お花には人を微笑ませる力がある。そう確信させてくれるのがイラン映画「友だちのうちはどこ?」だ。
この映画はイラン映画の巨匠アッバス・キアロスタミ監督が、’87年にイラン児童青少年知育協会のもとでつくったもので、一応子供向けということになっているのだけれど、大人でも充分堪能できる完成度の高い作品だ。と言っても、ハリウッド映画のテンポに慣れた人にはイライラして見ていられないかもしれない。もちろんそこがキアロスタミ監督の意とするところなのであるのですがね・・・
お話らしいお話はほとんどない、と言っても過言ではない。ある日、8才のアハマッド・アハマドプール君は間違えて隣の子のノートを持って帰ってきてしまう。その子は先生から「今度宿題をノートにやってこなかったら退学だ!」と言い渡されていた。アハマッド君は離れた村まで友だちのノートを返しに行く。お話はそれだけ。最近の日本の子供に聞かせたら「電話すればいいじゃん」とでも言われそうだ。小学生が携帯電話を持っている日本では成立しない話かもしれない。見ていて日本と完全に違ってきてしまっていることは、イランの子供はみんな一様におうちのお手伝いをしっかりやっていることだ。お米がとげない中学生や卵が割れない小学生やバナナがむけない幼稚園生のいる日本では異次元の世界の話なのかもしれない。
ノートを返しに行くのだけれど、友だちのうちがわからない。わずかな情報であちこち動くが、日はどんどん暮れていく。大人は教育と称して子供に勝手な理論を押し付ける。子供には子供の世界の事情というものがあるにもかかわらず。
ここに、キアロスタミ監督の巨匠たる所以があると思う。監督は観客である私たちにあらかじめ席を用意してくれているのだ。創り手が勝手に自分の思い込みだけでさあどうだという感じで見せつけるのではなく、わざと画像の中で物語を完結せずに、観客の意見を求めながらつくっている。だから、あらかじめ答えを用意するよう親切につくられたハリウッド映画に見慣れた人たちには面倒くささを感じさせるのかもしれない。
結局友だちのうちはみつからない。勿論ノートも返せない。
両親は思ったよりは優しい。けれど、友だちの事を思ってか、あるいは自分の目的をとげられなかったことが悔しくてか食事ものどを通らない。それでも自分の宿題はしなくてはならない。子供も大変だ、とつくづく思う。
そしてラスト。
アハマッド君の機転で隣の子は難を逃れる。けれどそのノートの中にさりげなく1輪の押し花が・・・多分アハマッド君が"冒険”の途中で摘んだ花なのだと思う。この花を見て、多分ほとんどの観客は微笑んでしまうような気がする。無事解決しただけでは微笑めない。多分安堵の溜め息だけだろう。そこに、アハマッド君の"冒険”を見ていたもうひとつの目撃者(?)である花をさりげなく見せることで、観客の頬をゆるませてしまう監督の手法はたいしたものだと思う。監督はお花の持つ魔法を知っていたんだ!(^^)
このお話には続編があって、舞台になった村が地震で全滅したという情報を聞きつけた監督が映画に出演した子たちの無事を確かめに行くというドキュメンタリー・タッチの映画がある。「そして人生は続く」というタイトルのこの映画は、被災地に行くなら救援物資くらい持って行けばいいのに・・・と思うが、それも生活環境の違いかもしれない、とも思う、いろいろと考えさせられるものだ。罹災後5日目に花に水をやるシーンはやらせなのかそれとも生活そのものなのか・・・。
便利に慣れてしまった日本人としては同じ眼鏡で観ることは不可能なのだと思うけれど、日本の映画監督も被災者にささげる映画を撮れる土壌が欲しいと思う。