-岸里玉出間はまったくの支線のようだ。一般には『南海汐見橋支線』などと呼ばれることが多い。
 地下鉄桜川駅から、千日前通りを少し西に歩くと、程なく汐見橋駅に到着する。隣は自動車用品販売店。それ以外に目立った商店等はなく、人知れずひっそりと佇む都心のローカル駅の風情であった。
 木造モルタルの駅舎は簡素な造りで、ぴかぴかの自動改札機が妙に場違いな感じである。南海電鉄は昨年から関西共通のSFカードシステム『スルッとKANSAI』に加盟しており、この場末の駅でも地下鉄と同じカードで入場することができる。改札口上には、古ぼけた沿線案内図があった。右下には小さな文字で、『昭和30年代に描かれたものです』という注釈がある。10年経てば時代遅れの地図だが、40年経てば立派な装飾になってしまうのだろう。

南海汐見橋駅 汐見橋駅にて

 2両編成の電車は数人の客を乗せて発車、5分程で津守に着く。駅本屋は、最近新築された質素かつ小奇麗なもので、ちゃんと駅員がいた。
 高校のグランドをかすめて、路地裏みたいなところを5分程歩くと、高い堤防が目に入る。急な階段を上ると、ぷうんと下水の臭いがただよってきた。ダンプカーが砂ぼこりを立てて通り過ぎる。狭くほこりっぽい堤防道路を数分も歩かないうちに、『落合上ノ渡』という標識のついた交差点に出る。ここを左に入ると、すぐに渡船場が見えてきた。
 渡船場----私は鄙びた木造の小屋を想像していたのだけれど、しっかりした上屋があって、ちょっとがっかりした。目の前の黒い流れが木津川で、ミナミの繁華街・道頓堀までつながっている。木津川のすぐ上流には、巨大なアーチ型の水門がそびえたっている。木津川水門と言い、高潮被害を防ぐための施設である。
 目と鼻の先(のように見える)対岸にも小さな上屋があり、大阪市の市章が描かれた小さな船が2隻、係留されているのが見えた。あれがこれから乗る"渡し舟"らしい。小さいとは言え、思ったより立派な船で、手漕ぎボートに毛の生えた程度の船を想像していた私は、またまた落胆する。

 浮き桟橋の上では、制服姿の職員数名がブラシを片手に塗装作業をしていた。やさしい初夏の陽光を浴びながら、のんびりとしたものである。
 国鉄末期、ローカル線の小駅で、こんな光景をよく見たような気がする。旧国鉄はすさまじい赤字を理由に解体されてしまったけれど、この渡船は運賃無料、従って収支計算なんてのは最初から存在しない。現在の社会のありようを象徴する『効率』とか、『収益』とかいうコトバとはまったく無縁の世界の乗り物なのである。

落合上渡船
木津川左岸のりば。うしろのアーチは木津川水門。
落合上渡船
左岸(西成区側)のりばから右岸(大正区側)のりばを見る。

 落合上渡船は、データイム15分ごとの運航である。程なく対岸でディーゼルエンジンの起動音がし、1隻の船が上流に向かって動き始めた。すぐに右に急旋回して下流方向に向かい、今度は左に急カーブをきってこちらの桟橋に着く。下船客は自転車を押したおっさんがひとりだけ。船員にどうぞと促されて乗船すると、すぐに発進。やはり左に右に大きく旋回して、あっという間に対岸に着いてしまった。もうすこしのんびりした"船旅"を期待していた私には少々拍子抜けであった。

渡船船員の制帽
市章とイカリのマークが入っている。
落合下渡船 左岸のりば
のべ16か所ののりばのうち、もっとも風情のあった建物

■落合下渡船
 運送会社や生コン工場が建ち並ぶ通りをしばらく歩き、左に入ったところが落合下渡船場である。ここでも、職員が桟橋の塗装作業に精を出している。黄金週間は、恒例の施設補修期間なのであろう。
 10時15分の渡船で再度木津川左岸へ渡り、砂利や建築資材の販売店が並ぶ殺風景な通りを南に歩く。いつもは、大型車が砂埃を立てて往来するのであろうが、連休真っ最中のいまは、人影もまばらだ。通りの一角に広大な空き地があり、千本松大橋が遠望できる。あの橋のたもとに、次に試乗する千本松渡船があるはずである。この空き地、地図によれば『大阪製鉄』の工場があるはずになっている。空前の不況のもとで、閉鎖・解体された工場跡地なのであろう。かつて、『重厚長大』型産業が隆盛を誇った工業都市・大阪も、その後の情報化革命・『軽薄短小』型産業への移行に乗り遅れて、現在その地位の低下が著しい。自治体や財界は情報発信型産業への転換を目指すが、その前途は厳しいようである。いま、近畿の失業率は日本屈指の高率であるときくが、このちょっとうらぶれた街に活気が戻るのは、いつの日であろうか。

千本松渡船への道
(大正区津守三丁目)
製鉄所の跡地

続く



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2000.5.7制作 2000.5.8訂補