|
ユニオンジャック翻る、かもしれなかった九州 戦後九州はイギリス軍によって統治され、ひいては国王ジョージ6世(当時)に忠誠を誓う「国王陛下の九州」となっていたかもしれない、そんな可能性についての話である。根拠は、イギリス軍の本土進駐にはじまる。 連合国最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)傘下のイギリス連邦占領軍(BCOF)は1946年2月1日に呉の海岸にじゃぶじゃぶじゃぶと上陸して以来、中国地方を中心に最大39000名が展開し、軍政への参加と、九州・中国地方の占領・統治まで予定していた。ところが極東米軍が軍政を独占しようとしたのに愛想を尽かし、九州での活動はと言えば小倉に放送局(コールサインはAKAS)を設置した程度でさっさと撤退したのである。当時イギリスはアジアに腐るほど植民地を持っており、今さら東洋の島国のひとつやふたつ関心がなかったのかもしれない。
連邦の一員 イギリス軍の中味は連邦軍だからブリティッシュだけではなくてそのほかにニュージーランド・インド・オーストラリアも加わった寄り合い所帯であった。ニュージーランドのマオリ兵やインドのグルカ兵は兵舎にシュールな壁画を描くのに没頭していたそうである。残しておけばどれほどか価値があったものを。 当然、我が民族も負けてはいない。大英帝国領土パスポートの特権でグレートブリテン島に移住し、リトル・ヒトヨシやらリトル・ハカタをあっちこっちに立ち上げたであろう。ちょうど英領香港が中国に変換される直前、香港籍中国人がバンクーバーやシアトルに大量移住したように。 ジャマイカのラムが、宗主国だったイギリスを介して世界的名酒に成長したように、焼酎も「Shochu」にリファインされてロンドンのパブに並んだかもしれない。考えるだけでわくわくしてくるではないか。 国家存亡の危機 1945年8月28日に、アメリカ第8軍の先遣隊が厚木飛行場に到着した。これが占領軍の日本到着の嚆矢であり、この二日後に「碧い目の大君」マッカーサー元帥が専用機バターン号から降り立ち、戦後日本の新秩序がスタートした。 本当の意味での国家存亡の危機は、戦時ではなく、日本の分割占領案(日本の北半分をソ連に割譲)がアメリカ本国で浮上した戦後に発生した。マッカーサーは連合国最高司令官として本案に反対姿勢を貫き、日本の北半分がスターリン主義国家に制圧される事態を回避した。功罪相半ばするマッカーサーの、これは褒められる手腕であろう。
第2次大戦集結後すぐに深刻化した冷戦に応じ、対ソ戦略上、アメリカは分割占領よりも単独占領を選んだ。もしGHQ/SCAPのスタッフが占領地処理に優柔不断だったら、ただちに英領九州が成立し、成熟し、独立し、大英連邦の一員として邁進していただろう。あなたが大英連邦の一臣民としたら、それはあなたにとって吉ですかそれとも凶ですか?
09. Apr. 2002 |