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2000.28 Oct~ |
ジルケさんに質問したいことがあります。
日本の中で、京都市や倉敷市のような歴史的保存地区を除いて、東京23区やその他の大都市で、一生住み続けたいと思った街はありますか?
私は、東京の台東区の谷中(やなか)という街に生まれてから、ずっと東京に住んでいますが、東京の中で一生住み続けたいと思った街はありません。
私は、ロンドンへ行ったことがあり、ロンドンの街に大変感動しました。 一生住み続けたいと思いました。
まずは日本の大都市でどこに住みたいか。札幌かな。寒いところが好きだから。しかし、札幌オリンピック前の40万人時代が良かったですね。コンパクトシティの見本だった。緑が多くて、中心街がはっきりしていて、すすき野も庶民的な盛り場だった頃のサッポロ。私の愛唱歌「恋の街・札幌」の時代、時計台がビルの谷間に沈む前のですね。
そういう意味では仙台も同じですね。青葉城から見ると瓦の家並が広がり、市電が走っていた頃の「杜の都」は落ち着いた雰囲気の街でした。今は青葉城趾に立ってもビルの壁しか見えません。たしかに日本人は何かを失ってしまったのでしょうね。
東京ですか?住み慣れた街だけれど住みやすい街ではないでしょうね。しかし、刺激的で楽しい街です。
そうは言っても東京はさまざまな街の寄せ集め。私が今住んでいる江戸川区西葛西は気に入っています。区画整理でできた街なので道が広いこと、広い公園があること、海と川が近いこと、都心まで近いことなどが好きな理由です。
東京でも嫌な街は道が狭いところ。都庁に入りたての頃「住宅地区改良法(スラムクリアランス)」を担当していて、候補地区の調査に歩いたものです。太田、品川、世田谷、杉並、中野、板橋どこもいやですね。道が狭くて窒息しそう。釧路育ちの私には絶対に居住不可能です。
外国の街では、シドニーがいいですね。家に帰ってから海で泳ぐことを日課にしていた友人がいます。そんな生活がしてみたいですね。道が広い、公園が多い、海と川がある。街がコンパクトで便利、物価が安い。
ロンドンとパリは敬遠しておきます。私は海外旅行では、毎朝ランニングをすることにしています。ロンドンならハイドパークとかテムズ川、パリならセーヌを走るわけです。時差ボケは治るし、昼間とちがう街の顔が見えてとても楽しいものです。
それはいいけれどおびただしい「犬のフン」には閉口しますね。あれはどういう感覚なのでしょうか?どちらも素敵な街だけれど、犬のフンを放ったらかしにするような人間の集団とは付き合いきれないと思います。
それから、人種差別もいやですね。最近でこそ「金持ちニッポン」のお陰で愛想よくしてくれるけれど、30年前に初めて行った時には、指を指されたり、笑われたりみじめな思いをしたものです。日本が貧乏になったら、またじゃけんにされるのでしょう。
その点では、明るくて気さくなイタリア人がいいですね。それにどこの街もヒューマンスケールで住みやすそうでした。難点はスリと泥棒が多いこと。これはイタリア人も認めているのですから想像以上のものらしいですよ。それでも本場のサッカーが見られるのだから住む価値は十分あります。
ということで、私の都市評価基準は、道路、公園、水辺、犬のフンとサッカーということになりますか。お後がよろしいようで。
海外旅行経験がなくサンプルも多くないですが、
この夏悲願の子連れ海外旅行を初敢行(←クセになりそう)
8月にバンクーバー(カナダ)を知人頼りで訪ねたのですが、これが期待以上に風光明媚、土地が平坦で再開発華やかなウォーターフロントなどのダウンタウンと、閑静な郊外住宅地やキャンパスとの交通網も充実しており、物価も比較的安く、子連れで滞在した4泊5日を穏やかに堪能できました。
特に、都市全体がいわばニュータウンのようなもので道路や歩道は広々、朝夕もさほどの交通量でもないので、ストリートに面したStarbucksのオープンエアーで食事をとる人々、また、老若男女の自転車通勤・通学、腕にwalkmanを着けたジョガー達の往来を見ていて「日本にはない余裕だナァ」と痛感しました。
公園にはやはり広々とした自転車・インラインスケート専用道がありました。
というところで振り返ると、私としては
「気候が穏やか、土地が平坦、物価が安い」…などと言う事は勿論、
「自転車やジョギング、インラインが、都市部で余裕で出来る!」
と言う点に、最大のカルチャーギャップ、価値観を感じたところでした。
(いくら自転車好きな私でも土地が平坦でないと…お気楽サイクリングが好き)
でも在住する知人曰く「刺激が少なくボケそう。もう日本には帰れない」とのことでした。
ついでに申しますと
広幅員のメインストリートには電柱が無かったので「?」と思っていたら、一本裏の細い通りが、必ず「ゴミ収集」と「馬鹿でかい電柱」のためのユーティリティサービス道路になっていました。
表通りには歩道沿いにトロリーバスがあったりして、インフラの地中化などは困難なのかも知れません。
裏通りの写真を添付させていただきます。ではまた。
私は、世田谷区の千歳船橋に住んでいます。現在、小田急線の高架複々線化工事が進んでおり、街の様子がすっかり変わることになるので、未来の世代に楽しく安全な街を残すために、どのような街づくりをしたら良いか、地域の住民同士で議論しています。
私は、学生時代にドイツのケルンに1年ほど住んでいました。その後、ボンにも短期間いて、ドイツの落ち着いた街並と、景観をみんなで守る姿勢にいつも感心していました。オランダ生活もしたことがありますが、街並の美しさは日本に比べると格段に違います。
ルールによって街並を整備していると同時に、そもそも、「公共的価値」に対する姿勢の違いがあるのではと推測しています。
>ジルケさんに質問したいことがあります。日本の中で、京都市や倉敷市のような歴史的保存地区を除いて、東京23区やその他の大都市で、一生住み続けたいと思った街はありますか?【西藤大真】
私はまだ34才なので、一生住み続けたい場所を決めるのはまだ早や過ぎると思います。東京の杉並区に住んだのは全部で3年間でした。生活に慣れてきましたので、数年間は大丈夫ですが、一生住み続けたくないです。一つの理由は地震が恐くて、東京の木造の密集住宅が非常に危ない感じがしました。台風も大変でした。それに、東京の住宅にはあまりCentral Heating もなくて、冬が寒かったです。それに対して、夏は蒸し暑くて、それも大変でした。お花見の季節が丁度いいですが。全部あわせると、私の目から見ると、ドイツ等の国の方が住みやすいです。
>もう一つ、質問があります。ジルケさんは、自分の住んでいる街のライバル都市はどこだと思いますか?【西藤大真】
今は田舎の小さい村に住んでいますので、ライバル都市の考え方はありません。長くBonnに住んだ経験もありますが、政府の引っ越しの関係で、Bonnのライバル都市はもちろんBerlinになっていますね。Bonnの店員が悩みますが【店員は悩んでいますが】、私の個人的な意見では、引っ越しのおかげで、Bonnが静かになってきて、雰囲気がよくなりました。
ところで、Chikaさんのメールですが、私も旅行で西カナダのVancouverに行ったことがあります。1986年で、もうずっと前でした、Chikaさんが説明してくださった同じ住みやすい雰囲気でした。私はすぐ好きになったので、ライバル都市としていいなあと考えています。でも、カナダはスペースがいっぱいありますので、同じような広い都市をドイツや日本で作るのは無理かもしれませんね。残念ですが。
東京の密集住宅地と全然違って、とてもスペースがあった住宅地でした。全部家族のための1937年ぐらい建てられた家で、敷地は1000平方メートルでした。信じられないでしょう。私が生まれたのは1966年で、家はもう30年でした。日本の場合は壊して、建て直しますが、あの家はまだとても丈夫で、2000年にも使えます。その私の子供時代の家と庭はとても好きな所で、現在までは夜中の夢で、時々出てきます。とてもいい気持ちです。
父の転勤のため、学校時代(18才まで)は以前のメールに書いた厳しいB-PlanのL-型BungalowのPaderborn都市(町)の住宅地に暮らしました。家は大丈夫でしたが、庭はとても狭くなってしまいました。それに、Paderbornは主にカトリック教の町ですが、私の家族は教会と全然関係なく、学校時代はかなり大変でした。(一番いい学校時代の友達が勤勉なカトリックなのに。)Paderbornの子供たちは皆クリスト教のSaintの名前(Maria,Elisabeth等)がついていて、誕生日より、名前の記念日の方が大切でした。しかし、SilkeがSaintの名前ではなく、不思議でした。「名前がない」とよくいじめされてしまった学校時代でした。
学校を卒業してから、兄が住んでいたBonnに引っ越しました。緑が多くて、ライン川が奇麗で、とても素敵な大学時代を過しました。住みやすい町です。好きです。
書いた通りに、全部で3年間杉並区(荻窪周辺と成田東周辺)に住んでいました。帰国してから、Bonnの住まいが主人と私の二人で、狭くなってしまいましたので、2年間ほど前からは、主に田舎の方に住んでいます。私のお年寄りの両親がBonnの他の住まいに住んでいますので、毎週二日一泊程度で、Bonnにいます。その時、まだ使っている以前の住まいに泊まります。
でも、主の住宅はWesterwald山地のBonnから45キロほど離れた田舎の村です。家は220年ほど前に建てられたHalf Timber(Fachwerkhaus)です。村が静かで、安全で、景色が奇麗です。それに、自転車で5分ぐらい行けば、スーパー、銀行、郵便局、お医者さん、歯医者さん、学校等もあります。Infrastructureも大切ですね。家の敷地がとても狭いですが、200メートル離れた私が持っている680平方メートルの土地があります。たまの洪水のため、建物は駄目ですが、最近からは庭を作ってみます。子供の夢が出て来るからです。本当に気持がいいです。
色々な所に住んだ経験があります。広い庭と狭い庭の都市の郊外、Bonnの小さい町の都心、世界の一番(?)大きい大都市東京、最後はドイツの田舎の村。どこでも、メリットもデメリットもありますが、今住んでいる田舎がとても好きで、これから長く住みたいと考えています。でも、Bonnにまだ泊まる場所を利用することができるのは非常に便利ですよ。
今の私にとって「住みたい町・街」は、職場に近い所です。今は、職場である都庁から3km位の所にある中野区に住んでいます。住まいからは、海、山、川、大きな公園、あるいは天空に輝く星々などは全く見えませんが、特に不満はありません。なぜなら、これらのものを観たり、感じたりしたければ、バカンスに行けばいいからです。
一日うち、最低8時間を仕事に費やさざるを得ない社会において、自分で自由に使える時間を確保するためには、通勤時間を減らすことが一番でしょう。かつて、2時間ほどかけて、環境のいい多摩地域から通勤をしたこともありますが、通勤ラッシュには閉口してしまいました。
>日本では第一の仕事が生活のほとんどを占めている人が大多数で、地域でのコミュニティーにおける存在感は非常に薄いのではないでしょうか。そうだとすると自然に、自分の住んでいる街の景観や街並に対する愛着、それをより良いものにしようという意識は低くなってしまいます。
岩井さんのご指摘の通りだと思います。私は、その典型的な人物でしょう。特に地方から就職のために上京して、寮やアパート暮らしをしている単身世帯が多い都会では、この傾向は著しいのではないでしょうか。
では、なぜ「街づくり工作員」に登録したのか。街の景観や街並に対する愛着、それをより良いものにしようという意識は低いかもしれませんが、ゼロではありません。50年、100年先を見据えて、街全体の景観に対する配慮をもっとしなければなりませんね。
一方で、景観よりも、安全(事故や災害などに対して)や便利(交通、買い物など)さを追求することで、住みやすい街をつくっていくという視点があってもいいでしょう。特に、東京では自動車による騒音や排ガスなどの公害が深刻です。手前味噌で申し訳ありませんが、東京都の局地汚染対策について報告させていただきます。
1999年度は、各地の自動車公害訴訟で「悪者」とされている大気中のNO2(二酸化窒素)やSPM(浮遊粒子状物質)濃度が、なぜか全国的に大きく低減・改善されていたとのことです。しかし、東京都板橋区の「大和町交差点」では、あまり低減されず、NO2がワースト1、SPMがワースト2でした。
東京都は、建設省及び首都高速道路公団と協議し、この「大和町交差点」に「土壌を用いた大気浄化実験施設」を整備することを決定しました。
「土壌を用いた大気浄化実験施設」は、車道の自動車から出る排ガスを機械で吸引し、花壇のような土壌層を通気させてNO2やSPMを浄化し、大気に還元させる施設です。大阪府吹田市や神奈川県川崎市の池上新田公園で稼働中の施設と同様のもので、都内では初めて設置されるものです。工事は11月下旬から行い、来年度には施設を稼働させて大気浄化実験を行う予定です。
さて、話が長くなりました。
仕事柄、自動車による大気汚染や騒音が著しい幹線道路沿道やその交差点に行きますが、やはり住みたくないですね。しかし、苦しみながらも、多くの都民が生活しているのを目の当たりにして、できることから行っていくことが大切だなと考えています。
私自身が参加可能な数少ないテーマ「住みたい町・街」についての独り言です。
私は人生の大半を大都市で住んでおり、尼崎市→北九州市→大阪市→豊中市→港区しか知りません。旅行者としてしか地方都市や農村を知らないという意味では比較できる立場にはありませんが、物価が高いことを別にすれば、豊中市と港区は私にとって住みやすい街です。
都会ッ子の性として、利便性の高さ(交通手段だけでなく、あらゆる施設、メディアへのアクセシビリティの高さ)は捨てがたい魅力です。あまり整然としてないところも結構好きです。(景観という観点での仕事もしているので大きな声では言えませんが)
30年前に大阪市のど真ん中に住んでいた時は、大気汚染のすさまじい時期であったため、学校に行っても半日保健室で過ごすということが多く、虚弱児のようになっていましたが、豊中市へ移ってすぐ、健康優良児に変身したので、基本的な意味で生存のための環境条件が必須であることは身に染みています。
コミュニティという意味でいえば、流動性の高い都市で、継続的な人的環境を維持することが難しいのは確かですが、子供を育てていると、学校区単位、町会単位での地域との関わりは自然と育ちます。中心になって活動している人は少数ですが、私のように、企画があって、自分の都合がつけば乗るという人は結構います。
東京の都市が好きでない人が多いようなので、他を知らない井の中の蛙の私のつぶやきを述べました。
私の住みたい街。
中野の木造アパートに2年ほど住んでいたことがあります。
ジルケさんも書いていらっしゃいましたが、木密地域や狭い道路、車の排ガスなど、防災上・環境上はあまり好ましいとは言えませんでしたが、職場にも、劇場や繁華街にも近く、刺激があって住み良かったです。
今は多摩の小平市に、夫婦+子供二人という家族構成で暮らしています。
付近の道路はとりあえず南北東西に走っていて(多摩東部ではまれな地域かもしれない)、徒歩圏に駅、市役所や図書館、保健所、商店街やスーパーマーケットがあり、狭いながらも歩道は車道と区別してあってベビーカーを押して歩けます。
地場の野菜も食べられるし、大気もそれほど悪くなく、自転車で一走りすれば大きな都立公園があり、電車で一駅行けばデパートもあり、今の職場までなら自転車で通勤できるとあって、まぁ、暮らすに悪い街ではないな、と感じています。
でも欲を言えば。
背面に山があって、そこで子供達と遊びたい。
前面に海があって、テトラポッドの上でボケッとしていたい。
前は海、後ろは山。そんな街に3年ほど住んでいたことがあります。
20年くらい前。兵庫県芦屋市。
震災後どのように変わっているか分からないのですが、住みたい街を考えるとき、必ず当時の芦屋が頭に浮かんできます。
今思えば、地場の野菜はなかったし、木密地域もありましたが、背面の六甲山系から芦屋川沿いに海へ歩くことができる、そのロケーションは贅沢なものだと思います。
これで言葉(関西弁)に不自由しなければいいのですが。
海外の街については、観光地めぐりに忙しくて、訪れた都市を生活する街として捉えていなかったので、日本の街と較べられません。
今度はまちづくり工作員の意識をもって海外見聞に出かけようと思います。
アテネの、神殿の丘を見上げる街並をもう一度味わいたいです。
大熊さんご推薦の芦屋市の話がでて、思わず返信ボタンを押してしまいました。
> でも欲を言えば。
> 背面に山があって、そこで子供達と遊びたい。
> 前面に海があって、テトラポッドの上でボケッとしていたい。
>
> 前は海、後ろは山。そんな街に3年ほど住んでいたことがあります。
> 20年くらい前。兵庫県芦屋市。
> 震災後どのように変わっているか分からないのですが、
> 住みたい街を考えるとき、必ず当時の芦屋が頭に浮かんできます。
> 今思えば、地場の野菜はなかったし、木密地域もありましたが、
> 背面の六甲山系から芦屋川沿いに海へ歩くことができる、
> そのロケーションは贅沢なものだと思います。
私は、芦屋川沿いにあった病院で生まれ、2年前までほとんど、芦屋市・西宮市に住んでおりました。
ですので、山と海、川などの自然もあり、かつ便利な街の生活を、当たり前のように思っていたのですが、東京に住むようになって、つくづく芦屋の良さを実感しています。(ちなみに最近流行の「アシヤレーヌ」ではありません(笑)・・・わかりますか?この言葉の意味)
芦屋市は、人口が7〜8万人規模の市なのですが、この規模くらいだと、市民同士の顔が見える規模で、ちょうど良いまとまりだと思います。
何かしようとすると、だいたい知り合いに会ったり、知り合いの知り合いだったりとかでつながっていて、何かをしたいと思えば、誰に聞けばいいか、どこへ行けばいいのかなど、何となくわかる、「わかりやすい街」なのです。
また、芦屋を愛している市民がとても多く、「市が何かしようとすると市民が何かとうるさい?」街でもあります。
震災後、街の景観は、プレファブ系の住宅が目に付くになってしまいましたが、それでも、六甲山と芦屋川と海という大きな自然の軸があるだけでかなり救われており、子供たちが芦屋川で遊ぶ風景は今でも変わりません。
こんな原風景を持つ私が東京で住む街は、世田谷区東玉川という奥沢駅や田園調布駅が近い地域です。選択理由は、多摩川が散歩にいける、歩いていける距離におしゃれなお店やバーがある(酔っぱらっても歩いて帰れる!)、住宅の庭の緑がたくさんあって散歩を楽しめる・・・などです。
と思って、引っ越してきた家のお隣さんも、偶然、同じ芦屋出身で、私と同じような理由でこの地を選んだとのことでびっくりしました。
神戸商科大学の元学長である小森先生は、「コミュニティとは、そこに住んでいるということを誇りに思っている人がいるということである」、とシンポジュウムでおっしゃったことがあります。
神戸の震災で家をなくした人達が、またその街に住みたいと思えることは、それだけ街が成熟している証拠であると。
私は、難しいコミュニティ論は語れませんが、少なくとも芦屋では、「高級住宅地だから」というのではない、住民の誇りがあるように思いますし、小森先生のお話は、まさにそうだ!と思っている一人です。
> これで言葉(関西弁)に不自由しなければいいのですが。
不自由ですか?やはり。(笑)
初めて訪れたまちで、「ここなら、ずっと住んでいもいいなぁ」と思ったのは、「盛岡」です。もっとも、初めて訪れたのはずーっと昔ですが、城下町によくある、「大工町」とか「紺屋町」(盛岡にあったかは定かではありません)などといった地名を聞いただけで、そわそわするし、川から見た岩手山やその周辺に公共施設が集積していることも含めて「良いところだな。」と思いました。食べ物が美味しいのも評価の重要ポイントです。
じゃりんこ(チエ?)さんではないけれど、「住民の誇り」があるからか、「盛岡市」の取組みが良いのか、あるいは、両方なのかはわかりませんが、どちらもたゆまぬ努力しているのでしょうね。冬の寒さは厳しそうですが。
初めて訪れたまちで、「ここなら、老後(真剣ではありませんよ!)、住んでいもいいなぁ」と思ったのは、
その1:鎌倉市七里ガ浜…海のそばで、「ゆったり」暮らすのは、夢?
その2:海外では、私も、バンクーバー。(推薦者の多いバンクーバーですが、トラベラーズチェックで買い物をしたさい、「釣り銭」をごまかされそうになりましたが…。)
もう少し、我に返って、
大熊さんが、「中野」も悪くないといった旨をお書きになっていましたが、私は、「武蔵野の私鉄沿線のまち」も悪くないと思います。適度に田舎で、都会にもその気になれば、すぐに行け、ヒューマンスケールなところも良い。スケール感で言えば、「世田谷線沿線」なども好き。
昔、「葛西」に住む知人が、初めて私の故郷の京王線沿線「府中」を訪れた際、「きったねえ、まち」と言いました。「きったねえ」と思う、心のほうが問題なんじゃないの?と、こうしていまだに根に持っているのですけれど。(笑)別の、初めて訪れた別の知人は、駅前に下り立ち「いかにも私鉄沿線って感じ」と言いました。まだ、再開発でできた「フォーリス」というビルがができる前です。
私鉄沿線の多くは、駅前広場などもあまりなく、「ちまちました」街並みが多いのですが、私は、スケール感が好きだった。と過去形にしておきます。最近、どんどん様変わりしているので。もっとも、府中の場合は、「フォーリス」ができて、確かに環境は良くなったと思います。
東京の多摩地区出身の友人が多いのですが、みんな口々に、「まちが変わった」というのですが、どれくらい変わったのか、「街づくりの工作員」としては、客観的なデーターを調べたいものです。(今すぐは無理ですが)
もっと、もっと、我に返って、
現在住んでいるまちは【栃木県南河内町】、住都公団(当時)により開発されたニュータウンに住んでいるので、当初から、地区計画(隣地距離1M、壁面後退1M、最低敷地面積50坪くらい)もあり、環境は申し分ありません。ただ、買い物は、ほとんど車です。まだ新しいニュータウンですが、平均年齢も結構高そうです。今、住んでいるところ及び周辺が、「私の住みたいまち」になるように、努力することも、「工作員」としてのお仕事かもしれませんね。(まだ、これから!)
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山崎浩明 Yamazaki
hiroaki
さて、遅れ馳せながら、今週の課題「私の住みたい街、町、まち」について。
杉並区阿佐ヶ谷に4年ほど前から住んでいます。我が家にとっては、とても住みよい町(空気は悪いですが)で、できれば長く住み続けたいと思います。
木造2階建てのアパートです。5戸のうち子供がいるのは家だけで、あとは若い夫婦が住んでいます。隣の人とは挨拶を交わしますが、その他はこちらから挨拶をしても、ほとんどしらんぷりです。引っ越してはじめのうちは「近所付き合いのない町だ」と感じていました。でも、違いました。古くから住んでいる人は昔からの近所付き合いをしています。角のたばこ屋さんのおばさんと顔見知りとなり、地元の不動産屋さん(そのおばさんの幼なじみ)を紹介してもらったり、子供の保育園の同級生の家に遊びにいったり、近所の神社のお祭りの神輿をかつがないかとさそわれたり。また、子供を連れて近くを散歩しているうちに、多くの高齢者と言葉を交わすようにもなりました。但し、同じアパートの住民とは、あいかわらずです。
こんな出来事から、地域コミュニティの崩壊の大きな要因は、居住者のバランスが崩れたことにあるように感じました。近くには、高齢者世帯の古い木造住宅と、若者のみのワンルームマンションばかりです。ファミリー世帯は郊外に逃げていきます。居住者の構成が偏れば、接点も偏っていくのは当然です。同時に、街を守ろう(或いは作ろう)とする主体である、「これからここで住み続けよういう」人は少なくなってしまいます。
阿佐ヶ谷の前は、横浜の港北ニュータウンに住んでいました。 ここも、居住者の構成が偏っていて、ファミリー世帯ばかりでした。非常に限定されたメンバーのコミュニティとなり、高齢者も若者も入り込む余地はありませんでした。
あまり課題と関係な話しになってしまいました。とにかく、「住みたい」と思うのは、ハードがよいからだけではないということです。
「私の住みたい街、町、まち」その2
海の近くはいいですね。
前回のメールと矛盾しますが、通勤や、家族や、なんやらかんやらを横に置いておいて、どこに住みたいかといえば、神奈川県の逗子です。それも、海岸に歩いていけるところ。塩害やら、風害やら、砂害やら、大変でしょうが、窓から海が見えるというのは夢です。独身時代に、ちょっとだけウインドサーフィンをやっていました。そのころは横浜市内に住んでいて、海までは最低30分かかりました。海岸近くに住み、朝、職場に電話して「今日は、いい風が吹いているので休みます」というのを、一回でいいからやってみたかった。
工作員に相応しくない話しで申し訳ありません。大熊さんのメールを読んで、つい書いてしまいました。読み流してください。
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石井晴美 Ishii
haruyoshi
自分の住みたい街の話の前を、山崎さんの提起にレスつけながら展開します。
>
> 山崎浩明@東京都多摩東部建築指導事務所です。
>
> 杉並区阿佐ヶ谷に4年ほど前から住んでいます。我が家にとっては、とても住
> みよい町(空気は悪いですが)で、できれば長く住み続けたいと思います。
(以下引用は略します)
私は杉並区役所で定年まで20年あまり仕事しましたし、都庁時代(1960年代)には、阿佐ヶ谷・高円寺に4年ほど借家住まいをしましたので、阿佐ヶ谷あたりの雰囲気は良く判ります。ただ飲んでいても終電間際には引上げざるを得ないのが残念で、地元居住者はそれから飲むんですね。
あの雑然とした街に住んで、深夜まで飲む生活もあこがれますね。
(是非、一度阿佐ヶ谷で飲みましょう。
脱線しますが、2-3年前まで、Niftyの都市計画フォーラムで、良くオフをやった気さくな店があるのですが、このMLのオフ、或いはその準備会でもやりませんか?)
阿佐ヶ谷などの中央線界隈は、例えば最近の雑誌「東京人」でもとりあげられたりして、文化人(?)の間では有名ですが、さて街としては?
本業の都市計画・まちづくり面から見ますと、杉並の中央線沿線は市街化過程の関係から木造密集過密住宅地として、防災まちづくりの必要性が高い地区(災害危険度も高い)として、区のまちづくり行政の最大の課題でした、ここ十数年いろいろ仕掛けて、筑波移転跡地の防災公園化と周辺不燃化まちづくりそれと、区全体の狭あい道路拡幅整備事業(2項道路関係)の進展などからちょっとだけ防災まちづくりは進みましたし、現在も区のまちづくり担当課では防災まちづくりの新規地区を住民に提示しているところですね。
私個人は、多摩NTに関った、1970ころから、多摩に住みついていますので、郊外住宅地区と都内の密集住宅地区の対比に関心があります。
(またまた脱線ですが、多摩NT学会で、この対比を研究テーマにしてます)
正直に実感を申上げますと、子育てや防災安全面からは、現在の阿佐ヶ谷あたりは住むのは遠慮させてもらいたいです。
私が杉並区役所現役時代に住民対応で感じたことは、ここの居住しつづけている住民は、危険度を実感していないということでした。
個々の道路整備や区画整理、再開発或いは全体の都市計画マスタープラン策定などで住民説明や苦情対応、懇談などの場面で、計画内容の問題などは、ともかくまず、防災危険性など考えるのがお節介だと言われました。
もちろん、それを感じている方もけっこういますので、これまでまちづくり協議会なども成立し、防災まちづくりも実施されているわけですが、街の雰囲気としては「これで良いんじゃない」という感じですね。
1996年の都市マス関係のシンポジウムでも、そのようなことが話題になったのですが、そのとき複数のパネリストは「高円寺などの密集地区はそれなりの界隈性があって良いのですが、防災危険度など承知で住まわれるなら、それも選択ですね。」と発言されています。
山崎さんは、当然承知のことですね。
本題に戻りまして、子育てもほぼ終わり定年も迎え(まだ再雇用ですが)改めて、老後に住む街を考え始めています。
持家ですと、定年後は動きにくいですね。
多摩ニュータウン区域外の多摩地区で過ごすしかなさそうですね。
生まれ育った九州は宮崎の城下町飫肥(日南市)は、山に囲まれた小京都で、良いまちなんですが、故郷は遠いですね。
海に近い場所、いつでも釣りに行けるところも理想だったんですが、
ま、「住めば都」と考え、そこの良さを見つけ、出来れば、地域社会にとけこみ、まちづくり活動などにも参加するというのが模範回答ですかね。(杉並と多摩に二股かけるな!)
ということでお粗末でした。
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村山
顕人 Murayama akito
遅くなりましたが、「私の住みたい街」。
まだ特定の街を挙げることはできませんが、これまで自分が住んだことのある街を振り返ってみると、郊外の一戸建て住宅地ではなく、都市的な環境に住みたい、と漠然と思います。
私は小学校4年生まで、埼玉県川越市で育てられました。と言っても、蔵造りの町並みで有名な市の中心部ではなく、昭和50年頃に東京のベッドタウンとして開発された郊外の一戸建て住宅地です。幼い頃は、行動範囲も狭いので、特に問題も感じず住宅地内の公園や学校、少し離れた林や川で伸び伸びと友達と遊んでいたのですが、今考えると、家族、同級生以外との交流がほとんどない、つまらない生活だったな、と思います。
その後、父の転勤でアメリカのロスアンゼルス郊外にあるトーランス市に引っ越しました。海と空と砂浜はとてもきれいだったのですが、空気は汚く、治安も悪く、街のイメージと言えば、「巨大ショッピング・センターと広幅員幹線道路」です。ロスアンゼルスは、遊びに行くところとしては良いかも知れませんが、一部の高級住宅地以外は、住む場所としてお勧めできません。
2年後、今度は中西部にあるオハイオ州コロンバス市のこれまた郊外にあるワージントン市というところに引っ越しました。「どうして郊外ばかり?」と思いますが、家族が安心して住めるのは、治安の比較的良い郊外住宅地だけだったのでしょう。ロスアンゼルスとは比較にならないほど自然が多く、典型的なアメリカの白人中流階級が好むような生活をしていました。しかし、運転免許を持たない中学生としては、どこへ行くのも親に車の運転を頼まねばならず、ストレスを感じていました。「あと数カ月で運転免許が取れる!」と楽しみにしていた15歳の秋に、突然の帰国が決まり、川越の同じ家に戻って来ました。
高校時代、大学の学部時代、大学院1年生までは、川越の実家に住んでいましたが、毎日片道2時間、往復4時間の通学時間には耐えられず(サラリーマンの方には怒られますが…)、半年前に思い切って、大学から自転車で5分のアパートに引っ越しました。これにより、「将来は職住近接が良い」という気持ちがさらに強くなりました。自動車が必要ない生活も快適です。
このように、ずっと郊外に住んでいて、郊外生活に疑問を感じているせいか、現在の研究テーマは、「都心の再生」や「コンパクト・シティ」です。調査でシアトルやポートランド、このMLでも話題になっているバンクーバーに行ったときに、「郊外で育った若者達が、ダウンタウンの都市的な環境を好み、ダウンタウンに移り住む。それが魅力的なダウンタウンの形成に寄与している。」と聞きました。自分の体験と通じるものがあるので、思わず納得してしまいました。日本の郊外住宅地、例えば多摩ニュータウン、で育った人達は、どのような街に住みたいと思っているのか、興味があります。
しかし、大都会東京は、人も情報も多く、疲れます。最近は、札幌市、仙台市等の地方政令指定都市にも魅力を感じています。
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田中幸夫 Tanaka
yukio
さて、大熊さん、野澤さんから芦屋の話題がでたので付け加えます。
神戸市内でも、東灘〜中央区にかけては芦屋と同じく山と海が近接しており、いわゆる”神戸らしい”場所だと思います。
ただし、神戸市は広くて、今私が住んでいる北区(六甲山の裏側)のように”いなか”の部分もあり、須磨の事件の舞台となったような”ニュータウン”もあります。
私は、生まれは兵庫県の西の方の”龍野”というまちで、歴史もあり、なかなか良い場所だと思うのですが、田舎者の私としては都会(便利なまち)に住むことに憧れを感じているわけで、やはり、六甲山の南側に住みたいと思っているこの頃です。
ということで、訪れたことのあるまちでは、東京の都心(漠然としたエリアでもうしわけありません)に魅力を感じます。
皆さんのメールを読んでいて感じたのは、住みよさというのはその人のもっている生活圏と実際の街の構造・形態が一致しているかどうかによるところが多いということです。
もう少し詳しく述べると、住みよさを構成しているのは、
(1)必要とする機能、活動、モノがそろっている範囲
(2)それが必要としている人の行動可能範囲
という二つの条件で、それが一致している時に、人はその街を住みやすいと感じると思います。(1)はつまり実際の街の構造・形態であり、(2)が生活圏になります。
このように考えたのは、もちろん私自身の経験も関係しています。
私はつくばの出身ですが、今年から文京区に住んでいます。
つくばと文京区、どちらも私にとって住みやすいのですが、それは、私の行動圏とニーズの分散範囲に関係しています。
つくばに住んでいた時は、車を運転しており、広い行動範囲(半径10km以上)を行き来することで、自分の生活ニーズを満たしていました。けれども、車がない場合、つくばは非常に住みにくい街になります。(実際、引越す直前に車がなかった時期は、ほんとに困りました)
今住んでいる文京区での行動範囲は徒歩・自転車圏で、格段に狭くなりましたが、必要なものはその範囲でそろうので、十分満足しています。ただ、将来家族ができた時に、子どもの行動できる範囲とニーズを考えると、今の街では住みにくいと思っています。