だご汁とは, 簡単にいうとだごを浮かべた汁である.だごとは小麦粉の平たい団子のことである.
 朝から晩まで農作業で忙しく, 食事の手間さえなんとか省きたい農家がさささっと準備してさささっと食べる, 簡潔迅速ならびに腹持ちとエネルギー補給を旨とする九州の素朴献立であった.球磨地方での伝統的レシピは下のようになる.

1.小麦粉を耳たぶの柔らかさに捏ね, しばらく寝かせる.
2.鍋に水を入れ, ダシゴ(煮干し)や昆布でダシをとる.
3.大根, ニンジンなど季節の野菜を入れる.
4.煮立ったら小麦粉のタネを手で広げ, ちぎり入れる.(熱湯になっていないとだごがどろどろになってしまうので注意)
5.だごが浮いてきたら味噌を溶くき入れ, ネギを散らす.
          
 
参考:「人吉球磨暮らし伝えづくり『ふるさとの食』指南書」 ひとよし・くま郷土料理伝承塾・編 2004年
   :「聞き書 熊本の食事」 編集委員会・編 農山漁村文化協会 1987年


 このような「つくる時間を削ってつくり, 食べる時間を削って食べる」作法は農家の近代化とともに消滅し, ひきかえに畑から鍋への「新鮮素材直送感」が非農家の一般市民に受けるところとなり, 今や郷愁をかなでる「くつろぎのメニュー」として熊本県一円で人気を博している.今ではダシはゴージャスにもカツオ節と椎茸になり, そのうえ超ゴージャスにも鶏肉まで入ってコクのあるすこぶる美味な一品に変身している.
 中身は変われど, 球磨では昔ながらに「だごじゅる」と発音すると土地になじめる.
球磨郡のだご汁の例.球磨郡相良村の温泉リゾート施設「ふれあいリフレ 茶湯里(さゆり)」内の食堂「茶膳亭」にて.


 各戸ごとに流儀があり, 「だご汁万流」ともいうべき膨大なバリエーションになる.たとえば:
 1.タネは手で延ばしてちぎるほかに, こね棒で広げてから包丁で方形に切ることもある.手か, それとも包丁かの選択は, 後述するように麺の進化史において「サルが人間に変わった瞬間」にも相当する.
 2.1とは逆に, タネづくりの手間を省くために小麦粉をとろとろに溶き, それを汁に落として即座にかたまらせる究極の省力省時間レシピもある.このタイプはつんきりだご汁と称される.
 3.味噌仕立てが普通であるが醤油仕立てにすることもままある.が, 球磨地方では醤油仕立ての汁物は別に「つぼん汁」があるので, 汁物の分業体制が確立しているともいえる(つぼん汁にだごは入らない).
 4.皮くじら入りのだご汁もあり, 錦町では特別に「徹斎汁」と呼ばれている.タケノコも必ず入るのでタケノコの時期だけの季節限定品である.

 などさまざまである.


 だごは, 本格的な麺 ―ドウをのし棒で念入りに延ばしたり包丁で細長く切ったりしたシロモノ― ではない.粉食の歴史的発達ステージにあてはめると, 粉食が麺段階に突入する直前の「プレ麺段階」にあたる.
 麺であるかないかの分岐点はのし棒と包丁の利用のほかにもうひとつある.それは「塩」の介在だ. うどんの腰とは, タネを寝かせるあいだに塩分によって引き出されたグルテンが呼び寄せる.だご汁はなんといってもファーストフードだからタネづくりの基本の考え方が違っていて, ダゴを寝かせて塩でじっくりグルテンの成熟を待つような悠長なことはしていられなかった.そうはいうものの, 少量ながら塩を使ったり寝かせたりして麺的食味に近づける場合が普通になっているので, プレ麺からプロト麺に一歩接近してきている.すっくと立ち上がり, 雄々しい直立歩行がはじまりかけているのだ.
 だご以前の形態としては穀粉に湯を入れてかき混ぜて食うだけの, たとえば「そばがき」段階やアフリカの「ウガリ」段階がある.それからからみるとだご汁は相対的に進化が著しい(相対的に, ですよ).


 日本のプレ麺はウガリ段階からは長足の進歩を遂げているが, 生涯一度だけつまずいたことがある.
 そのつまずきはだご汁の兄弟のひとりである「すいとん(水団)」が, 大平洋戦争末期に総力戦下の節米料理の第一等の座に登りつめたときに起きた.その惨状はこうだ・
  1.小麦粉を捏ねて2, 30分寝かせる.
  2.汁は中身をたっぷりにして柔らかく下煮する.
  3.捏ねたものを摘み入れ, 浮き上がるのを待つ.
  4.塩と醤油で吸物加減に味をつけていただく.
              
参考:「戦下のレシピ」 斎藤美奈子・著 岩波アクティブ新書 2002年


 料理の価値基準である‘美味と美観によるこころと舌のやすらぎ’がすべて吹っ飛んでいる.塩と醤油だけの味付けでわびしさがつのる.「中身たっぷり」とあるが, 都市部では野菜は入手困難だったので, 「不味で食べられぬものもアク抜きすればなんでも食べられます」(「婦人倶楽部」1944年 8月号の特集 「戰時の食生活秘訣便覧」)とハコベやヨモギやドクダミなど路傍の野草を推薦してあり, これが中身たっぷりの中身だったのであろう.

 当方, 「すいとん」を一度だけ食べたことがある.幸か不幸か戦後生まれなので戦時中のことではなく, 京都に住んでいるときに市民団体主催の戦時下生活再現反戦イベントでの話で, 目玉の「復刻戦時食」にぐぐっと引き寄せられて立ち寄った.

 そしたらなんと「決戦食」にあるまじき非常な美味だったのだ! 
 
 京都の民には京料理の意地がある.制約された食材ながら腕をふるって味に完璧を期したのであろう.ま, あれはイベントの客寄せ用に手のこんだつくりだったということで, 正統的戦時食の不味さはレシピからすぐに想像できる.

 またプレ麺の話に戻したい.プレ麺の類は南には高知の「ほうとう」があり, 一挙に岐阜の「ほうとう」に飛んで長野や山梨の「ほうとう」から茨城の「はっと汁」につながり, ついに本州北端で青森の「はっと」に到達する.どれも呼び名が似ているのは, プレ麺のルーツが平安時代の漢和辞書である和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)」(935年)で初登場する舶来の練り粉食品「(はくたく)」であるからだ.
 同時期の文学の白眉である「枕草子」にも「ほうとう」が出てくるが, 「枕草子」にはいくつかの異本があって,「ほうとう」の語は伝能因所持本系統, いわゆる「能因本」の319段に限るらしい.当方が持っているいわゆる三巻本系統(岩波文庫版)ではその段は別の編集がなされていてついに見当たらなかった.「いとわびしくすさまじくぞおぼゆる」心境になりつつも, 枕草子が清少納言のあずかり知らぬところで中身が変えられていったことを知って勉強になった.ほうとうの副産物である.

 ともかく「はくたく」が全国展開のプロセスで音便化して「ほうとう−はっと」に落ち着いた. 千葉の「はっと」, 福島の「はっとう」, 昔と今とでは食べ方は異なり, 青森の「小豆ばっとう」は小豆と一緒に食べるところが和名類聚抄時代の古い食べ方をとどめているといわれている.

 私事ながら, 当方は毎年秋になると山梨県の勝沼(現・甲州市)にぶどう狩りに行くのを習性としていて, ぶどうよりもむしろほうとうを食べるのが楽しみになっている.観光ぶどう園の縁台で食べる甲州名物「かぼちゃほうとう」の味はなかなかである.
東北のだご汁の例.宮城県栗原市の細倉マインパーク内の食堂「かあちゃんレストラン」にて.メニューでは「はっと汁」になっている.
散らしてあるネギが白いことに注意.九州ではあたりまえの青ネギは東日本ではなぜか敬遠される.

 だご汁は熊本だけで無聊をかこっている孤高の椀ではけっしてなかった.それでも疑問は残る.なぜ熊本は優雅な語感に欠ける「だご汁」なのか? ほうとう−はっと系列の言葉はないのか? その解決のカギは宮崎県にありそうだ.
 というのは, 宮崎県もだご汁語圏であるが, 山村には江戸中期まで現在のだご汁と似た「ほうちょう汁」なる食品が残っていたからである.臼杵, 椎葉, 米良は山ひとつ越した熊本と交流が深かったから「ほうちょう汁」が昔は熊本にも分布していたのではあるまいか.これが実証できればミッシング・リンクが見つかったことになる.「ほうちょう」は今も大分に残り, 「だご汁」との並存ながらほうとう−はっと系列の九州地方型の座を確立している(ただ,「ほうちょう」の製法は凝っており, 麺に片足突っ込んでいる).大分の「ほうちょう」は海を越えて愛媛の「ほうちょう汁」に連なり,高知の「ほうとう」に収束する.

 しかし, 地続きでも言葉が単純につながらない場合もある.宮城県の「はっと」語圏は北上して岩手県南部を巻き込み, 青森県でも「はっと」であるが, そのあいだに岩手県北部の「ひっつみ」語圏がはさまる.それぞれの分布は仙台藩, 南部藩, 津軽藩の版図にだいたい一致する.岩手県といえど仙台藩の土地だったところでは「はっと」なのだ.これで不連続分布の謎が少しほどける.
 だごをつくるにゃ粉がいる.粉をつくるにゃ臼がいる.臼が農村に行きわたったのは江戸時代の中期以降だから, その頃からやっと今に通じる製法のうどんやだごが食卓にあがるようになったらしい.かくして時代として臼の普及と藩政の発達がシンクロし, だご汁の類の言葉が土地それぞれに植え付けられていったのであろう. 

 だご汁ワールドの広がりはかくも古くかくも新しい.
 付言:だご汁と麺の歴史, だご汁の方言などは「文化麺類学ことはじめ」(石毛直道・著 講談社文庫 1995年)が参考になりました.石毛氏による食文化探索の成果は巨大です.

§6 Index

14. May 2006