2007年の秋, 都内でビオディナミ・ワインの試飲会があり, そこで豊永史朗蔵元にお会いする機会があった.豊永蔵元はあの「豊永蔵」, あの「完がこい」で焼酎ファンにインパクトを与え続けている球磨焼酎プロパーの蔵(豊永酒造場 熊本県球磨郡湯前町)のトップである.多忙の身でワインを飲みにわざわざ上京されたわけでは, もちろんない.
 
 その前にビオディナミ(Biodynamy)について説明しておこう.訳すると「生命現象に宿るちから」とでもなるのであろうか.農法と生産物の加工法においてあまりに工業に頼りすぎる近代農業にアンチの旗をかざし, 自然のエネルギーを信頼する農法を標榜してヨーロッパに澎湃としてあらわれた流れのことである.ビオディナミはワイン生産農家を中心に広がり,こんにち, その組織である“La Renaissance des Appellations(ルネッサンス・デ・アペラシオン)”はワイン農家を中心として12か国の120生産者のネットワークを組織するまでになった.
 ビオディナミ・ワインは我が国では最初の試飲会が開催された2005年にはじめて大衆的にお目見えした.そして2007年に2回目となる試飲会が開催され, 58生産者の参加をもってその自然回帰農法による酒づくり運動の成長を投影した.豊永さんは, ワインではなくて焼酎でその58の生産者のひとりに名をつらねたのだ.

 焼酎づくりには完成形はないこと―つくればつくるほど未知の領域にはね返されてしまうこと―をいやというほど経験した豊永蔵元は, それならば, と未知なるものを謙虚に受け入れる自然回帰型の焼酎づくりに邁進されている.そんな蔵元の意気に感じ, 8年ぶりの再会を遂げたのだ.ときに2007年11月27日.ところは神楽坂のアグネスホテル東京であった.

 

 来場者がフリーテイスティングスタイルで好みのワインを試飲し(ただし会場参加費3000円をがっちり取られる), 生産者と直接コンタクトできる気安さゆえ, ワインフリークとディーラー・業界関係者が入り混じって芋の子洗い状態(といっても若い世代にはわからんでしょうが)とあいなった.
 で, 豊永蔵元は..., いた, いた, いました.ブースでビジターに球磨焼酎の飲み方を講釈している最中であった.美人ぞろいのビジターたちだから講釈にもよけいに熱が入るというもので, 蔵元の顔が赤いのは美人光線の直撃を受けたからだろうか.本人は, すでに会場をひとまわりしてワインを大量に摂取したから, といいわけをされていたが.

 それにしてもワイン試飲会に焼酎とはいかにもユニーク, いかにも斬新である.参加58生産者のうちワインが56と圧倒的多数派を占めていている中に乗り込んだふたつの非ワイン生産者のうちのひとつが豊永酒造なのだ(もうひとつはブラジルのコーヒー農園).ちなみに出品国はフランスが主力でイタリアがそれに続き, スペイン, チリ, オーストラリア, ニュージーランド, USA, オーストリアetc. と新旧ワイン産地を横断し, ユーゴスラビアワインを継承するスロベニアワインもある.我が国からは豊永酒造とルミエールワイナリー(山梨県笛吹市)が健闘した.
 


 

 豊永さんはこの日のために減圧バージョンと常圧バージョンのふたつの「豊永蔵」と「完がこい(シェリー樽熟成バージョン)」を持参されていた.それから, ガラとチョクも.
 何をかいわんや, 球磨焼酎をあるべき姿で皆様に飲んでいただきたいがための重装備だ.
 ガラでちょい熱めに仕上がった球磨焼酎はこたえられない.当方, 球磨焼酎を, しかもガラで誘われると, 蛇に見入られたカエルも同然, 夢遊病のようにすり寄ってしまうのである.

 とるものもとりあえず「豊永蔵(常)」をいただく.
  
  「うまかでしょ」
  「ふーーーっ, うまかです.こぎゃんところで豊永蔵の燗ば飲めるとは信じられん。うまかです」
  「うまかはずですよ.何度くらいに割ってあるかわかっですか?」
  「?17度...ちゅうとこですか?」
  「19度です.燗つけて飲むとは19度が一番うまかとです」

 何度もたしかめてそう結論した, と揺るぎない口調であった.

 燗のベスト温度=19度の確信は, 2007年の暮れに発売開始された「一九道(いっこうどう)」で実体を得た.割らずともベストの濃さ.その名のとおり19度でびん詰めされている.

 焼酎を体験したい外国人がやってきては神妙な顔でチョクから飲み干し, 顔をぱっと輝かせてあれこれ質問してくる.球磨焼酎業界はJETROと組んでスコットランドに進出を図ったり国際市場開拓の動きがかまびすしいが, 蔵元さんが1対1で球磨焼酎のエッセンスを外国人に親しく伝える, こんなやり取りの積み重ねこそいつかゆたかな実を結ぶような気がしてならない.
 
左から「豊永蔵(常圧)」, 「豊永蔵(減圧)」, 「完がこい(樽熟成)」.



焼酎をつくること, それを届けること, 飲むことをほんとうに楽しそうにギャラリーに語られる豊永蔵元.しかし, 農法のことになると目が真剣味を帯びてきて, 本気をぶつけられる.



 ビオディナミは原料作物の栽培と加工の両局面において化学工業製品の介入をきらう.それはそれでよいのだが, 化学工業製品の忌避は「天体の運行が自然界に及ぼす作用を考慮し、植物に宇宙の情報を取り入れる」根本原理ゆえである.土壌づくりや栽培, 醸造に宇宙の力を借りる発想は, つまりオカルティズムになびく.ビオディナミワインの「導師」であるニコラ・ジョリー氏(この試飲会にも参加)になると「惑星直列の日に水とかき混ぜた肥料は効果が大きくなる」とまで言い出し, あまつさえ「爪や髪も、月の暦に合わせて切る」のをよしとするそうで, とてもじゃないがついていけない.

 だが, 救いはある.豊永蔵元の焼酎づくりは宇宙のかなたではなくて現実の田んぼの土に根をおろしているからだ.蔵元は原料米を焼酎づくりの原点におき, 米の質を高く求めることに厳格である.地元湯前町のEM農法(Effective microorganisms, 有用微生物農法)の実践農家である那須辰郎さんの門を叩き, 自分で納得のいく米だけで焼酎をつくられるようになって久しい.このポリシーがLa Renaissance des Appellationsの水脈と通じたのであるが, 豊永蔵元はオカルティズムに汚染されない清浄な上流にいる.
 私事になるが, 当方, 昨年は市販のコンポストスターター「ごみぱっくん」を使って段ボールコンポストで生ゴミを処理していた.野菜クズも魚の骨も数日のうちに跡形もなく分解されてしまい, 天ぷら油など入れると微生物は俄然がんばり出して発熱し, コンポスト内部50℃にもなるのだ.まさに指宿の砂風呂状態で、微生物のパワフルさは驚くばかりであった. 蔵元が自然農法の実効に信頼をおかれる根拠がここにある.


 最後に, 試飲会のパンンフレットに寄せられた豊永酒造場のメッセージを.

 ‘豊永酒造場は明治27年(1894年)創業の歴史ある蔵です.四方を九州山地に囲まれた球磨盆地に位置し, 近くに日本三大急流の一つである球磨川の源流が流れる, とても自然に恵まれたところにあります.また, 球磨地方は歴史的には弥生式稲作の発祥の地です.肥沃な土壌と寒暖の差の激しい気候が球磨盆地に早くから稲作を定着させました.
 そして米を原料とする「球磨焼酎」がスコッチウイスキー誕生とほぼ同じ五百年前に生まれました.
 この長い伝統を守りつつ, 豊永酒造は「球磨の米, 球磨の水、球磨に根ざした人による焼酎造り」を実践しています.
 原料の米作りは1990年から有機栽培で行っています.自社農園と16軒の契約農家で耕作面積20ha, 60tの米を生産し, 常に最高の原料を作るために土壌分析, 有機肥料作りを共同で行っています.
 我々は五百年前に球磨焼酎を誕生させたすばらしい風土に感謝し, 我々が造る焼酎でこの素晴らしい球磨の自然を表現しています’



§8 Index

31. Jan. 2008